第38話 一年投手をエースに育てるために①
――邦洲高校野球選手権近江県大会 第七回戦(準決勝)。
ときめき学園 対 翠清学院高校。
もうどれだけ長くとも、夏はあと一ヶ月しかない。
ここまでくるともう、チームの方針をあれこれ変えたりすることは不可能である。今まで練習してきたものを全て出し尽くすのみ。じたばた出来るタイミングではない。こんな時に隠し玉を投入して奇策に出るような高校は存在しない。――普通は。
(ははあ、ワシの勘はまだまだ当たるもんだな。あいつらはクソガキだねえ、全く)
翠清学院高校の老監督は、内心で悪態をついた。自分たちの生徒も大概のクソガキだが、ときめき学園は飛び切りのクソガキ共らしい。
県大会の準決勝だというのに、まさかの一年生投手の起用。
翌日の県大会決勝こそ三年生投手を起用するつもりなのだろうが、今日は『温存してきた』ということなのだ。それはつまり、翠清学院高校が舐められているということに他ならない。
(ぽっと出のガキ共が、歴史ある名門校を見下すたぁ恐れ入るねぇ。気分はもう立派な強豪校ってかい?)
老監督はにやりと口角を吊り上げた。ここまでくるとむしろ痛快である。
挑発としてはこの上ない。歴史がある名門校は、やがて、歴史しか誇るものがない凡庸な高校に成り下がる日が来る。それは格下に舐められ出した頃だ。
その日が来ないように、名門校は常に高い志を持って、自己研鑽を続ける必要がある。
この挑発を受けて、翠清学院高校の生徒たちの士気は揚々といったところである。
決勝が控えているのは知っているが、今日全て出し尽くしても後悔はない――とばかりの気概であった。
(正解だね。ワシがときめき学園の監督でも同じことをする。今日はどうあがいたところで、消耗戦になる気配が濃厚だからねえ)
知ってはいるが腹は立つ。名門としての自負があればなおのこと。
もはや今日は、翠清学院高校の方が挑戦者の身分である。
「でもあいつらァ、今日は乱打戦ってことを分かってるのかねえ?」
主力を消耗するか、乱打戦の泥沼に引きずり込まれるか。
大袈裟に言えば、そんな二択を想定するのが今日の試合の構想である。
そして乱打戦とはつまり、守備力と打撃力の総合勝負。
先輩たちの寄付金によるピッチングマシンを保持し、広いグラウンドを保有し、名門校の看板を利用してリトルリーグの実力者をかき集めた、この翠清学院高校。
それが、胡散臭い理論を振りかざす若い
(まあ、ワシらに負けたとしてもね、あんたらようやった方だよ、ときめき学園。ワシらは弱かぁないんだ)
◇◇◇
【頑張れ】近江県高校野球スレ118【湖国球児】
517:やきうのお姉さん@名無し
ときめき学園
先発:フィル 捕手:蜜石
はい解散
519:やきうのお姉さん@名無し
は?
522:やきうのお姉さん@名無し
出たよクソ采配
この高校は必ず一年生を登用する縛りでもしとるんか?
524:やきうのお姉さん@名無し
奇策に出るねえ
?ッ?「ここでオリジナリティをひとつまみっと……w」
525:やきうのお姉さん@名無し
エース級投手三人もおるんやから、ここで先発で出しても問題ないだろうに
何を躊躇っとるんや、ときめき学園は
528:やきうのお姉さん@名無し
フィル、相変わらずスローカーブしか投げないのかよ
こんなのバットを振らずにずっと待ってたら四球で進めると思うけどなあ
531:やきうのお姉さん@名無し
案の定打たれてるなー
森近と緒方は故障しとるんか?
532:やきうのお姉さん@名無し
2アウトランナー満塁
いきなり大ピンチやんけ!
534:やきうのお姉さん@名無し
あーもう滅茶苦茶だよ
537:やきうのお姉さん@名無し
お前らときめき学園叩きすぎ
緒方や森近の投球が見たいからって、一年生を叩くのはアカンやろ
539:やきうのお姉さん@名無し
油断しとるんちゃうか
翠清学院高校は普通に強豪校やねんぞ
今までみたいに一年生投手を簡単に投入できる相手ちゃうねんぞ
542:やきうのお姉さん@名無し
あっ
544:やきうのお姉さん@名無し
うおおおお
545:やきうのお姉さん@名無し
羽谷たまらん
547:やきうのお姉さん@名無し
これよこれ
打球反応凄すぎんか
549:やきうのお姉さん@名無し
羽谷やるやん
プロの風格出てるわ
550:やきうのお姉さん@名無し
下手くそピッチャーの炎上を神捕球で鎮火していくスタイル
打たれて取るピッチングやね
552:やきうのお姉さん@名無し
今年のときめき学園の守備ってなんでこんな冷や冷やするんや
去年はもっと圧倒的やったやんけ
554:やきうのお姉さん@名無し
>>552
何故かは知らないけど、軟投派ピッチャーばかり重用してるからな
去年よりも打たせて取るピッチングを意識しすぎてる気がする
それで失敗して去年よりずるずる失点してるイメージあるわ
はよ森近と緒方だせよって毎回思うわ
556:やきうのお姉さん@名無し
みんなときめき学園のこと好きやね
こぞって野次飛ばして叩いてるけど、こいつらプロ野球やってるわけちゃうねんで
ここ最近のスレの流れみてると、プロ野球ばりにプレイの粗探しされたり技術の要求されすぎてて引くわ
557:やきうのお姉さん@名無し
ホッシのちんちんで盛り上がってたころが一番楽しかったな
559:やきうのお姉さん@名無し
そろそろときめき学園のフィルがなんでこんなに打てないのか真剣に考えたい
あいつスローカーブ?イーファスピッチ?しか投げてないのに、全然ホームラン出てないんやが
もしかしたらほんまにフルタイムナックルボーラーの可能性あるぞ
561:やきうのお姉さん@名無し
>>559
エアプ乙
ナックルボーラーは被本塁打結構あるぞ
562:やきうのお姉さん@名無し
>>559
単純に高校球児たちが遅すぎる球筋を見慣れてないだけでしょ
誰もまさかキャッチボールみたいなふわっとした投球だけしかこないとは思わんでしょ
564:やきうのお姉さん@名無し
>>559
不規則な変化をするナックルってこんなに打たれるもんなの?
