好きと苦手の二律背反


 衣装ケースを棚に詰め込んだ僕は、痛む腰を労るように手をあてて軽く伸びをした。


「それじゃあ、今度は取り出したケースをそっちの棚に入れてちょうだいな」


 そんな僕の様子など見えていないかのように飛んでくる間延びした声に、思わずそちらの方を見る。

 声の主──卯月社長は手元のバインダーに視線を落としていたが、僕の視線に気がつくと不思議そうな表情でこてん、と首を傾けた。二十代も半ばのびしっとした見た目の女性がする仕草ではないと思うが、何となく似合うと思ってしまうのは東雲との血縁を感じさせる顔の良さ故だろうか。美人というのはおおよそにしてお得である。


「どうしたの?」


 僕はなんでもないですと首を振ってから足下に積み上がった、先ほど棚から降ろしたばかりの衣装ケースを指示された棚まで押していき、一番上のケースから順々に棚の奥に押し込んでいく。


「やっぱり男の子がいると力仕事が捗るわねえ。君を雇っておいて正解だったわあ」


 最後のケースを棚に詰めたところで、卯月社長が機嫌良く頷いた。

 今までからして雑務と力仕事メインで使われてきたので今さらな話ではあるが、何となく理不尽を感じてしまう。

 しかしそうは言ってもスタジオ・コスパーティーには男手はバイトである僕しか在籍していない。

 これは元々は趣味でコスプレをやっていた仲良しグループが中心となって発足した会社であるためだとかで卯月社長曰く、今さら女所帯に男を入れづらいからとのことらしい。

 そんな女の園に僕のような男がいるのは所謂コネでしかなく、立場が非常に薄弱なのでこの扱いにも納得せざるを得ないのが現状だ。

 だが、男女の体格差というものがあるから男の方が力仕事に向いているというのは概ね同意できるが、それは僕が他の女性よりも力仕事に向いているということではないのだと主張したい。事実、九子さん家の大掃除のときは僕なんかよりも東雲の方が間違いなく活躍しているのだから。

 つまりこういう単純労働は東雲の方が向いているので、なんとかそっちに仕事を振ってもらえないかと交渉してみる。


「あら、そお?それなら冬実ちゃんがやってる片付けと担当交代する?今は大道具の整理をやってもらっているんだけど……」


 いえ、なんだかこの仕事が向いているような気がしてきたのでこっちで頑張らせていただきたいと思います。


「やる気を出してくれて嬉しいわあ。じゃあ次はこっちの棚を……」


 僕の力強い言葉に卯月社長はにこりと笑うと作業を再開する。

 力仕事担当である東雲の姿が見えないと思ったらそっちに行っていたのか……。

 レフ板ぐらいならともかく、デカい剣だとか盾だとか玉座みたいなゴツい椅子だとか、取り回しの悪い大荷物を運ぶぐらいなら衣装ケースの方がまだマシというものである。

 しっかし、これだけの衣装があるのに力仕事の主力が学生バイトである僕や東雲であるのは問題ではなかろうか。

 今からでも男性社員をひとりふたり雇っておいて損は無いと思うのだが……。

 僕の提言に、しかし卯月社長は苦笑しつつも首を振った。


「ホントはそうした方が勝手がいいとは思うんだけれどねえ。うちは男の人が苦手な子とかいるから」


 えっ、何それ知らない。

 僕がこのスタジオでバイトを始めて数ヶ月程度ではあるが、そういう人がいるということはまったくの初耳であった。


「ほら、オフィスで私の隣に座ってる経理の子」


 ああ、奥から滅多に出てこないあの……。

 僕はすぐに該当する人物に思い当たった。

 あまり顔を合わせる機会がない人なので髪は短くしていたなとか、他の人に比べて服装がなんとなく地味……もとい素っ気ないなとかそれぐらいのイメージしかない人なのだけれども。


「その子──弥生ちゃんって言うんだけど元々レイヤーだったの。本当だったらモデルとして働いてほしいぐらいの子なんだけど、レイヤー時代にいろいろとあってねえ。けど、普通に働こうと思うと普通は男の人との接触は避けられないでしょ?それで弥生ちゃんが悩んでるのを見て、それじゃあ女だけで働ける職場を作っちゃおうかなあってことでこの会社ができた訳なんだけど」


 さらりと語られる驚愕のスタジオ・コスパーティー誕生秘話であるが、卯月社長は夕食の献立を決めるぐらいの軽さでのたまった。とても軽く扱っていい話には思えないのだが……。

