恋と作家とスイートデビル・後


「いやあ、思ったよりも早い再会やったな後輩君!」


 休日の部室に現れた山河先輩は僕の存在を認めて近づいてくると、笑顔で尻をばしばし叩いてくる。相変わらず恐ろしいまでに気さくな人だ。


「山河先輩お久しぶりです。スーツ姿が拝めると思ったんですが、今日は私服なんすね」


「当たり前やん、なんで休日までスーツ着なあかんねん!それにしても、新垣に会うのも久しぶりやなあ。ううん、この肉の付き具合……。前に会った時よりも太ったんちゃう君?」


 新垣先輩に声をかけられると、挨拶もそこそこにお腹の贅肉を確かめている。昨今の時勢ではこれもセクハラ扱いされかねないが、山河先輩は堂々と触っているし、新垣先輩も慌てることもなく平然としている。


「前に会ったのなんて先輩の卒業式の時でしょう?それだけ時間が経てば人の見た目なんてすぐに変わりますよ」


「それだけって、たった半年やん!」


「半年もありゃあ十分でしょう」


「いやいやいや。新垣、そろそろ痩せること考えんとマジで不健康やで?今度ヘルシーなおかず作って届けたろうか?」


「いや、そういうのマジでいいんで」


 山河先輩の提案に、樹林先輩に遠慮してかはたまた本気で迷惑がっているのか、すげなく断る新垣先輩。酒も飲むしたばこも吸う僕が言うのもなんだが、新垣先輩はもうちょっと健康に気をつかって節制した方がいいと思う。


「んで、そっちの子はお初やね」


 新垣先輩のぼでえを一通り弄んだ山河先輩が、西園寺の存在に気がついて声をかける。


「ええ、一年の西園寺です。山河先輩のお噂はかねがね」


「噂あ?……新垣ぃ。お前、また後輩にあることないこと吹き込みおってからに」


 西園寺の言葉に、山河先輩は迷わず新垣先輩の犯行と断定する。実際犯人な新垣先輩の顔は涼しげだ。


「別にないことは吹き込んじゃいませんって。あることは色々言いましたけど」


「お前、後で覚えとけよ……。まあええ。それよりも西園寺ちゃん、せっかくやし下の名前もおせえてよ。……ふんふん。なるほど、春香ちゃんかあ。見た目通りの可愛らしい名前やんか。いいなあ。わたしなんて名前が”あゆむ”やで?これのせいでガキの頃は男によお間違えられてなあ。せめて同じ漢字でも”あゆみ”とかにしてくれりゃよかったのに」


「は、はあ……」


 山河先輩は西園寺の手を握り、嬉しそうにぶんぶんと振りながらマシンガントークを浴びせかけている。北条を上回る超特急な距離の詰め方に西園寺も珍しく押され気味である。ふふふ、お前もようの光に焼かれるがいい。

 西園寺にかまい倒した山河先輩は、この場にいる最後の人物、部室の奥に直立不動で突っ立っている樹林先輩へ朗らかな笑みを向ける。


「樹林も、この前ご飯食べたぶりやなあ。後輩君に聞いたけど、ちゃんと部長やれてるらしいやん?先輩としては嬉しいかぎりやわ」


 樹林先輩はいつの間にそんな面白そうなことを……、なんていう新垣先輩のつぶやきに気がついた様子もなく、がちがちになっている。

 しかしこのふたり、身長差がありすぎるせいで山河先輩は身体を反らして見上げるような姿勢になっているし、逆に樹林先輩は腰を折り曲げて見下ろさなければいけなくなっている。成人同士とは思えぬ実にシュールな光景だった。


「お、お久しぶりです!山河先輩もお変わりなく!そ、その、相変わらず……」


 恐らく綺麗だとか素敵だとか、山河先輩を褒める言葉を述べようとしたのだろうが、気恥ずかしさを感じて肝心の台詞が出てこなかったらしい。突然黙った樹林先輩に、しかし山河先輩は気にした様子もなく話を繋ぐ。


「相変わらずちんまいって言うんやろ?まったく、樹林の代は先輩に対して遠慮ってもんがないなあ」


「い、いや!そういうわけでは──!」


 慌てて訂正しようとする樹林先輩の口を、山河先輩の指が塞ぐ。


「ええてええて、わたしがちんまいのは昔からだし、気にしてへんよ」


 顔を真っ赤にして口を噤んでしまった樹林先輩に、山河先輩が苦笑しつつも言葉をかけている。

 しかし、山河先輩もいちいち思わせぶりな動作をされるお方だ。目一杯背伸びをしてまであんなことをする必要性が僕には理解できない。いっそ本人に理由を問いたい気もするが、理由はないと言われた時が恐ろしくて聞くことができなかった。