普通にスローカーブやと思う
566:やきうのお姉さん@名無し
>>559
フィルだけでどんだけ失点しとると思ってるんや
打てない投手って評価は流石にない
567:やきうのお姉さん@名無し
フィルってナックルボーラーなんか?
仮にそうだとして、ナックルボーラーって全然大したことないのな
漫画とかだと無双してそうな気がするが
◇◇◇
――乱打戦。
フィルが立て続けに打たれたのは計算外だったが、1回表1失点は悪くない方の数字であった。
「よくやったフィル、上出来だ」
「……グエー」
フィルの顔は青い。やってしまった、と責任を感じているのだろう。ふてぶてしい割に繊細なところもあって、この子は難しい子だと思う。
(別に気にしなくていいと思うんだけどな。ナックルボーラーなんだからイニングを食うことを重視してくれたらそれで十分だ)
俺からするとこの1回1失点というのは、まだまだ許容範囲である。
仮に、相手の上位打線(1番〜5番)が出塁率4割であったとする。
このとき1番からスタートして上位打線(1番〜5番)でスリーアウトにならずに繋がる確率は、3割程度になる。
計算式:
https://www.wolframalpha.com/input?i=1-%28%28%285%21+%2F+5%21%29+%C3%97+%280.4%29%5E0+%C3%97+%280.6%29%5E5+%2B+%285%21%29+%2F+%284%21%C3%971%21%29+%C3%97+%280.4%29%5E1+%C3%97+%280.6%29%5E4+%2B+%285%21%29+%2F+%283%21%C3%972%21%29+%C3%97+%280.4%29%5E2+%C3%97+%280.6%29%5E3%29%29&lang=ja
逆に言えば、出塁率4割あろうとも上位打線は7割近くどこかでスリーアウトになるのだ。
この計算式が意味することはシンプルで、
・相手が上位打線であっても出塁率4割程度では、2/3以上の確率で打線は途切れる
→ 連打を浴びることはあまり多くない
ということである。
この出塁率4割のラインは、甲子園出場校のチーム出塁率を算出すると概ね3割5分~4割5分になることから設定している。出塁率4割以下というのは一つの指標になる。
もし仮に出塁率が6割になると、上の計算式の裏返しになる。ノーアウトで1番から始まると、5番まで7割程度の確率でつながってしまう。これが今までときめき学園の爆発力になっていた。
出塁率6割というのが化け物じみた数字になっているが、うちの
じゃあ何でときめき学園は、そんな化け物打線を擁していながらも今までの戦いでそんなに点数が爆発してないんだ、という話にもなってくるが、それはそれである。6番打者以降で津島のシュート+鷹茉監督の内角攻め作戦にやられたり、外角攻め+馬杉の守備にやられたりして不幸な展開が多かった。
信じてもらえないかもしれないが、うちは6番打者以降も打率2割7分ぐらいはある強力打線なのだ。晄白水学園と鹿鳴館杜山高校の2校だけ(あまりにも上手い事やられたので)やたらとハイライトが当たっているが、他の高校、例えば近興越高校にも県立勝処高校にも、きっちり打撃力で勝っている。火力のある高校なのだ。
話が逸れてしまったが――要するに今のフィルに求められているのは「相手の出塁率4割以下」のピッチングで十分なのだ。
基準が緩すぎるようにも思われるが、俺の試算ではこれで別に問題はない。出塁率を平常時以下(普通の投手が投げたときの出塁率以下)に抑えてくれたら、それで十分仕事をしたと考えてよい。
というのも、ナックルボールには明確な攻略方法が存在しない。
球速が遅く盗塁に弱いとか、揺れなかったとき絶好球になるとか、フォームや握りが違うので他の変化球とすぐ見分けられるとか、捕球が難しく捕手に負担をかけるとか、そういう弱点はあるものの、『球種が分かったら打ちやすい』という類の変化球ではない。
揺れ方が不規則である以上、「カーブならこの辺、スライダーならこの辺」とヤマを張って打てるわけではないのだ。
今のフィルはそこそこ打ち込まれているが、被害は少ない。
だから『打ち頃のスローボールしか投げていない割には、何故か分からないが大炎上はしていない』という不気味な状態が続いている。
ひょっとすると、投手星上の攻略法とか、投手森近の攻略法、投手緒方の攻略法というものはあるかもしれないが――極論、投手フィルの攻略法はほとんどないのだ。
(これで肘の負担を気にしなくていいんだぜ? イニングイーターとしてこれ以上の才能の原石は中々存在しない)
こんなことを言うと言いすぎかもしれないが、ときめき学園以外の高校で、こんなに熱心にナックルボーラーを育てようとする環境が整っている場所はほぼないだろう。
相手より有利にイニングを消化できるなら、多少の失点は育成経費として織り込める。うちの一年投手たちは、そうまでして投資する価値がある逸材なのだ。
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