第3話:手荒い歓迎
「僕、待っとく。ヘイちゃん聞いてきて」
「えっ、帰らんのんか?」
ちょっと強めに引いてみても、了はまったく動かない。
「ママんとこ行くんじゃもん。一緒に行ってくれる言うた」
「いや、そりゃお前……」
理由を知りたいなら、会いに行くしかない。一人で放ってはおけないから、一緒に居るとも言った。
しかしそれぞれ、別の話だ。
親子三代に、見ず知らずの俺なんかが首を突っ込んでどうなる。
「嘘じゃったん?」
「嘘じゃないけど」
「けど?」
白い肌。ちょうど膨れたのが餅みたいなほっぺたで、了が怒る。眼と声に多分の水気を溢れさせた、泣き脅しとも言う。
「ええと、その。じいちゃんもばあちゃんも心配しとるじゃろ? 母ちゃんとこ行くにしても、一旦は『ただいま』言わにゃあ」
思う壺で、俺の返答はしどろもどろになった。
ここまで来て、保護者と対面すらさせない。なんてことをすれば、まるで誘拐だ。
捨てられた子には、そんな大人の都合など知ったことでないだろうが。
「心配しとる思う」
「じゃろ?」
「じゃけえ僕、帰れんのんよ。じいちゃんもばあちゃんも好きじゃけえ、先にママんとこ行く」
「ええ?」
わけが分からない。「どういうこと?」と重ねたが、イヤイヤと首を振るだけだった。
仕方がない、連れていくだけはしてやろう。了がどうなるのか、当然に気になるし。
「分かった、会わんでええ。でもここで待っとけよ。じいちゃんとばあちゃんに、そこへ
「それはいけん」
捕まるとか、今さらだ。しかし交渉の文句として効果はあった。
待つ。と了承こそなかったものの、門にしがみついたままじっとしていた。そろそろと離れても、恨めしそうに睨みつけるだけ。
二枚戸の開け放たれた玄関へ向かう。時に振り返り、「そのままで」と牽制しながら。
呼び鈴のボタンを押すと、古めかしいピアノのような音がポーンと鳴った。
「はぁい」
女性の声。建物の中からでなさそうだ。
母屋と納屋の間。波板で屋根を渡した奥のほうから、サンダルの足音が向かってくる。
「はい、どちらさん?」
男物のズボンに便所サンダル。姿を見せた女性は、ばあちゃんと聞いてイメージしたより随分と若そうだ。
「お忙しいとこ突然すみません。楽道了くんは、ここの子で間違いないですかね」
ピンクのブラウスが似合う、優しげな人だった。それが急に「はっ?」と眉間へ皺を寄せる。
「お父さん、お父さん!」
「あ、あの——」
自身のやって来た方向へ、女性は荒らげた声を放り投げる。ビクついた俺の問いかけなど、あからさまな不審者を見る眼が叩き落とす。
「なんやぁ」
背格好の似た男性が、のそのそやって来た。ブラウスでなく黒いTシャツの上、陽に焼けた皺だらけの顔が厳しい。
夫婦ともども、おそらく五十過ぎ。よく考えれば俺の親世代だ、何もおかしくなかった。
女性が「ちょっと」と、袖を引いて耳打ちする。丁寧にも「すまんなぁ」と会釈した男性が、十数秒後には仁王も真っ青の表情へ変化する。
「あ? なんなら。何しに来ゃがった」
「いや、その。了くんのおじいさんとおばあさんに間違いないですか」
「それがどうした言うとるんじゃボケぇ」
ヤバい。ドラマなんかで見るヤクザとか、勝負にもならなかった。
俺よりちょっと背が低く、肉付きもあまり変わらないのに。グーとパーを繰り返す手と腕に、盛り上がった筋肉が尋常でない。
「あっ、あっ、あのですね。たまたま俺、了くんと
「……言うに事欠いて、何を言い出しよるんなら」
「す、すんません! でも勝手に連れていくわけにいかんし!」
煮え立つマグマみたいに、低く茹だる男性の声。すぐさま逃げ出したかったが、震えた足が言うことを聞かない。
「あんたぁねえ。どういう縁で来たんか知らんけど、大概にしんさいよ」
男性が怒り狂う前の最後通牒らしい。押し留めた女性も、ふざけたことを言うなと手厳しい。
「了ちゃんはねえ、
