妹、襲来・中


 大家さんの家に挨拶に出向いたら何故か余計なやつらがたむろしていた件。

 牛嶋邸の廊下で呆然とする僕の視線の先で、やつらは居間のこたつに入りながら涼しい顔でお茶を啜っていた。

 アパートの部屋にひきこもりほとんど牛嶋邸に顔を出さない八重さんがいるのも謎だが、今朝うちの部屋を追い出したこいつらがいるのも意味が分からない。

 秋穂が牛嶋邸に訪問するのは僕ですら知らなかった話なので、当然やつらに待ち伏せなんて芸当出来るわけが……。

 そこで僕ははっと気がついて視線を九子ひさこさんに向けた。

 この中で事前に秋穂が挨拶に来るという情報を持っていたのは九子さんだけだ。

 こいつらが部屋を出て行くときのやつらは不満たらたらといった感じでこのようなことを企てている雰囲気はなかったので、うちを出た後に九子さんから知らされたのではないだろうか。九子さんが八重さんに声をかけるとは思えないので三人の誰かが……いや、こういう悪ふざけになら九子さんでも八重さんに声をかける可能性が高いか。

 僕は抗議の意思を込めて九子さんを睨むが、九子さんは僕の眼力程度では表情すら変えなかった。


「ちょっと、邪魔なんですけど」


 廊下で立ち尽くす僕に追いついてきた秋穂が小声で抗議しつつ僕のことを軽く押して(他人の家じゃなかったら蹴られている)居間に顔を出す。


「すみません、お邪魔しま……?」


 そして、当然こたつに居並ぶ面々に面食らう。七野ちゃんがいるぐらいならともかく、明らかに部外者っぽいやつらが何人もいたら当然というものだ。


「えっと……」


「あんたが秋穂ちゃんだね。遠いところからよく来てくれたねえ」


 困惑する秋穂に九子さんがにこやかに話しかけつつ僕たちに席を勧める。僕と会話する時には絶対に出てこない穏やかな声音になんとなく理不尽さを感じながらこたつに座る僕を他所に、九子さんと秋穂は会話を続ける。


「あ、ありがとうございます。それで、そちらの方々は……?」


 チラリと西園寺たちに視線を向ける秋穂に、九子さんは表情を崩すことなく答える。


「ああすまないね、実はうっかり予定をダブルブッキングさせてしまってねえ」


「は、はあ……」


 頭を下げてみせる九子さんに困惑する秋穂。


「そこにいるうちの孫──七野が来年大学受験なんで、現役の大学生に大学とか受験の話を聞かせてもらおうと思ってこの娘たちを呼んだんだよ。で、そっちのは一応大学卒の孫っぽい引きこもりさ」


