壮絶なる僕らの七日間戦争


「ああ~……。やああああっと終わった……」


 こたつに潜り込んだ北条は天板に上半身をぐでっと乗せると疲れ切った声を上げた。

 同じくこたつに座った西園寺がぼやくように同意する。


「いやまったく……。まさか本当に年末までかかるとは思わなかったよ。やっぱりあの酒や料理には裏があったんじゃないか」


 そう言いながらも隣に座る僕のことを横目で睨みつけてくるが、既に事を成し遂げた僕にとっては痛くもかゆくもない。

 クリスマスイブに開催された飲み会の翌日。どんちゃん騒ぎを終えて気持ちよく眠り込んでいた三人を叩き起こした僕は、急展開に困惑する三人を大掃除という戦場に叩き込んだ。

 西園寺たちも大掃除を手伝うということは承知していただろうが、まさかそれが一週間をかけるような長期の仕事になるとは予想していなかっただろう。

 しかし、お前たちを売ることで僕の一月の家賃がチャラになる上にお年玉までゲットできるのだ。クリスマスイブは散々楽しんだのだからこれぐらいは許してほしい。

 無論、途中で各員の用事や牛嶋家自体の都合で離席者が出たり一時中断することはあったが、この一週間ほとんど途切れることなく延々と掃除を続けていたと言っていい。

 平屋とはいえ、ただでさえでかい邸宅の中を徹底的に掃除し、畳を干したり障子を張り替えたり、納戸や庭の物置の整理までやったのだ。僕たちが手を出さなかったのは庭の剪定ぐらいなものである。

 尚、庭の剪定に来ていた業者さんは九子さんにより容赦なく力仕事を手伝わされていた。

 馴染みの業者ではあるようだったが、明らかに業務外の仕事を手伝わされて文句ひとつ言わなかったのは余程牛嶋家に恩があったのか、それとも弱みを握られていたのか。


「私としては大助かりだったよ。妹ちゃんとふたりじゃ私の部屋もあそこまで片付かなかった」


「……正直なところ、外に出した家具を部屋に戻そうとしているときに八重さんの部屋の片付け配信に人を取られたときはどうしようかと思いました」


「すまねえすまねえ。適当に決めた配信時間だったんだが、決めたからには可能な限り守らにゃいかんのが配信者ってやつでなあ」


 ご満悦な様子で一足先に酒を嗜んでいる八重さんに東雲が苦笑しながらも珍しく物申すが、八重さんはちっとも堪えた様子がない。

 実質的な力仕事担当の東雲は残ったから西園寺と北条を持っていかれても何とかなったが、僕だけが取り残されていたら今も部屋の中に家具が戻っていなかっただろう。


「いや、君もちゃんと力仕事をしてたじゃない。私だけの力じゃ箪笥だとかは運べなかったよ」


 確かにひとりじゃ運べない家具は力を合わせて運んだが、ひょいひょいと大荷物を運んでいた東雲と途中から手が痙攣して使い物にならなくなった僕とじゃ貢献度が違う。

 男女の身体能力差なんてものは、日頃の鍛え方でけっこうあっさりと覆されるというのがよく分かった。

 そんなことを話していると、九子さんと七野ちゃんがキッチンから居間に入ってきた。


「みんな、お疲れ様。今回は良く働いてくれたねえ。今日は良い肉が手に入ったからすき焼きにしたよ。たあんと食べとくれ」


「ホントですか!?やったあ!」


 九子さんがこたつの上に置いていった明らかに高そうな肉を見て、途端に元気を取り戻す北条。肉の入った包みに貼られたA5のシールにはそれだけの効果がある。


「七野ちゃん、手伝うよ」


「いえいえ大丈夫ですよ。皆さんお疲れでしょうから、ゆっくりしていてください」


 酒が入るのを見越して準備していたのかおつまみ類をお盆に乗せてやって来た七野ちゃんは、東雲の申し出を笑みを浮かべながら断ってキッチンに戻っていく。

 自分も大掃除に参加して姉の部屋の片付けまでしてきたというのに、本当に良くできた娘である。妹と隣人の友達に部屋の掃除を手伝わせた上、今も妹の持ってきたつまみにさっそく手を付けまったく動く気配のない愚姉とは大違いだ。


「まあ人様の家の炊事場をうろつくのはあまりよろしくないだろうしね。ここは素直にお言葉に甘えようじゃないか。というわけで乾杯!」


 そんなことを述べつつも、八重さんに酒を注いでもらっておっぱじめる西園寺。もっともらしく話しているが、結局は早く飲みたいだけなのがまるわかりである。人様の家なのだからもっと遠慮してほしい。