「それで、今回参加者はこれだけでええのん?せっかくなんやから、もっと人集めればよかったのに。……あ、もしかして、わたしに会いたいってやつがおらんかった?」


 ショックやわ~、なんて言いながら泣き真似をする山河先輩に、新垣先輩が呆れたように突っ込む。


「んなわけないでしょう。山河先輩に会えて小説の批評までしてもらえるなんて言ったら大体の部員が集まってきますよ。それは困るんで、今日のことは皆に内緒です」


「そうなん?」


「そうなんです。なんで、ここにいるのは俺が見繕った見所のある後輩と、黙って先輩と会ったら後でどんな目に遭わせてくるかわからない樹林だけですよ」


「お、おい!」


 新垣先輩のような言葉に、樹林先輩はやっと落ち着いてきていた表情を再び朱に染める。


「なんや樹林ぃ、わたしが後輩の面倒見たら問題あんのか?うん?」


「い、いや、そんなことは…」


 しかし、山河先輩には効果はないようだ。山河先輩はきょどる樹林先輩を意地の悪い顔で見上げつつ、自分の肩を樹林先輩の腰にがんがんとぶつけている。


「これは中々手強そうだなあ」


 僕は隣で西園寺がぼそりと呟いた言葉に無言でうなずいて同意する。

 本日は後輩僕たちの小説を見て欲しいという名目で山河先輩を呼び出し、皆で力を合わせて樹林先輩に脈があるのかどうか確認しようという主旨で集まっている。

 本来であれば雀荘で山河先輩に告白することを決断した樹林先輩にこのようなジャブは不要であったのだが、決断した直後の麻雀であまりにも負けすぎてしまったので、樹林先輩が告白するには流れが悪い気がするとかのたまりやがってこのような仕儀となった。

 要するに日和ったのである。僕の応援していた気持ちを返して欲しい。

 しかし、様子見を選択したのは正解だったのかもしれない。

 山河先輩は新垣先輩のそれなりに露骨だった発言にも反応しなかった。文芸サークルの人間なんて文章から登場人物とか作者の気持ちを答えなさいとかみたいな現代文的能力が高い人ばかりだと思っていたが、そんなことはなかったらしい。

 いや、どちらかと言うと現実のやり取りを小説のように考えるのがおかしいのか。そうであったなら、僕のこれまでの人生はもうちょっとマシなものになっていたはずだろう。

 とにかく、噂の通り察しの悪そうな山河先輩から好きな人がいるかどうか、あわよくば樹林先輩への気持ちを、今回の会合でなんとか聞き出さねばならない。

 ……考えてみると、大分難易度が高そうな気がする。

 僕にはそんなコミュニケーション術はないし、西園寺はそれに加えて男を勘違いさせるサイドの人間なのでこの手の話題にはめっぽう弱いだろう。当の樹林先輩は想い人たる山河先輩を前にして見るからにテンパっているので使い物にはならない。

 というかこれ、人選からして間違っていたな……。

 こうなってしまうともう、頼みの綱はコミュ強気配り上手な新垣先輩しかいない。僕たちにできるのは、どうにかそれらしい方向へ話題を持っていって新垣先輩のアシストをすることだけだ。




「ううん。後輩君の小説は、内容に対してちょっと文体が軽いなあ。読みやすいのはいいんやけど、その分人物の内面も軽く見られかねないし、そういう文章は中々人の頭に残らんよ。主人公のまじめっぽい性格と重たい内面に合わせてもうちっと堅く暗い感じの描写にすれば雰囲気でるんちゃうかな」


 山河先輩は事前に送っておいた僕の小説をスマホで見返しながらも、容赦なく悪い点を指摘した。サークルの部会ではどんな小説でも良いところから挙げてもらえるものだが、そういったこともなくばっさりである。

 だが、本日の集まりの主旨を考えればずばずばと指摘を入れてくれる方がこちらとしてもありがたい。


「後はそうやなあ。登場人物同士の関係性がふわっとしとるから、その辺をもっと整理した方がええな。短編だから多少はしゃあないけど、突っ込みどころは減らした方がええ」


 なるほど、と僕は頷いた。

 この手の指摘や指導は言い方が曖昧なことが多くてよく頭を悩ませるのだが、山河先輩の指摘は具体的で修正箇所がわかりやすい。さっそく指摘事項を念頭に改訂作業に入ることにする。