「引きこもりじゃないですぅ在宅ワークですぅ」


 九子さんは八重さんの主張をさっくりと無視した。


「大学受験ですか」


 秋穂が他人事ではないワードに反応して七野ちゃんと西園寺たちを見比べる。


「ああ、そういえば秋穂ちゃんもこっちの大学を見に来たって話だったね。どうだい?もしよければ七野と一緒に皆さんの話を聞いていくかね?」


 その様子に強い興味を見て取ってか、九子さんが何でもないように提案した。僕が思わず顔を顰めるのと同時に、秋穂が瞳を輝かせつつ提案に応じる。


「良いんですか!?よろしければ是非!」


「そうかいそうかい。この娘たちはお兄さんの友人でもあるからね、お兄さんの大学での暮らしぶりもある程度聞けるんじゃないかね」


「えっ!?うそっ!?」


 九子さんからしれっと告げられた事実に、素の声を上げつつ驚愕の表情で三人を見る秋穂。

 昔からの僕を知っている秋穂からすれば僕の友達というだけでも驚きなのに、それが女性というのならば尚更だろう。

 そんな秋穂に西園寺が名を名乗りつつ、にこやかに話しかける。


「ボクは彼と同じ文芸サークルに所属しているんだよ」


「文芸サークル……。兄貴、ホントにサークル入ってたんだ」


 僕がサークルに入るのはそんなに驚くことかよ……。

 秋穂が天空の城は存在したんだ、というノリで呟くので僕は抗議の声を上げたのだが、逆に秋穂に半眼で睨まれてしまう。


「だって、今まで帰宅部で通してたコミュ障がサークル入ったなんて信じらんないし」


 まったくその通り過ぎて反論できない僕を他所に、今度は東雲が秋穂に話しかける。


「私はお兄さんとバイトを紹介し合う仲なんだ。牛嶋さんと知り合ったのもお兄さんの紹介なんだよ」


「サークルだけじゃなくアルバイトまで……。どんなアルバイトなんですか?」


「例えば私の従姉妹がやってる撮影スタジオのアルバイトとかかな。彼は撮影補助とか力仕事とかの雑用をやってもらってるけれど、けっこう重宝がられてるんだよ」


「力仕事?」


 中々に好意的な東雲の説明に、秋穂が僕の二の腕に不審な目を向けてくる。


「このひょろひょろの腕で本当にお役に立っているんですか?とても信じられないんですけど」


「何しろスタジオは女ばかりの職場だからね。男手というだけでもありがたいんだ」


「女ばかりの?……本当に兄はご迷惑をおかけしていないんですか?」


 ますます僕に不審の目を向けてくる秋穂と、それに苦笑しつつ否定する東雲。どん底過ぎる信頼度であるが、交友関係に関しては過去の行状からして否定できないのが悲しいところである。

 

「ええっと、あたしは……。なんだろ。同じ学部でよく代返してもらってる相手?」


「ああ、なるほど」


 北条の紹介に秋穂はあっさりと頷いた。

 西園寺と東雲の言葉には疑いを向けたのに、何故こんな雑な言葉には理解を示してしまうのか。これが分からない。


「だって一番説得力があるから」


 いやまあ、確かに実家を出る前の僕が聞いても同じように考えるだろうけれども。


「まあそう言うわけだから、大学のことでも彼のことでもボクたちに何でも聞いてもらってかまわないよ」


「あ、ありがとうございます!これよろしければ皆さんで……!」


「おや、嬉しいねえ。それじゃあお茶を入れ直してこようか。ほら、お前さんも手伝いな」


 秋穂の差し出した赤福を笑顔で受け取った九子さんが、いつも通りの顔に戻ってから僕に向き合い顎をしゃくって台所を示すので僕は渋々立ち上がった。


「バイトさん、私が行ってきますよ」


 七野ちゃんがそれに気がついて席を立とうとするが、九子さんはそれを押しとどめた。


「いいんだよ。あんたは受験のことがあるんだから、秋穂ちゃんと三人の話を聞いてな」


「でも……」


 七野ちゃんは訪問客にそんなことをやらせるのは、とでも思っていそうな顔で躊躇しているが、九子さんの言葉を聞いてしまったからには僕としても断りづらく、素直にこたつに置かれた湯飲みを回収して九子さんと台所に向かった。

 僕は湯飲みを洗いながらも、赤福を皿に取り出す九子さんに何故こんなことをしたのか問うた。


「何故って、あたしゃあ大学受験を控えた可愛い方の孫娘のためにあの娘たちにアドバイスを頼んだだけさね」


 あたかも可愛くない方の孫娘がいるような口ぶりは止めて……いや、別に問題なかったな。

 僕が言いたいことは分かっているくせにとぼけるのは止めていただきたい。

 そんなことをわざわざうちの妹が来ている時に開催する必要はないだろう。あんなことを言ったら大学受験のことなんてそっちのけで僕の大学生活の話題一辺倒になるのは目に見えている。

 僕があることないこと言いふらされるだけで何も良いことはないだろうに。


「別にかまやしないだろうそれぐらい」


 僕の抗議に九子さんは肩をすくめてみせる。


「嬢ちゃんたちから聞く限り、お前さんが避けたいのは嬢ちゃんたちが入り浸っている現状であって嬢ちゃんたちと友人であることじゃないはずだろう?それならそこだけ伏せておけばいいだけの話さね」


 それはまあ……そうなのだけれども……。

 九子さんの指摘に僕は言葉を詰まらせる。

 確かに僕の懸念も今のいろいろな意味で外聞の悪い暮らしぶりを実家に知られたくないということと、昨日あれだけ頑張った部屋の擬装工作が無駄になりそうなことなのでそこが配慮されるのであればまあ……。