「気にすんなよ。お前等のおかげでずっとできてなかった家の片付けがあらかた終わったんだ。でかい顔してゆるりと過ごしゃいい」


 西園寺に苦言を呈す僕の手にグラスを持たせてお酒を注いでくる八重さん。今回の大掃除への貢献値が著しく低い八重さんが言うのはどうかと思うし、西園寺のそれみたことかと言わんばかりの視線がちょっとむかつく。


「例年は片付けていなかったんですか?」


「やってはいたさ。ただうちは女ばかりだし、二、三人じゃできることも限られてるからな」


「へ~。けど、その気になれば男の人をたくさん呼べるんじゃないですか?あたしが助けてもらったときはいかついおっちゃんがたくさん来てくれてましたけど」


「あれはこの辺の町内会の皆さんだよ。うちに男手が足りないからって年末の忙しい時期に気安く手伝ってくれるような相手じゃないさ。あの時は若い子が困ってるからって特別に助けてくれただけさね」


 北条の疑問に、再びキッチンから戻ってきた九子さんが具材の乗った大皿をこたつの上に置きながら答えた。

 ……って、嘘だろ!?あのいかにもヤの付く職業の人たちがただのご近所さん!?


「どこからどう見ても善良な男衆だったろうが。この辺に住んでれば道ですれ違うぐらいはしてるだろうに」


 それは……どうだろうか……。ただでさえ他人の顔を覚えるのに苦労しているというのに、挨拶をしたわけでもないご近所さんの顔なんて僕が覚えているはずがない。

 しかし、あんな明らかに堅気じゃない人々がご近所さんなのか……。僕たちのことを助けてくれたし九子さんの知人であれば本当にヤバい人たちではないのだろうが、なんか嫌だな……。


「けれどやっぱり、男手がいないと色々大変じゃないですか?この邸宅の手入れだって大変でしょうし、今回みたいに大きなものを動かすときは九子さんと七野ちゃんだけじゃ苦労するでしょう」


「逆に言えば、今日である程度大荷物は片付けちまったからね。余計な物も後々邪魔になる物もだいたい処分できた。これであたしがぽっくり逝っても七野に迷惑をかけることはないってもんだよ」


 ナチュラルに人数から省かれている八重さんであるが、本人もまったく気にしていないのが逆に悲しい。


「ちょっと止めてよおばあちゃん。冗談でもそんなこと言わないで」


 お盆にご飯茶碗を乗せてキッチンから出てきた七野ちゃんが強ばった表情で九子さんの言葉を咎める。


「あたしだってそう簡単に死ぬつもりはないさね。けどあたしは、この歳になると何があってもおかしくないってのを嫌と言うほど思い知っちまったのさ」


 九子さんの言葉に七野ちゃんは押し黙ってしまう。

 ふたりの脳裏には今年の冬に救急車で搬送されたときのことがよぎっているに違いない。あまりこういうことは考えたくないが、あの時九子さんが亡くなっていてもおかしくはなかった。