「それじゃ、ある程度直ってきたらもう一度見せてな。そん時に問題ないかどうか確認しよ。んで、次は春香ちゃんの方やな。春香ちゃんの小説はなんや……、ちょっとエッチ過ぎるなあ」


「ありがとうございます」


「いや、これは褒め言葉じゃなくて、もうちょい抑えて欲しくて言ったんやけど……」


 山河先輩と西園寺のやり取りを作業用BGM代わりにしながら、僕はポメラ電子メモ帳のキーボードを叩き始める。

 指導を受けることは本来の目的ではないが、せっかく指導してもらえるならそれにこしたことはない。

 今がお昼過ぎであるから夕方の解散まで時間はある。それまでの間にそれらしい情報を得られればよいのである。


「それにしてもなんやけど、後輩君と春香ちゃんはできてたりするんか?」


 しばらく真面目に執筆をしていると、空き時間で新垣先輩と樹林先輩の作品を見ていた山河先輩が唐突にぶっ込んでくる。いきなり何言ってんだと思いつつも、どうやって話をそういう方向に持っていこうか考えていただけに都合がいい。


「彼とは普通に友人ですが、どうしてそう思ったんですか?」


 西園寺が前にもどこかで聞いたような答えをしつつ山河先輩に聞き返す。


「そりゃあふたりはやたら仲がよさそうに見えるからなあ。一般的なサークル部員同士にしてはやたらと距離が近い気がするし」


 ただ隣に座っているというだけで位置も特段近いわけではないのだが、山河先輩にはそう見えるらしい。


「まあ、彼がこの辺で一人暮らしなので、よく家に泊めてもらったりしているのは間違いないですが、それは他の友達もいますからね」


「そういえば合宿の時もそんなことを言っていたなあお前達は」


 西園寺の言葉に樹林先輩が思い出すように言った。あの時は西園寺が言わなくていいことを言ったせいでややこしいことになりかけたのだ。


「ほうほう。男の部屋に泊まりに来る女友達かあ。他の友達のことも絡めて小説が一本書けそうやな!」


 山河先輩が興味深そうな表情で言う。そういえば山河先輩が部誌に載せていた小説はだいたい恋愛小説だった。大林女史の色が付きすぎて純愛とは言えないものだったが。

 僕は誘導の意味も込めて、山河先輩に恋愛小説を書く理由を聞いてみた。


「なんで恋愛小説かって?まあ特にこだわりはないんやけど、昔っから恋愛小説だとかマンガだとかを読んどったからなあ。知識があるだけ書きやすいってのはあるな。後はあれやな、人の恋愛って妄想をかき立てられるやん?学生時代はサークルないの恋愛相関図とか勝手に作って楽しんどったなあ」


 懐かしむように語る山河先輩に、新垣先輩が突っ込みをいれる。


「恋愛相関図って、山河先輩と一部女子の妄想で作ってたあれですか?憶測ばかりでほとんど間違ってたやつ」


「一部は合っとったやろ!」


「それを信じて行動を起こしたやつが酷い目にあってたんですがそれは」


「そこはほら、一番芽がなさそうなやつが信じてもうたから……」


「うちの部内でそんな話があったんですか?」


 驚く樹林先輩に山河先輩と新垣先輩がなんともいえない顔をする。


「けっこう騒ぎになっとったと思ったんやけどなあ」


「樹林はほら、そういうの関知しないタイプなので……」


「え、もしかして俺はそういう風に見られていたのか!?」


 うろたえる樹林先輩に微妙な雰囲気が場を支配する。合宿の時もうちのサークルにはラブなコメディが足りないみたいなこと言ってたし、そういうの気づけないタイプの人なんだろうなあ……。


