第9話:変わりゆくこと

 山口方面、博多方面、北九州、下関。思いつく行き先を片っ端から検索にかける。と、見つかった。


「うわ、かった。あったわ」

「バス乗れる?」

「うん、乗れる乗れる。悪ぃの、クソバカたれで」


 自分への悪口は、かなり本気だ。急ぐ旅ということもないけれど、後戻りは避けたい。


「ヘイちゃんはバカじゃないけえ」


 聞いたことのないバス会社だった。探すのに十分やそこらは使ったと思うが、了はニコニコと見上げる。むしろ俺を弁護するのに、ぷっくり頬を膨らませた。


「ほうか。ありがとの」


 他に頼る相手が居ないから、という切迫した感じはない。彼の中でどんな評価か知らないが、肩車してやりたくなった。


「よいしょっ、と」

「えっ、ええっ、なんこれ!」

「ええ? 肩車、知らんのか」

「よう見えるねえ。ヘイちゃんの頭、高いんじゃねえ」


 胸まで持ち上げ、そのまま肩へ。了はまったく怖がらず、俺の頭をぺちぺち叩く。もちろん痛くはないし、どころか楽しい。


「大きなとこじゃねえ」

「ん?」


 俺の頭はそれほど大きくない。何のことか、見上げた。了の手が、線路向こうを指している。

 たしかに大きい。何かと言えば、ベージュ色のコンクリート壁が長く続いた。既に通り過ぎたのと行く先と、二百メートル以上も。


「なんじゃろ——ああ、スジグランドじゃ」


 馴染みのロゴが目に入る。買い物袋を提げた客も出入りしていた。大型スーパーだ。


「買い物するとこ?」

「そうよ。まあまだ、晩飯には早いけどの」


 了の目が、歩いて帰る女性を追った。俺と同年代の。

 どちらにせよ、こういう大きな施設には寄りたくない。彼をしっかりと支え、走った。


「わあ、ヘイちゃん速いわ!」

「まだまだ行けるで!」


 きゃっきゃ、と子供らしい声が耳を衝く。しかし気を良くして、限界までギアを上げる。


「ふう……ふう……」

「ヘイちゃん大丈夫? 座る?」

「ちょ、ちょっと、息が。切れただけよ」


 たった百メートルほど。どうにかスジグランドを置き去りにしたところで音を上げた。

 肩の乗客にも歩いてもらい、足を引き摺る。別に肥満とかではないのだが、運動不足がヤバい。


 さらに数百メートル、宮島口駅の手前。目的のバス停を目の前にするころには、息も整った。というか小豆色のマイクロバスが既に居て、また走る羽目になった。

 俺達が最後尾に乗りこんでも、運転手さんはまだのんびりと外を眺めていたが。


「小っちゃいバスもあるんじゃねえ」

「コミュニティーバスいう奴じゃの。またすぐ大きいのに乗り換えるけえ、我慢してくれえよ」

「え? 可愛いけえ、このバスも好きよ」

「そりゃかった」


 先に乗っていたのは、おばあちゃんが一人だけ。運転席の真後ろの席から、ぐいっと振り向いてこちらを見る。


「え。あ、どうも」


 睨まれた? まさか刑事の変装ではあるまいし、何かしただろうか。

 とりあえず探る声で会釈をすると、おばあちゃんもちょっと頷いて前に向き直る。


「声がでかかったか? 静かにしとこうで」

「うん、ごめん」

「大丈夫よ」


 たしかに了の声は賑やかだったが、俺も似たようなものだ。顔を見合わせ、互いに照れ隠しで笑った。


「そろそろ出発しまーす」


 スピーカーを通した運転手さんの声。乗降口の扉がぎこちなく閉まり、すぐにまた開く。どうしたかと思えば、一人の客が「すみません」と乗り込む。

 俺と同じくらい。いや、少し歳上か。そういう年頃の女性は、大きめのレジ袋を手にしていた。スジグランドのロゴ入りの。


 おかっぱ頭の了より短い髪が素早く左右に振れ、彼女は俺達の目の前の席を選んだ。華奢な座席が、軋み一つ上げない。

 特にまじまじ見なくとも、首もとがだるんだるんに伸びたと分かるTシャツ。食べ染みらしき汚れの付いた、デニムのロングスカート。

 安っぽいビニールサンダルも合わせて、どう考えても近所の住人に違いない。


「ねえ」


 走り出した途端、女性がこちらを向いた。自身の使う背もたれに手をかけ、側面から身を乗り出して。


「は、はい」

「急にごめんね。その子、あなたの子?」

「え、ええと?」


 急も急。突然すぎて、日本語でないのかと疑った。いや日本語以外にあり得ないけれど、この脈絡のなさが不明すぎる。


「ねえ、僕。お話してもええ? あたし、ウイっていうんじゃけど」

「うん、ええよ! 僕ね、了いうんよ」

「へえ、了くん。お父さんと一緒?」


 なんだなんだ。理解の追いつかない俺を尻目に、ウイと名乗った女性はどんどん話を進める。

 了も警戒の”け”の字もなく、嬉しそうに答えた。


「ううん、ヘイちゃんは友達よ」

「ヘイちゃん?」

「ヘイちゃんは、ヘイタいうんよ」

「そっか。じゃああたしも、了くんとヘイちゃんて呼んでええ?」


 ちょっと待て。言いかけたが、了の返答が早い。


「ええよ!」

「ありがと。どこまで行くん?」


 まあ、名前くらいなら。小さなため息を吐くと、了が助けを求めて見つめる。福岡県とは伝えたはずだが、分からなくなったらしい。


「いやいや、その前に。あなた——」

「ウイ」

「ウイさん。どうした言うんですか、俺はびっくりしてしもうとるんですが」


 化粧けを感じないのに、はっきりした目鼻立ち。好みという男は多いだろう。

 だが、それとこれとは別だ。揉めごとになるのも嫌なので、なるべく険のない声で問う。

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