 そうなっていれば僕が九子さんと再会することもなく牛嶋家との交流も、今の部屋に住むこともなかっただろう。


「だから、お前さんたちに手伝ってもらえて本当に助かった。ありがとうよ」


 そう言って頭を下げる九子さん。 

 まったく、僕たちは九子さんの終活を助けるために大掃除を手伝ったわけじゃないというのに。ただでさえ重労働で疲れているのだから、しみったれた空気を作らないでほしい。

 僕が憎まれ口を叩くと、他の三人も後に続いた。


「まったくですね。美味しい料理と高い酒で我々を釣り出しておいて、今さらそんないい話風にされても困りますよ」


「というか、そういう理由があるなら八重さんの部屋の掃除は余計だったってことですか?」


「あ、それって契約外労働ってこと?そういうことならお給金をたんとはずんでもらわないと!」


 僕たちの反応が予想外だったのか、驚きに目を見開く九子さんと七野ちゃん。そんなふたりを他所に八重さんが悪乗りしてくる。


「馬鹿言えよ。牛嶋家の大掃除なんだから私の部屋だってその範疇だろ。ちょっと部屋が遠いからって対象から外すんじゃねえよ」


「え~!八重さん一人暮らししてるんですから別の家扱いじゃないんですか!」


「違いますぅ~本宅と建物が違うだけで同じ敷地内だから同じ家ですぅ~」


「そもそも八重さんは何でわざわざ一人暮らししているんですか?本邸に住んだ方が生活が安定するでしょうに」


「だってばばあが掃除しろとか毎日着替えろとかうるさいから」


「このクソ孫の部屋の掃除をした分はこいつに請求しとくれ」


「なんでだよ!」


 なんでも何も当然の話なんだよなあ。というか、せめて着替えぐらい毎日しろと言いたい。


「まったくあんたたちは……」


「おばあちゃん……」


 僕たちのやり取りにため息を吐く九子さんと、それを心配そうに見つめる七野ちゃん。そんな七野ちゃんを安心させるように九子さんは笑みを浮かべた。


「まあ、年の瀬にこんな話するもんじゃないってことかね。さあさあ、せっかくのすき焼きだ。今準備するからね」


 皆が歓声を上げる中、すき焼きの下準備を始める九子さん。

 とりあえず暗い雰囲気ですき焼きをつつくような自体は免れたらしい。


「相変わらず場の空気を読まないことだけは得意だね」


 九子さんが牛脂を鍋に放り込むのを眺めていると、隣に座った西園寺が小声で話しかけてくる。

 まるで僕が痛いやつみたいな口ぶりは止めてもらいたい。


「いやいや、褒めているんだよ。これでもね。少なくとも、ボクはそれに助けられた」


 空気を読めないから助かるってそれは暴言じゃないだろうか。


「読めないと読まないは違うと……。ああ、もしかして照れてるのかい?」


 西園寺がにまにまといやらしい笑みを浮かべながら肘で僕の脇腹を小突いてくる。ただでさえこたつの一辺にふたりで座っていて狭いのだからそういう動きは止めろと言いたい。そんな想いを乗せて僕は精一杯のしかめっ面で睨みつけたのだが、西園寺にはまったく効いた様子がない。

 

「それにしても、もう年末かあ。何かいつもの冬休みよりも日が経つのが早い気がするなあ」


「すみません、せっかくのお休みをうちの掃除に使っていただいて」


 北条の何気ない言葉に七野ちゃんが申し訳なさそうな顔で頭下げる。下げられた北条は慌てた様子で豊かな胸の前で手を振った。


「ううん!いいのいいの!お駄賃もらって働いてるんだから文句はないって!掃除手伝ってなかったら家でごろごろしてるかパチンコ打ちに行って散財するだけだったろうし!」


 勝つ可能性を考えてないあたり、長期休暇中にパチンコを打っても勝てないということは学習できたらしい。夏休みにボロ負けしたのが効いたようである。

 そんなことを自虐気味に言われた七野ちゃんは曖昧な笑みを浮かべていたが、ふと何かに気がついたような顔をした。


「あれ?そういえば皆さん、年末なのにうちにいて大丈夫なんですか?ご家族と過ごされたりとか」


「うちはパパもママもその辺うるさくないから平気よ。そもそもうるさい親だったら友達の家に入り浸るなんてできないし」


「私のところも同じようなものだね。元々高校の時から友達と年越しをしたりしてるから」


「ボクも問題ないよ。年末を友達と過ごすって伝えたら泣きながら送り出してくれたから」


 何かひとりだけ悲しいこと言ってるやつがいるな……。まあ西園寺の場合、今までが今までだからなあ……。


「ってか、バイトが一番問題なんじゃねえか?夏休みも帰らなかったのに、年末年始も帰らないのかよ」


 うちの家は僕に対して完全放任主義なので、まったく問題ないのだ。一応母親から帰ってくるかラインで聞かれたが、帰らないと伝えたらスタンプで了解の返事が返ってきてそれで終わりだったし。


「ううん、人様の家ながらちょっと心配になるレベルの放任具合だなあ」


「普通は何でだ~とか、予定でもあるのか~とか、もうちょっと何か言うものだと思うんだけれどね~」


「もう大学生だからいちいち干渉しないってことなのかな」


 いや、高校のときにはもうこんな感じだったな。当然実家住まいだったからある程度放置しても問題ないって考えていたのかもしれないけれども。


「あ、そう……」


「バイトさん、ご家族とうまくいってないんですか……?」


 三人は微妙な顔で沈黙し、七野ちゃんには心配されてしまった。

 別に虐待されてたわけでもないし、僕自身は困ってないんだがなあ。

 そもそもうちは出来の良い妹がいてそちらにリソースが割かれているので、僕にまでかまっていられないというのが正直なところだろう。


「そういえば妹がいるとか言ってたね」


「ああ、家族から甘やかされてるとかいう?きっと兄の威厳なんて微塵も無いんでしょうねえ……」


「君に可愛げがあればそんなことにはならなかったろうにな……」


 だいたいあってるけど言い方が何かむかつくな……。

 僕らのやり取りを見ていた九子さんが静かに口を開く。


「ま、家庭のあり方なんて家ごとに違うもんさ。うちみたいにばばあが孫を育ててる家もあれば、愛情の注ぎ方がちょっと片寄ってる家もある。それが問題になるなら改めるべきだけど、それが本当に問題なのかどうかはその家しだいさ。……けれどね」


