恋と作家とスイートデビル・中


 佐川君と同じく合宿中に小説をちゃんと書ききれなかった部員達が無事つるし上げを食らったところで、本日の部会は終了となった。


「……それでは、次回の部会で取り扱う作品は必ず読んでおくように。流石に次回は大林先生も参加されるだろうから、発表者は心しておくのだぞ。何か連絡事項のあるものはいるか?」


 締めにかかった樹林先輩が部員達をぐるりと見回す。特に何事も無いようで、手を上げるものはいなかった。

 僕としても特に役職を持っているわけでもないので当然そんなものは……、とそこまで考えてから、ふと昨日の訪問者の存在を思い出した。

 別に今この場で言う必要はないだろうが、昨日の出来事は相手がOGとはいえ学外の人間を部室に入れてしまったと言えなくもない。一応公の場で報告する体を取っておくことにしよう。

 僕が手を上げると、樹林先輩は予想外の相手から手が挙がったからか一瞬驚いた表情をしたが、すぐに愉快そうな笑みに変わった。


「珍しいやつの手が挙がったな。何かあるのか?」


 昨日の夕方にOGの訪問があったことを伝えると、僕が思った以上に樹林先輩の反応は薄かった。


「ああ、なるほど。まあ近所に住んでいるOB・OGが顔を出すことは割とあることなのだ。大抵は誰かしら上級生が部室にいて対応するのだが……。そうか、昨日はお前しか部室にいなかったのか。すまなかったな」


 どうやら昨日の様なことはサークル的にもありふれた事態であるらしい。小さな懸念が払拭されて僕は内心安堵する。


「で、どなたがいらっしゃったんだ?アポ無し訪問なら特段用事があったわけではないのだろうが」


 ペットボトルのお茶を口元に近づけながら問うてくる樹林先輩に、僕は山河先輩の名を告げた。……すると。


「──ごほっ!?」


 ちょうどペットボトルの中身を口に含んでいた樹林先輩がむせた。


「──!!──!?」


 気管にお茶が入ったらしく咳き込む樹林先輩を他所に、先輩方がざわつき始める。


「マジ?山河先輩来てたのかよ!」


「うわあ、タイミング悪いなあ。部室寄っときゃよかった……」


「もう!先輩も連絡してくれれば部室で待ってたのに!」


 先輩達の口にする言葉は、山河先輩と会えないことを残念に思う内容ばかりだ。面倒見の良い人だと思っていたが、やはり皆に慕われていたらしい。


「西園寺さん、山河先輩って確か……」


「うん、間違いないね」


 僕の隣で西園寺と才藤さんが話し合っている。先輩方はともかく、僕と同じ一年のふたりが山河先輩のことを知っているのは意外だった。僕の知らないところで出会っていたのだろうか。


「君ね……。合宿の時に新垣先輩が散々弄ってたじゃないか。ほら、樹林先輩の……」


 樹林先輩……?

 呆れた様子の西園寺の言葉を受けて、僕はやたら動揺した様子の樹林先輩を見ながら考える。なんであんなに慌てているのだろうと疑問符が浮かぶが、その疑問は西園寺の言葉の答えと共に氷解した。

 ……ああ、確か樹林先輩と良い感じだったらしいとか言われてた。


「山河先輩の名前聞いた時点でそれぐらい思い出しなよ……。合宿から一ヶ月も経ってないんだよ」


 いやあ、確かにそうなんだけれども。あの時はほら、ほとんど西園寺としか話してなかったし、執筆のことで頭がいっぱいだったから……。


「確かにそうだったけどボクの方が覚えてる時点で言い訳にならないんだよなあ」


「まあまあ西園寺さん。それよりも、樹林先輩の意中の人っていうのがどんな人なのか気になるな」


 西園寺の追求を受ける僕に助け船を出すように口を挟む才藤さん。正直助かる。

 どんな人と言われるとそうだな……。一言で言うと、ちっさい陽キャ?


「ううん、分かるような分からないような……。もっと具体的にならない?」


 困惑した様子の才藤さんから再度問われて僕は考え込む。

 困ったな。現実に存在する人物をこういう人と説明するのは、僕にとっては中々に難しい。小説の登場人物のように記号的に落とし込んで表現するわけにもいかないし。

 ……ああ、いっそのこと写真で見せてしまえば。

 そこまで言ってから、僕は口を噤んだ。

 その写真というのが、あまりよろしくない代物であることを思い出したのだ。

 しかし、そんな僕の気配を両隣の人物達が見逃すはずもなく。


「おやおやおやおや?どうしたんだい急に黙り込んで」


「写真があるなら話が早えな。さっさとそれを出してみろよ」


「それにしても普段から写真に写りたがらない君にしては珍しいじゃないか。というかそもそも、目上相手とはいえサシで食事に行くという行動自体に驚きだ」


「まあ、その辺は山河先輩の性格を考えれば察しはつく。無駄な抵抗はよした方がいいぜ」


 左右から交互に詰められた僕は、渋々スマホに保存された写真を見せた。


「ほうほうほうほうほう……。小さくて可愛らしい先輩だが、初対面とは思えない親しさじゃないか。君、何気に女を落とすの上手よいね」


 落としてない。

 案の定西園寺がおもちゃを見つけた表情で揶揄ってくるので即答で否定するが、いやらしい笑みを浮かべるばかりで僕の話を聞いている様子はない。


「ちょっと、ここお店じゃないの!?公衆の場で、こ、こんなことして!」


 いつの間にか僕の後ろに回っていた才藤さんがスマホの画面を覗き込んで顔を真っ赤にしている。そういえば才藤さんは、合宿の飲み会で僕の部屋に西園寺や東雲が入り浸っているのはエッチなことをしているからと思い込んで説教しようとするぐらいのピュアだった。

 あの時は酒が入っていたからだと思ったが、素面でも変わらずピュアピュアらしい。

 才藤さんにどうやって言い訳しようか考えていると、ふいに肩に誰かの手が乗せられた。見ると、才藤さんの隣にいつの間にか佐川君が立っていてなにやら凄みのある笑みを浮かべている。


「あっくんさあ。君、ちょっとフラグ建てすぎじゃないの?」


 い、いや、あの。肩がすごく痛いのだけれど……。ていうか、現実にフラグなんてものは存在しないし建ててもいな──。


「ちょっと向こうで俺たちとお話ししようか」


 佐川君は僕の言葉に被せるように言うと己の背後を指し示す。そこには、最早笑顔なのか威嚇なのか分からない表情で手招きしているサークル部員達。

 自分の顔がひきつっていくのが分かる。これは詰んだかもしれない。

 左右と背後を敵に囲まれた僕が世を儚んでいると、目の前の机がバンッと激しい音を立てた。驚いて前方に視線を戻すと、いつの間にか机の向こうに樹林先輩が立っていて両手を机についている。先ほどの音の正体は、間違いようもなく樹林先輩が手を机に叩きつけた音だろう。

 先輩は、尋常じゃない様子で僕の方を見ている。しまった、部会も終わっていないのにどうでもいいことで騒ぎすぎたか。僕の背後に集まったサークル部員達も息を呑むようにして沈黙している。


「お前……」


 誰もが固唾を飲む中、樹林先輩が口を開く。


「や、山河先輩と、つ、付き合ってるのか!?」


 ええ……。



     *



「いやあ、お前は本当に持ってるよな。サークルに入って半年も経ってないのにこれだけ話題を提供してくれるんだから」


 僕の左隣、上家かみちゃに座っている新垣先輩がご機嫌なご様子で手牌を整理しながら言った。僕としてはまったくそんなつもりはなく、日陰でひっそりと過ごしているつもりなので新垣先輩の言葉には納得できなかった。


「いやいや、十分な実績だよ。飲み会で西園寺をお持ち帰りしてからというもの、美人ばっかり囲って大学を闊歩してるし、合宿でも良い感じにやらかしてくれたし、その上今回の件だ。余罪を追及したらまだまだ出てきそうじゃないか?」


 言い返せない親番の僕は、切り出す牌を考えるふりをして誤魔化した。


「彼は学外でも色々やってますね。バイト先でも女に囲まれてちやほやされてますし、アパートの大家さん一家の姉妹と仲も良いですし。……そういえばボクに隠れてAV女優の申川さんと食事に行ったらしいじゃないか。ボクも同席させてくれれば良かったのに」


 僕の右隣、下家しもちゃの西園寺が牌を自摸りながら言わなくていいことをぶちまける。バイト先は女性しかいない職場で力仕事を任されているだけだし、牛嶋姉妹と仲が良いのは家賃の件があるからだ。というか、申川さんの件はどこから漏れたんだ……?。