「しっかし、呼び出しておいてなんですが、仕事の方は大丈夫なんです?出版社なんて休日返上で働いてるイメージなんですがね」


 場の雰囲気を仕切り直そうとしてか、新垣先輩が山河先輩に話を振る。山河先輩も急な話題転換に乗っかって返事をした。


「ああ~……。一応わたしも新卒やからその辺加減されてるところはあるなあ。それでも締め切り前とかは休日なんて言ってられんけど、今は校了明けやから」


「へえ。やっぱりそんな感じなんすね。そうするとやっぱり、来年以降は容赦なく仕事漬けになりそうですか」


 そう言いながら新垣先輩はちらりと樹林先輩の方を見ると、樹林先輩はぴくりと反応する。


「そうなるかなあ。仕事は増える一方やし、辞めた人の穴埋めはすぐに入るわけやないし。こうやって大学に顔を出せるのもあと何回あるかどうか……。まあ、OBOGが頻繁に顔出しちゃ現役生もやりづらいやろうし、忙しい会社じゃなくてもそのうち来なくなるんちゃうかな。他の先輩方だってそうやろ?」


 山河先輩の言葉を聞いて樹林先輩が密かに顔を引きつらせている。先日僕たちに散々脅されていたが、実際に本人の口から会えない可能性を口にされて現実味が出てきたのだろう。

 そんな樹林先輩の様子を見て口の端をわずかに吊り上げながら山河先輩に応じる。


「そりゃあそうですがね。文学部かつ文芸サークルの人間としては出版業界の動向も気になりますから」


「なんや、新垣も出版志望なん?」


 山河先輩は目を丸くしながら新垣先輩のことを見つめたが、やがて何かを悟ったようににやりと意地の悪い笑みを浮かべた。


「ああ、そうか。編集者にでもなれば、もしかしたらがあるかもしれへんもんなあ。けど、それはそれで大変やで?あの人と仕事するならそれこそ講談社とか新潮とか……」


「ちょっと先輩!」


 新垣先輩は顔をせいだいにしかめて山河先輩を止めにかかる。


「そういうんじゃないですって。いちいち話をそういう方向に持っていこうとするのはやめてくださいよ」


「そうは言っても、先輩としては後輩のことは応援してやりたいからなあ。いうても、うちはちいさい出版社やし、なんの助けにもなれへんけど」


「おやおやおやおやおや、新垣先輩?もしかしてもしかすると、いや、もしかしなくてもそういうことですか?」


 会話を聞いていた西園寺が何かを察して身を乗り出す。自分も高校時代にやらかしている癖に他人への嗅覚が鋭いあたり、西園寺も山河先輩の同類なのかもしれない。この場だと樹林先輩だけがどういうことなのか理解しておらず、きょとんとした表情をしている。


「あのなあ……」


 新垣先輩が頭を抱えつつも言い訳を並べ立てる。


「俺はこの人に、俺が誰が好きだとかそんな話をしたことはねえよ。だから今のは全部この人の妄想だぞ」


「へえ~」


「聞いちゃいねえ……」


 目をきらきら(ぎらぎらかもしれない)と輝かせながら、おざなりに返事をする西園寺にため息をつく新垣先輩。そんなやり取りを見て、樹林先輩が遅まきながら状況を理解したらしく素っ頓狂な声を上げた。


「……ん?まさか、新垣お前」


 驚愕の表情で慄く樹林先輩は、苦々しい顔で見返す新垣先輩を指さして叫んだ。


「──誰かに恋、しちゃってるのか!?」


 その場にいる全員の心情を表現するかのように肩をガクッとこけさせる山河先輩。今の会話の流れでそこまでしか読み取れなかったのか……。


「だからそれは山河先輩の勘違いだっての……」


 改めて否定させられてげんなりした様子の新垣先輩。


「そうなのか?もしそうなら俺も恩を返すために協力したいと思ったんだが……」


 その言葉を疑うことなく素直に受け取ったようで、樹林先輩は残念そうな表情を見せる。そしてそれを見て勘を働かせるお方がひとり。


「……ん?その論法で行くと、もしかして樹林も恋しちゃっとるんか?」


「えっ、いや……!?」


 自分の失言に気がついて不用意に焦った表情をする樹林先輩。それを見て山河先輩は疑惑を確信に変え、樹林先輩を追求し始める。


「なんやなんや、水臭いなあ。そういう話なら先輩に相談してくれりゃあ万事上手いこと進めたるのに」


 樹林先輩の隣に移動した山河先輩は、樹林先輩にずずいと身体を寄せて腰をばしばしと叩いている。せっかく緊張がほぐれてきていた樹林先輩は、想い人がすぐ隣にやってきたことでまた顔を真っ赤にしてまともにしゃべれなくなっている。

