外伝 本当にあったかもしれないえっちなお話


 ……なあ。今さらだけど、これって俺がわざわざしゃべる必要あるか?

 だって、説明しなくても申川は大体の流れを把握してるだろ?

 文字に書き起こされるのはまあ、それで昨日のことを部内の人に黙っててくれると思えば諦めがつくけどさ。

 俺がその時何考えてたかとかも含めて説明しろって言われても、内容が内容だしあんなこと一から話すのはやっぱり小っ恥ずかしいっていうか……。その辺は申川の方で上手いこと想像して書いてもらってさ。一人称じゃなくて三人称とかで書けばどうにかってちょっと待って。それどこにかけようとしてる?いやいや副部長は不味いって!あの人絶対猪狩部長のこと好きじゃん!

 わかった、わかったよ。まったく、あの流れからこんな辱めを受ける事になるとは思わなかった……。

 ええと、どこから話すのがいいのかね……。俺が大学に入る経緯ってそれいる?──ああ、いる。別にいいけどさ。

 俺が明正に入ろうと思ったのは、単純に合格した大学で一番良い大学だったからだよ。学科がどうとか講義の内容がどうとかなんて興味ないし、文系の大学なんてどこ選んでもそんなに変わらなくない?申川だってそこまで深く考えて選んでないだろ?

 ──、──、──なんかごめん。人間色々都合ってもんがあるんだなあ。まあ俺も親元から離れたいって気持ちはあったからそこは同感だけど。そりゃあ金出してくれるっていうなら一人暮らし一択でしょそんなん。口うるさい親からは離れられるし、何をするにも自由だし。

 ──いや、女連れ込むことは別に……、まあちょっとぐらいは考えてたけどさ。そんな事よりも大学の講義に慣れておかないととか友達見つけようとかが先だろう?普通は。

 ……今の女の子の部屋に上がり込んでる状況もそれと似たようなもんだと思うけど、とてもそんな雰囲気じゃないしなあ。

 まあとにかく、友達を作るために一番手っ取り早いのはサークルに入ることだろうと思って文芸部に入部したわけ。中には学部のオリエンテーションで友達作れるやつとかいるらしいけど、そんなの無理ゲーでしょ。一年間一緒に過ごさなきゃいけなかった高校までのクラスでだって難しいっつうのに。

 ──ううん、何で文芸部なのかって言われてもなあ。運動部は活動についていけなさそうだし、イベント系は活動自体が面倒くさそうじゃん?集まって騒ぐのが目的のゆるいところもあるんだろうけど、そういう所は陽キャの溜まり場になってそうだし。

 高校までも実質帰宅部で通してきたぐらいにはやりたいこともなかったし、入りたいサークルなんてなかったわけ。

 で、色々サークルのことを調べてたら文芸部のことを知って、別に小説を必ず書かなきゃいけないわけじゃないって事だし、読書も嫌いじゃなかったからまあここでいいかなって。

 ──うるさいよ。いいだろ別に適当だって。俺は今までこんな感じでやってきたんだよ。

 とにかく、いざ文芸部に入ろうと思って部室に出向いたタイミングがちょうど昨日。新歓コンパの日だったんだよな。コンパを逃してたら入りづらくなって入部を諦めてたかもしれない。

 それで早速部室に顔を出したわけだけど、中々に気まずかったよ。その時期に部室にいる新入生なんて、大体最初から文芸部に入るつもりで何日も前から部室にたむろしてたやつらだろ?もうすっかり同学年で交流の輪ができてて、ぽっと出のやつなんておいそれと輪に入っていけないわけ。少なくとも俺には無理だったね。

 そんな俺に声をかけて相手してくれたのが猪狩部長だったんだよ。部長の印象?また言いづらいことを……。分かった言うよ!言うからスマホをチラつかせるんじゃない!

