第56話 その名は風野茂英(ふうのもえ)⑦:これからもよろしくね
試合後、引率者の大人たちに簡単に連絡と報告を済ませた後、俺は一人、相手チームの場所へと飛び出していった。
大泣きしていた風野もえを慰めようと思ったからだ。あんなに泣くなんて尋常のことではない。
だから、相手チームの子から『一人にしてほしいって言って近くの公園に向かった』と聞いたとき、とにかく思いっきり走った。一人になりたいと言いだすなんて、そんなの、どう考えてもさっきの試合でひどく傷ついたということに他ならない。
(こういうとき誰も引き止めないのか? 大陸の考え方って全然分からんな、個人主義的というか、自由意志の尊重というか……)
――――――――。
――――。
走りながら周囲をきょろきょろと見回すと、すぐに彼女は見つかった。
こういうときにステータスオープンは便利である。どれほど遠くのものであっても、視野に飛び込んでくる情報であれば何事も細かく分析できるのだから。
だが肝心の声のかけ方が分からない。
そっと近づくほうがいいだろうか、なんて考えていると「聞いてくださああーーい!!」というクソでかい絶叫が聞こえてきた。風野の叫び声だった。
何事だろうか、と目を丸くしたのも束の間のこと。
少し離れたところで足を止めて、俺は叫ぶ彼女を見守った。
「――憧れの推しと、心置きなく全力で試合できるなんて、最っ高です!!」
公園中に響きそうな大声。
なのに、顔はぐしゃぐしゃになっていて、涙はとめどなく溢れていて、到底最高の気分のようには見えない。
通話中なのだろうか。スマホを噴水のそばのベンチにおいて、彼女はスマホに向かって大声で話しかけていた。
「わ、私は! 私は、あ、憧れの、人と、試合して! 凄くいい試合をしてっ! ちょっとは、勝てるかもって、思ったのに! ぜ、全然、勝てなくてっ!」
「勝ちたいって! 心の底から思って! 最後、す、すごく、しんどかったけど! 全身全霊で! 私の最高の球を、投げてっ!」
「今できる、すべての! 教わってきた全部! 溢れる思い、ぜ、全部! ありったけを、込めて! 絶対! ねじ伏せるんだって!」
ひどい顔で叫んでいた。
鼻水まで垂らして、みっともないぐらいに泣いている。
心置きなく試合が出来て最高、なんて表情ではない。
「――う、嬉しかった! です! 私の推しが、私の推しがっ! 相変わらず! 無敵で、素敵で、最強で、格好良くてっ! でも、でも! つ、次は、絶対、
『……風野ォ! いい経験をしたなァ! きっとこれからテメェは! もっと大きゅうなるぜよォ!!』
『うええぇぇん! もえち~~! ウチもうぎゃん泣き~~! 星上先輩の尊みも、もえちの辛みも全部刺さる~~! 次負けたくないって、それな! あーっ、もえちーーッ!』
『ワイ将、むせび泣く。モッエは偉いんやで』
スマホから次々と聞こえる励ましの声。
あれはきっと、友達の言葉だろうか。もしかしたら彼女は、心を許せる友人に電話をかけているのかもしれない。
一人にしてほしい、なんて言うから焦ってきてしまったが、これを見ると杞憂だったようである。
俺はとんだ空回りをしてしまったかもしれない。
風野もえには理解者がいる。それでいいのだ。今日一日、とてもつらい思いをしてしまったかもしれないが、そんなの別に命を落としたりするようなものでもないし、取り返しがつかないようなものでもない。
打ち負かしておいてあれだが、試合の負けは次につながる財産である。
たとえ辛くとも、一緒に泣いてくれる友達がいれば、きちんとそこからもう一度立ち上がれるものなのだから。
(ちょっと俺も目がうるっとしちゃったな……あ?)
「あ」
『どうしたァ!』
『もえち?』
『ンゴ?』
とてもいい友情を見た。そして俺はクールに去るべきだった。ちょっとうるっとして立ち尽くしてしまったのが運の尽きだった。
――風野が、俺に気付いてしまったのだ。
「し、師匠……」
『んあァ!?』
『うっそ』
『ファッ!?』
空気が固まってしまった。
わなわな口を震わせる風野の顔面は、紅葉よりも赤くなっていた。目には大粒の涙がぼろぼろと。へにょり、と腰が抜けてしまった風野は、「死にたいです死にたいです死にたいです……」と死にそうな真っ赤な顔でうわ言をつぶやいていた。耳も首筋も真っ赤だった。
全部聞いちゃってた、ごめん、とはさすがに言えない。
可哀そうすぎる。が、ちょっと
――また俺、何かやっちゃったかもしれない。
◇◇◇
かつて、世間を賑わせた四つのピッチングがある。
風の精霊シルフェンズ球団、風野投手のトルネード投法。
炎の精霊サラマンダーズ球団、不死火投手の火の玉ストレート。
水の精霊ウンディーヌズ球団、水川投手のサブマリン投法。
地の精霊グノームズ球団、岩崎投手のフルタイムナックル。
一つの時代を築き上げてきた彼らには、そのあとを継ぐ"二世"がいた。
それが、彼女たち四人。
風野 茂英(ふうの もえ)であり。
不死火 竜香(ふじか りゅうか)であり。
水川 睦美(みなかわ むつみ)であり。
フィル・幸奈・岩崎(ゆきな いわさき)である。
そして、彼女たちは四人が四人、同好の士であり好敵手同士なのだという。