 ……しかしまあこれは。

 僕と西園寺、そして新垣先輩はお互いに顔を見合わせると、ほとんど同時にため息を吐いた。

 山河先輩は、樹林先輩の想い人が自分だと微塵も思っていない様子だった。これはとてもじゃないが脈がありそうな雰囲気ではない。

 この時点で本日の目的は達したも同然だった。樹林先輩自身は隣でぐいぐい詰めてくる山河先輩のせいで意識を失いかけていてその事実に気がついていないようだが、この状況から告白しようなんてとても考えられまい。

 だが、こうなってしまうとあまりにも収穫がない。せめて今後のためになればと願いつつ、山河先輩の恋愛事情について聞き出すことにした。

 これだけ自信有り気に恋愛相談を引き受けようというのだ。それなりの経験値がおありに違いない。


「いんや、今まで誰かと付きおうたことはないなあ」


 しかし、それを問うた僕に山河先輩はあっさりとそんなことを言ってのけた。


「……いや、あんたそんなんでよく恋愛相談に乗ろうなんて言えたな」


 新垣先輩が自分たちのことを棚上げして突っ込みを入れる。いやまあ、新垣先輩の恋愛遍歴については聞いたことがないからもしかしたら経験豊富なのかもしれないけれども。

 新垣先輩の突っ込みに、山河先輩は薄い胸を張って答える。


「甘いなあ新垣ぃ。わたしが今までどれだけ恋愛小説を読み込んで、そして書いてきたと思うてんねん」


「いや、さすがに創作の恋愛と現実の恋愛を混同するのはいかがなものかと思いますが……」


 初対面故に山河先輩に遠慮していた西園寺もこれには思わず正論を吐く。それでも山河先輩は気にした様子もない。


「現実の恋愛も創作の中の恋愛もそうそう変わらんって!どっちも人間の頭の中から出てきてるんやし、基本的な考え方は一緒や!」


 とんでもねえ暴論だと思う。

 皆がどやっている山河先輩に呆れていると、樹林先輩がようやく脈のなさに気がついたようで、ショックに顔を青ざめさせいるのが見えた。どうにもこの人も男女の機微については察するのがワンテンポ遅い。

 これから山河先輩を自分の方に振り向かせなければならないという時に、僕や西園寺以下というのは相当不味いと思うのだが……。

 というかそもそも、山河先輩は誰かを好きになったことはあるのだろうか。

 何気なくこぼれた、それこそ失礼ともいえる疑問にしかし山河先輩は真面目な顔をして考えこむ。


「誰かを好きに、かあ……。確かにたいていの人のことは人として好きな自信はあるんやけどなあ。恋愛対象としてと言われると、ちょっとないかもしれんなあ」


「それはまた……。最近ではなく、小学校の時とか幼稚園の時とかはどうです?」


 西園寺がちょっと驚いたような表情で問う。口ぶりから察するに、西園寺もそれぐらい前なら恋愛に前向きだった時代があるらしい。僕だって小学校の時は一緒に遊んでくれた女の子とかがちょっと気になっていた気がする。


「どうやったかなあ……。わたしは昔っからこんな性格やったから、同世代は眼中になかったし、近所に憧れの年上なんて都合のいい存在もいなかったしなあ……。もしかして、わたし恋愛に向いとらんのか……?」


 うんうんと唸っていた山河先輩が、後ろ向きな発言をし始めてしまう。その考え方はあまり都合がよろしくない。

 いっそ誰かと試しに付き合ってみるようけしかけてみるか……。いや、それは話の持って行き方が強引すぎるし、山河先輩がその気になったとして樹林先輩を相手に据えられなかったら目も当てられない。

 西園寺も新垣先輩も、なんともいえない表情で唸る山河先輩を見ている。とりあえず今日は、相手がいないとわかっただけでもよしとするべきか……。


「そ、それでは、どんな男ならいいと思いますか!?」


 そこで突然、うつむいていた樹林先輩が顔を上げて叫ぶようにして山河先輩に問うた。


「な、なんや急に大声出しおってからに……。ううん、そうやなあ……」


 隣で大きな声を出された山河先輩はびっくりしながらも、しばらく考えるように視線を宙に彷徨わせ、そして遠慮がちに答える。


「恋愛対象の基準としてはどうかと思うけど、文芸サークル出身としては小説家に憧れるなあ。……わたし自身は、作家じゃなくて編集者の方になってしもうたからな。そういう人を近くで見ていたいって気はするわ」