「それに、お前さんがご実家にいくら主張しても友人の存在なんて信じてもらえなさそうだからね。実際に見せてやれば安心してもらえるってもんだろうよ」


 実際母に友人がいないと決めつけられた僕としてはぐうの音も出ない。

 僕は両手を挙げて九子さんに降参の意を示した。そこまで配慮してもらっていながら九子さんを責める舌を僕は持ち合わせていない。

 ……いや、この仕儀がどう考えても皆の出歯亀根性故のことであろう辺りとか、せめて事前に僕に話を通してほしいとか、責める材料はいくらでも思い浮かぶのだがどうせそんなこと言っても九子さんを言い負かせるとは思えないし。


「さあ、理解したならさっさとこのお盆を居間に持っていきな。お前さんにだって多少はためになる話ができるだろう。少しは妹に兄らしいところを見せておやり」


 今さら秋穂に兄貴面するつもりもないし、向こうからしても鬱陶しいだけだろう。

 ……しかしまあ、参考意見を出すぐらいのことはしても罰は当たらないか。受け取った意見の取捨選択をするのは秋穂の勝手だし。

 そうやって自分を納得させた僕は、九子さんの指示通り湯飲みの載ったお盆を持って居間に戻った。そこでは姦しくも楽しそうに歓談するみんなの姿が──。


「兄貴が合コンで釣った女を袖にして夜のお城でAV女優とランデブー!?」


 ちょっと何話してんの???


    *


「ふうん。アルバイト先のスタジオで働いていた人がAV女優になっててその縁で何か仲良くなったねえ。それで合コンから抜け出すのを手伝ってもらっただけだと」


 うん。だいたいあってるんだけれども、端的に説明されるとまったく意味がわからないな……。

 まあそんなことはいい。正座を強要されありのままを説明した僕を見る秋穂の目には強い不審の気持ちが表れている。

 まったくもって嘆かわしいことである。

 相手の職業がAV女優というだけでそんな反応をするなんて、職業差別もいいところだ。


「別にAV女優が悪いなんて一言も言ってないんですけど。むしろそうやって職業が理由だって考えてる兄貴の方が差別してるんじゃないの?」


 うっ……。

 そ、それならどうして僕がこんな仕打ちを受けなければならないんだ?

 あの日の僕に責められる要素はなかったはず。


「合コンとはいえ交流相手の女の子ほっぽり出して他の女と遊びに行くのはどうかと思うんですけど。そんなの相手に失礼だと思わないの?」


 いや、まあ……。

 あまりにも正論すぎてぐうの音も出ないぐらいの指摘であったが、僕は一応の反撃を試みる。

 そもそも一次会参加の義理は果たしているし、別に僕が二次会に行かなくても特に誰かが困るわけではなかったのだ。

 貞操を危機にさらしてまで帰る理由を作っただけ誠実だったと主張したい。


「それはどうかな?佐川君の話だとけっこう良い感じになった子がいて二次会でもっとお話ししたかったとか言ってたらしいけれど」


「えっ!?」


 涼しい顔でお茶を啜っていた西園寺のたれ込みに僕や秋穂よりも先に何故か七野ちゃんが反応する。


「そ、それってバイトさんと意気投合した奇特な方がいらっしゃるってことですか!?」


 何気に酷い七野ちゃんの発言であるが、僕としても西園寺の情報には首をかしげざるを得ない。ぶっちゃけその後の展開が壮絶すぎて合コンのことはあまり覚えがないのだが、客観的に見て良い感じになるぐらい盛り上がりのある展開なぞあっただろうか。


「わかっちゃいたけど、あんたそういう話すぐに忘れるわよね~」


 何せ相手の名前を誰も覚えてないぐらいには記憶がない。


「そんなザマで合コンに参加とか意味分からないんですけど」


 くじ引きで負けて参加した合コンだから仕方がなかったんだって……。


「そういう気持ちで参加してる時点でもう失礼じゃん。兄貴は昔からさあ……」


 いやもうごもっとも……。

 秋穂の追及に低頭平身している僕を見て八重さんが大爆笑しているが、僕は内心で歯ぎしりしながらそれを見ていることしかできない。

 やはり秋穂をこいつらに会わせてもろくなことにならなかったと後悔するが、そもそも僕には選択権すらなかったのでどうにもならない。


「そんなことより、その人とはどういう話で盛り上がったんでしょうか!?」


 くどくどと僕を責め立てる秋穂の言葉をぶった切って僕を救ったのは、七野ちゃんだった。話を勢いでさえぎろうとしたためか身を乗り出すようにして問うてくる彼女に秋穂が困惑の表情を浮かべているが、お陰で小言が途切れたので全力でこの流れに乗っかることにする。