 僕の眼を覗き込みながら、九子さんは穏やかな声音で続ける。


「もしあんたがそれをつらいと思うなら、それはご家族にちゃんと伝えるべきだよ。もし言いづらいと思うのならあたしが着いてってやってもいい。もしそれで拗れるようなら、うちの子にでもなりな」


 九子さん……。


「なあに、ややこしい法律なんかはうちの八重か七野と結婚すれば問題なく回避できる。そうすればあんたは晴れてうちの家族だよ」


 結局それかよ!

 せっかくのいい話が最後の最後でめちゃくちゃである。というか、うちの家庭環境はそんなに深刻な話をしなければならないほど歪んではいない。

 僕が思わず入れた突っ込みに対し、九子さんがにやりと笑う。


「人の話を茶化すから悪いのさ。それに、あたしゃけっこう真面目に答えたつもりだがね」


 とても真面目に考えた人間の発想とは思えない。

 七野ちゃんも顔を真っ赤にしてうつむいてしまっている。身内がマンガみたいなノリで他所様に自分との結婚話を持ちかけている様を見せつけられるのはさぞかし恥ずかしかろう。

 八重さんは酒を飲みながら他の三人とげらげら大笑いしてるけど。


「ま、あんたがそれでいいならうちがとやかく言う話じゃないわな。……それでも、我が家はお前さんに色々と借りもある。結婚は別としても困ったことがあったら相談しな。関東こっちに残るつもりなら住居とか働き口の世話ぐらいはしてやるよ」


 ……まったく困ったものだ。せっかく茶化し合いで妙な雰囲気を回避できたと思ったのに、結局いい話みたいな感じになってしまっている。

 そもそも、九子さんを助けたことに関しては部屋を格安で貸し出してくれたことで相殺されているし、それ以外にもことある毎に世話になっているのでこちらの借りの方が圧倒的に多いだろう。

 こっちに残りやすい選択肢を提示してくれるのは正直ありがたいのだが、借りが増えすぎて本当に結婚させられるハメになるのは勘弁願いたい。

 七野ちゃんみたいな可愛くて家庭的な女の子と結婚できるなら飛び上がって喜ぶべき所だが、今のところ結婚にも交際にも興味はあまり持っていないのだ。僕は。

 八重さんと結婚させられる可能性もあるし、七野ちゃんと結婚したとしても八重さんの世話がセットになる可能性が高いなら尚更である。

 まあこれは九子さんが勝手に言っているだけなので、八重さんと七野ちゃんの意思は介在していない。いくら仲の良い牛嶋家でもふたりが九子さんの言葉に従うとは思えないし、真面目に考える方が馬鹿というものだ。


「そんなこといいから早く具材を入れてくれよ。割り下が煮えたぎってるじゃねえか」


「一番働いてないやつが指図するんじゃないよ」


 八重さんの言葉に九子さんは顔をしかめながらも、鍋の火を弱めてから具材を投下し始める。

 やれやれ、これでようやくすき焼きにありつけそうだ。


「みなさん、卵をどうぞ。追加が欲しかったら言ってくださいね。……バイトさんも、どうぞ」


 七野ちゃんも気を取り直したのか、ちょっと顔が赤いけれどもいつも通りに戻った様子。良かった、こんなことで身近な相手と気まずい思いはしたくない。

 具材が煮えるのを、酒を飲みつつ(無論、七野ちゃんはジュースだ)適当なことをしゃべりながら待つ。

 主な話題は僕たちの大学生活についてである。七野ちゃんが来年大学受験ということで、大学の様子等を気にし始めたらしい。


「へえ、七野ちゃんは秀泉志望なんだ」


 グラスを傾けながらの東雲の言葉に七野ちゃんが頷く。


「はい。家からも近いですし、気になる講義もあったので。それに……皆さんの後輩になれたら嬉しいなと思って」


「嬉しいことを言ってくれるね。七野ちゃんが後輩としてうちに来てくれるなら楽しそうだ」


「ありがとうございます。それで、皆さんに秀泉の雰囲気とかをお伺いしたくて。駅前で登下校している姿はよく見かけるんですが、やっぱり実際に通っている方の話が聞ければと」


「それぐらいなら全然かまわないわよ!あたしたちが分かることならなんでも教えたげる!」


 七野ちゃんの言葉に、北条が気安く請け負う。酒が入って気が大きくなっていることもあるだろうが、七野ちゃんに協力してあげたいという気持ちが大きいことも間違いあるまい。

 それは無論、僕とて同じであった。 


「その前にほれ、すき焼きの準備ができたよ。そういう話は食べながらにしな」


 九子さんの言葉に、皆が歓声を上げて鍋に箸を伸ばした。全員が椀にすき焼きを確保したところで九子さんに乾杯の音頭を取ってもらおうとしたのだが、九子さんはそれを辞退した。


「こんなに若いもんが集まってる中で老いぼれが音頭を取ってもつまらないだろう?せっかくだから、七野に大学生のノリってやつを見せてやっておくれよ」


 なるほどそういうことであれば、僕たちの中にはうってつけのやつがいる。

 僕と北条、東雲の視線を受けて、西園寺が苦笑した。


「こうなるとボクにお鉢が回ってくるわけだ。身内以外がいる場所で口上を述べるのはちょっと恥ずかしいけれど、七野ちゃんのために骨を折ろうかな。それでは皆様、グラスをお持ちください」


 いつもよりかしこまった様子でそう促し、皆がグラスを手にしたことを確認すると西園寺は改めて口を開いた。


「え~、長々と話し始めると待ちきれない人たちが出てくるだろうから、簡単に。皆さん、牛嶋邸大掃除お疲れ様でした。皆さんの頑張りで年末までに何とか片付けることができました。今日は飲んで食べて、気持ちよく新しい年を迎えましょう」


 そして、グラスを掲げると満を持していつもの口上を発した。


「それでは、この物語に登場する大学生は皆成人しているから、酒もたばこもえっちなシーンも問題なし!乾杯!」


 僕たちは西園寺の後に続いて乾杯を唱和し、グラスを打ち付けあう。


「え、えっちな!?……あれ?皆さん大学一年生ならまだみせ──ぷひゃっ!?」


 流れで乾杯した七野ちゃんが何かに気がついたように口を開くが、皆まで言う前に斜向かいに座っていた僕は七野ちゃんの口を手で塞いだ。

 危ない危ない。危うく大学生の魔法が解けるところだった。


「ま、魔法ですか……?」


 突然口を塞がれたせいか顔を赤らめながら、七野ちゃんが問い返してくる。


「大学生ってやつは色々と自由ではあるんだけれど、何かと不自由を感じることも多くてね。世の理ぐらい曲げておかないとやってられないのさ……お、流石A5牛だ。めちゃくちゃ美味いな」


 西園寺が意味深な感じに語るが、要は世間と自分たちを誤魔化すための謳い文句ということである。

 そして肉はマジで美味い。肉が口の中で溶けるとか大袈裟な美辞麗句だと思ってたけれど、あれって本当だったんだな……。


「はあ……。つまり、大学生は大変ってことですか?」


「んぐ……そりゃあもう大変なのよ!高校までと比べていろんなことが自由になったけど、その分自分で決めなきゃいけないこともたくさん増えるし」


 いまいちピンと来ない様子の七野ちゃんに、口の中のものを飲み込んでから北条が力説する。


「高校まではちゃんと授業に出席してテストで赤点だらけにならなかったら進級も卒業もできるけど、大学は単位をちゃんと取らなかったら留年もするし卒業できないんだから!」


「あの……それ、何が違うんですか?大学でもちゃんと休まず講義に出て単位取れば進級も卒業もできるってことじゃ……?」


「全然違うのよ、これが!」


 同じじゃねえかと突っ込みたいところだが、北条の言い分も理解できてしまうのが大学生の悲しさである。


「高校の頃とは環境が違うからね。サボっても怒られないし文句も言われないし、一年中一緒にいるクラスメイトがいないから人目を気にしなくなってくるし。やってることは高校までと同じだけれど、自己管理がすごい大事になってくるんだよ」


 鍋から白滝をごっそり取っていった東雲が北条の説明を分かりやすく補足する。自己管理ができないやつはまずいと分かっていても単位を落として留年するし、逆に要領の良いやつはほとんど講義に参加せずに楽々単位を取っていくのだ。


