掌編 北条とクレーンゲーム あるいは三千円のレバー


 大学からの帰り道。

 僕と北条はゲームセンターの中を進んでいた。

 別にゲームで遊ぶために入ったわけではない。お店の裏口から表口に抜けると僕の部屋への近道になるのである。

 ゲーム筐体たちが奏でる騒音をぼんやりと聴きながら歩いていると、急に北条が飛びついてきた。


「ちょちょちょっ!ちょっと待って!」

 

 なんだなんだ!?

 左腕が柔らかいクッションに埋まったような感触と同時に、腕を引っ張られて肩が抜けそうな痛みを覚えた僕は顔をしかめつつも振り返った。


「あれ!あれ見て!」


 僕の腕を拘束した北条が指し示す先をたどると、クレーンゲームの筐体が鎮座していた。

 好きなアニメキャラのぬいぐるみかフィギュアでも見つけたのかとクレーンゲームの景品プライズを確認すると、レバーの写真がでかでかとプリントされた箱であった。

 レバーとだけ言うとわかりづらいのでもっと踏み込んで言えば、パチンコ台に取付けられているプッシュボタン付きレバーだ。

 どういうこっちゃと近づいてみると、どうやらパチンコ台のレバーのレプリカであるらしい。

 なんでそんな物をクレーンゲームの景品にしてしまったんだと呆れる僕を興奮した北条が揺さぶってくる。


「うわ〜!レバブル演出を再現していますだって!すごくない!?めっちゃ欲しいんだけど!」


 レバブル演出とは、パチンコでレバーがブルブルとバイブレーションすると大当たりの可能性が高まるお約束演出のことである。

 しかしなるほど、こういうことを言うやつがいるからこんな景品が登場するんだなと納得する。

 ……が、どうせこんなもの取ってもすぐに飽きて部屋の飾りになるのが目に見えているし、クレーンゲームなんて景品の原価以上にお金を使わされるのがオチなのだ。

 そんなことを伝えたところ、北条は僕の腕を両手で掻き抱いて振り回しはじめた。


「欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい!」


 ええい、公共の場でみっともなく騒ぐんじゃないよ!後僕の腕が色んな意味で大変なことになってるからやめろ!

 というか、どうせ景品を取るだけの資金なんて北条の財布には入っちゃいないだろう。僕だってこの前貸した金が帰ってこない限り貸してやるつもりはないのである。


「へっへっへ〜」


 僕の言葉を受けた北条はしかし自信ありげな笑みを浮かべており、おもむろに財布を取り出すと中からお札を一枚取り出した。


「実は今朝講義の前に打ちにいったら座ってすぐ大当たりしてさあ。すぐに連チャン終わっちゃったから講義に出れちゃったけど、お陰であたしの手元には最強のお札があるってわけ」


 ああ、講義の途中でこっそり入ってきたと思ったらそういうことか……。

 というか万札があるならクレーンゲームなんかに使わずまず僕に返済を──。


「それじゃあちょっと両替してくる!」


 あいつ……逃げやがった。

 まあいいか。どうせ卯月さんに北条を売れば貸した金なんぞすぐに帰ってくるし。

 そのうち売られていく運命にある北条は、百円玉を手の中でじゃらじゃら鳴らしながら戻ってきた。


「さあて!さくっと落としちゃいますか!」


 北条はクレーンゲームの筐体に百円玉を投入すると、クレーンを操作しはじめた。

 景品の箱はステージ中央を横断する二本のつっかえ棒に乗っかっている。箱を上手くずらして二本のつっかえ棒の間に落とすようにして取ることになるのだろう。

 北条が操作ボタンを計算や目論見などなにもないと言わんばかりの気軽さで動かすと、クレーンが景品に向けて降りていく。そしてクレーン本体が箱にぶつかったところで開いたアームを閉じにかかった。

 なるほど、まったく考えなしで操作したというわけでもなく、アームの片側が箱の角を引っ掛けるように調整していたらしい。

 はたしてクレーンが上昇をはじめるとアームが箱に引っ掛かり一瞬箱が持ち上がったのだが、箱の位置はほとんどずれることがなかった。

 北条はその程度のことは想定済みと言わんばかりに次の百円玉を筐体に投入する。そうしてクレーンを操作しては百円玉を投入してを何度か繰り返してから、北条はポツリとつぶやいた。


「……あれ?もしかして、これってけっこう難しい?」


 五百円ほどが筐体に投入されたのであるが、景品の箱はほとんど初期位置から動いていなかった。

 もしかしなくてもあまり深い考えもなくクレーンを操作していたらしい。

 北条は今の一瞬で学生ランチ一食分のお金を無為に使ったことになる。


「ま、まだ序の口だから……。これからが本番だから……」


 口振では強がってみせる北条であるが、その声音は震えていた。

 僕としては五百円かけて成果ゼロだしよく見たらつっかえ棒に滑り止めが巻いてあって手強そうだしで、傷が浅い今のうちに撤退するべきだと思うのだけれども。


「いやよっ!ここで引いたら散っていった百円玉たちが浮かばれないわ!」


 まあここで撤退を選択できるやつがパチンコでタコ負けするわけもないのである。

 せめて被害額が小さくなるようにと景品の取り方を調べると、奥側の角を持ち上げて手前の角をつっかえ棒の間に落としてやると良いらしい。


「なるほどね〜。ちょうど今までの操作で箱がちょっぴり奥に動いてるから奥側は持ち上げやすくなってるし、ちょうどいいかも!最初の五百円は無駄じゃなかったのね!」


 動いているといってもほとんど誤差だから五百円は無駄だったと思うが、事実を伝えないことも優しさであろう。

 早速クレーン台との戦いを再開した北条は攻略法通り奥側を持ち上げてることに腐心し、五百円かけて端のぎりぎりを狙うよりもちょっと真ん中よりの方が動かしやすいことに気がつき、さらに五百円かけて箱の手前側をつっかえ棒の間に落とすことに成功した。