 というか、そんな人がいるのであれば事前にちゃんと教えておいてほしい。僕が無駄に社交性を発揮してその人に話しかけていたら大変なことになっていた。主に僕が。


「大丈夫よお。その辺の事情を知ってる冬実ちゃんが変な人を連れてくるわけないもの。私も初回で君のことはちゃんと見極めたつもりだし」


 つまり、あの時はまだ試用期間だったということらしい。お眼鏡に適ったということであればなによりだが、そんな事情がありながらいささか軽率な気がしなくもない。


「スタジオの子たちも皆言ってたわよお。可愛い女の子たちが際どい衣装とか下着で撮影するような現場であんなに嫌そうな顔して働けるなら、きっと女の子には興味ないに違いないって!」


 ちょっと待ってほしい。

 嬉しそうな顔でそんなことをのたまう卯月社長を手で制すと、僕は彼女の勘違いを正すべく口を開く。

 僕はあの撮影のときに嫌がりながら仕事をしていたわけではないし、ちゃんと女の子に興味のある極々一般的な男の子である。

 嫌そうな顔に見えたのはバイト的には申し訳ないが、それはあんな現場でただひとりの男がにやけ面で仕事をしていたらドン引きされるだろうと思って頑張って真面目な顔を作ろうとしていた結果であって決して卯月社長たちが思っているような事情ではないのである。

 自分でも弁明なのか恥をさらしているのかわからないような僕の言い分に、卯月社長は首を傾げてみせた。


「あら、そうなの?それは残念ねえ」


 何が残念なんだ何が。


「うふふ、冗談よぉ冗談!君がそっちだとは思ってないわ。夏希ちゃんが着る予定の下着をがっつりと凝視してたものね」


 凝視はしてない。

 ……いや、確かにちょっと観察していたことは認めるけれども、あんなサイズの下着ポンと渡されたらつい見てしまうのは仕方がないだろう。というかなんであの時僕が下着を準備する役になってしまったのかさっぱりわからないのだが……。


「大丈夫よ。弥生ちゃんが嫌がるならあなたを出入りなんてさせてないわ」


 理不尽というか無茶苦茶な言い分に僕が反論をする前に、卯月社長は穏やかな顔で話を引き戻す。


「北条さんや西園寺さん、それにあの冬実だって君には心を許してる。そうさせるだけの何かが、きっと君にはあるのね」


 卯月社長は意味深なことを言ってくれるが、僕自身にそんなたいそうな何かが備わっているとは思えない。西園寺たちと連み始めたのだって別にこちらからアプローチするようなことは一切なかったのだし。

 そもそも、マンガやアニメじゃあるまいし無条件に他人に好かれるなんてことありはしない。そんなチートスキルみたいな能力が備わってたら今までの僕の人生は灰色にはならず、もっとバラ色になっていたはずだ。

 僕の主張に、卯月社長はおとがいに指をあててううん、と首を傾げる。


「……なんというかこう、男らしくないのがいいのかしら。なよっとしているというか、無害そうに見えるというか……」


 ひどい。

 確かに僕自身男らしさと無縁であるとは認識しているが、そこまで言われるほどではない……はず。


「巷でいう草食系だとか陰キャや無キャとは違うのよねえ。いや、性格的にはそっちのタイプではあるのだけど。女の子に混ざってても違和感ない感じ?生理痛のしんどさについて一緒に語り合えそう」


 わからねえよそんなもん。

 そんな会話に混ぜられても僕がいたたまれなくなるだけだし、生物学上絶対に理解できないことを話題なので何も語ることはできない。

 ……いや、性別を変えればあるいは可能かもしれないが、今のところ女の子になる予定もないのである。


「あくまでも例えよお。女からすればそれぐらい気安い相手ってこと!」


 卯月社長は笑いながらそんなことを言うが、僕からすればフォローにもならない。

 ……まあ、悪く思われていないのであれば僕に実害はないであろうし、どうでもいいことではあるか。

 不承不承ながら僕が頷くと、卯月社長は手元のバインダーとボールペンを掲げた。


「さあさあ!口ばかり動かしてないで手も動かしましょう!今日中にこの衣装ケースを整理し直さないといけないんですからね!」


 ちなみに、今の時点で進捗はどれぐらいで?

