第36話 野球、それはまぐれの方が多いゲーム②

 ――この日、俺は緒方と意見が衝突してしまった。


「おい星上! それはねぇぞ! 流石にそろそろ一年の連中に酷だと思わねぇのかよ!」

「相手の対策研究の対象は概ね俺、緒方、森近、甲野の四人だ。相手に付き合ってやる必要はない。この場合はこの戦略の方が合理的だ。緒方も分かるだろう?」


 ときめき学園の首脳会談と言えば、星上(俺)、羽谷妹、森近、緒方、甲野の五名会議である。二年生が三年生を差し置いて首脳会談とはとんでもない話だが、この運営に反対を唱える者はいなかった。

 野球の実力はもちろんのこと、検討の真剣さも熱量も、平凡な教員だとか生徒だとかが太刀打ちできるような次元にない。


 だからこそ、この五人で意見が割れたときにどう収集を付けるかが一番難しかった。

 最終決定権は俺にあるのだが、この五人には、四人一致による拒否権と、部員全員投票で民意を問う権利がある。


「緒方だけじゃなくて、甲野も羽谷も反対派か?」

「ああ、オレだけじゃねえ。二人とも反対表明してくれた」


 星上が賛成。

 羽谷、緒方、甲野が反対。

 となると森近の意見が気になるところだが、彼女は意見を決めあぐねているようであった。


「理由は?」

「この夏の甲子園予選、一年生投手を多用しすぎだ。水川はともかく岩崎がつぶれちまう。蜜石にも尋常じゃない負担がかかっている」

「肉体の疲労は問題ない。俺が保証する」

「……心の問題だ。誰もかれもがお前みたいに宇宙人なんかじゃねえんだ」


 緒方は慎重派であった。

 竹を割ったような性格で、姉御肌で、黙々と仕事をこなす、そんな彼女には珍しいぐらいの勢いの意見表明。

 どちらかというと、いつもは羽谷妹や甲野の方が反対意見を多く出すのだが、今日は違うらしい。


 食い違っているのは、次に控える、翠清学院高校とどう戦うかという話であった。

 平たく言えば、『一年生をどれだけ出すか?』という話なのだが――。


「出せるときに出すべきだ。緒方や森近に変な肩の疲れを残すべきじゃないし、甲野一人に扇の要を背負わせ続けるべきじゃない。今後のことを考えると、負担は均等に分配するに限る」

「去年まで中学生だった奴らと、一年以上かけてこのときめき学園流で鍛えてきた俺たちと、同じ水準の要求をするんじゃねえ。もう十分以上こいつらは結果を出したじゃねえか。もういいんだ。俺たちは去年以上に、無理なく順調に勝ち上がってるんだよ」

「水川も岩崎も、ただ遊んでただけの中学生とは違って、みっちり大陸野球を身体の芯に叩き込まれている。彼女たちは即戦力級のポテンシャルがあるんだ。そして、戦力要員に必要なのは場数を極力踏ませてあげることだ」


 緒方は、昨年の話をしていた。

 昨年といえば、俺たち一年生五人だけで県大会準優勝までこぎつけてしまった奇跡の年である。

 籤運くじうんがよかったのもあるが、この時代に存在しない変化球、相手となる強豪校たちの対策研究がほぼゼロだったという情報優位性、セイバーメトリクスに基づいた統計根拠に基づく配球、投球姿勢と打撃姿勢の精度の高い調整――これらが噛み合って大躍進に繋がった。


 当たり前と言えば当たり前である。

 対戦相手は半分目隠し状態、こちらは未来を勉強して対策してきた集団、どちらが有利なのかは火を見るより明らかというもの。昨年は俺抜き(※海外留学)で春のセンバツにも残ったぐらいだし、はっきり言ってしまえばやりたい放題だったのだ。


 そして二年目。

 今年に関しても、あらゆる優位性はまだ残っている状態である。


 緒方は、『去年よりも五人の体力が温存されている』ということを明確に強調していた。

 はっきり言えば、毎試合毎試合、馬車馬みたいにこき使われてきた昨年よりも、今年は『まだまだ無理することができる』と主張しているのだ。特に投手陣と捕手である。


「今年は、打たせて取るピッチングの守備力が格段に上がっているし、打たせてもいいエリアも広がっているし、アウトに出来る計算も立てやすくなっている。打撃面でも、上位打線で無理に打点を稼がなくても、下位打線を計算に含められるようになってる。俺たち五人はまだ余力を残しているんだ」