 しかしどうだったか。

 重信先輩が映画の話で誰かと盛り上がっていたとか、佐川君が如才なく交流を深めていた反面、御上先輩が空回り気味だったとかそういう印象は覚えているのだけれども。


「佐川君はマンガの話をしてたとかって言っていたよ」


 ふんわりとした僕の発言に、西園寺から助け船が入る。

 マンガ?……ああ、そういえば誰かの好きな作家が知ってる人だったからちょっと話したらすごい食いつきが良かったような。


「マンガですか!それはなんの……!?」


 ほら、あれだよあれ。以前僕が七野ちゃんから借り受けたやつ。作者の名前が確か、筒──。


「よし!この話は止めにしましょう!」


 僕が記憶の隅に引っかかっていた名前を挙げようとすると、突然七野ちゃんが話を打ち切りにかかった。

 話をぶった切ってまで知りたがっていたのに何故……と困惑する僕を他所に、何かを察した様子の西園寺たちが話を流しにかかる。


「考えてみると彼の交友関係ってだいぶ女性に片寄っているよね。サークルを卒業した元部長とは妙に仲が良いし」


 それはあの人が勝手に色々重たいモノを押しつけてきているだけだ。


「筋トレ好きの先輩にマンツーマンでトレーニング受けたりもしてるわよね~」


 別に毎回マンツーマンってわけじゃない。


「私の地元に友達が働いてる喫茶店があるんだけれど、その友達たちにも気に入られてるよね」


 あの人達は……違うじゃん。


「違う、ですか?」


 あ、いや……。

 とにかく、そういうヤバい……もとい目立つ女性が知人に多いだけで別に交友関係が女性に片寄っているわけではない。

 一緒に遊びに行くのは基本的に文芸サークルの男子部員であるわけだし。(ここにいる面々を除けば、という条件付きではあるが。)


「ふうん。……正直、あんまり信じられないんですけど」


 なんだ、僕が男と連まないで女性とばかり遊ぶチャラい男に見えるというのか。


「は?そっちの話じゃないんですけど。バレンタインチョコのひとつも持って帰ってきたことのなかった兄貴がそんな……いや、そもそも男の友達を家に連れてきた記憶すらないような」


 馬鹿言え。確か小学生の時に誰か連れてきてた……はず。


「そこはさだかじゃねえのかよ……」


 何しろ古い記憶なもので……。

 引きこもりの八重さんに呆れられるのは業腹であるが、反論できない僕はそう言って誤魔化すしかない。


「相変わらずこと対人関係に関する物覚えの悪さはピカイチねえ……」


「そのくせ烏丸先輩とか喫茶店の皆の名前はしっかり覚えていたけれどね」


「あ、今気がついたんだけれど、もしかして強く記憶に残るぐらい個性的な人じゃないと彼の印象に残らないんじゃないかな」


「あ~確かに!」


 それはあるかもしれないな。新垣先輩とかお前たちとか、ヤバい人の名前はすぐに覚えられてた気がする。


「ほう?それは聞き捨てならないな。ボクたちのどこがどうヤバいというんだい?」


 すべてかな……。


「おいおいそれはもしかして私もヤバい枠に入ってんのかよ、おん?」


「どうします八重さん処す?処す?」


「バイトさん!私の名前はどうでしたか!?すぐに覚えてくれてましたか!?」


「七野ちゃんはそれで良いの……?」


 案の定というかなんというか、話が脱線に脱線を重ねて皆が好き勝手しゃべり始めたものだから収拾がつかなくなってしまった。大学のことを語るというお題目はどこか彼方である。


「……兄貴、本当に友達できたんだ」


 僕が頭を抱えていると、隣に座っていた秋穂がポツリとつぶやく。

 気持ちはわかるが本気のリアクションは流石に傷つくのでやめてほしい。


「だって実家にいるときの兄貴なんて、こんな風に皆が騒いでるときもつまらなそうな顔して隅でじっとしてるイメージしかなかったし、別に友達なんていらないんだとか自分に言い訳してる寒いやつなんだと思ってたから」