 僕の問いに卯月社長はにこりと笑みを浮かべる。


「たぶん、聞かない方が精神衛生上良いと思うわ」


 その言葉すら聞きたくなかった……。

 僕は終わりの見えない荷役作業にうんざりしながら卯月社長の指示に従い衣装ケースを棚から引っ張り出し始めた。


    *


「あ、お疲れ~……って、なんかすごい疲れてない?」


 僕と卯月社長が一階の事務所に降りると、既に作業を終えたらしい北条がこちらを振り返ったがよろよろと歩く僕を見て困惑の表情を浮かべた。


「そこまで疲労するような作業はないと思ってまかせたと思うのだけれど……。三代さん、いったい何をやらせたの?」


「別に変なことはしてないわよお。普通に衣装ケースを動かしてもらっただけ!」


「なるほど、彼にとっては衣装ケースでも重量物だったんだな……。やはりボクも補助に付くべきだったか」


 東雲と西園寺の失礼な物言いに、いかに自分が男扱いされていないかを実感する。

 一体何が悪いのか己の行いを省みるべきかとも思うが、頭を働かせるのが億劫だったので止めた。

 代わりに僕は疲れているわけではなくただ腕と腰が痛みを訴えているだけだと主張する。


「変な強がりをするなよ……。そんなザマで部屋まで帰れるのかい?肩貸そうか?」


「腰はしっかりケアしないと後に響くからね。帰ったらマッサージしてあげるよ」


「あ、あたしもマッサージ受けたい!最近肩こりが酷くなってさあ」


「夏希の肩こりは私程度じゃどうにもならないと思うけれど……。まあやらないよりはマシかもね。彼の処置をした後にやってあげるよ」


「わ~い!助かるぅ!」


 僕が何か言う前に話がどんどん進んでいき、マッサージを受けることが決定していた。

 まあそれはありがたいし別にかまわないのだが、別に肩を貸してもらわないと歩けないほどぼろぼろにはなっていないので西園寺は僕の横につかなくていい。


「無理は良くないよ。シノも言ってたけど腰は労わらないと」


 無理はしていない。

 というかここから部屋まで西園寺に支えられながら歩いたら目立つことこの上ない。天下の往来でそんな羞恥プレイをキメるわけにはいかないのである。


「……あの」


 僕が西園寺と押し合いへし合いしていると声をかけられた。

 何の気も無しに返事をして振り向くと、カウンターの奥に立っていたのは経理のお姉さんだったので、僕は表情を変えずにいることに多大な労力を必要とした。

 経理のお姉さん──弥生さんは僕の記憶に引っかかっていた通り素っ気ない感じの服装である。パンツルック姿の人は卯月社長を含めスタジオに複数人在籍しているが、他の人たちとは違って華やかさとは縁遠い印象だ。

 スポーツでもやっているかのように短く刈り込まれた髪と感情に乏しい表情によってうっかり男と勘違いしてしまいそうだった。

 失礼ながらこの人が元コスプレイヤーだとは、わからないものである。

 いや、昔男性関係でいざこざがあったというから、あえてこういう恰好をしているのかもしれない。


「これ、今日のバイト代です。こちらの書類にサインをお願いしますね」


「うっひょ~!ありがとうございますう!」


 僕の考察を他所に、弥生さんは淡々とした様子で封筒と書類らしき紙をカウンターに乗せた。現金な北条が歓声を上げながら封筒を受け取り書類に記入し始める。

 しかし珍しい。

 バイト代の支給が現金手渡しなのはいつも通りであるが、いつもは卯月社長から渡されるので弥生さんが出てくるとは思わなかった。卯月社長からあんな話を聞かされた手前、男である僕がこの人と相対することには気が引けてしまうので間の悪さを感じてしまう。

 僕はうっかり弥生さんに手が触れてしまわないよう気をつけつつもバイト代を受け取り、書類にサインを記入する。

 その間、弥生さんは何故か僕のことをじっと見つめてきていた。記入のために視線を紙に落としていてもわかるぐらいの露骨さである。

 気をつけてはいたのだが、もしかしていろいろと態度に出てしまっていただろうか。


「……あの」


 僕が努めて素知らぬ態度で記入を終えてカウンターを離れようとしたとき、弥生さんが僕に声をかけてきたので僕の心臓は跳ね上がった。

 実は僕以外の人に声をかけているとかじゃないかと願いつつ振り返ったのだが、弥生さんの目は僕に固定されている。


「……」


 声をかけてきた弥生さんが何も言わないので、僕たちは無言で見つめ合うことになった。

 しばらくそうしていたのだが、その沈黙に耐えかねて僕の方から用向きを問うべく口を開こうとしたとき。


「女装に興味はありませんか?」


 おもむろに問われた内容が予想外すぎて、僕はすぐに問いの意味を理解することができなかった。

 そして数瞬かけて意味を理解すると、僕は思わず全力で首を横に振って否定してみせた。


「そうですか。残念です」


 咄嗟のこととはいえ強く否定しすぎてしまったので弥生さんが気分を害してしまうのではないかと様子を伺ったのだが、特にそんなことはなくというか、無表情のままに弥生さんは頷いてみせる。