「小説家、ですか……」


 どうにか捻り出して火傷する山河先輩に対し、樹林先輩が噛みしめるように呟く。


「ていうか、なんでわたしがこんな話しとるんや!?今は樹林の話だったやろが!」


「いや、他人の恋愛事情を根掘り葉掘り聞いといてそりゃあないでしょうよ」


 急に気恥ずかしくなったのか、ちょっと顔を赤らめながら叫ぶ山河先輩に新垣先輩が呆れた顔で突っ込む。


「うるさいぞ新垣ぃ!ああもう、こんな話してる間にこんな時間になっとるやん!」


 山河先輩につられて時計を見ると、確かにもう陽が沈み始める時間帯だった。時間的にもこの辺りが潮時だろう。


「それじゃまあ、そろそろお開きにするか。山河先輩、今日はご指導いただきありがとうございました」


 新垣先輩が締めに入って山河先輩に頭を下げたので、僕と西園寺も礼の言葉と共に頭を下げた。本来仕切るべき樹林部長は自分の世界に入っているようで、うつむいて何かぶつぶつと呟いている。


「ええねんええねん。若い子と交流もできたし、新垣と樹林にも会えたし、ええ気晴らしになったわ」


 山河先輩は手をひらひらと振りながら答えると、席を立った。


「それじゃ帰る前に、ちょっとお花を摘みに行ってこようかな。片付けて待っとってや」


 そう言って部室から出て行く山河先輩を見送ると、部室の中の空気が弛緩する。


「いやあ、流石にそう都合良くはいかなかったな」


「しかし、希望の芽が潰えたわけではないですからね。後は部長の努力次第でしょう」


 やれやれと肩を竦める新垣先輩に西園寺が応じた。


「あの様子だと山河先輩はしばらくフリーっぽいしなあ。まあ、どこぞの作家先生にさくっとかっ攫われる可能性が無きにしも非ずだが」


「なんだかんだ身持ちの堅そうな方ですから、かっ攫われるにしてもすぐにということはないでしょうね。会う機会さえ作れればどうにかなるとは思いますが」


「……よし、決めたぞ」


 今後の展望を語るふたりを他所に、自分の世界に入り込んでいた樹林先輩が唐突に口を開く。

 何事かと自分のことを見る僕たちに、樹林先輩は決然とした表情で言った。


「……俺は、小説家になる。そして、小説家の妻として山河先輩を迎え入れて見せる!」


「お前マジか」


「ああ、マジだとも」


 驚きの表情を見せる新垣先輩に、樹林先輩は力強く頷いてみせる。


「今山河先輩を振り向かせることができなくとも、小説家となることで少しでも芽が出るのならば、俺は喜んで小説家を目指そう。そして、いつか山河先輩に担当編集となってもらい、俺のありったけの思いを込めた小説を読んでもらうのだ」


 あまりにも不純な動機である。だがしかし、承認欲求だとかお金のためとか、そういったものを目的に目指すよりはいくらかは高尚な理由だろう。

 ……そういえば、僕が小説を書こうと思った理由はなんだっただろうか。友達とろくに遊びもせず、日がな一日本を読んでいた僕が自分でも小説を書きたいと思った理由。

 ちょっと思い出そうと試みたが、すぐに諦めた。とっかかりすら思い出せなかったし、たいした理由があった記憶もない。どうせ、些細で低俗な承認欲求の類だろう。

 僕は意気を上げる樹林先輩と他ふたりを他所に、部室を出た。僕もトイレに行きたくなったのである。

 部室棟にはトイレが備わっていないので、一番近くの校舎に向かってそこで用を足した。事が終わって校舎の外に出ると、そこには山河先輩が立っていた。


「後輩君もトイレか。せっかくなら一緒に出て連れションすりゃよかったなあ」


 男女別で分かれるのに連れションもくそもないと思いつつ、僕は内心首を傾げた。山河先輩が部室を出てから僕が出るまでそれなりにタイムラグがあったので、てっきりもう部室に戻っているものと思っていたのだが。


「あ、別におっきい方をしてたわけとちゃうで。すっきりして出てきた時に後輩君を見かけたから待ってたんや」


 なるほど。

 しかし、ここから部室までそんなに距離もないのでわざわざ待ってもらうほどのことはなかったと思うのだが。


「いややなあ。後輩君とお話ししたかったからに決まっとるやろ?次にいつ会えるかもわからんしな」


 山河先輩らしい理由に納得するが、どうせならその配慮は樹林先輩に向けてほしいものである。


「で、今日はどうやった?ちょっとは参考になったかいな」


 もちろん、大いに参考になった。小説を見てもらうのはあくまで本来の目的のついででしかないが、正直なところ僕自身はこちらの方が主目的だったと言っていい。西園寺のやつはまあ、半々ぐらいには考えていただろう。うん。