 当人の前であまりにも容赦の無い口ぶりであるが、あまりにも当然な評価過ぎて僕の心にはささくれひとつできない。


「なんなら彼は大学の飲み会とかでもそんな感じだったけどね」


 そこ、うるさいぞ。僕がどの飲み会で隅っこ暮らしをしていたというんだ。


「少なくとも私たちと絡んでいないときのゼミの飲み会はそんな感じだったと思うけれど……」


「ちょっと目を離すと延々と大林先生とだけ喋ってるじゃない」


 あーあー聞こえません聞こえません。


「やっぱりこっちにいたときと変わってないじゃん。そんなんでなんでこんな人たちと仲良く……」


 秋穂の呆れたような視線が僕に突き刺さる。

 なんでと言われたら、成り行きとしか言いようがないのだが……。


「しかし考えてみると、ボクと君が絡むようになったのは飲み会がきっかけだったんじゃないかい?ほら、確か佐川君が主賓だったやつ」


 一緒に上京してきた幼馴染みを早慶ボーイに寝取られた佐川君を慰める会だろ。あんなおもしろげふんげふん、可哀想な話を忘れるなよ。


「ね、寝取られ……?」


「なんだよその面白そうな話詳しく」


 困惑する秋穂と関係ないところに食い付いた八重さんのことはとりあえずスルーする。


「ああそうだったね。新垣先輩から参加報酬でうまい酒をもらったことしか覚えがなくてねえ」


 こんなやつに酌をされて慰められていた佐川君がただただ不憫だった。


「そういえばあのときも君は隅っこでひとり孤独にちびちび酒を呑んでて、主催の新垣先輩としかしゃべってなかったじゃないか。場が落ち着いたら真っ先に帰ってしまったし」


 確かにその通りだが、西園寺だって僕に便乗して飲み会を抜け出したんだろうに。


「佐川君もつぶし……もといつぶれてしまってお酌はもう必要なかったのさ。それにそのお陰でボクと交流も産まれたし、報酬の美味い酒だって呑めたんだから良いことばかりだったじゃないか」


 僕からすれば酒は呑みすぎて酷い二日酔いになったしそれ以降アル中に絡まれるようになったしであれが良かったかどうかは疑問だけどな……。


「はっはっは」


 西園寺は僕の皮肉を笑うばかりでちっとも効いていなさそうだった。まあ、これぐらい面の皮が厚いやつだからこそ僕のようなやつにも遠慮なく絡みに来るのだろうけれども。


「へえ~そんなことがあったんだ。あたしがふたりに声をかけたのはその後ってこと?」


「そうそう。あのときは彼も頑なでねえ。せっかくだからって一緒に講義を受けようと誘っても嫌がって逃げたりして。しょうがないから部室にいるのを捕まえて、嫌がる彼が逃げられないようにサークルのみんなの前で……」


