第169話

 ——俺のこと知ってる? まあいいや。


「突然声をかけてごめん。俺は剛田武人と言います。

 見ての通り俺もここの男子生徒なんですが、少しでいいので俺の話を聞いてもらえませんか?」


 断られたらどうしようという思いから、つい早口で話してしまった。大丈夫だろうか? いや、どう見ても大丈夫じゃないか……というのも、


「……」

「いやん」


 1人の彼はじーっと俺のことを見たまま固まったように動かないし、もう1人の彼はなぜか女子生徒の制服を着ているんだけど、そんな彼は俺に対してくるりと背中を向けてしまった。これはダメかも。


「剛田くん。今は授業中のはずですが、どうかしましたか?」


 堤先生がそんな2人のことを気にかけながらも、俺の方へと向き直り、一歩二歩であるが少し近づいてくれたので、俺は早足になっていた歩調を少し緩めた。


「それは、悪いとは思ったのですが、先ほど肥田くんと尾根井くん? それと堤先生の声が中まで聞こえたもので……」


 堤先生にそう言ってから彼らの方に視線を向け、再び堤先生の顔を見ると、


「それは……ごめんなさいね」


 俺が何を言いたいのかすぐに察してくれたらしい堤先生がすぐに首を振る。


 もしかしたら廊下で騒がしくしてしまったことへの謝罪だったのかもしれないが、彼らが大勢の女子に囲まれて授業を受けることを拒んだことも知っている。


 俺だって男だ、そんな彼らの気持ちだってなんとなく分かる。


 それでも、クラスみんなのこと、俺自身のこと、色々な思いや期待が捨てきれないから追いかけてまで声をかけているのだ。


「いえ。俺も同性の友人ができるのを楽しみにしてて、授業も……だからつい追いかけてしまったんです」


 とはいえ、無理強いは良くない。ちょっと話をして無理だと思ったらすぐに諦めるつもりだ。


「……剛田くんには申し訳ないけど「なってもいいぞ」」


 辛そうな表情で申し訳なさそうに話す堤先生との会話に、突然、1人の男子生徒が口を挟んできた。


「肥田くん?」


 その声にすぐさま反応した堤先生が後ろへと振り向く。向けた先には固まっていた方の彼がいた。


 ——彼が肥田くん? 


 ということは、彼が肥田先輩の弟さんで肥田竹人くんだったのか……ぽっちゃりとした体型(この世界の男子の標準体型)の男の子で、ってあれ、気のせいなのかな? 髪型がどことなく俺と似ている気が……しかも、どこかで会ったことがあるような気もするんだが……どういうことだ。


「何変な顔してんだよマチ子、先生。俺はただ……そいつが、その、だから……俺がと、友っ!?「タケヒトちゃん。抜け駆けは許さないわよん」」


「尾根井ってめぇ。こら抱きつくな、離れろ」


 肥田くんは、口調こそ男子特有の傲慢さを感じさせるが、俺が気になるほどでもない。

 それに今俺に向かって友だちって言いかけていた気もするし。


 それで、今抱きついたもう1人の彼がたぶん尾根井くんだろう。女装してて格好はあれだが、筋肉がすごいぞ。

 ただもったいないと思うのは、鍛えられた筋肉が異様に盛り上がっていて逆に太って見えてしまうことか。


「ちょっと2人とも……なにをっ!? お、尾根井くんっ、肥田くんに抱きつくなんて、は、ハレンチですよ」


 ハレンチだと言って突然鼻を抑えた堤先生。腐の匂いがチラつくが、ひょっとしてこの世界の成人本はそっち系が多いのか? 男性用の本はまったくないけど、女性用はかなりあると聞く。香織やミルさんには聞きにくいからネネさんにでも聞いてみようかな。


「尾根井っテメェは無駄に力が強すぎなんだよ! いい加減離れろっ。マチ子もそこで鼻押さえてないで早くこいつを俺から引き離せっ」


「え、あ、うん。ちょっと待っててタケヒトくん、じゃなくて肥田くん」


 マチ子? 堤先生のことかな? 驚いた。もう名前で呼び合う仲になっているのか……不意に新山先生の顔が浮かぶ……


 美香先生おはようございます。

 はい、おはようございますタケトくん(にこり)。


 ……美香先生か……って俺は何を、慌てて首を振った。

 これはたぶん、昨日、先生のプロフィールを見て、今朝もいつものように一緒に並んで教室に向かったが、俺から近い位置を先生が歩き肩がちょっと触れてしまったりしたから……変なことを考えてしまった。先生は先生なのに。

