第5話:それぞれの思い

 逃げずにおったら、今ごろどうしとったかなあ。

 どうもこうも、きっと牢屋だ。ビクビクせずに済む分、そのほうが楽な気はする。

 何億円の大金を、俺なんかが返せるはずもない。そういう時、どうするものなのだろう。

 いっそさっくり、死刑にしてくれればいい。だが聞いたことがないし、借金を返すだけの人生を送る羽目になるのか。

 でも何もしていないのに、返す・・とかあり得ない。


 これまで何度も繰り返した、堂々巡りに陥った。

 肉を焼いて了にやり、また焼いて今度は自分の口に。合間でアルコールを含むルーティンの中、いつの間にか眠っていたらしい。

 ゆっくり、まぶたを開ける。辺りはまだ明るいが、木々の影が濃くなった。スマホを見ると、午後四時過ぎ。

 焚き火は消え、空のフライパンと了の使った皿が並べて置いてあった。


「あ——」


 さぁっと眠気が飛び、上体を起こす。

 山頂、登山口。どちらの方向へ目を凝らしても、小さな子供の姿はない。

 どっちだ。やはり寂しくなって、祖父母のところへ戻ったのか。それならいいが、迷子になっていたら。


 捜しに行かないと。

 気怠い身体を一気に持ち上げようとした。すると何か、背中に引っかかる。バランスを崩し、後ろへ手を出す。と、柔らかい感触があった。

 潰さないよう、咄嗟に倒れ込んで逃げた。それから肩越しに覗く。俺の背中をぎゅっと握り、よく眠っているらしい。胎児のように丸まって。


「ふう」


 溜まった息を吐き出し、じっと見つめた。


「俺が連れて行くとか、あり得んよなあ」


 こんな小さな子が、犯罪者と一緒に居ていいはずがない。ただしそれには、彼の安全を保証してくれる誰かへ引き渡さなければ。

 どう考えても、あの祖父母だ。さっきの様子では、ちょっと難しそうだが。

 そっと、了の手を解いた。向き直り、胸の中へ抱き入れる。


「俺が……」


 どうする、と言葉が浮かばなかった。

 木陰の風そのものみたいな、サラサラと涼しい肌を撫でて温めてやる。「ママ」と漏らした顔が苦しそうで、きつく抱きしめた。

 ——了が目覚めたのは、すっかり夜になってからだ。起き抜け、向かい合う俺に「ヘイちゃん、よう寝た?」とは参る。


「悪かったの、つまらんかったじゃろ」

「僕も寝たけえ、大丈夫よ」

「うん、よう寝とった」


 かけてやったバスタオルに気づき、にいっと笑う。笑い返すと、畳み始めた。四隅を丁寧に、針へ糸を通すかの繊細さで合わせながら。


「なあ、了」

なん?」

「母ちゃんとこ連れてくの、俺でええんか?」


 せっかくのバスタオルが地面に落ちる。


「嫌んなったん?」

「いや、連れてってやりたい思うとる。じゃけど俺のほうが、お前に迷惑かけそうなんよ」


 拗ねたような悲しいような真ん丸の眼が、首と一緒にぐるりと見回す。

 また火を熾しているものの、何歩か先の木が輪郭を表す程度。漆黒と言っていい闇の底で、実に彼は落ち着いて見えた。


「明日もう一回、お前のじいちゃんに——」

「僕、じいちゃんもばあちゃんも好きなんよ。じゃけえ迷惑かけとうない」


 下唇を噛み、泣き出しそうに震えた声。

 そんなことを言って、母親に会った後はどうするのか。などと理屈ではない、子供なりの覚悟があるのだろう。


「分かった、絶対に母ちゃんに会わしちゃる。何があっても」


 生きていても、どうせ碌なことはない。それならせめて。

 深く頷くと、了が飛びついた。


かった。お別れか思うた」

「もう言わんわ。でも明日、じいちゃんとこには行くで? 連れて行く、言わんと心配さすけえ」


 膝の上で、彼は曖昧に首を動かした。祖父を関わらせたくないのは分かるが、こればかりは了承と勝手に決めつけた。


 次の日。早朝は海に出ているそうなので、午前十時過ぎに楽道家へ向かった。

 まだ離れた位置から、庭で作業をする夫婦が見えた。大きな網を畳んでいるようだ、几帳面に端を合わすのが遠目にも分かる。


「お忙しいとこ、たびたびすみません」


 とっくに気づいていたはずだ。門のところで声をかけたが、二人ともこちらを見てくれない。

 昨日と同じく、了は門柱に隠れた。頭を撫で、慎重に敷地へ踏み入る。

 すぐ、祖母のほうが納屋へ走った。畳み終えた網を抱えて。


「なんじゃ言うんなら」


 細々落ちた網の端切れを拾いつつ、ようやく口を利いてくれた。

 見ると俺の足元にも、ちらほら。しゃがんでしばらく、丁寧に拾い集める。


「事情は聞かんです。でも了を、母ちゃんとこへ連れてく約束したんで。それだけ言いに」


 もう落ちていない。確信を持って立ち上がり、言った。けれども祖父は無言で、母屋の玄関へ向かう。

 と思うと、そこにビニールのゴミ袋があった。持って戻り、俺の集めたのも入れろと広げる。


「あんたぁ、頭おかしいんか思うとるんじゃが。よう分からんの」

「は、はあ。すんません」

「娘んこたぁ、もうワシらも与り知らんことよ。じゃけえ好きにせえ」


 ゴミの代わりに、何か手へ押し込まれた。

 そうこうしても、一瞬たりと視線が合わない。ゴミ袋を軽く縛りながら、言い捨てた背中が遠ざかる。


「あ、ありがとうございます」


 渡されたのは、千切ったメモ用紙。いかにも怒り任せの乱暴な字で、福岡県の住所が書かれていた。

 納屋の奥へ見えなくなる前に、深く頭を下げた。するとのしのし歩く足が止まり、モゴモゴと何やら聞こえる。

 それはきっと、「気ぃつけて行け」だった。

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