「その余力を、来年以降の戦力の育成に充てたい」

「余力があるから、フルメンバーで甲子園本選の連戦になっても体力的に十分戦えるって言ってるんだ」


 緒方の主張は分かる。

 悪い言い方をしてしまえば、いざとなればと言っているのだ。


 こんな表現は全くどうかと思うが、五人の野球能力は同世代を比較しても明らかに並外れている。才能ある人物が科学的合理性を何年も突き詰めてようやく辿り着く領域に立っている。そりゃまあ、そうなるように俺が育ててきたのだから、俺としても鼻が高いのだが。


 それでもなお、野球というものは分からないものだ。

 見れば分かるように、試合相手に本気で研究対策されてしまったら、晄白水学園と鹿鳴館杜山と苦戦してきた。もちろんこちらも、終始優位に試合を運んだはずなのだが、全然相手を突き放せない試合であり、決して『天才が五人いるから楽ちんです』という試合ではなかった。

 フィクションの世界にあるような、『不利な状況からの逆転劇』はなかったが、いつそれが起こってもおかしくないような怖さがあった。


 人と人の能力の差は、天運によるゆらぎよりも遥かに小さいのだ。

 やや不運な勝負の展開だったとはいえ、大きな不幸がさらにどこかで起きてしまえば負けてしまうような、そんな厳しい勝負であった。


 ゆえに。


「運が悪ければ負けるのは。微差にこだわって大局を見失うべきではない。体力管理と効用関数最大化こそがスターティングメンバーの決定変数だ」

「運に極力左右されないように万難を排するのがベストだろ。個人の希望と心理的負担も考慮して、ここからは先輩が、オレたちが頑張るんだ」


 ――こうやって意見が分かれてしまう。


 甲子園に出さえすればいいのであれば、緒方の提案する『主力積極登用策』が一番よい。

 だが甲子園で勝ち上がる確率を高めるなら、俺の『主力温存策』の方が期待値が高い。

 どちらも一理ある。非合理的な迷走ではなく、チーム方針の違いに過ぎない。


 それにこれは、緒方なりに後輩を慮っての意見なのだ。


「聞け星上。岩崎も水川も蜜石も、オレたちを負けさせたくないって思いつめてるんだよ」

「いいことだ」

「オレたちがもし敗退したら、それは自分の責任だって塞ぎ込んじまうかもしれねぇんだよ」

「来年も同じだ。いずれぶつかる壁なんだ、成長の機会を先送りにしても意味がない」


 大陸から鳴り物入りでやってきた岩崎と水川は、徐々に邦洲のボールの触り心地に慣れつつあった。基礎体力も伸びて、フィールディングも少しは覚えた。成長しているのだ。


 試合も壊していない。本人たちがどう思っているかは知らないが、俺から見たとき、二人ともイニングを食ってくれたので、上位陣の体力を温存してくれたという意味でかなり貢献している。

 この時代に、イニングイーターを評価する風潮がないのが残念である。


 蜜石も同様である。去年この時期あざだらけになりながらも配球を練る頭脳労働までしていた正捕手甲野が、二枚看板になったことで格段に負担が減っている。

 配球パターンの違う捕手が二人いるということは、相手高校の研究対策は倍以上に複雑になっているということ。見えない貢献が大きい。


 試合の中身だけ注目するから、足を引っ張っているように勘違いしているだけなのだ。あの三人はもっと自分に自信を持っていいのだ。


「岩崎も水川も蜜石も大活躍している。あの子達には何度も伝えているし褒めている」

「そんなに失敗しないでくれてありがとう、ってか? それでどうやって自信が育つんだよ」


 緒方の言葉は冷ややかであった。

 情の深い彼女でも、舌鋒が鋭くなることもあるらしい。


「グラウンドの外から試合を見て気付くこともあるだろ。練習試合で圧勝することで成長に気付くこともあるだろ。でも毎回『自分が足を引っ張ったせいで接戦になってる、自分が迷惑をかけてる』と思ったら自信なんかつかねぇんだよ」

