第37話 宇宙人、後輩に期待する
フィル・幸奈・岩崎は激怒した。必ず、かの
「ワイはアカン! ワイはアカンのです! 絶対足を引っ張ります! 掲示板でワイちゃん、なんて言われてるか知ってます? 『フィルでも入れるときめき学園』『名誉死刑囚』『ときめき学園にもこんな選手がいるんだ(*^○^*)』とか言われてるんですよ!?」
「でもワイちゃん、『添い寝してくれたら次も頑張る』って約束してくれたよな」
「【悲報】ワイカス、8秒で論破される」
フィルには政治がわからぬ。フィルは単純な女であった。
「ワイには水川という無二の友人がいます。あれを、人質としてここに置いて行きます。ワイが逃げてしまって、三日目の日暮まで、ここに帰って来なかったら、あの友人を先発投手にして下さい。たのむ、そうして下さい」
「あいつもお前も投げるんだよ、逃げ場はないぞ」
「ファー」
おかしい。こんなことは許されない。
フィルは内心で憤慨した。
見せしめとしか思えない処置。公開処刑も同然。仕上がりの甘い今の自分のナックルボールでは、大炎上する未来しか見えない。
何と慈悲のない先輩だろうか。冷酷にも程がある。
「……ワイ将、退路を断たれる」
「とにかくフィルには場数を踏ませたいんだ。ナックルの仕上がりは丁半博打のようなものだが、邦洲球の縫い目の高さに慣れてきた今のフィルなら、きっといいナックルを投げられるはずなんだ」
「い、いくらワイでも無理なものは無理なんです……」
涙が出てくる。
この腹黒クソイケメンに情緒を滅茶苦茶にされてるかと思うと、頭がおかしくなりそうである。仮にこんな先輩に意地悪されたとしたら、頭が煮え立つに違いない。
「い、いくら邦洲国はノーパワーと言っても、ワイちゃんには限度があります……」
「そういうとこだぞ」
どういうところなのだろうか。
そもそもベースボールの発祥は大陸国。スモールカントリーの邦洲国はテクニカルニンジャなスモール・ベースボールだが、我らがステイツ流はビッグ・ベースボール。
ステイツからみれば邦洲はノーパワーである。
そんな大陸国の出身だと言うのに、自分の球にも力がないのだが。リトルな邦洲人に滅多打ちにされるのがその証拠である。
謙虚なフィルは自己分析も完璧である。
「ワイの指に吸い付く球の湿気と、縫い目の低い変な球がいかんのです!」
「お前の投げ込み不足だ」
「グエー」
これだから星上先輩は酷いのだ。
男の身の癖に、なまじ邦洲野球と大陸野球を両方経験しているので言い訳させてくれない。
「う、うぐぅ……ワイが大炎上したら責任取ってくださいよ……?」
「練習を尽くした奴が炎上したなら、いくらでも助けてやるさ。練習をサボっている奴が炎上しただけなら後でしばく」
「【朗報】ワイちゃん助かりそう」
「お前ほんといい性格してるよな」
頬を引っ張られた。酷い。
練習は頑張っているのに、この仕打ちである。
「お前のその根性、エース向きだと思うんだけどなぁ」
「ヒェ~ッ」
「俺と同じクズ野郎の匂いがする」
何気に酷い言葉である。森近先輩や緒方先輩とは違って、星上先輩は別の方向性で容赦がない。ずけずけくるというか、繊細なフィルの心をこてんぱんにしてくるのだ。
徹底的にエースの野球を仕込んでやる、と星上先輩はのたまった。
このときフィルは、死んだ、と思った。
◇◇◇
緒方と森近と星上と水川と岩崎。
五人分のリードを考えることはかなり難しい仕事である。状況に応じて何を使うか、引き出しが多いからこそ捕手の判断が重要になってくる。
(継続かあ……。これって、あーし含めて
蜜石の負担の重さは尋常ではない。昨年の甲野が淡々と
少なくとも、本来は一年生が切り盛りできるような仕事ではない。
先達がいるからこそ何とかこなせているものの、扇の要の重みとはそれほどのもの。畿内ガールズリーグでも屈指の捕手だった蜜石だが、『それで精一杯』というのがこのときめき学園の異常性を物語っている。
捕手の裁量が
少ない選択肢をやりくりする難しさとはまた違う、多すぎる選択肢から、ベストに近い一手と最悪を回避する一手を常に比較し続ける難しさがある。
つまり、膨大なセオリーをどれだけ知っているかという話であり。
打者を打ち取るパターンの成功率を、リスク・リターン含めどれだけ正しく見積もれるかという話でもある。
(あーしだけに限定すればそうなんだけど、多分本当の狙いは『対戦相手校に楽をさせない』というところよね。つまりあーしには甲野先輩とは違うリードを求められている)
同じリードでは意味がない。下位互換でも同様。
思想の異なるリードであるからこそ、相手は対応に困るのだ。
甲野巡のリードは、手数の多彩さで相手を惑わせるリードである。狙いを絞らせないと共に、相手打線の弱点をあぶり出す攻めのリード。
では蜜石つかさのリードは。
(あーしもあーしで、手数を押し付けるリードも好きよ。でも最適解は別よね)
蜜石の考えるリードは、甲野巡と対照的な、情報を絞るリード。
ここぞという場面で初出の情報をどんどん出して、試合の中での対応を難しくさせる、こちらも攻めのリード。
一年生だてら、優等生として活躍している蜜石は、自分に求められている役割もまたしっかり理解していた。
投手−捕手のバッテリー間でのリードパターンまで研究している高校は、強豪校でも中々存在しない。だが『膨大すぎるからリードパターンを研究するのは諦めよう』と思わせたら、それで勝ちである。
(……言うのは易し。)
かの
メンタルが乱れた厳しい場面でも、何か縋りつけるものがあるほうが絶対にいい。
ではそれを蜜石は持っているのか。
そしてそれを試合中にきちんと選べるのか。
(……たった数ヶ月で五人分の投手に合わせるの、厳しすぎて笑えちゃう。あーしでも、キャッチングだけでしばらくは精一杯だ)
科学的トレーニングばかりが注目されて忘れられがちな事実。天才たちと一緒に試合するという意味。それは『出来る人はとことん際限なく求められる水準が高くなる』ということ。
(逆に言えば、この難しさは全部、相手の尻拭いじゃなくて、自身の成長に繋がる課題ってこと)
汗で濡れた額を拭いながら、蜜石は溜息をついた。
考えすぎにも程がある。
高校野球の捕手なんて、投手に気持ちよく投げさせて、打撃で活躍すれば十分合格だというのに。
それを考えると
(この高校に来てよかった。どこに球を転がせば有利とか、どんなイレギュラーが怖いとか、そんなことを考える余裕があって、それを選べる)
壁は高い、と蜜石は腹を括っている。
そしてその固い決意はまだ揺らいでいない。まだレギュラーとして使ってもらっているのは望外の幸運。泣きたい気持ちはある。だが、齧りついてでもここから学ばないといけない――。
「あ、蜜石! ちょっといい?」
「……ホッシ先輩?」
練習の合間にて。
のこのことやってきた先輩が、「次の試合さ、
「――――――――――」
蜜石は、自分の見積もりがまだまだ甘いことを痛感した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます