AVがアニマルヴィデオの略称である世界線


「いやあ、今日も一日働いたわ~」


 北条は機嫌良さげにたばこの煙をくゆらせる。


「これでしばらくの昼食代と、次のイベント日の軍資金ができたわね。このバイトを紹介してくれたシノちゃんと卯月社長には感謝しかないわ」


 浮かれるのはいいが、本日自分が何故に社長に身売りするハメになったか忘れないように。


「わ、わかってるわよ。そう何度も食費を消し飛ばすような負け方はしないって」


 そもそもこのスタジオでバイトはじめたのが今回と同じ理由なんだよなあ。


「そうだったかしら……?」


 明後日の方に目を逸らしながらとぼける北条にため息しか出ない。

 僕と北条は、最近お世話になっているスタジオ・コスパーティーへバイトに来ていた。既に撮影は終了し、今はスタジオ社屋と隣のビルの隙間に作られた喫煙所で帰宅前の一服中である。

 本来このスタジオでのモデルバイトは、社外から依頼された宣材の撮影に合わせて都度モデルに依頼が回る形になるのだが、今回のバイトはこちらから無理を言って作ってもらった仕事だった。

 そもそもこんな恥知らずなお願いをすることになったのも北条がパチンコで負けすぎて使ってはいけない昼食費にまで手をつけ、あまつさえそれを溶かしてしまったせいだ。

 しかし、北条は出るところが極端に出ている常人離れした体型をしているので、一般的なアパレル系の宣材として使うには難しい。

 結局、ちょっとした小物やアクセサリーの宣材写真が少々と、スタジオで使うレンタルコスプレ衣装のサンプル撮影という名目で社長や社員の趣味全開の、それこそバイト代が会社からではなく参加者個々人の財布から出ているレベルで私的ないかがわしい写真撮影に付き合う事でまとまった収入を得ることができたのである。

 北条は身体を売ることで収入を得てうはうは。スタジオの皆様はそこらじゃおめにかかれないようなグラビア体型女を使って好きなだけ趣味の撮影ができてうはうは。誰も損をしない素晴らしい撮影だった。

 撮影がいきすぎないよう監視役としてついてきた僕を除いて。

 一応僕も雑用という名目で撮影に臨んだのでバイト代が発生したのだが、ほとんどなにもしていないので当然そのバイト代も雀の涙だ。

 そんなバイトもどきで時間を浪費はしたくなかったのだが、東雲は学部の友人と遊びに行ってしまったし、喜んで参加しそうな西園寺はどうしてもはずせない家の用事があるとかで参加できず悔し涙を流していたので、仕方なく僕が出張ったのである。

 あまりにも面倒くさいのでばっくれることも検討したぐらいだが、僕がばっくれたがために北条が他人様に言えないようなところに墜とされたらと思うと、寝覚めが悪くてできなかった。

 いやまあ、流石にそんなことにはならないと思っているが、ここのスタジオの方々はコスプレに対して尋常じゃない熱意をお持ちなので……。

 そんなわけでこっちは北条にわざわざ付き合って割りに合わない仕事をしたのだ。飯ぐらいは奢って欲しいものである。


「わかってるわよ。それに、せっかく収入があったんだもの!今日ぐらい豪遊しても罰は当たらないでしょ!」


 奢られる側としては財布が太っ腹なのは嬉しいことだ。しかし、北条がでかいこと言ってるとめちゃくちゃ不安になるんだよな……。


「大丈夫大丈夫!今回もらった封筒もいい感じに分厚いし、しばらくの間あたしは無敵よ!」


 こんな狭い場所で胸を張るんじゃない邪魔くさい。

 僕の経験則から言わせてもらうと、こうやって調子に乗っている時の北条はだいたいやらかす。普段ならブレーキが効いて自重できる場面でアクセルが踏みっぱなしになるのでほぼほぼ大爆死するのだ。