「どの話も根掘り葉掘り聞きたいが、一番最後のやつが一番面白そうだな。申川さんって、合宿のオークションで出品したAVの人だろう?」


 私怨混じりに抗議してくる西園寺と楽しくて仕方がない様子の新垣先輩に、僕はため息しか出ない。部会でも文字通りの四面楚歌だったのに、雀荘ここでも状況は変わらないらしい。


「まあその辺のことは今度酒の席でじっくり聞かせて貰おうか。今は樹林と山河先輩の件だな」


 嘆く僕を見て新垣先輩が矛を収めてくれる。ようやく本題に入れるらしい。


「さて。山河先輩が在学中、樹林と良い感じだったって話は聞いてるよな?」


 新垣先輩の言葉に、西園寺がうなずく。


「ええ、合宿の飲み会でちらっと。ふたりが性なる夜に合体したとかしてないとか……。あ、それポン」


「合体ってお前……っておい、それ役牌のドラじゃねえか。こんな浅い順目で切り飛ばすなよ」


 僕の切った牌を西園寺が鳴くと、新垣先輩が渋い顔をした。

 申し訳ないが、僕も勝負手なので勘弁していただきたい。責任を持って上がりきりますので。


「つまり、お前も早くて高いってことじゃねえか!うれしくねえよそんなもん!……まあいい。とにかく、聖夜にヤったヤらないが議題になるぐらいには注目されてたのは間違いねえ」


 僕と西園寺の捨て牌から危険牌を読もうとしてか、卓を注視しながらも新垣先輩は語る。


「そもそも山河先輩は俺らの代が新入生だったときの部長でな。俺も他のやつらも、執筆指導を受けたり単位を取りやすい講義教えてもらったり、大分世話になった。当然男女問わず皆に慕われてたし、あの人を狙ってる男はけっこういたんだよ。ただなあ……」


 どれを切るか迷っているらしく、自らの手牌の上で手を彷徨わせながら新垣先輩は続ける。


「あの人、そういうことにめちゃくちゃ鈍感なんだよなあ。他人のことはよく気がつくくせに、自分のことになるとてんでダメなんだ。お前も直接会ったならその辺はわかるだろ?」


 確かに、山河先輩はパーソナルスペースは狭いし距離はがんがん詰めてくるし、そのくせそれを相手に嫌とは言わせないなにかがあった。まさか初対面で話も碌にしていない僕に一目惚れ、なんてこともあり得ないだろうし、あのノリが素なのだろう。

 自分が恋愛対象になるとは微塵も思っていないような態度であった。

 ……僕の身近に、似たようなノリでパーソナルスペースを侵してくるやつらがいなくもないが、やつらは一応人を選んでるらしいから無節操な山河先輩とは別枠だろう、うん。


「そんなだからどんなやつにもベタベタして勘違いさせるし、本人にその気が微塵もないのが分かるから同性にも敵を作らねえ。山河先輩の在学中、たいていの男子部員はあの人に惚れて、あまりの脈のなさに諦めることになったんだよな」


「ふむ。そうすると、新垣先輩も?」


「いいや。好ましい人だとは思っていたが、俺には守備範囲外だったよ。まあ、そういうわけで山河先輩は恋と失恋を量産していたわけだ」


 新垣先輩が諦めたような表情で場に見えていない役牌を捨てる。

 しかし、年下で凹凸のある西園寺も年上でロリっぽい感じの山河先輩も守備範囲外とのたまう新垣先輩の守備範囲はどの辺りにあるのだろうか。

 そんなことを考えながら牌山に手を伸ばすと、有効牌を引くことができて聴牌した。待ちがいいので迷わず立直をかける。下家の西園寺は自摸った牌を躊躇うことなく切り飛ばす。親の立直に対して強い打牌だが、おそらく既に聴牌していて勝負に来ているのだろう。


「その中で先輩を一途に想い続けていたのが樹林なんだよ。山河先輩があんな感じで気さくで明るくその上面倒見も良い人なのに対して、入部当初の樹林は陰気で口下手なやつでなあ。見た目も性格も正反対なんだが、そのくせ小説の趣味はやたらと合ったらしくてふたりでおすすめの小説とか創作について良く語り合ってたよ」