「や、やっとここまでこれたわね……つ、次はどうすればいいの?指示をちょうだい」


 ええと、今度は奥の片側の角を引っ掛けて手前側の角をひとつつっかえ棒から落とすらしい。


「オッケー」


 北条は追加で五百円を使って手前側右の角をつっかえ棒から外した。

 あとは奥側を上手いこと引っ掛けて箱を回して落とすだけである。


「こ、これであと一息……もうすぐレバブルがあたしの手に……!」


 ちなみにこのレバーレプリカはフリマアプリに二千円弱で出品されているので既にアド損だ。


「そういう心に来ること言わないでくれる!?」


 北条はそこから五百円かけて手前側右手の角をつっかえ棒の上に戻した。


「なんでよ!?」


 これまでの千円が全くの無駄になった瞬間である。

 流石に北条も心が折れかけているらしく、クレーンゲームの筐体に手をついて項垂れている。

 僕は北条にそっと声をかけて諦めるように促した。

 この調子ではいくらかかるかわからないし、仮に取れたとしてもどうせ僕の部屋で置物になる未来が目に見えているし。

 しかし僕の説得に北条が顔を上げることはなく、代わりにポツリと何かをつぶやいた。


「……やって」


 うん?なんだって?


「あたしの代わりにあんたがやって!」


 北条は僕を引っ張ると操作盤の前に立たせた。

 いやいや、なんで僕が北条のためにお金を出してゲームをしなければならないんだ。


「お金はあたしが出すから!」


 ええ……?

 いや僕は構わないけれど、北条はそれでいいのかよ?


「だあって、あたしがやっても全然落とせそうにないんだもん!あんたにあたしの財産を託すわ!ほら!」


 百円玉五枚で財産て……。

 まあ僕はノーリスクで遊べるからまったくかまわないけれども……。

 僕は北条から受け取った百円玉を投入口に入れると、最初の北条と同じくらいの気軽さでクレーンを操作しはじめた。

 とりあえず手前の角をひとつ落とそうかとクレーンを手前の方に落とすが、中々思うように景品が動かない。

 なるほどこれは難しいなと思いつつも僕が慎重になることはない。なにせ他人のお金であるし。

 隣で北条がクレーンの挙動のひとつひとつにいちいち大騒ぎして喧しいことこの上ないのだが、僕の懐はノーダメージなのであまり気にならない。

 二百円、三百円とお金を投入するが全く箱が動かない。

 クレーンゲームなんてほとんどやったことないから仕方のないことであるが、まったく動かせないとは。

 最後の百円玉をちょっと雑に使った僕は結果を見ることもなく北条に向き直り、すまん、と軽く頭を下げてみせる。北条はそんな僕を見て熱くなった頭が多少は冷えたのか、苦笑しながら首を振った。


「あ〜、まあしょうがないわよ。あたしがうん千円かけて取れないやつを五百円で取ろうなんて──」


 そこで、ガタンと何かが落下する音がした。

 ふたりしてクレーンゲームの筐体に振り向くと、つっかえ棒の上から景品の箱がなくなっていた。

 慌てて取り出し口を覗くと、そこには景品の箱が鎮座している。


「う、嘘……どうやって?」


 呆然とした北条の方からそんな言葉が漏れるが、僕にもさっぱりわからない。

 とりあえず取り出し口から景品の箱を取り出して北条に渡してやる。

 北条はそれを受け取りつつもなんとも言えない顔をしていた。


「なんかこう、決定的な瞬間を逃しちゃったせいで物が取れて喜ぶ機会も一緒に逃しちゃったわね……」


 いやほんと。なんで取れたのか意味不明過ぎてあんまり嬉しくないな……。

 僕たちの間になんとも気まずい空気が流れるが、北条が気を取り直したように箱を両手で抱えると僕に笑顔を向けた。


「まあ、取れたものは取れたんだし、細かいことは気にしないようにしましょう!取ってくれてありがとうね!」


 それもそうか。ちょっと消化不良ではあるけれども、目的は達成したしよしとしよう。


「それじゃ帰ってレバブルを味わいましょ!うへへ、あの脳汁どっぱどぱの瞬間がいつでも味わえるなんて……」


 取るのに三千円もかけたんだから、その価値に見合うまではしっかり堪能しないとな。


「あー金額のことは聞きたくない聞きたくない!」


 その後、レバーを動かすのに電池が必要なことが発覚し、さらに数百円の費用がこのレバーのために飛んでいった。


    *


「さあて電池もセットしたし、失礼して……」


 北条はうきうきした表情でテーブルの上に置かれたレバーの前に正座し、一度拝んでから満を持してレバーを引いた。

 引かれたレバーはLEDの部分を赤く光らせてからぶるぶると三秒間程度震えた。


「……」


 北条がもう一度レバーを引くと、今度は緑色の光を発して震えるレバー。


「……」


 北条が無言のままにレバーをこちらに押しやってくるので、僕は試しにレバーを引いてみた。

 レバーは黄色の光を発して静かに震える。

 もう一度レバーを引くとまた赤い光を発してから震えた。

 ……パチンコ台のレバブルってこんなしょぼかったっけ?


「……いやあ、本物はもうちょっと派手に震えてたような……」


 ……。


「……」


 こうしてパチンコ台のレバーのレプリカは、我が家のインテリアとして棚の上に放置されることになった。

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