間話 西園寺昔話


「え~!ハルちゃんの通ってた高校って青嵐なの!?」


 秋穂がうちにやって来た夜。九子さんに誘われて牛嶋邸で鍋をつつきながらあれこれと話している中で西園寺の出身校の話になったのだが、学校の名前を聞いた途端に北条が目を見開いて叫んだ。

 しかし地方出身で関東の学校に疎い僕は北条がなんでそんなに驚くのかが理解できなくて首を傾げるばかりである。


「青嵐ってもしてかして青嵐学園ですか?会社経営者とか旧華族の子弟が集まるっていうあの?」


 僕が疑問を口にする前に隣にいた秋穂が目を丸くしてそんなことを言う。

 他の皆をそっと観察すると北条や秋穂と似たり寄ったりな反応をしているので、僕は余計なことを言わずに訳知り顔で黙っていることにした。


「別にそういう人ばかり集まってるわけじゃないよ。うちの父も普通の公務員だしね」


 西園寺は酒を片手になんでもないような顔をしている。

 ……いや、よく見るといつもより目がとろんとしているな。

 僕の部屋にしまっていた酒を秋穂から隠すために牛嶋邸に運び出したのだけれど、移送の時に普段なら視界に入らない良い酒を目にして自制が効かなくなったのだろう。


「そんな良い大学への内部進学をなんで蹴っちゃったんですか?失礼ですが、秀泉よりも絶対に青嵐の方が良いと思うのですが……」


「ま、まあうん。いろいろとあってね……」


 七野ちゃんの純粋な疑問を、西園寺は言葉を濁し酒を呷ることで誤魔化した。

 夏休みに行った文芸サークルの合宿で聞いた話だと、高校デビューを狙っていろいろとやり過ぎたせいで大変なことになったらしいので本人としてはあまり語りたくない黒歴史なのだろう。

 酒が入って口が滑らかになっていなければそんな話題出すつもりなかったに違いない。


「確かあそこは私立の中高一貫校だったよね?ああいうところってカリキュラムが独特だったりするって聞くけどどんな感じだったの?」


 気まずそうな西園寺を見て東雲が会話の軌道修正を図ると、西園寺はほっとした様子で東雲の話に乗っかった。


「そうだねえ。確かに授業の進みが早くて大変だったな。中等部の時から高校の勉強範囲を履修するから、高等部から入ったボクは苦労したね。皆に追いつくために必死に勉強したお陰で成績は良くなったけど、ほとんど勉強漬けだった記憶しかないよ」


「へえそうなんだ~。そんなに勉強してたなら秀泉うちよりももっと偏差値の高い大学に入れそうな気もするけど、あえてうちを選んだ感じ?」


「そ、それはほら、家から通える範囲で確実に青嵐の生徒が進路に選ばない大学を選んだ結果というか……」


 北条の無邪気な質問に西園寺はごにょごにょと皆に聞きとれないほどの小さな声で弁解らしき言葉を述べた。

 せっかくの東雲の配慮が台無しである。


「まあまあ、大学なんてどこ選んだってたいして変わりゃしねえって。本当にやりたいことがあるんなら自分で学びゃいいんだしよ」


 今度は八重さんが西園寺のフォローに回る。

 その口ぶりは流石早慶大学卒という勝ち組チケットをドブに捨てて引きこもっているだけのことはあり、実に実感がこもっている。


「ただ引きこもってるんだけじゃなくて、こっちは同年代の何倍も稼いでるっての」


 ごもっとも。

 天は二物を与えずなんて言葉があるが、なんで天は八重さんなんぞにこれほどの才を与えてしまったのか。まったくもったいない話である。

 ……いや、これはむしろ引きこもり気質というデバフが重すぎるからこその配慮なのだろうか。


「確か上場したIT企業のオーナー社長とかどこかの有名な二世タレントとかも青嵐出身でしたよね?西園寺さんが在籍されていた頃にもそういう感じの人がいたんですか?」


 秋穂のミーハーな質問に西園寺は苦笑しつつも頷く。


「ああいたいた。元アイドルの娘とか元財閥系グループ会社の跡取りとか。そういう大物じゃなくても中小企業の社長子息なんてのはわんさかいたよ」


「へー!なんだかマンガの世界みたいな話ですね!ほら、ちょっと前に流行ったドラマがあるじゃないですか。一般人の女の子が学園内で超有名な御曹司のグループに好かれて~みたいな!」


 西園寺の説明に七野ちゃんがきらきらと目を輝かせながらそんなことをのたまうと、秋穂がそれに反応した。


「あ、あたしそれの原作マンガ全巻持ってる!あれ良いよね!」


「本当?私も全巻揃えてるんだ!私はけー君が好きで──」


「牛嶋さんはそっちなんだ。あたしは断然カズ君が──」


 共通の趣味を見つけたらしいふたりはきゃいきゃいと盛り上がり始める。妹が僕の知り合いと親しくする様は実に複雑な気分にさせてくれるが、そんな僕よりもさらに複雑そうな表情をみせている西園寺のお陰で僕はまだ心穏やかでいられた。


「……ごほん。まあ、他の世代は御曹司がグループ作って幅を利かせるとかそういうのがなくもなかったらしいけれど、ボクの世代の場合はそういうのはなかったな。なにせ学年に超有名人がいたからね」


 有名人?