「本人次第だ」


 岩崎も水川も蜜石も、明らかに自己評価が低い。

 当初は十分自信に溢れていたのに、今は自分の才能を過小評価している。

 岩崎は当初から卑屈なところもあったが、ワイでも邦洲野球なら・・活躍できます、と言い放つド天然で、ある意味自信がありそうだった。


 そういう意味だと、ちょうど天狗の鼻が折れたいいところで、ここからは経験を積む段階だと思うのだが――。


「……おーっほっほっほ! お困りのようですわね、星上お兄さまーっ! このアタクシが! アナタたちのお悩みを解決して! ときめき学園を勝利に導いてくれますわよーっ! 真祖の血族にして昼の光を半分ぐらい克服した類まれなる吸血鬼族のこのアタクシ! 投手もできて打者もできる投打両立の英才! 代打も代走もワンポイントリリーフもできる、スタミナ以外は何の課題もない完璧な美少女! その名も――」

「呼んでねえよ帰れ」

「ぎゃあ! キックはダメ! キックはダメですわ星上お兄さま!」


 大天狗がいた。

 凄くうるさかった。

 ときめき学園の隠し駒、ウィルヘルミナ・月音つくね十六夜いざよいがそこにいた。


「お前の自信を分けてあげたい奴らがいるんだよ」

「仕方ない子たちですわね〜? あの三人、十分天才だと思いますけども」

「お前の根拠のない自信が必要なんだ」

「根拠のない!?」


 ぎゃあぎゃあ騒がしいが、今はありがたい。

 緒方は相変わらずしかめっ面だったが、お陰で少し場の空気が和んだ。


「……岩崎と水川と蜜石のこと、本当に大丈夫なんだろうな」

「大丈夫だ。ここでもまだまだデータの少ない一年生バッテリーを当てる姿勢を見せつけることで、相手は引き続き五人分の投手と二人分の捕手の配球を対策せざるを得ない。対策を分散させるだけで既に有利だ」


 そこまで研究が回っているような高校があるのかは疑問だが、今後甲子園を勝ち抜く上では大事なことである。

 この配球でアウトをもぎ取る、というゴールデンパターンを絞り込ませない。仮に絞り込まれたとしても複数パターンが活きている状態にする。

 たった一年と少しで投手王国になった、我がときめき学園ならではのやり方である。


『〇〇高校は✕✕投手のシンカーさえ打てるようになったら点を取れる!』

 ……という一人のエース頼りの一芸特化高校とは違うのだ。

 球種が豊富だと、パワーカーブは打てないから捨てようとか、フォークは見逃そうとか、必ず相手に無理が出る。そこを俺が分析して、執拗に狙い続けて勝つ。


 そのためにも、岩崎と水川という『まだ頼りないかもしれないけど侮ることはできないピッチャー』が必要なのだ。


「言っとくが星上、試合は机上の空論通りにいかねえぜ」

「分かってる。けども、試合はメンタルの弱さだけで崩れるものでもないさ」

「……才能を信じ過ぎだぜお前。精神面を軽視し過ぎだ」


 岩崎と水川と蜜石。

 三人をここから外して主力だけで戦うのも勿論ありなのだが――。


「外すんじゃなくて、使い続けることで『俺はお前を信用している』というメッセージを発信し続けてるのさ」

「言っとくが俺は、心情的には反対だからな。時間をかけて育ててあげるべきだ」


 育ててあげるという選択肢があること。それが既に強豪校になったという証拠なのだが。何もかも足りてなかった去年ならば、まず出てこなかった言葉である。


「……いつの時代も、人を育てるのは難しいよな」


 果たして俺は焦りすぎているのか、才能を信じすぎているのか。セイバーメトリクスは数字しか教えてくれない。数値解析はあらゆる分析より正しく精確だが、それを運用するのはあくまでなのだ。





 ――――――

 Q.新入生たち(特に岩崎)のメンタルケアはどうするんですか?

 A.緒方に「このアホっ!」と説教されそうなウルトラCで解決します

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