 今回無理矢理仕事を作ってもらったばかりなので、しばらく卯月社長に頼ることもできないだろう。手にしたバイト代がすべて溶けてしまえば極貧生活待ったなしだ。

 少なくとも最低限の食費は残せるよう今のうちから説得しておくべきかと口を開こうとした時、表の方から声をかけられた。


「突然すみません。もしかして、スタジオの方でしょうか?」


 僕と北条がそちらに目を向けると、ひとりの女性が立っていた。

 つり目がちな瞳と縁の付いた眼鏡がなんとなくクールで理知的な雰囲気を感じさせる。ボブカットの黒髪、キュロットパンツに無地のシャツという出で立ちは飾り気がなくシンプルだが、北条ほどではないながらシャツを押し上げるふくらみを持つその女性にとって装飾の類いは不要なのかもしれない。

 女性の言葉に肯定しつつ、僕は内心首をかしげる。その女性のことをどこかで見たような気がしたからだ。

 こと対人関係における記憶力に関して自信がまったくない僕なので断言することはできないのだが、知己であるのに記憶がないことはあっても初対面のはずなのに記憶があるなんてことはそうあるまい。

 どこかであったことがあるのか、それとも他人のそら似か。まさか、どこかであったことがありますか?なんてナンパみたいな文句で相手に問うこともできず、もやもやした気持ちを覆い隠して愛想笑いを顔に張りつけていると、女性の顔をまじまじと見ていた北条があっと声を上げる。


「もしかしてですけど、前にスタジオでモデルやっててAV女優になったっていう?」


 ともすれば失礼にあたりかねない発言であったが、北条の問いに相手の女性はぱっと笑みを浮かべた。その笑みはどこか子供っぽいというか、あどけなさがあり、クールな見た目の印象とのギャップに一瞬戸惑いを覚える。


「そうですそうです!そういうあなたは私の後任になったという冬実さんのご友人の方ですよね?」


「そうなんですよ~!まさか本物の女優さんにお会いできるなんて!あ、デビュー作見ましたよ!」


「ありがとうございます!いやあ、冬実さんから私より胸の大きい友達がいると聞いていたのですが、本当に大きいですね。よろしければちょっと触らせていただいても?」


「いいですよお」


 なるほど、通りで見覚えがあるわけだ。

 きゃいきゃいとはしゃぎながら打ち解けているふたりを見ながら内心納得する。

 この人は僕たちがスタジオでバイトしはじめる前にスタジオに所属していて、AV女優になるために辞めたという元モデルさんか。

 見覚えがあるのは東雲からプレゼントされたこの人が出演しているAVを部屋で視聴していたからということだ。DVDのパッケージに載ってた名前は確か……。


「えっと、申川さるかわふたばさん……は、たぶん芸名ってやつですよね?」


「いえいえ、実はそれ本名なんですよ」


「ええっ、そうなんですか?」


 北条が申川さんの言葉に目を丸くする。

 僕も女優さんの名前も数えるほどしか知らなかったが、どれも芸名っぽさがあったので芸名前提で活動するものだと思っていた。


「業界的には芸名で活動するのが通例らしいですが、特に使う理由もなかったのでそのままにしてもらったんです。それに芸名で呼ばれたときに反応できなさそうだったので」


 そうは言っても普通は身バレとか知人バレ対策で芸名を名乗るものだと思うのだが……。


「私は別にバレて困る相手もいませんので。家族や知人友人にもわざわざ説明はしていませんが、隠し立てするつもりはありませんし。ご迷惑をおかけするかもしれないスタジオの方々にはご説明しましたが」


 平然とした様子で語る申川さん。そういえばうちにAVが持ち込まれた理由からしてこの人が東雲に自作を渡したからだった……。

 考えてみると自分が出演したAVを知人にプレゼントするというのも中々強者である。作家が見本誌を知人に渡す感じのノリで渡したのかも知れないが、受け取った側も対処に困るだろうに。東雲なんかは平然と僕に横流してきたが、おそらく受け取っているであろうスタジオの社員さん方はどうしたのだろうか。 


「それより、私のAVを見ていかがでしたか?よろしければ是非感想やご意見をお伺いしたいのですが……」


「そうですねえ。あたしはAVとか見たことなかったのでたいしたことは言えないんですけど……」


 申川さんの問いに嬉々として答える北条。僕は彼女たちのやり取りを人ごとのように眺めながらたばこに火をつける。

 ふわっとした北条の感想を大真面目な表情で頷きながら聞いている申川さんは、スーツでも着ていればできるキャリアウーマンに見えるだろう。だが、僕はこの人が映像の中で裸体を晒し、人に見せるためにいたしている姿を視聴しているのだ。

