第三幕:この世は楽し
第11話:楽しいお姉ちゃん
岩国行きのバス停まで歩くのも、バスの中も。どうにも生きた心地がしない。
やはり病院で通報されたか。市電で目の合ったおっさんが刑事だったか。正解は分からないが、とっくに罠にかかっていたのだと。
「ウイ姉ちゃん、飴食べる?」
「ありがと。リンゴ味じゃ、おいし」
白い小さな手が「ヘイちゃんも」と横から伸びる。渡されるがまま、受け取ったからには口へ入れた。同じくリンゴ味だった。
「どしたん、元気ないなったねえ。酔うた?」
「いえ別に」
「あたしは飲んどるけど酔うてないよ!」
また前の席に座り、今度は背もたれに被さって話すウイさんから酒の臭いはしない。けれども十分にテンションが高いと思う。
見透かされないための演技なのか、俺を見下しているのか。どちらにしても気分が悪い。
了の前では下手なことも言えず、借りてきた猫でいるしかなかった。
「イケメンジャーって二、三年前じゃないっけ? 了くん、通じゃねえ。オッシーじゃったっけ、ブルーの子が可愛ぃくて好きじゃわ」
「僕、ヨムヨム皇帝になりたい」
「お、おう。そっちね」
そもそも戦隊ものの話で盛り上がられても、さっぱりだ。ライダー派だったし。詮索されたくないんでしょと指摘した通り、匂わすようなこともあれきり口にしなかったが。
それからバスは順調に、岩国駅前へ到着した。午後五時半過ぎ、およそ定刻。
「で、福岡行きに乗り換え?」
「いえ。今日の便は終わっとるんで、泊まりです」
「あ、そうなん」
やはりと言うべきだろうが、泊まりと告げても特段のリアクションはない。白ネギのレジ袋を揺らしながら、着いていくからどこへでもという顔で居る。
「もうバス乗らんの?」
「うん。また明日じゃ」
「じゃあ今日はウイ姉ちゃんもバーベキュー?」
「そうらしいわ」
俺と繋いだ手を高く上げる了。歓声と共に見上げられたウイさんは、静かに頷く。
「でもバーベキューって、ホテルとか旅館じゃなくて?」
「野宿です」
「へえ——まあ、しょうがないか」
しょうがないとは何に対してか、小さな針で腹の底を突かれた心持ちがした。
どう言っても負けた気になりそうで、黙って背を向ける。何百メートルか先、おあつらえ向きの山林へ歩き始めた。
「ねえねえ。もしかして向こうの山で泊まるん?」
「ですよ」
「もしかして、今日までずっとそんな感じ?」
出会った夜と、了の祖父母の家の近く。キャンプ場でさえない山の中は女性に厳しかろうが、同行してくれと頼んだ覚えはない。
いっそトドメを刺してくれれば諦めもつくのに、どうしたいんだ。我慢しつつも、声に苛つきが混ざる。
「ずっと言うほど、日は経ってないですけど。まあそうです」
「せっかくなんじゃけえ、もっと面白いとこ行かん? あたしもよう知らんけど、例えば
錦帯橋というと広島県民に彼氏、彼女ができたら必ず行くデートコース。つまりは観光地で、岩国駅から近かったはず。そういうものを見せてやろうという発想はなかった。
「あー」
「ね、了くん行ったことある? 木でできとる長ぁい橋がかかっとるの」
「ううん、知らん」
ただしどちらかというと史跡に類する物で、子供が見て楽しいのか疑問だ。案の定、長い橋と言われてもきょとんとしている。
「お土産物屋さんとかいっぱいあるんよ」
「えっ、行きたい!」
「ほら」
「ほら、言うて。ドヤ顔されても」
行きたいのはウイさん自身でないのか。そのためにお土産物で釣ったじゃないか。
とはさておき、了が楽しめるのなら何でもいい。錦帯橋、キャンプ、で検索をかける。
「錦帯橋の傍は火気厳禁でダメですね。一つ上流の
「歩ける距離?」
「ですね」
「じゃあ決定」
言うが早いか、ウイさんは回れ右をした。調べるまでもなく、駅前からバスがあるはず。
俺も同じほうを向いたものの、立ち止まった。こちらを振り向く気配もなく、どんどん進む背中。あれに着いていっていいものか、否定の気持ちしかない。
「了、ウイさんて何なんじゃろ」
「ん? たくさんお話してくれて、楽しいお姉ちゃん」
並んで立ち、小さな相棒に問う。答えはさもありなんだったが、そんなことはないと言える材料もなかった。
「行かんの?」
了の手が、早く彼女に追いつこうと引っ張る。深呼吸と見せかけて、大きくため息を吐いた。
これは彼のための旅で、彼のやりたいようにしてやりたい。だから、ウイ姉ちゃんなんか嫌いと、言わない限りは俺も言わない。
そう諦めることにした。
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