「自己管理……。皆さんはその辺大丈夫なんですか?」


 僕たちの場合、前期に関しては問題なく単位を取れている。強いて言うなら北条が危うく大変なことになりかけたぐらいなものだ。


「北条さん、何かあったんですか?」


 七野ちゃんの純粋な目で見つめられた北条は、明後日の方向を向きながら言い訳する。


「い、いやあ。ちょっとおサボりが過ぎちゃって、試験とか課題が大変なことに……。ま、まあ友情パワーでなんとか乗り切ったんだけどね!」


「ええ……」


「ナツも出席が不要な講義を選んで休んだり、ボクたちと被ってる講義を狙ってサボってたんだけれどね。今年は何故か楽勝と言われる講義の試験が難化していたり、突然課題の提出を発表されたりで大変だったんだよ」


 真面目に出席してた僕たちも焦ったし大変だったけれど、余裕ぶっこいて遊んでた北条のフォローが一番大変だったんだよな……。


「よくあの流れで全単位取得できたよね」


 はっはっはと笑い声を上げる僕たち。七野ちゃんはそんな僕たちの方を見ながら、ぽつりとつぶやく。


「……わたし、大学って学びたいことがあるからそこに行くんだと思っていたんですけれど、皆がそういうわけじゃないんですね」


「う゛っ」


 胸元をナイフで刺されたようなリアクションをする北条に、七野ちゃんが慌てて言い訳をする。


「す、すみません!北条さんの生活態度を批判したいわけじゃなくて!……その、数ある大学の中からその大学のその学部を選ぶんだから、皆それぞれそこに行く理由があるんだろうなって勝手に思っていたので」


「あ、あははは。あたしは高校の頃はオタ活のためにバイト三昧だったから、深く考えて大学選んでないのよねえ。近場で気になった大学を適当に受験して、受かった大学の中で一番有名な大学選んだだけだし」


「ボクは小説家の講師がやってるゼミ目当てで選んだ口だね。まあ、大林先生のことなんだけれど」


「私は色々あって一年間をふいにしちゃったし、受験へのやる気も無かったから適当に家から近いところを選んだ感じかな」


 流石の東雲も、七野ちゃんに弟ネタをぶちかますことは避けたらしい。

 ちなみに僕は、とにかく関東の大学で英語の試験が無い学科を探したらここに行き着いたのである。

 総じて僕らの大学選びは、西園寺を除けば場当たり的だったり消去法だったりでろくな理由ではないということだ。


「ま、何を学びたいかだけで大学を選ぶことは無いってこった。妹ちゃんだって、勉学的な理由だけだったら秀泉以外の選択肢がいくらでもあるだろう?家から近いとかこいつらの後輩になれるなんてのは、こいつらと同じ学びたい以外の理由なんだから」


「そうだけど……」


「そういえば八重さんも大卒なんですよね?やっぱり秀泉にいたんですか?」


「うんにゃ」


 肉をパクつきながら訳知り顔で語る八重さんに北条が問うた。八重さんは首を横に振ってから肉を飲み込むと、なんでもない風で答える。


「私は早慶の法学部卒だよ」


「早慶!?」


 うっそだろ!?

 酒の席の冗談かと思って咄嗟に七野ちゃんや九子さんの表情を伺うが、ふたりが表情を変える様子はない。


「……失礼ですが、早慶卒なのに引きこもりやってるんですか?」


「別に早慶出たからって良い会社入ってバリバリ働かなくちゃいけない理由はねえだろ。ばばあが大学ぐらい卒業しとけって言うから受かるとこ受けて入っただけだし。そもそも私は引きこもりじゃ無くて個人事業主だっての」


「あんたは今の事務所に入る前はニートだっただろうが」


 九子さんの指摘を八重さんは酒を飲んで誤魔化した。


「……さっき八重さんは、七野ちゃんは勉学的な理由なら秀泉以外の選択肢があるって言ってましたけれど、もしかして」


「ああ、七野の偏差値ならその気があれば早慶も狙えるだろうさ」


「はえ~……。それを聞くと秀泉なんかに入るのは勿体ないって思っちゃうわねえ」


「今のご時世、良い学歴であるにこしたことはないからね。この後何十年も続く社会人生活のことを考えたら秀泉である必要は無いんじゃないかい?」


 西園寺の言葉に、七野ちゃんは曖昧な笑みを浮かべる。


「そうだとは思うんですが……。できるだけお婆ちゃんの近くにいられるようにしたくて」


「あたしのことは気にしないでいいんだよ。自分のことは自分でやるから、あんたは気にせず自分の好きなことをすればいいんだ」


「けど……」


 まあ、真っ当な理由で大学を選んでない僕たちが七野ちゃんにとやかく言う謂れは無いし、まだ受験まで一年以上あるのだからその間にゆっくり考えれば良いだろう。この場で先の人生を決める必要はないのだから。

