第二幕:路傍にて

第6話:ママと母ちゃん

「せっかく遠出するんじゃけえ、のんびり行こうや」


 高速バスの停留所は、和菓子屋の目の前だった。車内で食べようと誘ったついでに、新幹線に乗らない言いわけをする。


「僕、もみじ饅頭がええ!」


 少し手狭で、コンビニは難しいかなという店内。それでもたくさんの商品が並ぶ中、了は悩むことなく指さした。


「え。飽きとらんか?」

「飽きんよ。おいしいもん」


 言わずとしれた広島銘菓。不思議なことに、よその会社を訪問するのに持参する人が多い。県外からでも、だ。

 だから休憩室の、ご自由にどうぞのスペースに必ず置いてあった。

 まあ言ってみたものの、たしかに俺も飽きてはいない。


「チョコか? カスタードか?」

「こしあん」

「ノーマルか、渋いの」


 スタンダードがいちばん旨い。賛成して八個入りを買う。店を出ると、目の前にバスの姿があった。慌てて手を上げ、乗り込んだ。

 蠅ヶ峰の中腹辺りまで、峠道を上る。当たり前だが、上った後は下る。

 なんだかおかしい。やけにスムーズに進むと思ったら、渋滞していないからと気づいた。

 以前は曜日も時間帯も関係なかったのに、これまたなぜだろうと考えた。

 ああ、西日本鉄鋼が操業停止したせいか。二年も前からだろうに、毎日の通勤では気づかなかった。


「ヘイちゃん、見て」

「ん? うわ、なんでバラバラにしたんや」


 小さな手の上に、もみじの形の饅頭の皮が二枚。分厚いコインみたいな、こしあんの塊が一つ。魚の三枚おろしのごとく綺麗に並ぶ。


「別々に食べるの、おいしいんよ」

「ほんまか?」


 問うても、板前さんは美しい出来映えを眺めるのに忙しかった。ならば、と俺もやってみる。

 ふわっと柔らかく繊細な皮が破れて、うまくいかない。だが見た目をさておけば、分解には成功した。

 さっそく、皮だけを口に入れた。飲み込んで、次はあんこを。


「どう? おいしいじゃろ?」

「いや、旨いけど」

「ね、おいしいんよ!」


 旨い物を構成する部品だ、まずいわけがない。俺は普通に丸かじりするほうがいいけれど。

 わざわざ水を差すのはやめた。窓に張り付いて、饅頭も食べて、満足そうな頭を撫でてやった。


 およそ一時間。正午前に、広島市の中心部へやって来た。終点までもう少し乗っていられるが、防犯カメラのありそうな場所へは行きたくない。

 広島でおそらく最も人間の密集する、本通り商店街前で降りる。地面の見えない人手を横目に、路面電車の停留所へ向かった。


「ヘイちゃん、あれ何?」

「カラオケとゲームセンター」

「あれは?」

「銀行」

「こっちは?」

「お酒飲むとこ」


 ぎゅうぎゅうに詰め込んだ、おもちゃ箱みたいな街。了は初めてのようで、どこかへ目を奪われない時間が一瞬たりとない。


「あっ、おいしそうな匂いする!」

「ケンタッキーあるけえの」

「食べたい」

うてもええけど、食えるんか?」


 明日かあさってまでのおやつにしようと思ったのに、もみじ饅頭はなくなった。しかも俺が食べたのは二つ。

 了はしょんぼり、己の腹を見下ろす。


「食べれんかもしれん」

「じゃあ、またじゃの」

「またあったらうてくれる?」

「了がおいしゅう食べれるんなら、何でもうちゃる」


 繋いだ手に、彼は頬を押しつけた。

 蒸し暑さに身体じゅうが火照る。しっとりした感触が、ひやりと心地いい。

 ファストフードくらい、幾らでも。財布の分厚い理由を思い浮かべそうになり、ぶんぶんと頭を振った。


「ヘイちゃん、あそこ公園?」


 また質問。楽しませる話題など持ち合わせないので、楽でいいが。

 大きな交差点を越えた先、石畳の広々したスペースがある。林と言っていいくらいに木も植えてあり、公園に見えなくはない。


「……県庁よ。偉い人らが会議したりするとこ」


 しまった。自分のうっかりに腹が立ち、口ごもる。と、すぐに了の怪訝な声が見上げた。


「どうかしたん?」


 視線を合わせても、返答に困る。いや県庁や県議会にしがらみはない、あるのはその隣だ。県内でも一、二を争う大病院に。


「どうもせんよ。一つ向こうにでかい建物があるじゃろ、俺の母親が入院しとるの思い出しただけ」

「ヘイちゃんのママ? 病気なん?」


 入院が何か、理解している。しかし了は首を傾げ、俺の脚にしがみついた。


「心臓が良うないらしいわ。兄貴が面倒みよるけえ、詳しいこと知らんけど」


 胸をトントンと叩き、大したことでないと鼻で笑って見せた。本当に、心配することではない。少なくとも俺にとって。


「もみまい行かんの?」

「もみまい? お見舞いか。ええよ、お前の母ちゃんが先じゃけえ」


 少し、手を強く引いた。掘り下げても仕方がない、それより先を急ぐか、旨い物でも探しに行くほうがマシだ。


「のんびり行くんじゃないん?」


 構わず進もうとしたのに、了が蹲る。頬を膨らませ、どうしたって動かないぞと睨む。


「あー、そうじゃったの――なんでそんなに行かせたいんや」

「ママの病気、よう知らんのじゃろ? 知らんのに、放ったらかしたらいけん」


 とぼけようとした。が、とぼけきれない。なんだかよく分からない迫力というか、説得力みたいなものを感じて唾を呑んだ。

 放ったらかすな、などとこの子に言われてはなおさら。頷くしかなく、渋々ながら病院を見据えた。


「分かった、行くわ。でも了は待っとってくれるか?」

「うん、ええ子にしとく」


 にいっと、我がことのように了は笑った。動かし始めた足もほとんどスキップで、何をそんなにと思う。

 広島新病院と大きく掲げられた看板をくぐり、三階までぶち抜きのホールに唖然とした。入り口から右を向けば、端にドトールが。左を向けば、端にローソンが。病院でなく、レクリエーション施設だったかもしれない。


「じゃあ、悪いの」

「いってらっしゃい」


 約束通り、ローソン前のソファーに了を座らせた。ジュースを持たせたし、十分やそこらは問題あるまい。

 母親がどこの病棟に居るかくらいは聞いている。案内表示に従って、黙々と歩いた。

 緩和ケア棟。寛解の見込みの薄い患者が、痛みを抑えたりしてもらう場所。辿り着き、訳知り顔で病室の名札を探す。


 あった。覚悟を決めようとか、余計なことを考える前にすぐノックする。

 五秒ほど待ち、拳をもう一度動かしかけた。


「はい?」


 記憶よりか細い声。けれども母親に間違いない。凄まじく軽い引き戸を、そうっと開けるのにむしろ緊張した。

 衝立やカーテンも閉じてなく、頬の痩けた女性が直に見える。薄手ながらも長袖のパジャマで、腹まで布団をかけて横たわっている。

 どんな顔をしていいやら。きっと真顔で、ベッドに近づく。疲れた風に、けれど愛想よく「どうもどうも」と、俺の母親は尋ねた。


「どちらさんです?」

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