「あなたは身体の線も細い上、肌の色も白くて化粧のノリも良さそうですのでお似合いだと思ったのですが。……もしその気になったらいつでもお声がけください。私が最高の女の子に仕立てて差し上げますよ」


 弥生さんは淡々とそれだけ言って頭を下げると事務所の奥へ引っ込んでいった。

 そんな弥生さんの後ろ姿を目で追っていると、事務所の中の女性陣の視線が僕に集まっていることに気がついた。一部の人は僕と弥生さん間で何度も視線を行ったり来たりさせている。

 何だかいたたまれなくなった僕は事務所に向かって頭を下げるとスタジオを出るべく背後を向く。振り向いた先では卯月社長と西園寺たちが無言で僕のことを見ていた。

 一瞬視線が交錯するが、僕が黙ったままスタジオの外に歩みを進めると四人とも後についてくる。

 外に出ると、僕は一緒に出てきた卯月社長に視線を向けた。

 そんな僕に卯月社長はにこりと笑みを返してくる。


「……ね?大丈夫だったでしょ?」


 いや、確かに大丈夫だったけれども、むしろ僕が大丈夫じゃなくなったというか……。

 呻くようにして答える僕の横で、北条がなんとも言えない顔をしている。


「傍から見てるとすごい面白かったんだけど、経理のお姉さんがすごい真面目な顔してたから笑って良いのかわからなかったわ……」


「弥生さんはスタジオきってのリアル男の娘推進派だから。男の人が苦手な人だからずっと躊躇してたみたいだったんだけれど、声をかけずにはいられなかったんだろうね」


「なるほど、そうだったのか……。なんというか、こう、猫が好きだけれど猫アレルギー持ちな人と近いものを感じるね」


 しみじみと頷きながらの東雲に、西園寺がわかるようなわからないような例えを持ち出してくる。しかし、やたらと熱い視線を向けてくると思ったらそんな風に見られていたのか……。

 西園寺の例えじゃないが男の子としては愛玩動物と同列に語られてもあまり嬉しくない。

 げんなりしている僕を他所に、卯月社長は力説する。


「そんな顔しないでよお。スタジオとしては君のことを重宝してるんだから。ちょっと頼りないけど力仕事はこなしてくれるし、社員に粉をかけるようなことはしないし、女の中に混じってても違和感ないし。それに弥生ちゃんの男の人への苦手意識を治すきっかけになるかもしれないし。……だからね」


 やっぱりありがたくない長所を並べ立ててくれた卯月社長は僕の両肩に手を置くと、笑みを浮かべたまま続けた。


「だから、一回試しに女の子になってみない?」


 ならない。

 僕は反射的に卯月社長の言葉を拒否して彼女の手を払いのけようとしたが、力強く肩を掴んだ手は簡単には払いのけられなかった。


「大丈夫!ちゃんと綺麗にお化粧してどこに出しても恥ずかしくない姿にしてあげるから!弥生ちゃんが!だから!ね!?一回だけ!一回だけだから!!」


 ちょ……止め……!いい、いいです!


「いいですってことは良いですってことよね!?」


 けっこうですの方だよ!

 僕はやたらと頬を上気させて迫ってくる卯月社長を押しのけながら、合宿のときに西園寺から卯月社長が僕を女装させようとしていると聞いたことを思い出していた。

 そういえばこの人も弥生さんと同じ癖の持ち主じゃねえか!どうなってるんだこのスタジオ!?

 卯月社長が力強いのか圧に負けて僕の腰が引けているからか、まったく引き剥がせる気配がないので僕は西園寺たちに助けを求めた。

 しかし、西園寺たちは顔を見合わせると僕たちを他所に相談をし始める。


「どうする?ボクはどっちにつくべきか決めかねているのだが……」


「あたしはぶっちゃけあいつの女装姿見てみたいかなあ。面白そうだし、何か似合いそうだし」


「問題は彼が本気で女装を嫌がっているかどうかじゃないかな」


「嫌よ嫌よも……という可能性もあるが、無理矢理女装させた結果怒らせて部屋に入れてもらえなくなるかもしれないと思うとね」


「別に女装させる程度じゃ怒らないとは思うけど、あたしたちが見捨てることには不満を言うかもしれないわねえ」


「これは判断が難しいね」


 おい!

 それからしばらく相談という名の放置をされて危うく暴走した卯月社長に絡め取られるところだったが、ぎりぎりのところで三人が僕を助ける判断をしてその場は事なきを得た。

 これ以降、バイトの度に事務所の奥から熱い視線を感じるようになったり何故か理由もなく給料が上がったりしたが女装を強要されることはなかった。悪い職場ではないので、何とか清い身体を維持したまま働き続けたいと思う。

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