 そう思うとなんとなく居心地が悪いというか、気まずさを覚えてしまうのは僕が男だからだろうか。


「あなたも私のAVを見てくれているんですよね?どうでしたか?」


 水を向けてくる申川さんに対してなんと答えていいかわからず言葉に詰まる。僕に問いかける申川さんの笑顔には一点の曇りもなく、恥じ入ることなど何一つないと言わんばかりだ。

 申川さんの後ろで北条が声を出さずに笑っていることにいらっとしつつ、言葉を探す。

 僕は家を出るまで妹と同じ部屋だったからプライベートなんてほぼなかったので、ちゃんとAVを見るのは申川さんのが初めてだった。

 西園寺のやけに細かい解説を聴きながらの視聴であったが、他のAVとの比較なんぞできる知識はなかったので、北条と同じく当たり障りのない感想しか述べることができないのである。

 それでも無理矢理それっぽい言葉を捻り出そうとするならば……、僕の思っていたようなAVとは大分違ったなと。


「なるほど、思っていたものと違う、ですか……。といいますと?」


 僕の批判ともとられかねない言葉に、申川さんは嫌な顔ひとつせず深く頷いて続きを促してくる。

 ええと、なんと説明すればいいのやら……。

 AVというものは当然シコるために使われるのだから、そういうことがしやすいように演技するのだと思うのだが、視聴中を通してAVらしさがあまり感じられなかったというか。

 もちろんがっつり性行為のシーンがあったのでAVであることは間違いないのだが。

 ……というか、僕は何を言わされているんだ。

 背後で遠慮なく大爆笑し始めた北条を睨みつける僕のことなど気にもせず、申川さんは唸った。


「ううん。つまり私の演技じゃ勃たなかったと……」


 それは語弊があるのでマジでやめていただけませんか?

 いや、僕が見たときは酒を大量に摂取していたしいつもの女三人ばかりと和気藹々とした雰囲気で視聴していたので……。

 そう考えてみると僕が視聴していた状況はあまりに特殊なので、参考にはできないかもしれない。


「そういうことですか……。ただ、見ていただいた方からの感想をお伺いすると、確かに他とは違うという風なことをいただくんです。否定的なニュアンスというわけではないらしいのですが……」


 どうやら僕の感性が間違っていたわけでもないらしい。申川さん本人も引っかかりを覚えてはいるようだが、具体的なことはわかっていないようだ。

 しばらく思い悩んだ様子をみせていた申川さんが、何か思いついたというような表情と共に手を叩く。


「そうだ!この後お時間があれば一緒に実戦して確認していただけませんか?実際にやることやってみれば見えてくることがあるかもしれません!」


 その発言があまりに唐突であったため、実戦という言葉がなにを指しているのか一瞬理解できなかった。


「どうでしょうか?ホテル代は私が出しますし、できる限りのお礼はさせていただくつもりなのですが……」


 上目遣いで問うてくる申川さん。ようやく状況を把握した僕は、しかしどう返事をすればいいか皆目見当がつかず困惑するばかりだ。北条もぽかんとした表情で固まっていて援護は期待できそうにない。

 ……ああっと、その。僕も経験がないので実戦したところで具体的なアドバイスはできないかと。それに、この後そこの北条に飯を奢られにいく予定なので……。


「そうですか?あ、それなら北条さんも一緒にというのはいかがです?食事はご馳走しますし、経験がなくとも客観的な視点が加われば何かわかるかも!」


「うえええええ!?」


 固まっているところに突然火が飛んできた北条は奇妙な声を上げると、しどろもどろに言い訳をし始める。


「あ~あの、あたしも未経験なのであまりお力には……」


 僕たちよりもAVに詳しいやつが一緒に見てましたので、意見を聞いておきますよ。間違いなく僕たちよりも参考になりますので。


「本当ですか?是非お願いします!」


 なんとかしてこの状況から脱するべく捻り出した僕の言葉に申川さんは大喜びしながら食いつき、僕たちと連絡先を交換する。勢いに流されてつい交換してしまったが、もしかして失敗だっただろうか……?