 新垣先輩は予想通り一巡前と同じ役牌を即切りする。手牌の中で暗刻になっていたものを崩しているに違いない。


「樹林先輩が陰気だったというのは驚きですね。見た目は確かにそれっぽいですけど、それこそ気さくで面倒見の良い人というイメージなのですが」


 しれっと酷いことを言いつつ西園寺は全ツッパを継続。麻雀の経験値が足りず、守備に難のある自分の打ち筋を考慮しての対応とみた。この様子だとどのような危険牌でも止めることなく打ち込んでくるはずだ。


「樹林が理想としている部長像は山河先輩だからな。先輩に認められる自分になろうと努力したわけだ。健気だろ?」


 新垣先輩は楽しげに笑いながらもしっかりとオリ打ちしている。

 なるほど。部会で樹林先輩がとった態度の理由はとりあえずほぼ分かった。好意を抱く山河先輩と僕が親密そうにしていることへの嫉妬ということだろう。

 僕にもおそらく山河先輩にもその気はないので言いがかりもいいところであるが、樹林先輩としては気が気でなかったということか。

 仮に山河先輩と樹林先輩が付き合っているというなら悪いことをしたと思うが、その辺どうなのだろうか。


「ご名答だな。樹林は山河先輩が絡むと、どうもポンコツになるところがあってなあ。マンガやアニメじゃあるまいし、そんな属性リアルで男がやっても可愛くねえってんだ。……で、最後の疑問の答えだが」


 新垣先輩が僕の対面、卓を囲む最後のひとりに視線を向ける。


「実際のところどうなんだ?そろそろげろっちまえよ、樹林」


「……本人の前で言いたい放題された上、そんなプライベートまで明かされるのか、俺は」


 先ほどから無言で話を聞いていた樹林先輩は、苦虫を噛みつぶした表情で呻いた。正直よくここまで口を挟まずにいられたと思う。


「そりゃあお前、部長ともあろうお方が理不尽にも後輩に凄んでびびらせちまったんだ。謝罪するつもりがあるなら、説明責任が伴うもんじゃないか?」


 愉悦の笑みを浮かべる新垣先輩の言葉に、ぐうの音も出ない様子の樹林先輩。先輩が苛立たしげに牌を手の内から捨てると、それは僕の当たり牌だった。

 メンタンピン三色赤一で親の跳満である。


「ロン、役役ドラ三赤一。跳満ですね」


 僕が発声し牌を倒すと同時に、西園寺も上がりを決める。親と子に跳満をぶつけられた樹林先輩の点棒は跡形もなく消し飛んだ。


「今のは不用意だったな。てか、半荘一局目で飛び終了かよ……。見てるだけで三着なんて理不尽極まりないな」


 嘆く新垣先輩を他所に、箱下終了で大きなマイナスポイントを被った樹林先輩は椅子に背を預けて天を仰いでいる。流石に今のは堪えたらしい。


「樹林先輩、こういうのはどうでしょう。先輩が素直に山河先輩との関係を話してくれたら、今の半荘をちゃらにしても良いですよ。どうせ話さなきゃいけない流れなんですから、この取引に応じた方がお得ではないですか?」


 そんな弱り目につけ込む西園寺。トップだったのは僕なのでせめて僕に許可を取るべきじゃなかろうかと思わなくもないが、これで話が進むのであればかまわないかと思い直して黙っておくことにする。

 樹林先輩は天を仰いだまま微動だにせず西園寺の提案に即答しなかったが、やがてため息を吐くと同時に上体を起こした。


「……この半荘はちゃんと無しにするからな?まったく、どうしてこんな……」


 渋々といった風でありながらも、樹林先輩は口を開いた。


「……まず初めに断っておくが、俺と山河先輩の間には何もない。残念ながらな」


「ふむ。残念というぐらいですから、山河先輩のことを好きであることは間違いないのですね」


 西園寺の直裁な指摘に一瞬固まりかけた樹林先輩は、一瞬の躊躇の後、諦めたように回答する。


「……そうだ。はっきり言ってしまえば、俺は山河先輩に好意を持っている。それを直接伝えられないヘタレ野郎だよ」


 自虐混じりながら、素直な思いを吐露する樹林先輩。


「初めはとっつきやすくて面倒見の良い先輩だという印象でしかなかった。新垣の言うとおり、当時の俺は口下手でな。あまり周囲と交友できていなかった俺に積極的に話しかけてくれて、他のサークル部員に繋いでくれることもしてくれた。今の俺があるのは、あの人があってこそだ」


