第4話:笑えない話

 レジ袋を敷き、冷たい地面に座り込む。落ち葉を追いやり、小枝を寄せ集めた。

 見上げれば高い天井は隙間だらけで、青空が覗く。火事も雨も心配なさそうだ。

 百円均一のフライパンを火にかけると、了がせっせと薪を集めてくれた。なぜこんな生活になったのか、いまだに不思議に思う。


浮橋うきはしさん、いう先輩がったらしいんよ。俺は会ったことないんじゃけど、システムエンジニア——会社で使うコンピューターの世話する部署の人」

「僕もカナブンのお世話しとったよ」


 肩を押しつけるように、了も石の上へ座った。拳一つだけ離れる代わりに頭を撫で、自由になった右手へ箸を持たせてやる。


西日本鉄鋼にしにほんてっこうの孫請けの、湯摺ゆすり計器いう会社。船とか車とかのメーターを作るんよ。大きい会社じゃし、高卒で入れる思うてなかった。まあ営業事務いうて、結局は雑用係じゃったけど」


 見境なく集めた薪は、湿ったのが当たり前に混ざる。おかげで火も暴れて落ち着かない。その動きに合わせ、了は突き出した箸を動かす。大きくなると右へ、小さくなれば左へ。

 どうやら彼には、日本でも指折りの企業より、焚き火の状態を示すメーターのほうが大事らしい。


「よう知っとるなぁ」

「じいちゃん忙しい時、ユーツーべ見よったけえ。何でも知っとるよ」


 自慢げにニッと笑う。何とも答えられず、焼けたカルビ肉にタレをぶっかけて皿へ入れてやる。

 エビマヨとツナマヨ、おにぎりの選択権も譲った。遠慮なく、エビマヨを持っていかれた。


「出産じゃったかなあ。その浮橋さんが急に辞めて、人手が足らんなったらしいわ。ほしたらなんでか俺も、手伝えいうてサーバー室の管理者にされた。パソコンとか、決まった伝票打つくらいしかできんのに」

「うんうん」


 タイミング良く頷いたのは、肉が旨かったらしい。思わず笑って、バナメイエビも放り込む。


「契約の更新手続きなんかの、誰でもできることじゃったけど。エアコンの効きまくった部屋にるんが、ちょっとしんどかったくらいで。定時に帰れてかったわ、先々月までは」


 タレと脂でベタベタの小さな手が、皿を置いた。もうエビの殻を剥くのにかかりきりだ。

 ちょうどいい、ここから恥ずかしい部分になる。


「サーバーから抜かれたデータが、よその会社に渡ったいうて。俺にできるわけないのに、お前しからんし、誰かが辞めんと格好にならんって——」


 直属でもない上司だった、湯摺課長の顔が浮かぶ。

 助けると思って認めてくれ。懲戒解雇となったら退職金もクソもないが、特別に五十万円をやるからと。

 丸二日、一対一でのにらめっこに疲れていた。辞めるとして、俺の歳では退職金があっても雀の涙。

 それならと頷いたのが間違いだった。


 再就職を求めても、どこへ行っても門前払いだ。終いにハローワークで「なんでこんなこと、しちゃったんです?」などと真顔で問われたのには笑うしかない。

 離職票にきっちりくっきり、解雇理由が書いてあった。社内機密の漏洩と。


「ヘイちゃん食べんの?」


 ふと気づけば、目の前に了の顔があった。膝枕でもするように、俺の懐へ頭を突っ込んで見上げる。


「いや、食べる食べる」


 フライパンの中身が炭になっていた。了の皿もエビの殻しかない。直ちにウインナーを一袋、空っぽにする。


「会社、辞めたん?」

「お。聞いとったんか」

「聞いとるよ。誰かが話しとったら、ちゃんと聞けいうて」

「じいちゃんか」

「ううん、ばあちゃん」


 人の話はちゃんと聞け。これほど身に沁みる、耳に痛い言葉もない。湯摺課長の話を、もっときちんと理解しなければいけなかった。


「そりゃあ、ほんまで。笑い話にもならんけえ」

「なんで?」

「俺がそうじゃ。先月、同期の人から連絡もろうて、笑えんようになったわ」


 子供が相手でも、真面目に言えることでない。へらへら自分を嘲笑しながらでないと、涙腺が壊れそうだ。


「横領か何かで、会社が俺を訴えたんじゃと」

「おーりょ? うったえってなん?」


 新入社員研修で交換した電話番号を、四歳上の同期が初めて使ってくれた。周囲を憚る「お前、大丈夫か? 被害額、億単位らしいで。今日にでも警察が行く思うわ」という声が、当人の鼻息で掻き消えそうだった。

 すぐさま、独り暮らしのアパートもそのままに俺は逃げ出した。


「さあ、なんじゃろう? 俺にも分からん」

「分からんと面白うないねえ」

「ほんまよ」


 プシッと、泡の出る大人のジュースを開けた。了のオレンジジュースに軽くぶつけ、逆さまに呷る。

 苦いばかりで、おいしく感じたことはない。しかし酔っ払いでもしなければ、眠ることもできなかった。

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