「そりゃあよかった。わたしとしても、将来の小説家候補に恩を売れて万々歳や」


 山河先輩の口ぶりに僕は苦笑する。先輩が晴れて編集者になれた時に後輩に小説家がいれば何かと都合がいいということなのだろうが、僕の腕で小説家になれるとはとても思えないし、西園寺の方は小説家になれたとしても官能小説の道に行きそうな気がする。


「今日の件で樹林はやる気を出してくれたみたいやから、上手くいけばあいつが小説家になって嫁にもろうてくれるかもしれんけど、候補は多い方がええからなあ」


 ……ん?

 山河先輩の言葉に引っかかりを覚えて、僕は思わず先輩の顔をまじまじと見つめてしまう。


「新垣もいい線いってると思うけど、あいつはわたしのこと眼中にないからなあ。うちのサークルの中だと、やっぱり樹林が一番有望そうなんよな」


 山河先輩の話は、編集者としての話にしてはどうにもずれている。未来の小説家候補につばをつけて仕事に活かす、という話ではないのだろうか?

 山河先輩は、僕の問いをあっさりと否定してみせた。


「ちゃうちゃう。確かに未来の小説家候補を探してはいるけど、わたしが求めてるのは結婚相手や。まあ、ついでに仕事の種になれば万々歳やけども」


 恋愛対象を通り越した結婚相手という言葉に僕は混乱する。それが色恋沙汰に興味がなさそうな山河先輩から出たのだからなおさらだ。

 ……あれ?というか山河先輩、樹林先輩の気持ちに気がついて……?


「あんなわかりやすいの気がつかないわけないやろ。しばらく会ってなかったし、春香ちゃんみたいなかわいい後輩が入って気移りしてないか心配やったけど、あの様子なら大丈夫そうやな」


 ええ……。

 僕は山河先輩の言葉に困惑する。

 つまり山河先輩は、樹林先輩の気持ちに気がつきつつもスルーしていて、しかし小説家に仕立てた上で結婚を目論んでいるということになるのだが……。なんというかもう、まったくもって意味がわからない。


「そりゃあ後輩君の考え方が違うんや。わたしは小説家の嫁になりたいんであって、樹林の嫁になりたいわけじゃないからな」


 いや、ええ……。

 聞けば聞くほど理解できない。お金持ちと結婚したい、ということならまあ理解できるのだが……。


「お金持ちである必要はないなあ。ううん、どう説明したもんかな……」


 山河先輩は考えをまとめようとしてか、薄暗い空に視線を彷徨わせる。


「わたしが誰かを好きになったことはないって話はしたやろ?女の子なんてガキの頃でも誰が好きだ気になるだなんて話題で盛り上がるもんなんやけど、わたしはその辺の話混ざれなくてなあ。思春期拗らせてた時なんかはわたしは普通じゃないんじゃないかって悩んでたんよな。それで恋愛を理解するために、恋愛もののマンガとか小説を読んで勉強したりしてなあ」


 ……それが高じて自分でも小説を書くようになったということですか。


「そうそう。まあ、結局それだけ勉強しても恋愛についてはさっぱりだったわけやけど」


 そう言って苦笑する山河先輩がどこか寂しそうだなんて感じるのは僕の気のせいだろうか。


「それで、どうにも恋愛して結婚してなんて無理そうなんで独りで生きていく覚悟をして、どうせなら小説家になりたいと思って頑張ってたんやけど、これはこれで厳しくてなあ」


 僕はそれを聞いて首を傾げる。僕が読んだ山河先輩の小説はとても出来が良かった。努力をして運が良ければ作家デビューも夢じゃないと思うのだが。


「いや、ちょっとそれは難しいな」


 しかし、山河先輩は僕の言葉に頭を振る。


「私の小説には気持ちが入ってない。人を好きになる気持ちがわからない女が、リアルな人を書けるわけがない」


 そんなもの、小説家を諦めるほどの理由とは思えなかった。

 確かに世にある小説の大部分が、複数の登場人物によって構成されている以上、どんなジャンルでも色恋沙汰は切っても切り離せないものかもしれない。登場人物に男と女が出るだけで人は恋愛関係を想起するし、昨今は男同士女同士でもあり得る話だ。