 ……ったく。

 そうだなあ。まあ、美人だなとは思ったよ。おまけにめっちゃフレンドリーだし、ぱっと見でわかる場の中心になるタイプの人って感じ。正直なんで文芸部にいるのか分かんないぐらい陽な感じの人だよな。

 偏見って言われりゃその通りだけど、文芸部なんて日陰のサークルだと思ってたからな。俺だってそういうやつが多いことを見込んで門を叩いたわけだし。

 ──いや確かにスタイルもいいと思うけど、申川に言われるとなあ。──いいって!わざわざ脱いで確かめさせようとしなくても!……よし。はあ、お前はもうちょっと慎みというものを持てよな……。

 ……しかし、今のはもったいないことしたかね。

 ──なんでもない、独り言だよ。

 とにかく、猪狩部長が俺に付いておしゃべりしてくれたから部室でも飲み屋に行くまでもぼっちっぽい雰囲気になることは回避できたわけ。

しゃべった内容はまあ、好きな本とか出身地とか当たり障りのない話が主だったな。そんな話しでも猪狩部長はちゃんと上手に盛り上げるんだよなあ。おまけに俺としゃべりながら周りにも気を配って部員に指示したりして、大した人だよあの人は。

 それと、あの人金沢出身らしくてな。俺が富山だって伝えたら、「里帰りの時は途中まで一緒に帰れるね」って。その場の雰囲気で言っただけだとしてもちょっとときめいちゃったよ。

 ……ちなみに、申川はどこ出身なんだ?──ああ、秋田。そりゃあ納得だ。

 ──り、理由なんてどうでもいいだろ。なんとなくだよ、なんとなく。

 ただ、副部長の鹿島先輩が他の一年生を相手にしつつもめっちゃこっち見てきてたからそれはそれで気まずかったんだけど。猪狩部長の彼氏ってわけでもないんだからただ入部希望者が接待されてるだけのことにヤキモチ焼かないで欲しいね。

 ──うん?そんなん見りゃあわかるだろ。部室で俺と猪狩部長が同じスマホ見てて身体が近い時とかなんて相手してる一年そっちのけでガン見してきてたし、その時の顔が尋常じゃなかったし。

 申川はどちらかというとそういう事に鈍感そうだよな。

 ──ああ、やっぱり?

 まあそれは置いといて、そんなこんなはありつつも新歓コンパでの交流は半ば諦めてたな。なにせ部室を訪問してから居酒屋に着くまでほとんど猪狩部長としかしゃべってなかったから実質他の人は初対面だってのに、頼みの綱の猪狩部長はコンパの仕切りで俺なんかに構ってる暇はないんだから。

 だから、部室に通って交流すればそのうち仲良くなっていくだろうって開き直って店に入ったら真っ先に端っこの席を確保したわけ。

 一緒に部室から移動してた一年はみんな別のテーブルに行っちゃってて、最初は俺の方にはほとんど誰もいなかったな。それはそれでこれから来る初見の一年とかちやほやしてくれるはずの先輩達と一緒になれる可能性が高いんだから全然気にしなかったけどさ。

 で、目論見通り先輩達が何人か同じテーブルに座ってくれて、時間ぎりぎりになってやってきた一年生も正面に座ってくれたわけだ。その一年の印象って……、本人の前でそれを言わせるのかよ!?いやいやいや、流石にハズいって!

 ──ああもう!お前はホントにさあ!

 これまたすごい美少女が来たと思ったよ!やぼったい眼鏡してるし化粧っ気ないし服装も素っ気ないし髪型にも気をつかってない感じで全体的になんか野暮ったい感じなんだけど、肌の色は白くて目もぱっちりしててぱっと見胸も大きいしで!

 猪狩部長は大人な感じだけど、それとは違った美人だなって思ったさ!これで満足か!

 ……メモばっかり取ってないでせめて何かリアクションしろや!不思議そうな顔すんな!

 ええい、もういいよ!くそっ!

 ……ふう。何かもう面倒くさくなってきたんだけどまだ続けなきゃ駄目か?──駄目?……はあ、しゃあないな。

 とりあえずそんな感じで無事テーブルも埋まって、猪狩部長の音頭で飲み会が始まったんだ。この辺からは申川も一緒だったんだから詳細は省くぞ?途中から酒が入って会話の内容もちょっと怪しいし、それぐらいはそっちで書き起こしてくれ。話の本筋でもないし、適当に脚色してくれていいから。

 ──飲み会の感想かあ。うん、まあ楽しかったかな。先輩達の小説談義はマニアック過ぎてついていけないところもあったし初めて飲んだ酒は苦くて頭が重くなるしだったけど、先輩達は悪い人たちじゃないのはよく理解できたし酒も飲んでるとテンション上がってくるし。

