第22話 清算

 後日、向こうの両親が実家に詫びに来たという話を親から電話で聞いた。

 結納金と婚約指輪を揃って返したという。ただ、指輪の鑑定書は忘れていた。

 また、釣り書きを再確認して、誕生日を無視していたことに気がついたらしい。年明けから最初の週末までの間に誕生日があり、一つ歳をとって彼女氏と同年齢になっていた。「歳の差がないときに式を挙げたい」というのが挙式を1月にした理由で、向こうの両親の前でそう決めたはずだが、完全に忘れていたことになる。

 もし誕生日に電話の一つもがかかってきていたなら、結果は変わっていたかもしれない。結婚しても実質結婚生活は始まらず、最悪他人の子を押しつけられる。


 結納金が返ってくることは期待していなかった。しかし、状況を考えると、それを丸々自分の金にすることは、向こうの親としてはできなかったらしい。

 もともと、慰謝料を求められたら弁護士でも何でも間に入れて戦うつもりでいた。あげたものを取り返すことはできなくても、こちらからそれ以上の金を払う理由はない。


「結納金○万も渡していたのに、何一つ嫁入り道具を用意しなかった」


 というのは母親が電話で率直に言ってきた怒りの言葉だ。これに続いて「全額返せるのは当たり前だ」という話になる。

 こちらとしても、耳を揃えて金を返すより、「嫁入り道具を揃えたので返せない」の方がまだマシだと思った。大型のタンスは無理だと伝えてあったが、新居には布団の1組さえ届いていなかった。

 結納金は花嫁を金で買うのではなく、結婚の支度金で、慣習では嫁入り道具のために使われた。その際結納金と同程度、またはそれ以上の額を花嫁側も出すという地方もある。人身売買が認められるわけがなく、両方の親が子の新生活を支援するというのが本質だ。


 親の見立てでは、向こうが断ると「結納金倍返し」だから、こちらに断らせようとしたのでは、という。

 それは、直接のやりとりを知らないから言えることで、自分が交渉した印象では、親も本人もあれで無事結婚式ができると考えていた。

 冷静に考えると馬鹿馬鹿しいが、やるべきことをやらなくても、苦情が特になく、順調に動いているように見えたら、「これでいいや」と人は思ってしまう。そういう話なのだと思う。


 金を返そうと思っただけマシ。


 しかし、先に考察したように男が絡んでいるとしたら話が違う。

 もし浮気が本当で、証拠を掴まれたら、結納金を返して終わりでは済まされない。実費を全額負担した上に、慰謝料を払わなければならない。「結納金倍返し」でも実費にしかならないから、慰謝料はこれに上乗せすることになる。


 向こうの親も弁護士を入れて、とれるものはとるつもりでいたかもしれない。ただ、そうやって相談して詳しく調べるうちに、悪いのは自分たちだと自覚してきたかもしれない。

 であれば、結納金を返してそれで話がまとまるなら、そうしない手はない。

 婚約指輪も返すことを忘れなかったのはいいだろう。しかし、鑑定書を忘れるというミスはこの過程ならあり得る。誠心誠意詫びるならこんなミスは起きない。


 一連の金は結局は親のものだから、これ以上あれこれは言えない。

 指輪がどうなったのかは怖くて聞けない。まだあるなら、どこかで現金化した方がいいのだろうが、これも親の財産だからこちらがどうこう言うことはできない。結婚指輪だって一組無駄に手元にあるはずだ。


「顔色がよくなった」

 話をつけるのに平日休み、挙式前の有給を取り消して出社して、会社で簡単に結婚の中止を報告した。そのとき上司から言われたのがこの言葉だ。

 この頃、彼女氏に似た背格好の人を見ただけで背筋に悪寒が走るようになっていた。何もかも限界で、これ以外の選択はあり得なかった。

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