第61話

「香織さん!」


「!? 武人くん?」


 階段を降りたところで、ちょうど2階に上がってこようとしていた香織さんを見つける。


 俺に気づいていなかった香織さんはびっくりした表情、突然声をかけたからちょっと驚かせてしまったようだが今はそれどころじゃない。


「香織さん、これ」


「ん? 子生の採り……え、どうしてそれを武人くんが?」


 目を見開いて驚く香織さん。俺に知られて気まずそうな顔をする。やっぱりネネさんが言っていたことは本当なんだ。


 そう考えると無性に悔しくなった。


 香織さんの第一印象は仕事のできる業者さんだった。それから改修工事期間は毎日のように顔を合わせて、施工主を気にかけてくれるいい人だという認識に変わるまでにはそう時間がかからなかった。


 MAINを交換してからは名前で呼ぶようになり少し親しみを持てる仲に。ただ野原建設さんの動画撮影に行った帰り、車内でたまたま聴いた家族の会話。


 それからは会長さんや社長さん、それに専務さんが言うから香織さんは俺に近づいてくるのだと思うと少し寂しい気持ちになったのを覚えている。


 でもそれははじめだけでわざわざ来てくれれば嬉しく思ったりもするし、いつからだったか忘れたけど、夕飯を作ってくれて一緒に食べる仲にまで。そうなると会話の中で学校での出来事なんかも相談したりするようになった。


 だからウチに来てくれる、一緒に夕飯を食べる。居てくれるのが当たり前、そう勘違いした。


 香織さんは俺の知らないところで後継者問題に頭を悩ませていたというのに。


 香織さんが俺に近づいてきた目的を知っていたのに俺がその話題に触れようとしなかったから、避けてきたから、時間がかかり過ぎると判断されて香織さんは『子生の採り』を突きつけられたのだ。


 香織さんの優しさに触れ、笑顔を向けられることで一人になっていた俺の心がどれほど救われていたのか、今やっと自覚した。


「香織さんごめん!」


 そんな顔をさせたくて来たんじゃない。俺は断りを入れることなく香織さんをぎゅっと抱きしめた。


「ちょ、ちょっと武人くん!?」


 香織さんが驚き声を上げるが離れようとしなかったことにホッとしつつ話を続ける。


「俺、車内での会話聴いていたから、結婚相手として見ていると知っていたのに避けてきたから……会長さんたちにこれ(子生の採り)を突きつけられた」


「え、え、武人くん何を……」


「ネネさんに後継者のこと聞きました。そして気づいたんです。俺、香織さんに他の人の子どもを産んでほしくないんだって。俺は香織が好きなんだって。だからお願いです。香織さん俺と一緒になってください。俺香織さんが好きなんです」


「私を好き……」


「はい。大好きです。だから他の人と子どもなんて考えないでください。お願いします」


「う、うれしい。すごくうれしいけど武人くん勘違いしてると思うわ」


 抱きしめたままの香織さんは首元から顔まで真っ赤に染めたまま口を開く。


「勘違いではないです。俺、気づいたんです。こんなことにならないと気づかない自分が情けないけど、俺、本気で香織が好きなんです! 他の男になんてやれない」


「あ、いえ、そ、そっちは私も、た、武人くんのことす、すごく好きだからとてもうれしいわよ。じゃなくて。それ子生の採り、それネネのモノなのよ」


「よかった香織さんも……へ? ネネさんの」


「そう。それ2人目が欲しいってネネが見ていたものだと思う」


 だって私は武人くんしか考えていなかったから必要ないのよ、と小さな声で呟く香織さんの言葉は残念ながら聞こえていない。


 ——……これって。


 ハメられたと気づいた俺の顔はあまりの恥ずかしさに顔が真っ赤に。たぶん耳まで真っ赤になっていると思う。


 恥ずかしくて抱きしめていた香織さんから離れようとしたら、逆にぎゅっと抱きしめ返してくる香織さんが口を開く。


「あ、あともう一つ勘違いしてるわ。車内での会話。先にお婆様たちに好きな人ができたと報告したのは私。お婆様たちにはただ武人くんの人柄を見てもらっただけなのよ」


 まさか会話が聞かれていなとは思わなかったけど、と話を続けた香織さんだけど、やばい、恥ずかしすぎて香織さんの顔をまともに見れない。というか早く離れたい。


「あらあら見せつけてくれちゃって、妬けるわね」


 今1番聞きたくない声が聞こえてきた。


「ネネ! あなたねぇ」


「まあまあ、お互い好きだと分かったわけだし、めでたしめでたしだよね。ね、タケトっち?」


 うっ、たしかにこんなことでもなければ香織さんを好きだと自覚出来なかったかも。のらりくらり過ごして気付けば手遅れになって後悔していたかもしれない。そう考えれば、


「は、はい」


「そっか、そっか。よかった……こともないわね」


 そう言ったネネさんの視線の先には涙を浮かべて俺たちを見ているみんな(つくねさん、さちこさん、さおりさん、ななこさん)だった。とても感動して涙を浮かべているって感じには見えない。


「み、みんな……」


「武人くん、お、おめでとう」

「……めでとう」

「ぐすっ……」

「ん……」


 目元を擦り俯く彼女たち。なぜかちくりと胸が痛む。


「あーもう。世話が焼けるな」


 そう言ったネネさんが突然俺の側まで駆け下りてくると、俺が右手に持っていた『子生の採り』を取り上げ、その冊子の表紙を俺の方に向けた。


「タケトっち。あの子たちが仮にこの中の男性と子どもを作ると言い出したらどうする?」


「え!? みんなが他の男性と……ま、まだ早いんじゃないかな」


「それだけなの? じゃあ卒業した後ならいいのね」


「……えっと」


 学校では男が俺しかいないから考えたこともなかったけど、そういう未来も普通にある。だけど……


「……い、嫌だと思います」


 自分でも何言ってるんだろうと思う。前世の記憶があるから余計に。今香織さんにプロポーズっぽいことを伝えたばかりだというのに、他の女の子のことを考えて最低なことを言っている。


「はあ、そう言うと思ったわ。じゃあそれが仮に私だったら?」


「ネネさんなら……」


 その冊子は元々ネネさんのだし。ネネさんならそれでも別に……


「タケトっち。私も傷つくんだけど。何、私ならそれでもいいかもって顔。はあ……まあいいわ。

 タケトっちも自分の気持ちを少しは理解できたでしょうから」


「そ、そうですね……」


 最低だ。香織さんから視線を感じるが怖くて顔が見れない。


「君たちもタケトっちの今の言葉を聞いたでしょ? 男性は複数人と結婚するのが義務だから。君たちもそう落ち込む必要はないのよ。

 それにかおりんもその辺りのことは理解していると思うから」


 その言葉を聞いた香織さんが頷いてくれてちょっとホッとした。けど、香織さん。ずっと抱きついているけどそろそろ離れようか。


 かおりんや私と違って若いんだしもっと高校生活を楽しみなさいと言うネネさんの言葉に激しく頷いてみせるみんな。その顔は先ほどまでと違ってどこか晴れやか。


 ただ、かおりんや私と違って若い、と言ったネネさんの言葉にピクリと反応した香織さん、ちょっと怖かった。


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