 申川だってそんな感じだったろ?まあ、それも途中までの話しだったろうけど。──そうそう、場があたたまってきて人がテーブルを行ったり来たりするまでな。俺もその辺から酒が回り始めて記憶が怪しいから流れの確認がてらその辺から詳しく話そうか。

 テーブルで一緒におしゃべりしてた先輩が何人か抜けて他のテーブルに行った時、俺も申川も移動しようとはしてなかったな。俺は元々会場の隅っこから動かないつもりだったし、酒で動くのも億劫だったしな。

 ……ちなみに申川はなんで動かなかったんだ?──ふ、ふうん。まあ確かに、先輩達に話しかけられてばかりで俺と申川は直接話せてたわけじゃなかったしな!同じ一年同士で仲を深めるのはいいことだよな!

 ……まあ結局、それも蝶野先輩がテーブルに来たせいで台無しになるんだけどさ。

 あの人、最初から申川に馴れ馴れしかったよな!席なんてたくさん空いてるのにわざわざ申川の隣に座ってさ!無駄にボディタッチも多かったし!

 申川もいい気持ちはしなかっただろ?……あんまり嫌そうじゃないな。──いや変な人ってお前、明らかに申川のこと狙ってる目してただろうが!あの人目線とかめっちゃ胸元にいってたし!

 ──え?それは分かってた?──お、俺も?いや、た、確かに俺もちょっとは目がいってたかもしれないけどさ、蝶野先輩ほどでは……。──いやホントすんませんです、はい……。

 ま、まあ俺から見たら、蝶野先輩が申川が拒否らないのを良い事にあまりよろしくない絡み方してるのをイライラしながら見てたわけだ。──何でって、そ、そりゃあ目の前でそんなことされたらイラッとするだろ……。セクハラ染みてるっていうかさ……。

 で、そんな様子だけでも駄目だったのにあの人やたらと申川に酒を飲ませようとしてただろ?あれって完全にアルハラだよな。周りの先輩も申川が断り切れずに飲まされてるのに蝶野先輩を止めないし。

 ──いや、なんでそこだけ妙に体育会系な発想なんだよ……。先輩の命令は絶対なんて今時野球部でもそうそう無いっての。……いや、実際はあるのかもしれないけどさ。

 次第に申川が酔ってぐでぐでになっていってるのがわかったから、そのままお持ち帰りされる心配よりも申川がアルコール中毒でぶっ倒れる方が心配になってくるぐらいだったのに、あの先輩容赦なく申川のグラスに酒を注いで「先輩命令ね」なんて抜かしやがる。

 それでまあ、カチンときてな。それで、その……。マジで恥ずかしくなってきたからここだけ端折っていいか?この後のことはちゃんと話すから──、あ、駄目ですか。

 ええと……。カチンときてつい、申川が飲もうとしてたグラスを奪い取って中身を全部飲んだ後、蝶野先輩に「ちょっと無理矢理飲ませすぎじゃないですか」って意見をな……。──いやいやいや、そんな強い言葉は使ってなかったって!もうちょっとこう、穏便な感じだった、はず……。

 確かに?酒の勢いもあって気が大きくなってたのは間違いないし、蝶野先輩に喧嘩売るような感じの言葉遣いに聞こえなくもなかったかもしれないけどさ。あの人だって逆ギレすることないじゃん?まあそれも酒のせいだったのかもしれないけど、ホント酒っていうのは恐いものだって身に染みたよ。

 そんなこんなで危うく酔っぱらい同士の喧嘩がおっ始まろうって時に、猪狩部長が颯爽と割って入ってきて場を収めてくれたんだよな。

 いやあ、まさか蝶野先輩を問答無用でぶん殴って黙らせるとは思わなかった。──ん?グーじゃなくてパーだっけ?まあどっちでもいいよ。蝶野先輩が一発でKOされたことには変わりないんだから。あれは腰の入った良い一撃だったなあ。あの後のこととか聞いてないけど、蝶野先輩生きてるのかね。どうでもいいけど。

 で、猪狩部長に華麗に救出された俺としては先輩にお礼のひとつも言いたかったんだけど、直前の一気飲みが余計だったんだろうなあ。急に酔いが回ってきてそれどころじゃ無かったわけ。

 申川も確かその時にはもうグロッキーだったよな?新入生ふたりがアルコール中毒で仲良く病院送りになってたら洒落にならなかっただろうなあ。今朝猪狩部長に聞いた感じだと流石に二次会って雰囲気じゃなくて解散したって事だし、その時点で死ぬほど気まずくはあるんだけれども。