「今度スタジオに入る時でも、何でしたら時間がある時でもご連絡ください。時間を作ってお伺いします。それでは、私はスタジオの皆さんに挨拶してきますので!」


 そう言って颯爽とスタジオに消えていく申川さんを呆然と見送る僕と北条。嵐のように、なんて表現がぴたりと合うひとときだった。

 落ち着きを取り戻したくてとりあえずたばこに火をつけると、北条もそれにならう。肺に入れた煙をゆっくりと吐き出してから、北条がぽつりとつぶやく。


「なんていうか、すごい人だったわね……。あまりにもあけっぴろげというかなんというか……。さっきほどハルちゃんとシノちゃんが一緒にいて欲しいと思ったことはないわ」


 いや、あのふたりがいたらうっかりホテルに連れ込まれていた可能性もあるからいなくてよかったのではないだろうか。


「……それもそっか」



     *



「ああ、ふたばさんに会ったんだ。面白い人だったでしょ?」


 網戸の向こうでチェアに寝そべった東雲の言葉は、どこか面白がっているような声音をしている。

 確かにある意味面白い人だったが、めちゃくちゃやべえ人でもあった。好意でもなくヤリ目でもなく、仕事への生真面目さだけで初対面の男をホテルに誘うとか普通じゃない。


「あたしも巻き添え食うところだったわ……。いい人なのは間違いないけど、変な人だったわね」


「そんなに楽しいことがあったのか。惜しいことをしたなあ。女優の申川さんに会えるだけじゃなくホテルにも誘われるなんて、ボクもその場にいたかったよ。なんで受けなかったんだい?」


 西園寺は自らの巡りの悪さに悔しがり、うらやましそうにしているが恐ろしくてそんな誘いに乗れるわけあるかよ。スタジオの人たちにうっかり知れ渡ったら顔を出しづらくなるだろうし。


「ふたばさんらしいな。あの人は純粋というか、ひたむきなところがあるから。本気で意見に向き合った結果そういう判断になったんだろうね」


 向き合った結果が斜め上すぎるんだよなあ。あの人は昔からあんなだったのだろうか。


「少なくとも私が知る限りでは前からあんな感じだね。いやまあ、ふたばさんがスタジオにいた時期のことしかわからないんだけど」


「モデル時代からあんな感じにあけっぴろげな人だったの?」


「どうだろう?女性ばかりの会社だから社内恋愛みたいなものもなかったからね。その分飲み会とかでの猥談はえげつない環境だけど、ふたばさんはあれもこれもフルオープンだったから一番の強者だったよ」


 フルオープンて……。つまり、下ネタへの抵抗感は一切なかったと?


「そんな感じだね。男性経験があるとは聞いてなかったけど、はじめての貫通については赤裸々に語ってくれたよ。これが面白くてね。初めてバイブを買った時、サイズを確認し忘れて極太サイズが届いてしまったらしいんだけど……」


 いい!いい!そんな生々しい話は僕のいないところでしてくれ。

 とりあえずスタジオの人たちから飲みに誘われても絶対に行かないと心に決めつつ、話をぶった切ったことに不満そうな西園寺を無視して話題を切り替える。

 あまり気は進まないが、危機回避のためとはいえ申川さんと約束してしまったので、西園寺プロからご意見を頂戴することにする。

 今ここで聞かずとも、申川さん本人に西園寺を引き合わせて説明させればいい話なのだが、僕自身が感じた違和感について上手く言語化できずにもやもやしているのだ。早いところ答えを聞いて解消しておきたい。


「申川さんが出演したAVの評価について?一緒に見たときに散々語って聞かせたと思うのだけど……。まあ、君が覚えているわけないか。それじゃあ改めて解説してしんぜよう」


 せっかくだからと、申川さんのAVを再視聴しながらの解説である。酒を入れたいところだが、しっかりと解説を聞くために諦める。

 僕たちが以前視聴したAVは、申川さんのデビュー作である。女優である申川さんへのインタビューから始まり、インタビュアーの男性と行為に及ぶ。その後、場面や相手を変えての行為が何回か。デビュー作としては一般的な内容であるらしい。