「れ、玲菜さん言うてんですね。今、どこに? 了が会いたい言うとるんです」
あなた達の孫はそこに居る。後ろ手に指さすと、女性のほうが先にキレた。
「あんたぁねえ!」
「お……いや待てお前」
振り上げた平手が、今にも飛んできそうだった。だが男性の声でブレーキがかかる。
了の祖父は、門のほうに人さし指を向けた。祖母も戸惑いながら、指示に従う。
ほっと息を吐いた。
これで話が通じるはずだ。何か誤解はあったようだが、孫の大事なら仕方がない。
「おい、帰れ! 母さん、塩ぉ撒いとけ!」
「えっ? は、はい!」
突然、祖父が背を向ける。呼び止める間もなく、母屋の裏へ消えてしまった。
戸惑った風の祖母も、母屋の玄関へ足早に向かう。こちらはどうにか、背中に追い縋る。
「あの、玲菜さんの。了のお母さんのことを」
「——知らんですよ。福岡くんだりまで、勝手に去んでしもうた親不孝者なんか」
「福岡」
遠い。ちょっと付き合ってやる、という距離ではない。せいぜい広島市内と思っていたのに。
驚いて立ち止まると、祖母は立ち去った。「あの!」と声を張っても、もう応答はない。
娘に手を焼き、孫をも嫌ってしまったのか。俺はどんな顔で、どんな言葉で彼と語ればいい。
悩む暇はなかった。一部始終を当人が目撃している。
「悪い。なんか怒らせてしもうた」
「ううん。じいちゃんとばあちゃんがごめん」
「なんで了が謝るんや」
数メートルの距離をわざとゆっくり、なんでもないと半笑いで歩いた。辿り着いた彼の頭をゴシゴシと撫でてもやった。
ただ正直、どっと疲れた。どこかで大の字になって寝転びたい。
「昼飯の用意でもするか」
「う、うん!」
この先どうするか。は、とりあえず放った。難しく考えなくてもいい目先のことを提案すると、了も察したようにカクカク頷く。
辺りを適当にぶらつくと、地元のスーパーがあった。肉とか干物とか、焼けば食べられる物とジュースを買い込む。
「バーベキュー?」
「そんなええ
仕事をクビになり、自分の家にも居られなくなったのが一ヶ月ほど前。繰り返してきた野宿を、今日もすることにした。
キャンプ場などとシャレた場所も必要ない。広島の山のほとんどは自然公園で、ちょっと探せばベンチやテーブルがある。
楽道家の背後にも、山が控えた。暮市の中心部と廣町を隔てる
了は文句も言わず、どころか楽しげに着いて歩いた。蝶だか蛾だか、バッタやらを器用に捕まえて遊びながら。
「福岡かあ」
「遠いん?」
「新幹線ならそうでもないけど」
「電車乗るん?」
「どうしょうか」
新幹線や電車には乗りたくなかった。と言うより、駅に入りたくない。
既に乗ったつもりらしい了は、拾った枝で運転士の真似ごとを始める。
「ヘイちゃん、お仕事ある?」
「ないけど、なんでや」
「お仕事あったら、遠くは行かれんのかな思うて」
「ああ、気ぃ
あった。登り始めて五分も経たないうち、休憩場所が用意されている。丸太作り風のテーブルと、丸太を切った格好の椅子。背負っていたナップサックを放り投げた。
「でも大人はお仕事するもんじゃろ? じいちゃん言うとった」
「まあ。じゃないと食うていかれんけえ」
「ヘイちゃんもお仕事しとった?」
「俺のことなんか、聞いても面白うないで」
小さな白い手が、ナップサックの中身を勝手に出す。テーブルにアウトドア用の小さなコンロやガス缶、一万円札でパンパンの財布に、下着が並んでいく。
「聞いてみんと分からん」
「そりゃあそうじゃけど」
誰に言うこともなかった愚痴を、こんな小さな子に?
想像するとバカバカしくて笑えた。大人の都合ばかりで、どんなに説明しても理解できるはずがない。
「分かった、話しちゃる。じゃけど、聞き飽きた言うたら怒るで」
「大丈夫よ」
だから、口に出してみようと思った。
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