 申川はそっからの記憶あるか?──ああ、半分ぐらい寝てるなとは思ってたけどやっぱり駄目だったか。俺も正直断片的だよ。気がついたら猪狩部長の部屋にいて、先輩に介抱されてた感じだ。

 半分推測だけど、タクシー使ったか他の先輩達に手伝ってもらっただかして部屋に担ぎ込んだんだろうな。

 その辺の経緯を聞いた俺は、休憩場所に猪狩部長の部屋を選んだのは最悪俺たちに何かあった時に自分が部屋で飲ませたって言って部を守ろうとしたんだろうと思ったね。

 だってそうだろう?部員の不始末とはいえ、わざわざ女の一人暮らしの部屋に酔った男を連れ込む必要なんてないんだから。同性の申川の事は引き取ったとしても、俺のことなんて誰か男の部員の部屋に押しつければよかっただろうし。

 まあ、実際はそんな愛部精神に溢れた理由じゃ無かったわけなんだが。

 まさか俺が平気そうなのが分かったら即押し倒してくるとは思わなかったよ。しかも理由が女の子のために先輩に啖呵切るのが格好良かったからって、組み伏せられながらも大学生は発想が違うなって感心したね、俺は。高校で同じような事があったとしても好きになるがせいぜいで押し倒すなんて考えられないわ。

 そうやって熱烈にを受けたわけだけど、その時の俺は酔っ払って身体は動かないわ頭はパーになって正常な判断はできないわで抵抗する間もなく……な。

 ……なんだよその分かってますよみたいな目は。いや本当だって!た、確かにごく普通の青少年としてはそういうことに興味があったのは否定しないけどさ!あの流れで強情に拒否するのはちょっと無理だって!

 それに、酔ってベットで爆睡しているとはいえお前が同じ部屋にいたんだぞ?そっちが気になって集中できなかったわ!酒も入ってたせいか感覚も鈍かったし!……お陰で三擦り半なんて無様を晒さずに済んだって説もあるかもしれないけど。

 ……ごほん。で、猪狩部長が俺の上にまたがって腰振ってる時に、何の気も無しにベッドの方を見たら申川とばっちり目が合ったと。寝るのに邪魔だろうからって眼鏡も外してやってたのに、わざわざかけ直してまで観察しやがって……。猪狩部長がいつ気がつくかと思って気が気じゃ無かったわ。

 ──いや確かに部屋の電気は消えてたし、プレイに集中してた猪狩部長が気がつく可能性は低かったかもしれないけどさ。──プレイ内容?いやお前その辺は自分の目でばっちり……ああ、申川の方も暗くてよく見えてなかったのか。そりゃあ良かったよ。

 行為自体を見られてただけでも死にたくなるのに、内容がどうとかサイズがどうとか言及されてたら死にたくなるところだ。──それぐらいは申川が上手いこと想像して書いてくれ。官能小説で食ってくつもりなら、そういうことを自分の想像力で書けるようになっておかないと駄目だろ。

 んで、やる事やったら後はふたりでシャワー浴びて俺は床の布団、猪狩部長は狸寝入りの申川の横に潜り込んで寝て、朝起きたら朝食をご馳走になってふたりで部屋を出て。

 ……こうして申川の取引に乗ってクソ恥ずかしい事をさせられているわけだ。

 もうこれで大体の事はしゃべっただろ?──OKね。はいはい。

 やれやれまったく酷い目にあった……。──確かに脱童貞は男の子としては喜ばしいけどな。せめてもっと普通な感じで済ませたかったよ……。

 次?……有るわけ無いだろそんなん。猪狩部長だって今回は特別みたいな口ぶりだったし、こんなおいしい展開そうそう転がってないっての。

 ……けど、そうか。次があればまたこうして……。

 いやなんでもない。まあ、何かあったら教えてやるから部活の人たちには黙っててくれよ?ホント頼むぞ?絶対だからな?