 西園寺は申川さんの容姿や体つきの素晴らしさ、行為に演技くささがないこと等を力説してくれたが、聞きたいこととは関係ないので割愛する。


「さて、ここまでは前回視聴しながら君に語って聞かせた内容だ。ここからは君が感じた違和感や申川さんの耳に入った感想について、ボクなりの意見を述べよう」


 そう前置きした西園寺はテレビ画面を指し示す。

 画面では半裸になった申川さんと男優が行為に及んでいる。前回もそうだったが、あまりにもAVを視聴するにそぐわない雰囲気であるため、理性的に映像を観察することができた。

 いや、この場の雰囲気だけではないか。

 画面中の行為の激しさも、喘ぐ申川さんの声もものがあるはずなのに、見てるこっちはどうにもその気にならない。


「見ての通り、申川さんの演技にはなんの問題もないと思う。というより、先ほども解説したけど演技というには演技っぽさがないんだ。彼女はたぶん、ほとんど素で行為に及んでるんじゃないかな。他の女優さんでそういう人がいないとは限らないけど、普通はカメラとか見せる部分を意識するものだからね」


 そういうものなのか。というかやけに詳しいというか、解説がしっかりしているな。


「ネットの同志達と意見を交わした結果だからね。申川さんにはけっこうな人数が注目してるから確度も高いはずだよ」


 同志て……。お前はどういう活動をしているんだよ……。


「こういうものの感想や意見は皆で共有してなんぼだよ。まあ、そういうわけで申川さんはほとんど素で行為に及んでいると思われる」


「それじゃあ演技をしてないから他の女優さんと違って違和感が出るってこと?」


「問題はそこじゃない。申川さんが他と違うのは、彼女が純粋にエッチを楽しんでるからだというのがボクと同志達の結論だ」


 はあ……?

 自信満々な様子で言い切る西園寺に、僕と北条のこいつ何言ってんだという視線が突き刺さった。それに気がついた西園寺が頬を掻きつつ補足する。


「ちょっと表現が難しいんだよな……。AVっていうのは、要は行為のいやらしさを楽しむためのコンテンツだろう?けど、申川さんは明るく楽しく行為にいそしんでいる節がある。おそらく性行為そのものを恥ずかしいと思っていないんだろうな。だから健全さがにじみ出ていやらしさを中和しているんじゃないかと」


「なるほどね。たしかに申川さんはそういうことに抵抗をまったくと言っていいぐらい感じてなかったな。だからこそ猥談強者たれていたのかもしれない」


 納得するようにうなずく東雲。

 つまりなにか?申川さんに恥じらいがなさ過ぎるからAVらしさが失われていると?


「まあ、そうとも言うね」


「けど、それなら評判が悪くなるもんじゃないの?かわいそうなのは抜けないじゃないけど、エロくないのは抜けないってなりそうだけど……」


「確かに一部ではその通りだ。しかし、我々は今のままの申川さんが好ましいと判断している」


 北条の疑問に、まるで全視聴者の代表みたいな口ぶりで語る西園寺。どんなコミュニティで語り合えばこんな態度になれるのやら。

 しかし、抜けないAVというのは致命的では?


「いや、これは申川さんの個性であり才能だ。健全エロと言えばいいのかな。こういう雰囲気のAVは彼女じゃないと作れない。我々は彼女のことをこれからも推し続けるだろう。それに、誰も抜けないとは言っていないだろう?やることやってるんだから使うやつは使うよ」


 結局使うんじゃねえか……。

 まあとにかく西園寺プロというか、視聴者の方々の意見はわかったし、僕の疑問もある程度は解消された。今度顔を合わせた時にでも申川さんには説明しておこう。


「そうしてくれたまえ。じゃあ、今度会った時に伝えてもらう感想を語っておくから、しっかり聞いて申川さんに伝えておいてくれ」


 いや、なんでそんなことしなきゃいかんのだ。伝えるなら自分で伝えてくれ。


「次会えるときにボクがいるとは限らないだろう!連絡先も君かナツしか知らないし。それに、本人に会うのに作品の感想一つまともに言えないのは失礼だよ。君とナツにはAVというものをしっかり勉強してもらわないと」


