第97話
沢風の身勝手な言動で会場ホールの雰囲気は最悪。重い空気が漂っている。
見るからに顔色の悪いMCのウタコさんとMCアシスタントのオトカさん。
ちらりと見たみんな(バンドメンバー)の顔色は不機嫌そう。見返してやりたいという気持ちはあるが、それ以上にみんなの方が心配。今の状態では、とてもいつもの演奏なんてできないだろう。
一度仕切り直しできないだろうかとスタッフさんたちに視線を送れば、その思いが通じたのか、一旦CMに入りホッとした。
すぐに2人(ウタコさんとオトカさん)が耳に手を当てて小さく頷いているところを見ると誰かからの指示を受けていると分かる。
そうか仕切り直ししたかったのは番組側も同じか……
「申し訳ございませんタケト様。まさか沢風様があのような行動をされるとは私どもも思っていなかったものでして…」
俺たちのところにスタッフのみなさんが素早く謝罪に来ると、みんな(バンドメンバー)も自然と俺の周り集まった。
別に番組側が悪いわけではないのに、それでもスタッフのみなさんはCMが明けてすぐに、俺たちが歌えるか心配なのだろう。
まあ、明らかに不機嫌な顔のみんな(バンドメンバー)を見れば心配にもなるよな。でも大丈夫。こんな時こその、
——あれ?
みんなの肩に触れてリラクセーションをかけたが効いている様子がない。俺? 俺は平気。腹が立っていたけどすぐに治っているから。
——この感覚、無念石か……
重要な施設には当たり前のようなら使われている無念石。ミルさんが鍛錬の時に教えてくれた。そんな施設(市役所)に実際に入って使用感覚を試したこともあるからすぐにピンときたのだ。
この会場ホール内では念力を使えないのか(通路では使えたから)。ならば……
「みんなちょっと聞いてくれる……」
不機嫌な顔のみんな、ちょっと目を離すとアイツの方を睨んでいたりする。そんなみんなの視線が俺に集まるタイミングでみんなの脇腹を1人1人素早くつんつんしていく。完璧な不意打ちだな。
「きゃ」
「わ」
「あぅ」
「ぅ」
身体をくねらせ、一瞬で顔を真っ赤に染めたみんながぷくっと頬を膨らませる。あら、やり過ぎたかも。
「あはは。ごめんごめん。そ、そんな顔しないで。後で覚えていろ……あはは、ごめんって。ま、まあ、時間もないから手短に話すけど、アイツが何を言おうと俺たちは今ここに立っている。だからさ……今を楽しもう。俺たちの歌をみんなに聞いてもらおうよ。な」
少しでも機嫌が戻ってほしくてみんなに微笑みかけるとみんながコクリと頷く。もう大丈夫かな。
それから待たせていたスタッフさんたちに向き直り頭を下げる。
「スタッフのみなさんもご心配をおかけしてすみません。もう大丈夫です」
みんなもいつもの表情に戻って……ない、真っ赤な顔のままですね……みんな脇腹は弱かったらしい……あはは。後が怖いけど、笑って誤魔化しておこう。
「ふふ。タケト様、ありがとうございます」
そんな様子を見て、いくらかマシな顔になったスタッフのみなさんは俺に頭を下げてからステージから離れた。
CMが明けるとMCのウタコさんとMCアシスタントのオトカさんは一度カメラに向かって綺麗に頭を下げると、
「「皆さまお待たせいたしました!」」
「本日スタートを飾るのは『武装女子』のみなさんです。武装女子みなさんは今回初出場となりますので、私どもの方から少しご紹介いたします」
何事もなかったかのように明るく振る舞うMCのウタコさん。バックミュージックも落ち着いたものから少し明るめのものに変更されていて、なかなかの滑り出し。
「武装女子のみなさんは男性ボーカルのタケトさんを中心としたバンドグループで、メンバーのみなさんは、なんと男装をしています。みなさん興味ありませんか、すごくカッコいいですよ。私すごく興味が湧いたんですけど、オトカさんはどうですか?」
「もちろん。私もすごく興味ありますよ。それに武装女子のみなさんはネッチューブでの人気も凄くて、その勢いは留まることを知らないんですよ。他にも……」
MCアシスタントのオトカさんも同じく明るく振る舞い場を盛り上げていく。
2人のお陰で会場ホール内の暗く重苦しい雰囲気がそこそこほぐれたところでウタコさんたちから視聴者の方には分からないように合図が送られてくる。
「そんな武装女子のみなさんに本日歌っていただくのはネッチューブでの再生回数はすでに4000万回を超えている『君の側で』になります。
みなさん4000万回再生ですよ、4000万回再生。すごいですよね。それが本日生で披露。私、すごく楽しみにしていました。
はっ、いけない、つい興奮して喋り過ぎてしまいましたね。すみません。では武装女子のみなさん、準備の方は……よろしいようですね、はい、では『武装女子』で『君の側で』です」「「どうぞ」」
会場ホール内の照明が少し落ち、俺たちのいるステージが明るく照らされたところでスタッフさんたちから合図があり、みんなが伴奏に入った。
♪〜
俺も心を沈めて曲に集中する。俺はこの曲が好きだ。
つくねが作った曲。
歌詞の意味を理解しようと何度も読み返した……
香織やみんなのおかげで歌えるようになった……
強弱をつけて、どんな表情で、どんな姿勢で歌っているのか意識しろとネネさんには教えられたっけ……
武装女子の初めての曲。俺たちの始まりの曲。色々な想いが詰まった曲……
いつものように歌詞に込められた想いを乗せて……俺は……歌う……
♪〜
「っ……」
いけね。歌った俺まで涙を流してどうする。慌てて涙を指で払いテーブル席に向かって頭を下げるが、MCはおろかテーブル席、観客席からの反応が全くない。
シーンと静まり返っている会場ホール内。ここでMCが一言二言話している間に俺たちはMCの側まで移動して、少しトークをしてから次へと繋ぐ、そんな流れになっていたはずだが……
MCが何も言ってくれないから動くに動けない。でもこのままではダメだろう。
——よし、いくか。
そう思った瞬間だった。
パチ……
パチパチ……
パチパチパチパチ……
会場から割れんばかりの拍手が沸き起こった。すごい拍手だ。
でも歓声は上がらない。たしかクラシックコンサートに行った時がこんな感じだった。これは社交辞令のようなものだろうか。
少し残念に思っていると、すぐにみんなは涙を流していて口を開くことができないのだとMCのウタコさんを見て理解した。
「すばら、ぐす、とても、ぐす、すばらしい歌でした。ぐす。ごめんなさい。私感動して、うまく話せていませんね。ぐす」
「ぐす、私、もです、ぐす……ずみ゛ま゛ぜん゛」
それからは会場ホール内あちらこちらからぐすぐすと聞こえ、耳を澄ませば、ありがとう、という涙声をいくつも拾うことができた。
——歌ってよかった。
ホッとしたのも束の間、目元にハンカチを当てているスタッフさんの涙声で移動の時間が迫っていると知る。
アイツの反応が気になるが、今はすぐに移動しないと。あら、みんな(バンドメンバー)も目元をゴシゴシしていたよ。
俺は彼女たちの肩をぽんぽんと軽く叩き(よく頑張ったという合図)みんなの背中を軽く押しながらステージを後にした。
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