 肝心な部分を言い切ってしまったからか、重かった語り口が嘘のように滑らかになり、口調に熱がこもり始める。


「時を経るにつれ、俺の純粋な好意は次第に恋慕の情へ変化していった。あの人のこと考えることが増え、あの人のことを目で追うことが増え、あの人を思ってシコ──」


 いやちょっと、そこまでは語らなくていいです。公共の場ですし、一応女性もいるので。


「ボクは別に気にしないけれど……。むしろ”一応”扱いされる方が不満なんだけどね」


 僕としては、そう思うならばもっと女性らしい恥じらいを持っていただきたい。


「そ、そうだったな。西園寺、すまん。とにかく、俺は半年足らずですっかり山河先輩に参っていた。作家としての志を胸に文芸サークルに入部したにも関わらず、創作の腕を磨くためではなく、山河先輩に会うためにサークルに通っていた。まったく不純な動機だよ。本来、俺は部長になっていい男ではないのだ」


 自嘲するように語る樹林先輩。

 しかし。


「馬鹿言うなよ。うちの代でお前ほど部長にふさわしいやつなんていやしねえ。新入部員もしっかり入ってきてるし、今のところ誰も辞めてないのはお前が部長だからこそだ。お前だからこそ、皆ついてきてるんだろ」


「そんなことないさ。別に俺じゃなくても、新垣、お前が部長だって問題なかったはずだ」


「そう思ってくれてるのはうれしいけどな。俺だってお前に助けられなきゃサークルにいなかったかもしれないんだ。お前を差し置いて部長なんてなれるかよ。他の三年生だって、同じ気持ちだ。別に動機が不純だろうがいいじゃねえか。お前がそれでサークルのために頑張れるなら、俺たちはそれを支えるだけだ」


「新垣……」


 新垣先輩の熱っぽい言葉に、ジーンとした様子の樹林先輩。

 ううん、青春してるなあ。こうしてベタベタなものを見せつけられると、こちらの方が気恥ずかしくなってしまう。西園寺がふたりを見てうひょーとか呟きつつ口の端からよだれを垂らしているのを目撃していなかったらいてもたってもいられなかっただろう。


「それで、そこまで想っていたのなら、何故告白しなかったのですか?山河先輩が卒業してしまったら中々会えないでしょうに」


 ハンカチでよだれを拭きつつ西園寺が問う。それには僕も同意だ。何しろ山河先輩の就職先は出版社で雑誌記者だ。全国を飛び回る部署に配属されたのは偶然の不幸であるが、勤務先からして多忙になるのは目に見えていたはず。

 ただの先輩後輩という関係では年に数回会えるかどうかだろう。

 僕たちの疑問に、樹林先輩はにべもなく否定する。


「できるわけがないだろう。俺のような男と山河先輩では不釣り合いだ。あの人にはもっとお似合いの男がいるだろう」


「お前ね……」


 また後ろ向きな言動に逆戻りしてしまった樹林先輩に呆れた声を漏らす新垣先輩。


「し、しかしな。サークル内であの人に懸想している男がどれだけいたと思っている。今まで恋愛ひとつしたことない俺が山河先輩の心を射止めることなど……」


「確かにそうだったかもしれないが、結局皆脈がないって諦めてたじゃねえか。今は皆この西園寺にお熱だからな。今でも一途に山河先輩を狙ってるやつなんてお前ぐらい──」


「山河先輩に魅力がないと言うのか貴様は!?」


「めんどくせえなおい!?」


 ううん。樹林先輩とは半年程度の付き合いでしかないが、ここまで面白くなる人だとは思わなかった。

 恋とは、かくも人を変えるものであるらしい。それほどに人を好いたことのない僕にはわからない感覚である。

 しかし、他人に恋する気持ちというものは人に備わっている原始的な機能だ。自らを日陰者だと称している僕と樹林先輩との間には、それがしっかり稼働しているという一点だけで深い断絶があるのではないか。

 ……なんて、僕がくだらないことを考えている間に、新垣先輩と西園寺の間では樹林先輩と山河先輩をくっつける方向で話が進んでいるらしい。


「このままずるずると躊躇っていても埒があかねえ。さっさと告っちまえよ。うちのサークルみたいな陰キャの集まりと違って社会人、それも出版業界の人間なんて山河先輩ぐらいの好物件はすぐにかっさらっちまうぜ」


「出版業界への偏見があるような気がしますが、概ねその意見には同意します。サークルの先輩後輩という都合のいい関係に賞味期限が来る前にさっさと当たって砕けた方が良いのでは?」