「……え?あたしも?」


 僕と北条は、申川さんのAVをリピートしながら西園寺のAV談義に付き合わされるハメになった。



     *



「なるほど。今のままが好ましいということですか……。見てくださった方々がそうおっしゃるのならそれがいいのでしょうけれど……」


 向かいのテーブルに座る申川さんはちょっと消化不良な様子をみせつつも、自分を納得させるようにうなずいた。

 西園寺から教えを受けた後、申川さんに連絡を入れるとすぐに返信が入り、バイトのタイミングを待たずに直接会うことになった。

 北条が無理矢理仕事をねじ込んだこともあり、次回のバイトのスケジュールが立たなかったためだ。

 申川さんのノリについていける自信がなかった僕は誰かしらについてきて欲しかったのだが、北条を連れていっても盾にはなりそうになく、西園寺と東雲を連れて行くと話の収集がつかなくなる恐れがあったので断念した。

 西園寺辺りは連れて行かないとごねる可能性もあるので、黙って出てくる念の入れようだ。

 感想を聞いてくることを請け負った以上、僕が申川さんと会うことは避けられないのだ。どうせなら被害は少ないに限る。

 とにかく、最低限申川さんに伝えることは伝えられた。後はお礼に食事を奢られて帰るだけである。

 申川さんが選んだお店が普段は手が出ない値段なちょっといいパスタのお店なのも、ちょっと落ち着いて話しつつ、ドリンクバーがないため長居しづらいので実に都合がいい。

 僕はちょうどよく出てきたパスタをフォークに巻く作業に没頭する。沈黙を作るのは気まずいのでネタがなくとも話題を振った方が精神衛生上よろしいのだが、申川さんの場合会話をしていると僕が処理できないようなエグい話題が飛んできかねないのだ。


「……しかし、女優は難しいですね。私もAVが好きでたくさん視聴してきたので、見様見真似でなんとかできると思ったのですが」


 ……まあ、それも向こうから話を振られてしまったら意味がないのだけれど。

 問題ないと言われても納得はできないらしい。別に評価は良いのだから気にする必要はないというのに。


「そうはいきませんよ。私はAVが初体験でしたけど、他の同じ条件の方々はしっかりと演技できているんですから。今後の活動を考えればそういった部分は把握しておかないと」


 職業意識が高いのは良いことだが、普通に考えて本当に未経験でAVやる人なんていないだろうと言いたかった。しかし知識もないのに否定することもできず沈黙するしかない。実際そういう人が目の前にいるようであるし。

 ……申川さんはなんでAV女優になったんですか?

 思い悩む申川さんに僕は思わず質問し、自分の言葉に顔をしかめた。

 いささかデリケートな話に思えたし、自分から話題を広げるつもりもなかったのだが、我ながらどうも最近分をわきまえない言動が多い。

 吐いた唾を飲み込むこともできないため、申川さんが気を悪くしてないかとびくびくしていたのだが、彼女は気にした様子もない。


「それはもちろん気持ちいいことが好きで、AVが好きだからです」


 申川さんの端的かつこちらから話を広げづらい回答になんと返せばいいかわからず押し黙る僕に彼女は続ける。


「私がはじめてAVを見たのは、父の書斎に隠してあったAVコレクションを発見したのがきっかけでして。そのコレクションがすごいんですよ!本棚の裏に隠し棚みたいなものを作ってその棚一面にAVが並んでるんです。父は高校教師で普段厳格な人なので、はじめて見つけたときはとても驚きましたし、その時の私は父のことをちょっと軽蔑もしましたが、興味本位でついこっそり視聴してしみたら私もハマってしまって……。それが私の性の目覚めでもありましたね」


 ちょっとした世間話をするような口調で語る申川さんの笑顔にはやはり一点の曇りもない。


「大学に入学してからはコスパーティーでバイトを始めて、バイト代でAVを買ったり個室ビデオの店に入ったりしてたんですが、ある日AVを見てている時にふと思ったんです。自分が出てるAVで誰かがシてることを考えながらしたら最高に気持ちいいだろうなって。元々憧れもありましたので、思い立ってすぐ行動に移しました。AV女優をやりながらモデルを続けるのもスタジオの評判に関わりますので、辞めざるを得ないことだけが残念でしたが……」


 な、なるほど……?