      *



「本当にふたりとも大丈夫?二日酔いがきつかったらもうちょっと部屋でゆっくりしててもいいんだよ?」


 玄関を開けて部屋を出ようとした俺たちに対して、猪狩部長は心配そうな表情でそんなことを言う。俺ひとりだったらお言葉に甘えたかもしれないが、今は一刻も早くこの場を離れたい気持ちでいっぱいだった。


「いえ、朝食までいただいた上にこれ以上先輩にご迷惑をおかけするわけにはいかないですから。……申川もそれで大丈夫だよな?」


 願望込みで申川に水を向けると、申川は愛想良く応える。


「ええ、私も一晩ぐっすり寝てお酒も抜けたみたいですので。ありがとうございました、猪狩部長」


「良いのよ。元はと言えば蝶野のやつが悪いんだから。まったく、次あったらしっかりと締めとかなきゃ……」


 拳を握りしめながら呟く猪狩部長の仕草は、昨日の惚れ惚れするような張り手を目撃していなかったら可愛らしいものに見えなくもなかった。……いや、その後の痴態を込みで差し引きゼロと考えても良いだろうか?


「それでは失礼します。また大学で」


 俺が昨日の事を思い出している間に、申川は猪狩部長に頭を下げて玄関から出て行ってしまった。この後申川としないといけない俺は慌てて後に続こうとする。

 ……が、その動きは背後から猪狩部長に拘束されたことで阻まれる。いや、拘束というのは猪狩部長に失礼か。先輩の動きを正確に表すなら、俺を背後から抱きしめる、だ。

 背中に感じる女性らしい柔らかさに硬直する俺に対して、猪狩部長はささやいた。


「……今度は他に人のいないところでゆっくり、ね?」


 そしてするりと身体を離した猪狩部長の方を振り返ると、そこにいるのは艶っぽい雰囲気など一切見せず先ほどと変わらない笑みを浮かべる部長の姿。

 色々な手順が前後していたら俺はこの人に惚れ込んでいたかもしれないが、今はその言葉が申川の出歯亀を承知しての言葉なのかとかこの一瞬の時間を外にいる申川はどう考えるかとかそういう事しか頭に浮かばない。

 とりあえず俺は曖昧に笑みを浮かべると、猪狩部長に頭を下げて部屋を退出した。

 部屋を出て外に出るとエレベーターの前に申川が立っていて、満面の笑みでこちらを見ていた。俺は逆にそれを見て気を重くしながら合流する。


「猪狩部長と何話してたんですか?」


「……別に。体調の事を念押しされてただけだよ」


「そうなんですか?昨日あんな事があったのですから、てっきり艶っぽいあれこれをしているのだと思って期待して待っていたのですが……」


 昨日の事は全部忘れていて欲しいと願っていたが、しっかりと覚えられている上に今の先輩とのやり取りもお見通しであるらしい。最後の猪狩部長とのやり取りはとぼけてしまって絶対に教えないようにしようと心に誓いつつ、到着したエレベーターに乗り込む。


「ああ、申川。昨日の事についてなんだが……。ど、どこから見てたんだ?」


 エレベーターの中で、俺は思いきって申川に問うた。一部だろうが全部だろうが行為を見られたことに変わりはないが、こういうのは気持ちの問題である。


「そうですねえ……。猪狩部長にお布団の上に組み伏せられた所ぐらいからでしょうか」


「そうかあ……」


 つまり一から十までという事だ。


「それで、その……。部活の人たちには黙っててもらえると助かるんだが……」


「ええ、構いませんよ。わざわざ吹聴して回ることでもないでしょうし、猪狩部長と気まずくなるのも嫌ですしね」


「そうか……」


 とりあえず猪狩部長に惚れてそうな鹿島先輩やその他部員に袋だたきにされる未来は回避できて安堵する。俺とは気まずくなっても良いのかという問いは、返答が恐かったのであえてしない。

 乗った時よりも軽い気持ちでエレベーターを降りるが、そこで申川が口を開く。


「ところで、実は少々お願いがあるのですが」


「……なんだ?」


 申川の言葉に、内心で身構えつつも問い返す。

 今から出てくるお願いは、黙っていて欲しかったら……というニュアンスを含んだ実質強制みたいなものだ。食事を奢れだとか買い物に付き合えみたいな話しだったら大喜びで首を縦に振るのだが……。

