第5話 青い閃光
「…………っ!」
エドはその時――逡巡し、足を止めていた。
きっと彼女は助からない。絶望的な状況にいる彼女に手を指し伸ばせば、自分もまた捕えられ、地面に転がる学生の数が一つ増えるだけだ。
その事実は明白であるが、ただ何かをエドは迷っていた。
「――――!」
その時――彼女と目が合った。
それは視力の弱い妖精には見えずとも、スカーレットにはエドの姿が見えたのだろう。
囲まれる最中、スカーレットは瓦礫にエドが隠れていることに気づいた。
その瞬間、彼女の表情が崩れた。
強がりの笑みが崩れ「……ぁ」と口元が歪むのがわかった。
彼女は──ひどく怖がっていた。
気丈に振る舞っていた態度が崩れ、死を恐る、ただの少女としての表情がいま回見えた。
そんな彼女を、自分がどんな表情で見返していたのか、エド自身わからなかった。
だがそれも一瞬だった。
スカーレットはすぐにまたあの笑みを浮かべ、そしてエドにだけわかるように、口元を動かしていた。
――に・げ・て。
彼女の唇は間違いなく、そう動いてた。
「たすけて」とか「きて」とかではなかった。
彼女は迷った末に、その言葉をエドへと送り届けた。
「…………」
エドはそれを見て、駆け出した。
撤退である。
それは彼女から視線を外すことに躊躇いがなかったといえば嘘になる。
だがそれ以上に、長年頼りにしてきた魔法士としての理が彼を突き動かしていた。
エドは走って走って、走った。
スカーレットを置きざりにして、この戦場から逃げ延びるのだ。
――エドワード。君は、それで生きていける?
だが、不意に自身の頭の中に湧いた声がそれを邪魔をした。
駆け出した足は止まり、滲みだした汗をぬぐって、再び彼は瓦礫の中に隠れて座った。
「……生きていけないかもしれない」
そしてぼそりとそう口にした。
それは――不思議な感覚だった。
何か確信めいたものがエドの胸中では渦巻いていた。
「確かに、そうだ。ここで戻らないと、僕は今後、胸を張って生きていけなくなる」
決して罪悪感がある訳ではなかった。
スカーレットを置いていくことはむしろ正しい選択だと今も考えている。
あわれにも地面に倒れ伏す学生が一人から二人になるだけ。何も生まない非生産的な行為である。
そしてスカーレット自身に対しても、さして興味がある訳ではなかった。
最後に見せた表情は記憶に残っている。
だが、それで命を張るほどのものがあるかといえば、否だ。
同じ隊に配属される前まではロクに会話したこともなかったし、下についてからも交流を深めた記憶もない。
だがここで背中を向けることは、駄目だ。
相変わらずぼんやりとした感覚だ。
しかしその形容しがたい強い想いに突き動かされ、エドを走り出していた。
街の外ではない。今駆けてきた道を――スカーレットを置き去りにしたあの場所にエドは走っていたのだ。
──別に、彼女のためじゃない。
自分の中で、きっとここで一人で逃げ延びることを選択してしまうと、それが一生ついて回る。
生き延びたのではない。
逃げ出したのだと、呪いとなってこれからの人生に厭なものが付いて回る。
そしてその呪いは、これから生きていく先々に立ちはだかるのだ。
ああ本当に――厭だ。
「僕は、厭だ。後ろを気にして、過ぎ去ったものに言い訳をし続ける生き方なんてものは、したくない」
だからエドは戻ってきていた。
あくまで利己的な理由で、褒められた感情ではないと感じつつも、先ほどスカーレットを置き去りにした場所へと戻った。
「……きなさい、虫頭。私は、まだ、やれますわよ」
近くで隠れ潜み、状況を窺う。
スカーレットはまだ抵抗を続けていた。その勇ましい言葉とは裏腹に、息も絶え絶えで足をついており、今にも倒れそうだった。
瞳だけはまっすぐに頭上を舞う妖精たちを見据えている。
「vavaev! sfbvda! vfav! avaevz!」
武装妖精たちはそんな彼女に対して興奮したように何事かを叫んでいる。
必死の抵抗を続けていたスカーレットだが、妖精たちはさしてダメージを負っているようには見えなかった。
むしろ数が増えている。どこからか聞きつけてきたのか、三騎だった妖精が四騎となっていた。
状況は絶望的。スカーレットが倒れるのも時間の問題だった。
――でもまだ立っている。彼女が必死に生きようとしてくれたおかげだ。間に合ったじゃないか。
またしても、頭の中で声が反響した。
うるさい、と小さく漏らしたのち、エドは予備の魔導書である《青の三十一》を取り出した。
予備だけあって《赤の七十七》とは性能も一段階落ちるし、書き込み可能なページ数だって少ない。
だがそれでもやるしかない。
覚悟を決め、エドは駆け出した。
「―――――!」
魔導書に仕込んだ高速詠唱に加え、自力での詠唱補助を付け加えて性能不足をカバーする。
「──まずは一匹」
青い閃光が剣となり、背後より武装妖精の身体を貫いた。
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