 余計なことまでしゃべるんじゃないよ。

 というか、受験の話をするってことだったのになんでこんな話ばかりなんだ。

 もっと今の大学に入った志望動機とかそういう建設的な話をしろよ。


「わたしは別に今のままでも良いのですが……。バイトさんの話ももっと聞きたいですし」


「あたしも実家に報告できる材料が増えるから」


 それで良いのか受験生たち。


「そもそも志望動機なんて言われてもね。ボクは付属校からそのまま大学に行く予定だったのを、諸事情で直前に計画を変更して別の入れる大学に入ったってだけだし」


 ああ、そういや合宿の時に高校でごたついたとか言ってたな……。エスカレーター式でけっこうな名門私立だったらしいのだが、実にもったいない話だ。


「あたしは一人暮らしするほどお金もないし、普通に受験勉強して実家から通える範囲で選んだだけって感じ?」


 北条の家はけっこう辺鄙なところにあるという話なので、堅実かつまっとうな選択基準であると言える。


「私も自分の学力で入れるところに入っただけだからなあ。別にどこか行きたい大学もやりたい勉強もなかったし」


 そんな心構えで入ったのが早慶っていうのが八重さんの無茶苦茶なところなんだよなあ。


「私は受験の時にちょうど弟が死んで」


「えっ」


 にこやかに話す東雲に秋穂の顔が引きつる。

 ああ、そういやここに受験関係できつい持ちネタがあるやつがいたな……。

 しっかし、これだけの人数がいて参考になりそうな志望動機がまったく出てこなかったな……。

 家庭の事情で仕方なくとか学力で入れるところとかそういう動機しか出てこない。


「むっ。そういうあんたはなんで秀泉を選んだのよ?」


 僕?僕の場合は英語の成績が壊滅的だったので英語の試験が必要ない大学を探すしかなかったのだ。

 北条と違って一人暮らしは許されていたので全国から選び放題だったのに、ほとんど選択肢がなかった。


「そんな話は別に知ってるんですけど。というか、兄貴がそんなだったせいであたしが割を食って……」


 何やら秋穂がぶつぶつと零しているが、出来の悪い兄を持った不運を呪って諦めてほしい。


「あんただって碌でもない理由じゃない」


 大学選びなんて所詮そんなものである。


「な、なんていうかもう身も蓋もないですね……」


 思わずといった風に苦笑する七野ちゃん。まったく参考にならなくて申し訳ない。

 ……ああ、けれど今ならちょっとしたアドバイスはできるかな。


「?それはどういう?」


 秀泉に入ってから気がついたんだけれど、うちの文学部って元編集者の教授がいてゼミで雑誌の編集についてやってるらしいのだ。

 僕も本を読む者として出版についても興味があるしそこに入るか悩んでいるところなのだが……。


「ああ、そういえばそろそろ専門ゼミの募集締め切りだったね」


 僕の話に東雲が思い出したように頷く。

 うちの文学部は一年目に強制的に割り振られる基礎ゼミに参加して、二年目から専門的なゼミを自分で選んでそこで研究、卒論制作を行う形式なのである。


「おや、君はてっきり大林先生の文藝創作ゼミに進むものだと思っていたのだけれど」


「なによ、あんた大林先生を捨てて別のゼミに鞍替えするの?」


 人聞きの悪い言い方をするんじゃないよ。

 確かに大林先生のゼミも興味を惹かれていてどちらにするか迷っているところなのだが、今はそんなことはどうでも良い。

 要は受験する大学選びの条件にゼミや講義の内容が入るのもありじゃないかという話だ。その気になれば在学生じゃなくてもその辺は調べられるし。


「確かにそうかもね。偏差値だとか家庭の事情とかそういうことで大学を選びがちだけれど、なにを学びたいかで大学を選ぶのが一番健全じゃないかな」


「正直な話、大半の大学生、特に文系なんかは働かないですむ期間を延ばす猶予期間モラトリアムだなんて言われるし、実際学歴に箔を付けるだけにしか考えてない学生がほとんどだろうさ。けれど、一度入ったら年単位で通うことになる学び舎なのだからせめて自分が興味を持てることを学びたいものだね」


「あたしたちはもう遅いんだけどね~。七野ちゃんと秋穂ちゃんはそういうところに注目してみるのもいいんじゃないかしら?」


「なるほど……」


「皆さん……」


 僕たちの言葉に高校生ふたりが感じ入った風な様子をみせているところに、黙って茶を啜っていた九子さんが口を開く。


「まあ、あたしら保護者としては自分が納得できる大学に入ってちゃんと卒業して、それでちゃんと働いてくれるのが一番だよ。中にはちゃんと卒業しても定職に就かないちゃらんぽらんなやつもいるけどねえ」


「だから私はちゃんと働いてるってんだよばばあ!!」


「おや、あたしゃだれもあんたのことだとは言ってないよ。それとも自分がちゃらんぽらんな自覚でもあるのかい?」


「ぐぬぬぬ……!」


 やれやれ。しょうもないバトルが発生しているように見えなくもないが、なんとかそれっぽい方向に話を持って行けたな。最低限先達としての義務も果たせたし、この流れなら妹にこれ以上余計な情報を持ち帰らせずに済むことだろう。


「さて、あたしゃそろそろ夕飯の買い物にでも行ってこようかね。今日は皆で鍋にしようと思っているんだけど、秋穂ちゃんも一緒にどうだい?」


「良いんですか?」


「かまわないよお。せっかくなんだから食事でもしながらゆっくり話を聞いてお行き。どうせそこの男に任せたらろくなもん食わせないだろうからね」


 ちらりとこちらに視線をくれる九子さんに、僕は反論する言葉を持たなかった。夕食なんて冷蔵庫の中のつまみであり合わせるか適当にその辺で外食するぐらいしか考えていなかったのである。