 それよりも肉だ肉。せっかく高い肉をいただいているのだから、今は難しいことばかり考えてないで肉を味わうことだけに集中しなければならない。

 とりあえずこの包みに入った肉は全部鍋にぶち込んでしまおう。


「一度に入れすぎだよ馬鹿もん。仕方がないね、新しい肉を持ってくるとしようか」


 僕のことを咎めつつも苦笑を浮かべて席を立つ九子さんに、北条が驚きの表情を見せる。


「え、まだあるんですか!?」


「今回は奮発したからねえ。お腹がはち切れるぐらい食べられるとも」


「ヒャッホォォォウ!最高だぜぇぇぇぇ!!」


 テンション爆上げな北条によって、真面目な雰囲気は吹き飛んで和やかな空気が戻ってくる。

 まったく、今日は何でか油断するとすぐにこうだ。年末ぐらい落ち着いて過ごさせてほしいものである。


    *


「──五、四、三、二、一、明けましておめでと~!」


 誰よりも肉を摂取した上に年越しそばもしっかりいただいたはずなのに元気いっぱいな北条のカウントダウンと共に、僕たちは新年を迎えた。


「それじゃあ新年の姫始めということで乾杯といこうか!乾杯!」


 こちらも多量の酒を摂取していながら素面のときと態度が変わらない西園寺の号令で乾杯する。姫始めは意味が違うだろうとは誰も突っ込まなかった。


「さあて、それじゃああたしから皆にお年玉バイト代を配ろうかね」


「よっ、待ってました!」


 先日……もう昨年か。昨年の打ち納めで大敗して素寒貧になっていた北条が歓声を上げる。

 そしてそれぞれに配られたバイト代をその場で開けるような者はいなかったが、封筒の厚みからして相当な額であることがわかる。一週間働いたにしても、色を付けすぎな気もするのだが……。