 だが、実際の恋愛を知らずに小説を書いている人なんてごまんといるだろうし、やろうと思えばそういったことを完全に排除した小説を書くことだってできるはず。


「そうじゃない、そうじゃないねん」


 そんな僕の言葉を、山河先輩は理由なく否定する。

 どうにも先輩は頑なになっている気がする。どんな事情や背景があってそんな結論に至ったかは分からないので、今の僕には先輩の言葉を覆すことはできないのだけれど。


「とにかく、そんなわけでわたしは考えたんや。自分が小説家になれないなら、せめて小説家の隣にいたいってな」


 ……そんな理由で、結婚を?


「そうや。恋愛だとか恋人だとかは興味ないし、最初から結婚狙いや。そうなると、相手も最初から作家の人と結婚したら話が早いかなって」


 山河先輩はあっさりと語るが、言ってることが無茶苦茶だった。そんな発想に至った経緯がまったく理解できない。この人は、僕の常識とはまったく別のところで生きている人であるらしい。

 内心で戦慄していると、山河先輩が後ろで手を組んでひょこひょこと近づいてくると、僕を真正面から見上げる。


「だから、君にも期待しとるで?今はまだわからんけど、伸びしろはありそうやから」


 ……そんなことを、なんでわざわざ僕に?

 蠱惑的に蕩けているようで、情念が渦巻いているようで、その実なんの感情もこもっていなさそうな眼。僕はその眼を直視できず、視線を反らしながら問うた。


「君はわたしを好きになってもらおうとするよりも、こうしてちゃんとお話しした方が納得してくれそうやからなあ。だから、いまの話はわたしと後輩君だけの秘密にしといてや。……君のこと、期待しとるで?」


 僕がなにも答えられずに沈黙していると、山河先輩は笑みを浮かべて僕の尻をばしんと叩いた。


「ちょっと話し込んでしもうたなあ。早いとこ戻ろうか」


 そう言って部室棟に向けて歩きだす山河先輩。僕の足はどうにか彼女の後に続いて動き出す。

 部室に戻ると、三人は当然帰る準備を終えていた。


「山河先輩、トイレにしてはずいぶん遅かったじゃないですか」


「いやあ、待たせてしもうたなあ。後輩君と出くわしたから、ちょっと外で小説のアドバイスをな。それじゃ、帰ろうか」


 なははと笑いながら荷物を取る山河先輩に、樹林先輩がやる気にみちた表情で話しかける。


「山河先輩!今度会う時は俺の小説を見てくれませんか!?小説の賞に投稿したいんです!」


「お、なんか気合いはいっとるなあ樹林ぃ。ええでええで。今度時間が空いたら連絡するから、早めに準備しとき」


「あ、ありがとうございます!」


 山河先輩は樹林先輩の前のめりな気持ちなどまるで気がつかないようにしている。こんなことを、いったいいつから続けているのだろうか。

 そんなことを考えながら山河先輩と樹林先輩のやり取りを見ていた僕に、西園寺が声をかけてくる。


「それじゃあそろそろ出ようか……って。なんか君、やけに汗をかいていないかい?」


 僕はその言葉でようやく自分がじっとりと汗をかいていることに気がついた。ちょっと外が暑かったからなんて言い訳をしつつ荷物を持って部室を出る。

 大学を出て駅に向かう間中、山河先輩と樹林先輩は僕たちの後方で創作論について語り合っている。話が合う、というのは本当なようで話は弾んでいるようだ。


「樹林のやつ、上手いこと次の約束を取り付けたか。手段は無茶苦茶だが、とりあえずしばらくやり取りは続けられそうだな」


「小説家になれなくとも、そのまま仲を深めていけばもしかしたらがありそうですね」


 僕は両側でそんなやり取りをする新垣先輩と西園寺に適当に相槌を打ちつつ、樹林先輩の想いだとか山河先輩の考えだとかに思いを馳せていたのだが、途中で考えるのをやめてしまった。

 樹林先輩も山河先輩も双方動機は不純ではあるが、とにかく目先は小説家になろうと努力し、それを助けるのだろう。

 そこから先、樹林先輩が小説家になれるのかどうかなんてわからないし、山河先輩は樹林先輩とくっつくのか、それとも他の誰かを選ぶのかもわからないのだ。

 そんな不確定な未来の事なんて、心配するだけばからしい。今のふたりが良いのならそれでよしということにしておこう。

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