第30話 天才二塁手の孤独な闘い⑥:それは過酷な持久戦

 グラウンド整備が入った五回裏。

 俺たちときめき学園は、思ったより伸びない打点についてミーティングで話し合っていた。理由は明白で、明らかに相手の二遊間が強い。だがそれでも対策を講じる必要がある。


「肝心の場面でダブルプレーを出されてしまっている、一試合で5回もだ」


 俺が発言すると、皆黙って俺の続きの言葉を待ってくれていた。別にそれはいいのだが、引率教員もその調子では困る。本来なら試合で動転しているだろう生徒たちを落ち着かせたり、背中を押してあげるのは大人の役目なのだ。

 それに、俺は指示出しをしたい訳ではなく、どちらかというとディスカッションをしたい気分だった。高偏差値の私立校、俗に言ういい子・・・の集まる学校だが、自分から意見を進んで言うようになってほしいと俺は思っている。


 俺の意図をくみ取ったのか、森近と羽谷がその後の言葉を引き継いだ。


「……二遊間にやられてますわね。特にセカンド。アウトコース低めの球を引っかけてあのセカンドに処理されるという流れが露骨に続いてますわね」

「緒方や星上より上手いんじゃない? 抜けたと思った球をあっさり取ってるけど、あんなに球際に強い子って全国見渡してもそうそういないよ。ボクを除いてね」


 内野ゴロ、特にセカンドゴロでアウトを取られている数が多い。

 驚異的な反射速度、そして打球への正確なアプローチ、正確な捕球と素早い送球。

 はっきり言って、あんなセカンドがいるなら守備だけで客を取れるレベルである。

 一年前に馬杉と連絡先を交換したときは、あんなに化けるとは思わなかった。いや、当時からやたらと上手い子がいるなと思っていたが、内野ゴロばかりをバシバシ集めたらあんなに活躍するなんて知らなかった。


「……。飛ぶコースがある程度固まってるからあの機敏な動きが出来てるんだろ?」


 緒方がここで重い口を開いた。


「セカンドの仕事は、一塁のベースカバー、二塁のベースカバー。盗塁をしてきた場合は牽制球を受けることも含めて考えることが多い。守備の立ち位置も、例えば相手が強打者なら後ろ寄り、右打者なら二塁寄り、左打者なら一塁寄り、ゲッツーを狙うなら二塁寄りとかな。カットプレーも中継プレーもセカンドの仕事の一つで、外野手に捕手からのサインを伝達する役目もやる。全部に高い精度で対応するのは正直オレもきつい。だがよ――盗塁と牽制を半ば捨てて、ゲッツー優先で動くならアレを半分真似できる自信はある」


 この言葉には俺も舌を巻いた。

 緒方も反射神経が相当いい。流石に羽谷遥には劣るものの、うちのセカンドを森近、俺、緒方の順繰りで守る際、一番上手いのは間違いなく緒方である。

 そしてその緒方が言うのだから、きっとその通りなのだろう。それにしても天才過ぎる発言だと思ったが。


「……まあ、ボクも緒方の意見は分かるよ。多分、ある程度馬杉もプレーに山を張ってるだろうね。心積もりが全くないフラットな状態であれをやるのはボクも厳しいかな」


 羽谷が苦笑しながら補足を入れた。

 一番守備が上手い羽谷でさえ、そう言葉を濁す領域の話なのであれば、きっと馬杉は相当無理をしているに違いない。


「……制球が気になりますわ。いくら球速がなくっても、あんなに際どい場所を投げ続けるのは至難の業ですわよ」


 ぽつりと森近が別の視点から切り込んだ。


「サイドスローで制球が良くなるのは分かりますわ。腰の回転軸と腕の回転が一致するのと、オーバースローと違って頭が動きにくいから制球が良くなりやすい、というのは定説ですもの。それでも、サイドスローにそこまで効果があるとは思えませんわ」


 同じ投手であるだけに、森近は制球の難しさを知っている。

 特に低めの制球は難しい。疲れてくると高く抜けてしまうことがしばしばある。これは投手の直面するよくある壁と言って過言ではない。

 特に森近はMAX140km/hを投げる投手。速さもあり変化球もある彼女は、制球が大きな敵である。

 腑に落ちない様子の彼女に、俺は自分の中にある仮説を伝えた。


「……左投手・・・だからかもしれないな」


 俺の仮説は、相手が左のサイドスローだからというものであった。


 投打の左右については明確な結論が出ていない。

 左右なんて大した影響がないという意見。左右は重要であるという意見。両論あって両論正しい。

 議論の中身が違うのである。


 例えばピッチャーが投げるとき、球の出所が分かりにくいのはどちらかというと、投打の左右が一致するときである。

 しかし腕が上から出てくるオーバースローにはその特徴は認めにくく、リリースが左右で大きく違うサイドスロー、アンダースローにその特徴が強くある。[1]


 引用[1]:https://note.com/baseball_namiki/n/n59c7304618da?magazine_key=m05985d003c76


 打者に合わせて投手を代えたり、投手に合わせて打者を代えるのは、プラトーン戦術と呼ばれる。これが若干度を越える采配になると「左右病」なんて揶揄される訳だが――左右に根拠がないわけではないのだ。


 だが一方で、高校野球では左投手というだけでやたらと活躍する投手がいる。

 大沢木投手を例に出すと怒られるかもしれないが、「左の投手は右の5km/h増し」と言われたりすることも多い。


 右と左で球筋が違うから打ちにくい――という一面もあるだろう。高校球児たちはプロ野球選手と違って、左右両方の潤沢なバッティングピッチャーを用意して多種多様の球筋に見慣れるなどという贅沢な真似はできない。