「言っただろう?これはお年玉でもあるんだ。バイト代にあたしの気持ちが乗っかっても問題ないさ」


「ですが、身内でもない私たちにこれだけ配ってしまうと、色々とまずいんじゃないですか?税金とか」


 東雲が現実的な指摘をするが、確かにその辺どうなのだろう。贈与とかそういうのに当たるのだろうか。


「なあに、その辺はちゃんと分かった上で渡してるよ。……法律ってのは抜け穴がけっこう多いものだしねえ」


 ひぇっひぇっひぇと不穏に笑う九子さんに、東雲は曖昧な笑みを浮かべて引き下がった。正しい選択である。


「ねっ、ねっ!せっかくだから初詣行こうよ!」


「いいねえ」


 北条の提案に西園寺が賛同する。


「それなら隣の駅の近くにお稲荷さんがあるよ。あたしゃ片付けがあるから遠慮するけど、皆で行ってきたらどうだい」


「それならわたしも片付けを手伝うよ」


「良いんだよ。こういうときぐらい子供らしく楽しんできな」


 僕としてはできるならこのまま部屋に帰って寝たいところである。ただでさえ寒い季節の真夜中に遠出するなんて正気の沙汰ではない。


「私もパスだな。とにかく外には出たくない」


 僕の意見に八重さんが賛同する。流石引きこもり。理由が雑だがちょっとの外出も断るという鉄の意志を感じる。

 しかし。


「まあまあ、せっかくなんだから一緒に行こうよ」


「お姉ちゃんも、ほら!たまには外に出て運動しないと!」


 僕は東雲に、八重さんは七野ちゃんにこたつから引き抜かれてしまう。もやしっ子な僕と八重さんでは体育会系なふたりの力に抗うことはできなかった。

 西園寺と北条も加わり無理矢理立たされた僕たちは、渋々出かける準備を済ませる。

 押されるようにして牛嶋邸の外に出ると、冷たく乾いた風にうなじを撫でられて僕は身震いした。


「さむっ!」


 ダウンジャケットやらヒートテックやらで完全武装したはずの八重さんも思わず叫んで家に逆戻りしようとしたが、七野ちゃんと北条に左右から拘束されてそれは叶わなかった。

 西園寺と東雲も僕の両隣にスタンバイしていて逃走を防ぐ態勢だ。僕は逃げないからもうちょっと自由に歩かせてほしい。


「さあて、神社に着いたら何お願いしようかなあ。やっぱりパチンコの大勝かな!」


 まだ歩き始めたばかりなのに、北条がやたら気が早いことを言い始める。願いが俗物的過ぎるし、そもそもそういうのって人に話すと不味いんじゃなかっただろうか。


「それならボクは、プレミア価格が付いてしまって手が出ない酒を飲みたいな。タダとは言わず定価で買うから」


「私は何か奇跡が起こってたばこ税が減税してほしいな。毎月のたばこ代が中々つらいから」


 北条の言葉に悪ノリして、西園寺と東雲もそんなことを言い始める。酒はともかく、たばこ税は願っても無理じゃないかな……。


「そしたら私の願いはチャンネル登録者百万人だな。登録者が増えればその分給料も増えてうはうはってもんよ。妹ちゃんはどうよ?」


 与太郎視聴者にはとても聞かせられないようなことをのたまった八重さんが七野ちゃんに話を振る。


「わ、わたし?そうだなあ……」


 七野ちゃんは困ったような表情をしながらも少し考え、そして控えめに口を開いた。


「今年もこうやってお姉ちゃんや皆さんと楽しく過ごせたらいいなあって。受験が始まっちゃうとそうも言ってられないかもしれないですけれど……」


 他のやつらに比べて、なんてささやかでいじらしい願いだろうか。人間、我欲ばかり求めるのではなくてこういう姿勢を見せないといけない。

 もっとも、七野ちゃんの学力なら秀泉ぐらいならそんなに勉強しなくても受かってしまうだろうけれども。


「そういう君はどうなんだよ。人の願いにケチを付けるぐらいなんだから、さぞかし利他的な願いなんだろうね」


 僕に願いを貶された西園寺が難癖を付けてくるが、だれも他人のためを想えとまでは言っていない。

 しかし願い、願いね……。

 あいにくと僕にはこれといった願望も無いし、こいつらみたいな欲望も思いつかない。五千兆円欲しいなんてのは、僕じゃなくても誰もが考えているようなことだろうし。

 ……強いて言えば、今年はもうちょっと平穏で静かに暮らしたいなあ。


「何よ、あんたって手に欲情できる異常性癖だっけ?」


 なんでもマンガやらアニメやらに繋げるんじゃないよ、お前は。

 今年は、というかこの半年ぐらいはとにかく色々なことがあって大変だった。

 あの時、新垣先輩に誘われて飲み会に参加した時には無味乾燥的な生活にももうちょっと彩りがほしいなんて考えていたものだけれど、だれもここまで彩れとは言っていないと神様に抗議したいぐらいには色々とあった。

 大学の中でも外でもたくさんの人に出会ったし、周りに影響されて酒やらたばこやらパチンコやらの悪い遊びをたくさん覚えた。

 他人との距離感も面倒がない程度に保ってきたつもりだったが、距離感のバグったやつらのせいでめちゃくちゃだ。お陰で何度も余計なトラブルに首を突っ込むハメにもなったし、流石にちょっと疲れた。

 だから、今年こそはもうちょっと真っ当に生活したい。


「強いて言えば、なんて控えめな表現を使った割には切実な気持ちがこもっているね」


 半分以上はお前等のせいなんだけどな。

 隣の東雲をじろりと睨むが、こいつはちっとも堪えた様子がない。


「なあに、安心したまえよ。ボクたちがいるからには平穏だとか静かにだとか、そんなつまらなさそうな言葉とは無縁の生活にしてあげるから」


 反対側の西園寺が僕の肩に手を置いていやらしい笑みと共にそう請け負うが、ただの嫌がらせとしか思えなかった。


「まあまあ、願うだけならタダだから。とりあえず神様に拝んでみればいいんじゃない?」


「お稲荷様は家内安全にも御利益があるからな。独り身も適用範囲に入るのかは知らねえが」


「ええっと……。バ、バイトさん!とにかく気をしっかり持って、頑張ってください!」


 後ろからも応援なのか野次なのか分からない声が聞こえてくる。

 もしかして、今の環境に身を置くうちは平穏無事に過ごすのは難しいだろうか……?

 思わずため息を吐いてしまうが、幸せが逃げてしまいそうなので無理矢理に気持ちを切り替える。

 こうなったらもう、とにかく無心に願うしかない。

 せめて今年が、何年か後になっても良い思い出として振り返ることができますように、と。

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