「そういうことであれば……お願いします」


 秋穂が頭を下げると九子さんは笑みを浮かべて頷き、よっこらせと腰を上げた。


「じゃあ腕によりをかけて美味しいものを作らないとねえ。ほれ、お前さんは荷物持ちだよ」


 何故他所の家の買い物にかり出されなければならないのか、これがわからない。まあ妹が世話になっている以上それぐらいは手伝うけれども。


「この人数分の食材をふたりは大変でしょう?私もついていきますよ」


 渋々立ち上がる僕を見て東雲が荷物持ちを買って出てくれる。九子さんは非力な僕に容赦なくぱんぱんの買い物袋を持たせるので正直ありがたい。


「それならわたしが……」


「いいっていいって。私たちもご相伴に預かるんだからこれぐらいしないとね。今日の七野ちゃんは受験生として春香達の話をちゃんと聞いておかないと」


 どうしてもお客を働かせるのが気になるらしい七野ちゃんが慌てて腰を浮かせるのを東雲が笑って押しとどめ、三人で牛嶋邸を出た。


「今日はこのまま牛嶋邸でおしゃべりすることになるだろうし、うちの大学見学は明日になるかな。九子さんのご好意で牛島邸に宿泊できるし都合良くお泊まりセットも運び出してあるからわざわざ家に帰らずに済むよ」


 いつの間にやら九子さんとそんな話を取り決めていたらしい。

 ナチュラルに大学見学に同行するつもりなことには異論が無きにしも非ずであるが、考えてみると妹の相手をこいつらに任せた方が面倒がない。

 ならば素直に流れに従っていた方が得策というものだ。


「けれど、噂の妹ちゃんは君に聞いた感じよりもしっかりしてて全然良い子じゃない。君の口ぶりからしてもっと親に甘やかされた末っ子気質な感じの子なのかと思っていたよ」


 別にうちの妹がわがままキャラだとまでは言っていない。

 僕がたいしたことない分なんとなく妹が家族の期待を背負っていて、それに見合った待遇を受けているだけである。


「ううん……。他人の家の話だからなんとも言えないけれど、期待を背負うだなんて時代錯誤な感覚って気がするけれど」


 ちょっとその辺に土地を持ってて地元に顔が利いたりするような家なので、昔ながらの古くさい感覚が残ってるんだよ。うちの婆ちゃんなんかは特に。

 僕としても妹にそういうめんどくさいところを押しつけている感じになってるから、あんまり強くは出れないんだよなあ。

 向こうも僕に押しつけられたと思ってるだろうし。


「そんなことはないと思うけれど。私が見た感じちゃんと兄妹してたよ。まあ、もうちょっと仲良くしててもいいかなとは感じたけれど」


 東雲はそんなことをのたまうが、こいつの兄妹(あるいは姉弟)感は一般的とは言い難いところがあるので鵜呑みにはできない。

 それに今日の秋穂は外面を意識していてか実におとなしかったので、その辺の判定は普段のあいつを見てからにしてほしいものだ。


「そんな憎まれ口が出ている内は問題ないだろうさ」


 僕達の会話を聞いていたらしく、前を歩く九子さんが笑いながら会話に加わってきた。


「要はお前さんがあの子に勝手に引け目を感じて気まずく思っているだけだろう?安心しなよ。向こうだって本当に嫌な相手だったら例え兄でも部屋に泊まりに行こうなんて思わないさ」


 ……別に僕は妹の関係を悩んだりしているわけではないのだけれども。


「はいはい。別にそれでいいから早く買い物を済ませて、妹ちゃんに兄らしいところを見せに戻らないと」


 僕の抗議の声を東雲までもが笑って背中をぽんぽんと叩いてくる。なんとなく僕の扱いが聞き分けのない子供じみているのが納得いかない。

 それよりも東雲。牛嶋邸に泊まるんだったらちゃんと服を着てすごせよ。うっかり僕の前でいつもの姿でうろついていたら妹がどんな勘違いをするかわかったもんじゃない。


「え……?」


 え……?じゃねえよちゃんと服を着ろ。というか冬の日本家屋を舐めるんじゃないよ。


「ベランダで過ごしてても問題ないんだからなんとかなるって」


 そういう問題じゃないって言ってるんですけど?


「シャツぐらいでなんとか許されないかな?」


 下もちゃんと履くんだよ下も。


「ズボンは締め付けが……」


 一般人は皆その締め付けを我慢してんだよ。


「う~ん……」


 しょうもない話で激論を交わす僕達を九子さんが生暖かい目で見ているのがとても気まずかった。

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