「どこかの一流アイドルとかそんな感じの人?」


「ああ、ちょっと言い方に語弊があったね。世間的に有名って話じゃなくて、学園内の有名人ってことさ」


 僕と北条の疑問に西園寺が答えるが、余計によくわからない。

 親が医者だとか小さな会社の社長だとかぐらいならその辺の学校にもいるだろうしそれでどうにかなることはないと思うけれど、話に聞く青嵐学園はそんな程度の地位じゃすまないやつばかりだろう。

 秋穂や七野ちゃんが言うマンガの話じゃないが、それだけの太い実家を持つ生徒なら学内で影響力を持っていてもおかしくはないだろうに。


「もちろんその通り。だからこそ他の学年ではそういったことも起こっていたのだからね。けれども、うちの代じゃそうはいかなかったのさ」


「その春香の言う学内の有名人がいるからってこと?」


「うん。なにしろその人がとんでもなく優秀でね。学力も運動能力も学年トップだったし美人で性格も良かったから人望もあって、とてもじゃないけど親の地位程度じゃ太刀打ちできなかったんだよ。おまけに生徒会役員をやってて政治力もあったから、学園の中だけなら無敵超人だったね」


 なんだその絵に描いたような万能キャラ!?


「なんていうかその……そんな人本当に存在するんですか?」


 秋穂の不審げな様子に苦笑しつつも西園寺は肯定する。


「ところが存在するんだよ、そんな人が。あまりにも諸々の実績がありすぎて神の如く崇拝する生徒が何人もいたもんさ」


「そんな人が現実にいるんですね……」


「美人ってことは女の人?そんなに優秀な人だったらめっちゃモテそうよね~」


「当然モテたよ。付き合いたいって人もごまんといたし、将来うちの会社に欲しいって言う子息が何人もいた。それでも本人はそういう誘いも全部袖にしていたけれどね」


「それはそれですごいね……。なんでその人はそんな話を断っちゃったの?」


 首を傾げる東雲に対して、西園寺は肩をすくめた。


「その人にはもう意中の相手がいたからね。その子は一個下の学年で中小企業の社長の息子さんだったんだけれど、昔からその子にぞっこんだったんだってさ」


「へえ〜なんだかロマンチック!」


 北条はのんきにそんなことをのたまうが、その相手の男からすれば大変だったんじゃなかろうか。いらぬやっかみとか嫉妬とかでめちゃくちゃめんどくさそうな気がするのだが……。


「実際大変だったみたいだね。ボクはその子とけっこう仲が良かったんだけれど、けっこう色々相談されたりしたよ。お陰でボクはその優秀な女子生徒に睨まれて大変だったけれどね」


 最後の方はぼやくように言う西園寺。


「それってその人は好きな男の子を西園寺さんに盗られるんじゃないかって警戒してたんじゃないですか?」


 秋穂が先ほどの七野ちゃんよろしく目を輝かせながらそんな妄想を披露した。

 普段の西園寺を見ている僕としてはそんな心配をする必要がある相手にはとても思えないのであるが……。

 というかその後輩君もよく西園寺なんかに相談を持ち掛けようと思ったな。

 僕の疑問に西園寺は何故かムキになって反論してくる。


「いやいやそうでもないよ。当時のボクは高校デビューを狙って正統派美少女を装っていたからね。その後輩君からもちゃんと信頼されていたんだって」


 そういや猫を被ってたとかそんな話してたな。


「え〜なにそれ面白そう!どんな感じに猫被ってたの!?」


 そこで北条が妙なところに食い付いた。いやまあ確かに気にはなるけれども。


「気になるかい?それなら余興ってことで当時の再現をしてみようか」


 他の皆も興味深そうな顔で西園寺を見ていて、それに気を良くしたのか西園寺自身も乗り気であるらしい。

 僕としてはもうちょっとその無茶苦茶な学園の話を聞きたい気もするが、これはこれで面白そうだし別にいいか。



 そんなわけで披露された西園寺の猫被り芸は、素の性格とのギャップの酷さで大盛り上がりした。

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