 

 数秒であるが、俺がそんなまったく関係ないことを考えていると、

 

「そこまで嫌がらなくてもいいじゃない……あら、やだっ、お化粧がまた崩れてるじゃない」


 尾根井くんは肥田くんから離れていて、どこからか取り出した手鏡を覗きながら俺たちに背を向けた。

 なんか顔面あたりをすごい速さでパフパフしているのがちょっと見える。


「あいつ、尾根井のことはほっといて剛田武人。い、いくぞ。マチ子、お前が先に行くんだ」


「肥田くん。どこに行くのかな?」


「教室。それしかないだろ」


 別室の方ではなく2年生の教室がある方を指差す肥田くん。


「でもそっちは」


「いいんだよ」


 ちらりと俺の方を見てくる肥田くん。これは、俺が一緒に授業を受けたいって言ったからだ。そう思った俺はすぐに「ありがとう」と伝えた。

 すぐ顔を背けられてしまったけどね。


「いつの間にか仲良くなったのですね。良かった、先生はうれしいです」


 肥田くんの右手を両手で包み込むように握って喜びを露わにする堤先生に、


「か、勘違いするなよ。これは別にお前たちのためじゃねぇぞ。授業を受けるのに別室まで行くのが面倒になっただけだ」


 照れた様子の肥田くん。握られたままの右手はそのままでいいらしい。

 肥田くんの事がちょっと分かってきた気がする。彼はツンデレさんだ。


「つーか、ご、剛田武人。俺はタケヒトだ。次からはタケヒトと呼べばいい」


 堤先生から握られた右手を振り解くことなく話を続けるツンデレ肥田くん。素直じゃないけど、堤先生のことは大切にしているっぽいな。

 ところで俺は、これからもフルネームで呼ばれ続けるのか……? それはちょっと、何か嫌な気もする。なので、


「分かったよタケヒトくん。じゃあ俺のこともタケトと……」


「無理だ」


 あれ? なんか速攻で否定されてしまったぞ。そんなに嫌なのか、地味に傷つくんだけど。なんて思っていると、


「ひどーい。あたしのこと忘れてなあい? あたし尾根井三蔵。タケトきゅんもタケヒトちゃんのようにあたしのことはサンちゃんって呼んでねん」


 突然俺たちの前に現れた尾根井くん。バチリとウィンクして見せるけど、尾根井くんの化粧がより一層濃くなっている。


 しかし、きゅんはさすがにない。っていうかタケヒトくんは彼のことをサンちゃんって呼んでいるのか? 


「ウソはやめろ。尾根井は尾根井だ」


「もうタケヒトちゃんは照れ屋さんなんだから。そんなタケヒトちゃんも好きよ」


「俺は嫌いだが」


「もう。タケヒトちゃんは意地悪なんだからん」


 くねくねと身をよじらせる尾根井くん。2人とも本気で言っているわけじゃないのは分かる。でも俺もそろそろいいだろうか?


「えっと、サンちゃん? できれば俺のことはタケトで」


「タケトきゅん」


「タケト」


「タケトきゅん」


「タケト」


「タケトちゃん」


「タケトちゃん……はあ、もう好きに呼んでください」


 なんか疲れたし。


「うふふ。タケトちゃんも照れ屋さんなのね」


 サンちゃんも個性は強いが悪いヤツではなさそうでホッとした。


「ここで待っててください」


 教室の前まで来たが、2限目が始まって十数分は経っている。このまま普通に入ればみんなから注目を浴びてしまうだろう。


 そこで先に堤先生に入ってもらって状況を説明してもらった。


「お待たせしました」


 しばらくして、佐藤先生と堤先生から合図があり中に入ったが、ちらちらと視線は感じるが、それだけだ。騒つかれることもなく、俺たちはすぐに席に着いた。


 女装している尾根井くんじゃなくてサンちゃんは目立つからかなり気を使ったよ。


「剛田武人の隣でいい」

「タケトちゃんの隣がいいわん」


 席は、2人から先に希望を聞いていたが本気だったのか。

 まあたしかに、1番前の席に座っていればクラス女子は視界に入らないし、慣れないうちは俺が側にいた方が何かとフォローもできる。


 ちなみに3年の陸奥利勝(むつり しょう)先輩は保護官を自分の隣(椅子半分)に座らせて1番後ろの席から女子生徒の背中を眺めているらしい。



 

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