「いや、俺自身受け入れられるとは思っていないのだが、砕ける前提で話されるのは……」


「これは失敬。山河先輩の中で樹林先輩の存在が思い出として仕舞われる前に告白しておいた方がよろしいかと」


 西園寺の指摘は、なるほど的を射ている。

 山河先輩もしばらくは暇を見つけてサークルに顔を出してくれるに違いない。しかし、仕事が忙しくなり大学を訪れてくれる機会を失えば、自然と顔を出さなくなるだろう。

 そして樹林先輩とて、留年することがなければ大学に在籍していられるのは後一年と半分ぐらいなのだ。社会人同士になってしまえばなおさら会える機会を失うことはわかりきっていた。

 この先チャンスは失われていくばかりである。というより、山河先輩が卒業する前に告白していれば話は早かっただろうに。


「む、むう……」


 なんだかんだお世話になっている樹林先輩の背中を押したい僕も加わり、躊躇う樹林先輩を三人がかりで説得する。


「山河先輩の一番近いところにいたのはお前なんだ。今お前が告白してダメなら他のやつに芽はねえよ」


「まごついている間に他の男が山河先輩の隣に立つかも知れないんですよ?それで樹林先輩は納得できるんですか?」


「むむむ……」


 時に励まし、時に脅しつけて決断を促すが、樹林先輩の腰はどうにも重い。人に言われて簡単に決断できるなら既に行動しているだろう。

 他人への慎重さ、臆病さには共感できるところではあるが……。

 僕は樹林先輩を説得するための材料がないかと昨日の山河先輩とのやり取りを思い返す。

 他人との距離感において一家言のある僕に対してあれだけのコミュニケーション能力を発揮できるなら、本当に誰とでも仲が良いのだろう。

 仮に僕が山河先輩を好きになっていたら、とても告白する勇気は待てまい。なにせ山河先輩から見れば僕なんて多数の中の一でしか──。

 そこまで思考を進めてから気がついた。

 僕は麻雀そっちのけで二人に詰められている樹林先輩に、勝算があるかもしれないことを告げる。


「どうしてそんなことが言える?先輩が俺のことを好きだと明言でもしていたのか?」


 要らぬおせっかいにウンザリしているのか、はたまた決断できない自分に嫌気がさしているのか、投げやりに問うてくる樹林先輩。

 無論、そんな都合のいい話はない。しかし、判断材料としては悪くない事実がひとつある。

 山河先輩との会話を思い返してみると、彼女が口にするのは樹林先輩の名前ばかりだった。なんなら樹林先輩がちゃんと部長をやれているか気にもしていたし。

 樹林先輩が部長だからということもあるだろうが、山河先輩と付き合いの長い現四年生や、留年して未だ部に在籍している同輩の名が出てきてもいいはずである。

 そういった方々を差し置いて樹林先輩の名前が出てくるのは、山河先輩の中でそれだけ樹林先輩の存在が大きいからではないだろうか。


「……そうか、山河先輩が」


 僕の言葉を聞いて樹林先輩が呟く。


「樹林。これはやってみる価値があるんじゃないか?」


「樹林先輩。やるなら今しかないですよ」


 そんな樹林先輩に新垣先輩と西園寺が再度発破をかける。

 ふたりの言葉を受けて、俯いて瞑目していた樹林先輩顔を上げた。


「……よし、わかった。俺も腹を括ろう。山河先輩に想いを伝えてみせる!」


「やれやれ、やっとその気になったか。そうこなくっちゃな」


 樹林先輩の決意に新垣先輩が笑みを浮かべる。


「では、話もまとまったところで麻雀を再開しましょう。半荘一回ちゃらになりましたが、せっかく場代を払っているんですから」


「そうだったな。よし、ここできっちり勝って景気付けといこうではないか!」


 どうやら樹林先輩も覚悟が決まって前向きな気持ちになったらしい。先程までよりも明るい表情で牌に手を伸ばしている。

 成り行きで面白いことになったが、樹林先輩には是非とも想いを遂げてほしいものである。

 こうして再開した麻雀は、最初の半荘で不用意な打牌をしたせいかまったくツかなかった樹林先輩がぼこぼこにされて涙目になっていた。正直申しわけない。

 まあ、これで運が底まで落ちたことだし、後は上向くだけと思っておこう、うん……。

 とにかく、そういうことになった。

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