 球筋が違うというだけでも強力な武器になる。


 しかしもう少し、制球の面で踏み込んで考えると面白いデータがある。[2]


 引用[2]:https://1point02.jp/op/gnav/column/bs/column.aspx?cid=53858


 このデータは、キャッチャーの構え通りに投げるのが難しく、ピッチャーの制球がいかに難しいかを示すデータであるが――注目すべき傾向としては、


 ・左投手の場合は一塁側高めと三塁側低めに投球がずれやすい

 ・右投手の場合は三塁側高めと一塁側低めに投球がずれやすい


 というところである。

 要するに、制球がいいピッチャーでも投球はズレるものなのだ。

 重要なポイントは、投球がズレたときに甘い・・失投になりやすいかなりにくいかである。


「制球がいいというのは、四球をあまり出さないというタイプのものだけじゃなくて、甘めに来た失投を叩かれにくいというタイプもある。制球の良さは"印象"が強い」


 左投手は、「左腕速球派はノーコンが多い」と言われるが――持って生まれた左右の利き腕にそんな精度の差があるはずがない。

 左の速球派を育てられる指導者がいないとか、左右が逆になるとフォームの崩れに気付くのが難しくなるとか――そういう環境的な要因や、副次的な理由がどこかに潜んでいるはずなのである。印象の話なのだ。


 そして、うちの右打線にとって、左のサイドスローの相手投手は、なぜか制球がよく見えている。

 これは甘い失投が少ない・・・・・・・・からである。

 左投手の場合は一塁側高めと三塁側低めに投球がずれやすい――この傾向を当てはめたとき、右打者の外角低めにのみ投球を集めた場合、主にズレるのは外側か、下側。

 ――ストライクゾーンの内側に寄ってくる甘い球になりにくいのだ。


「投手の投げるコースはほぼ外角低めオンリーに固定されている。普通のバッテリーではない。いくら外角低めが配球の王道って言っても、あんなに外角低めばかりで来るのは極端だ。

 あれだけ同じコースを投げ続けているんだ、コースや球種をあちこち頻繁に変える俺たちと違って、同じフォーム、同じ角度、同じリリースの力加減で投げ続けているんだから制球がよくならないはずがない。

 そして制球をよくするためのサイドスローのフォーム。ここまでのイニングを投げて崩れないだけあって、しっかり練習してきたと見える。

 極め付きに、制球がズレたときの方向が甘い場所に寄らないときた――」


 制球がいいから苦しんでいるというよりは、より正確に言えば、甘い球が来ないから苦しんでいるのである。

 紐解けば、それほど難しい話ではないのだ。


「投打不一致のサイドスローだから、リリースの場所が見やすいというのはあるさ。だが、それ以上に投げ込まれるコースが厳しい」


 甘いところに入ってこない。

 プロ選手でも4球に1球は失投すると言われる世界で、失投が甘くならないというのはそれだけ打者にとっても厳しいのだ。


「……でも、もう攻略は半分出来ている。そうだろ?」


 俺の問いかけに、打者陣営は一様に頷いた。

 前回の試合でいくら内角ばかりを振らされたからといって、そんな致命的に目付が狂っているはずがない。それに、もう三打席は球筋を見た。緒方の速球のように、速すぎて球筋を見極めにくいわけではない。


 加えて、うちの打者陣は比較的よく球を見る。選球眼の訓練を続けている甲斐あって、うちの打線は相手投手を楽させない打者だらけである。

 相手投手の球数は、5回終了時点で70球を超えている。ボール球へのスイングはほとんどない。厳しいコースを投げ続けるのは、向こうにとっても厳しいことなのだ。


 球筋に見慣れて、球威が落ちてきたところを叩きこむ。それが基本の攻略である。


「内野ゴロを多く打たせているからと言っても、別に向こうは球数をさほど節約できているわけでもない。うちの1年投手のフィルのほうが、省エネの投球は上手なぐらいだ」


 正直、球審にも一言申したい気持ちはある。外角低めのコースがやや甘いんじゃないかと。

 あれだけ厳しいコースを打ち返すとなると、必然とセカンド方向に向かう打球が多くなる。

 羽谷や森近はあれを上手くファースト方向やセンター方向に捌いたが、別に相手のファーストやセンターが下手という訳ではない。あれでは安打を出すのも一苦労である。


 あのコースをストライクに取り続ける限り、うちにとって判定がやや不公平と言わざるを得ない。

 それでも――。


「相手の鹿鳴館杜山の戦術は、良くも悪くも、全てが馬杉頼りだ。あんな名手がいるならそりゃあ強いさ。でも、あれを真正面から乗り越えてこそ、うちのいい経験になる」


 外角を打ちに行くのは問題ないが、あくまで正しいバッティングフォームでアプローチするべきである。投球の8割以上を外角低めに投げてくる相手だが、残り2割は内角高めに来たり適当に散っている。目付をずらしてくるぐらいの駆け引きはしてくるのだ。相手捕手とて凡愚ではない。打者の構えから外角低めへの打ち気を察して、フェイントぐらいはかけてくる。


 大事なのは、選球眼。

 内側に入ってくるような甘い失投が少ないからといっても、それは失投そのものがないことを意味しない。


 この試合から学んでほしいのは、『ストライクゾーンが広い場合の選球眼の持ち方』と『外角低めのボール球を狙ってなお崩れないスイング』の二点。外角低めの球を無理やり違う場所に飛ばそうとしたりするのではなく、あくまで正しいスイングでこの二点を攻略してほしいというのが、俺の目論見であった。


 何せ、球筋はそろそろ見極めがついている。後はもう叩くだけなのだ――。

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