 大分話が飛んで理解が追いつかず、愛想笑いで誤魔化すしかない。要は趣味が高じてというやつなのだろう、たぶん。

 自分が気持ちよくなるためにAVに出て他人を気持ちよくするとか無茶苦茶な気もするけど。

 というか、ご両親は申川さんがAVに出ていることをご存じなのだろうか。


「実はまだ話はしていないんです。いつか父が知らずに私の出ているAVを手に取って、自分の娘がAVに出てると知ったらどうなるか。面白いとおもいませんか?」


 申川さんの父親が卒倒するか家族会議で大変なことになるか、どうあがいてもろくでもない未来しかないと思うのだが……。

 父親もまさか娘にコレクションを漁られていて、あまつさえその影響でAV女優になったなんて思いもしていないだろう。

 僕は今すぐ申川さんの企てを止めるべきか悩んだが、今さら止めたところでどうにもならないので、申川さんの父親が娘のAVを見つけないことを祈ることにした。


「さて、そろそろ出ないとお店に迷惑ですね」


 申川さんがお店の時計をちらりと確認しながら言う。

 思考が半分停止していたのだが、いつの間にかけっこう時間が経っていたようだ。僕は一も二もなく頷いて帰り支度を始める。

 約束通りありがたく奢っていただき店を出る。店にいた時間は二時間程度でしかなかったが、中々に濃密な時間だった。


「今日はありがとうございました。とても参考になりました」


 申川さんがにこやかな表情で礼を言うが、今日の僕はただのメッセンジャーだ。聞いてきたことを伝えてタダ飯をいただいただけで、礼を言われるようなことは一切していない。


「そんなことはないですよ。普段話せないようなことも色々と話せて嬉しかったです。やっぱりこういう話をすると引かれてしまうことが多いですからね」


 僕は何気ない申川さんの言葉に驚愕した。今まで遠慮なくエグいトークをぶっ込んで来ていたので、無邪気かつ自覚なくやっているのだと思っていたが、彼女はそういった話が不味いということはわかっているらしい。


「こう見えても時と場合と相手は選んでいるんですよ。誰にでもこんな話をしてたらただの痴女じゃないですか」


 ぶっちゃけただの痴女だと思っていた。

 というか、そう思えるのなら遠慮というものをして欲しかったが、何故こういう話を僕に……?


「相手が本当に嫌がっていれば私も控えますが、特にそういった様子もなさそうでしたので。AV女優になった理由なんてのも初めて聞かれましたし」


 ……どうやら僕は申川さんに対して踏み込みすぎていたらしい。そりゃあそんな話普通は聞きづらいか。東雲辺りなら平然と聞いていておかしくないと思ったが、やつですら聞いていないなら完全アウトだろう。


「そもそも今まで下心なく真面目にこういった話を聞いてくれる男性がいませんでしたからね」


 それはそうだろう。美人でスタイルのいい女にこういう話をされて下心を持たない男はそういない。


「じゃああなたは何故?」


 内心で猛省している僕に申川さんが質問してくる。

 何故と言われても……。大学とかスタジオでの僕の立場を考えた保身だとか、こんなやべえ女に手を出したら後からどうなるかわかったもんじゃないとか、理由を並べようと思えば色々並べられるが……。

 まあ、所詮他人事ということだ。他人である申川さんがどれだけ癖のある人物だろうと僕は困らないし。

 投げやりとも冷たいとも言える僕の言葉を聞いた申川さんは僕をまじまじと見つめてくる。

 流石に怒るかなと思ったけれど、申川さんはやはり気にした様子もなく、にこりと微笑んだ。


「……もしこの後お時間があれば、私とホテルに行きませんか?」


 行かない。

 とんでもないお誘いに対し反射的にそう答える。


「そうですか。もしその気になったらいつでもご連絡ください。できる限り時間の都合はつけますので」


 申川さんは僕の回答に残念がるでもなくうなずく。


「今度新作を出したらお送りしますので、また感想を聞かせてください。それでは!」


 僕は申川さんの背中が見えなくなるまでその場で見送り、彼女が雑踏の中に消えると部屋に帰るべく歩きだす。

 ちょっと会って食事をしただけでこの疲労感。今までとんでもねえ女は何人か見てきたが、今回は一番やばい人だった。

 やはり北条を連れてきて盾にするべきだったか。

 とりあえず今回得られた教訓はひとつ。

 エロ関係の私物はやはりパスワードのかけられるデータ保管が一番ということだ。

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