第31話 天才二塁手の孤独な闘い⑦:予期せぬ試練
――7回までを終えて、展開はほぼ変わらず3対4。
つまりシーソーゲームを続けている状態である。ただし内容は全く異なり、向こうは何度も大量得点の場面を作ることに成功しており、こちらはただ馬杉だけが塁に出て無理やり返してもらっているようなものであった。
何度もゲッツーで凌ぎ切っているといえば聞こえがいいが、何度も馬杉の勘が当たっているというだけであり、最初に飛びつく方向をしくじってしまえば即大量失点という状況でもある。
(それでも当初の注文通り、打順の三巡目までは誤魔化せたっス。一打席目は向こうも様子見気味で、球筋がある程度見えてきて打ち気の出てくる二打席目からは外に逃げる変化球を混ぜて勝負。三打席目にはもう捉えられているっスが、投げているコースのよさに頼ってセカンドのゴロを集めて勝負――理想の展開を押し付けれたっス)
深く息を吐いた馬杉は、今一度、疲れに倦んだ身体に喝を入れ直した。
理想の展開を押し付けてなお、向こうを抑えきれない。向こうはこちらの戦い方を真正面から叩いて潰そうとしている。
小細工を弄さず正面から叩き潰してくるというのは、それはもはや強者の戦い方である。
(上等っスよ、弱者の戦略は博打、多少のリスクを負ってでも相手に有利を押し付けることっス)
5失点以内に収めるためには、打線を三巡までは最少失点で切り抜ける必要がある。そうして三巡までを凌ぎ切るまでは、何とかときめき学園といい勝負ができるという計算があった。
それでもなお1点負け。
最後、あと1点は絶対にもぎ取らなくてはならなかった。
(ここは絶対に打つっス)
芯を捉え切れないナックルボールは、おっつけて流し、単打で進塁する。それをあっさりできるのが馬杉の技量である。
もちろん馬杉にも長打はあるが、チームの勝利のためにはより確実な方を選ぶ。
なにせ相手は、独特な投球モーションで盗塁がしやすい上、球速もなく、牽制にも慣れていない。
盗塁で八割方、二塁まで落とせるなら、それは二塁打とほぼ一緒――。
(さーて、ここからっス。三打席三安打、今までの点にすべて絡んできているこの馬杉を抑えるなら、もうこの段階で手を打ってくるはずっス)
◇◇◇
『え? ときめき学園では採用しなかったけどやってみたかった練習を教えてほしい?』
『そうっスね。うちら鹿鳴館杜山と君のときめき学園とでは抱えている課題が違うっス。だからそっちで不採用になった練習でも、こっちなら有効活用できるんじゃないかなと思ったっス』
グラウンドや設備なら貸すから、練習メニューを一緒に考えてほしい――。
それが馬杉の切り出した提案だった。
ときめき学園の星上が、晄白水学園の鷹茉監督と懇意にしていることは知っていた。
だから鹿鳴館杜山の馬杉も、それに相乗りしようと考えた。
設備に若干不安のあるときめき学園。
しかし彼らは、ユニークな練習メニューで結果を出し、フィジカルと選球眼とフォーム矯正で一気に実力校のスターダムへとのし上がった。
スポーツ科や体育科などといった、学業の時間が短く練習時間の長い他の強豪校たち。そんな一筋縄ではいかない連中と、短い練習時間の中でほぼ対等以上に渡り合うときめき学園は、全国的に見ても異例中の異例の存在である。
そんな彼らの練習メニューからは、たくさんの知見を学べるに違いない――と馬杉は考えたのである。
それが大当たりだった。
無駄な待機時間が殆どなく、効率的にローテーション化された練習ドリル。
旧態然とした練習では、例えば一列に並んでノック練習を受ける等、並んで待つだけの余計な時間が生まれていたが、星上の考えている練習ドリルではそういった無駄な時間が徹底的に省かれていた。
また、基礎体力を養うための長時間の走り込みは全然見当たらず、重要な場面でランナーの進塁を決めるバント練習も最小限。相手の裏を掻くためのサインプレーの練習もさほど力を入れない。
代わりにフィジカルを鍛え上げるメニューや、瞬発力を高めるラダートレーニングがそこに嵌められている。
『長時間のロードワークで鍛えられる筋肉は、野球で活躍する筋肉と種類が違うから効果が薄い。バント戦略は
星上が選び直したトレーニングの優先順位づけ。
その極端に割り切った考えを骨子とした、斬新なトレーニングドリルの濃密さを目の当たりにして、馬杉は思わず快哉を叫んだ。
この新しいトレーニングを模倣すれば、鹿鳴館杜山も飛躍的に強くなるはずだと――。
(不採用になったトレーニングも、うちの高校では有効なものが多かったっスね)
例えば、軸足に体重を残す練習。