 はたして申川のお願いは、俺の予想の範疇におさまらなかった。


「今日の事を題材にして官能小説を書きたいのですが、当事者としてご協力いただけませんか?」


「はあ?」


 申川のとんでも発言に思わず怪訝な声を上げた俺は別に悪くないはずだ。


「……なんだって?」


「だから、官能小説ですよ。エッチなことを題材にした小説の事です」


 申川みたいな清純そうな美少女からそんな単語が出た事を信じたくなくて聞き返したのだが、無駄に丁寧な説明までされて現実を突きつけられてしまった。


「いや、そりゃあわかるけどさ。なんでそんな話になる?」


 俺の問いに申川はなんでもないような態度で答える。


「実は私、性産業で身を立てる事を志しておりまして。どうせなら自分の趣味に関係する形でできたらなと」


 その趣味というのが読書全般の事を言うのか、官能小説のみを指すのか聞いてみたい気もするが俺にはその勇気がなかった。

 というか、性産業で身を立てるっていったいどんな学生生活を送っていればそんな発想に行き着くのだろうか。猿みたいにエロい事に没頭してきた思春期男子じゃあるまいし。


「つうとあれか?俺と猪狩部長の情事を元にして官能小説を書きたいって事か?」


「はい!お恥ずかしながら私は今まで読むばかりで書く方は未経験ですので、一からお話を作るとなるといささか自信が……。ですので元ネタがある方が書きやすいかなと思いまして」


「ううん。そうは言ってもなあ……」


 弱みを握られている以上ある程度のことは許容するつもりだったのだが、自分の事を、しかもシモの話しをネタにされるとなると流石にうんとは言いづらい。


「身バレに関しては可能な限り配慮しますし、知人友人には見せずにネットの投稿サイトに投稿するだけにします。それに、大学に入学して初めてのコンパで先輩と一夜を過ごすなんて実に物語的じゃないですか!私も直接現場を見ていなければ信じられないぐらいです!」


 躊躇する俺に申川は力説する。

 確かにちょっと出来過ぎというか、男としては実に都合の良い展開であったことは否定できない。しかし、それが俺自身にとって必ずしも都合の良い展開であったかどうかというのは別であるからして……。

 俺が躊躇している間に申川は更に続ける。


「官能小説ってやっぱり男性の視点が主体になりますからね。せっかくですから今日の事をあなたの視点から詳細に語っていただきたいのですが」


「それは断る」


「ええ!?」


 即答した俺に申川は信じられないというようなリアクションをするが当然だ。誰がそんなネットの落書きみたいな体験談を語りたいというのか。色々見られすぎてて今さらという説も無きにしも非ずだが、わざわざ羞恥プレイを受ける趣味は俺にはないのだ。


「そんなあ。私、男の人とあまり仲良くした事がなくて男の人の考え方とかよく分からないんですよ」


「ふうん、そうなのか……っと。だからといって、俺の考えてた事をなぞる必要はないだろ。読書好きを名乗るなら今まで本を読んで得た知見で書けよ」


「ええ~……」


 申川は不満そうな様子であるが、俺は断固拒否の構えだ。小説の題材にするところまでは許可しているのだから、これ以上譲歩する必要はない──。


「……実は昨日夜の一部始終をスマホに録音しているのですが」


「おい!それは反則だろ!?」


 俺はスマホを掲げてアピールする申川に抗議するが、申川はそのまま両手を合わせて俺の事を拝みはじめる。


「お願いします!今度お礼に食事でも奢りますから!ね!」


 その言葉を聞いて、たたでさえ録音を人質に取られて弱っていた俺の意思が音を立てて崩れ落ちた。


「しょ、しょうがないな……。その代わりちゃんと奢れよ!絶対だぞ!」


「ホントですか?ありがとうございます!」


 俺は精一杯の強がりを示して見せたのだが、申川は飛び跳ねて喜ぶばかりで俺の態度などそっちのけだ。

 それでもそんな申川を可愛いなと思うのも、彼女の奇行を許容できてしまうのも、すべては惚れた弱みという事だろうか。


「それじゃあ早速今からお時間いかがですか?ここから私の部屋まで歩いて十分程度ですので」


「ふ、ふうん。別にかまわないよ。そ、それじゃあお邪魔しちゃおうかな?」


 俺の部屋も同じぐらいの距離にあるのだが、せっかくの女の子のお誘いを断る理由はあるまい。けしてやましい気持ちがあったわけではないのだ。うん。



 そうして案内されたマンションが俺と一緒の物件だったり、後日様々な女性と一夜を共にすることになったがために俺と申川がお互いの部屋を行き来して俺の体験談を語って聞かせるようになったのだが、それはまた別のお話。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る