ティーバッティングをする際に、前足はコンクリートブロックの上にのせておき、スイングをして当てる練習。これは軸足に体重を残すスイングを覚える効果がある。
またカーブを打つ練習として、ティーバッティングを行うときにトランポリンに叩きつけて上から落ちてくる球を打つ練習。これはスローカーブで顎を上げない姿勢を覚えるためのもので、星上などが得意な山なりの球(イーファスピッチ、スローカーブ、下手投げのサークルチェンジ等)を打つとき顎が上がらなくなる効果がある。
他にも、ピッチングマシンに色分けした球を入れて、赤ならバント、青ならエンドランを想定して右打ち、黄色は見逃し、白は好きに打て――と球の色ごとに練習を分ける方法。これは球への集中力を増すためのものだという。
いずれも、星上が好きな野球漫画[1]に出てきた練習方法らしい。ついぞその漫画のタイトルは教えてもらえなかったが、練習はすぐにでも真似できると思ったので取り入れた。
引用[1]:『ラストイニング―私立彩珠学院高校野球部の逆襲』小学館ビッグコミックスピリッツ
教わった没練習案の中で一番強烈だったのは、わざと一点"だけ"取られる練習であった。これは練習試合のたびに、わざと毎イニングで一点だけ取られるように調整するというもので、ピンチの切り抜け方の練習と、最少失点に抑える練習なのだという。
とはいえ0失点に抑えてはならない。わざと危険な状況を作り、そして必ず1失点に抑える必要がある。
ときめき学園ではこれを『バッテリーの練習にならないし、打たせて取るピッチングをつづけることで、自然とピンチの切り抜け方を練習してきている』として不採用だったが、鹿鳴館杜山では早速これを取り入れて練習を重ねてきた。
結果、守備陣の連携が培われた。
今の鹿鳴館杜山の守備力は、どこぞの少年が愛読していた漫画の練習方法によってもたらされたものであった。
(ロードワークを減らして筋トレ、班分けでローテーションして無駄な待機時間の削減。それだけでも十分効果があったっス。こんなに強くなったのは星上くんのおかげっス。感謝っスね)
ときめき学園と大差がつかずに好勝負を続けている――。
この事実は、馬杉にとって非常に嬉しいことであった。何故ならば、新しく取り入れたトレーニングメニューが効果を奏している何よりの証拠であるから。
ときめき学園が強くなったのと同様に、鹿鳴館杜山も強くなっているのだ。
◇◇◇
『私立ときめき学園、選手の交代をお知らせいたします――』
アナウンスを聞いて、馬杉はやはりそう来たかと気を引き締め直した。夏の熱気が身体の疲労をより一層際立たせる。気だるさと疲労、加えて集中力も随分使ってしまったためか、頭が鈍く重い。
神経を削るような野球がずっと続いていた。そしてこれからもミスは許されない。
(ここは速度差を最大に活かす緒方っスね。次点で、ナックルボールとは全然軌道が違う変化球で翻弄できる森近が来るはずっス。いずれにせよ8回表のこの場面、この馬杉を切り捨てて、1点差を死守するために最強のピッチャーをぶつけるはずっス――)
そう考えた馬杉の予想は、全然違う形で裏切られることになった。
『投手交代。ピッチャー代わりまして星上雅久投手――』
マウンドに登ったのは、ときめき学園投手陣の三本柱の一人。
先ほどまで投げていたナックルボーラーの岩崎の後を引き継いだのは、オーバースローからアンダースローまでを投げ分ける、高校野球屈指の軟投派。
マウンドの上の王子。星上雅久の登場である。
(……そう来たっスか)
球速差を活かさない異例の采配。残す8回9回、打者陣のスイングのタイミングをずらすべき場面で、似た球速の星上をあえて当てるのは愚策ともいえる。
だが向こうはそれを選んだ。
セオリーを無視してでも、馬杉を殺すには星上が最適だと判断されているのだ――。
(いいっスよ。受けて立つっスよ、星上くん。この馬杉、最高に燃えて来たっス)
もはや気力が底を尽きかけていても。疲労困憊で満身創痍でも。
8回表。1点負けのビハインド。
勝利につながる、たった一つのか細い道筋。
馬杉京華にとって、今、まさに最大の試練が訪れていた。
――――――
vs晄白水学園編は鷹茉監督と津島やまね、vs鹿鳴館杜山編は馬杉京華が主人公だと思って書いてます。
でもぶっちゃけ、晄白水学園も鹿鳴館杜山も、思い入れが出すぎて強さを盛りすぎちゃったな……と頭を悩ませています。
強くなったときめき学園を損なわず、かといって勝負を単調にせず……というさじ加減に悩んでいるこの頃です。
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