同じ境遇を分かち合う友人同士。行く先を嘱望される天才たち。切磋琢磨する仲間。そして競い合う関係。
そして、いわゆる同担歓迎。言うなれば親衛隊なのだという。
全員推しに救われた、とか言っているが――どういうことなのか聞いたら話がこじれそうなので絶対に聞きたくなかった。
「あー、あの、星上です。何だろう、皆とこれから仲良くしたいです」
「星上師匠の隣星上師匠の隣星上師匠の隣星上師匠の隣……」
『お、おう、おん、んんッ! きき、緊張してッ! へへ、変なしゃべり方になっちゅーけどッ! ゆ、許いとーせねッ!』
『わわわ、わ、私! 星上先輩の後輩です!! や、ちがッ! ファンです! 推してます!』
『悲報、わわワイ将、心臓が止まらん模様』
心臓止まったら死ぬだろ、と突っ込むと『ヒェッ』と言うなり会話が止まってしまった。それに、冷静に考えたら先輩の後輩って何だろう。
何だこれ。
いきなり空気がカオスである。
「星上師匠に質問ですどうして星上師匠は高野連追放されてしまったんですか私は高野連を許せません回答次第では高野連に直訴します」
「待ってちょっと重い」
距離の詰め方がバグっている風野に、突如とんでもない剛速球を叩きこまれて、俺は答えに窮してしまった。会話にトルネード投法持ち込むな。
「えええっと会話が止まって何か喋らなきゃって思って……」
「お前さては会話クソ下手だな?」
いきなりそんなパスをするやつがいてたまるか。俺はげんなりした。
地雷を真正面から踏み抜きに行こうとするその蛮勇、俺は嫌いじゃないが、世間では絶対通用しない。
『そりゃあよォ! 改革に決まっちゅーろうがァ! 邦洲国の夜明けは近いぜよォ!』
『あわわわわわ』
『空気凍ってて草、許してクレメンス』
「お前らも大概会話が滅茶苦茶だよな」
多分、この中では水川が割とまともに会話が出来そうな気がするが――あんまり大差ないような気もしてきた。ちょっとキャラが濃すぎて捌ける自信がない。キャラの交通渋滞である。
こんな奴ら、
それに、一つ誤解があるので訂正しておかないといけない。
俺は別に追放されたわけではないのだから。
「高野連に追放されたわけじゃなくて、自分から抜けたんだよ。でもいずれ戻りたいから、今は丁寧に交渉中」
そう――俺は、ときめき学園の奴らと一緒に野球をすることをまだ諦めていないのだ。
◇◇◇
「師匠の動画がちょっと過激で物議をかもしていることは知っています、でも処分は許せません、根性論ではなく合理的な練習を説いているだけの星上師匠の動画を悪意ある方向に曲解しすぎていると思います」
「男性初の高校球児で男性で初めて夏の甲子園に出場できるかもしれなかった星上師匠の将来を滅茶苦茶にした連中が許せません」
「一緒の高校にいって一緒に甲子園を目指せたらいいなって友達と一緒に話してたんです、だからあの追放事件があるまでは私たち四人全員ときめき学園に進学希望を出す予定だったんです」
「なのに現実はそうならなかった」
「星上師匠に引退してほしかったのは私のエゴでした」
「もう星上師匠が叩かれるのを見たくなかったです、どれだけ結果を残しても結局甲子園にも出られないしメジャーリーグのスカウトたちからも男って理由だけで難色を示されているって風の噂で聞いて私は絶望しました」
「ぼろぼろになる星上師匠を見ていられません」
「星上師匠の努力が認められない世の中に私の方が耐えられませんでした」
「でも星上師匠はコーチの道なら世界で誰より活躍できると思っているんです」
「私が伝説を作って星上師匠のことを今度こそ世界に認めさせてやるって思いあがっていました」
「思いあがっちゃいました」
「推しなら推せばよかったのに、叩かれているなら負けないぐらいに応援すればよかったのに」
「私は自分の中で動機を一つすり替えていました」
「私は星上師匠と
「今更気付いて余計に悔しいです」
「負けた瞬間に気付いて本当につらかったです」
「推しなら最後まで推すべきだったし――投手として戦いたかったならその気持ちに嘘をついて戦うべきじゃなかったって、最初から私は戦いたいんだって気持ちで投げればよかったって」
「勝ちたかったです……」
◇◇◇
「よく分からんけど、俺はまだまだ引退しねーからな! 次また野球やろうぜ! それでチャラな!」
ぼろぼろに泣き崩れていた風野が、俺の言葉を聞いてより一層ぼろぼろに泣き始めた。「うううーっ」とか言ってるけど、もしかして俺ちょっとフォローをしくじったかもしれない。
ちょっと的外れかもしれないが、今回のことはあんまり大げさに受け止めるよりも「何か知らんけどこれからも仲良くしようね!」で流してあげるほうが優しい気がしたのだ。俺は、推しというのが良く分からんのだ。
俺の動画を通じて、救われた人がいたということだけは分かった。
今回の話は、何に罪悪感を抱いているのかとか、何を謝りたいのかとか、そういうのは二の次でよくて、俯瞰してみれば結局「俺と風野は野球で勝負しました」というだけの話だ。
「つーかメジャーリーグのスカウトが俺に難色示してるってのも眉唾だけどな。なんかさ、ごく一部は間接的に圧をかけてきたけどさ、本当に注目してないなら今日の練習試合に観戦しにこないって」
メジャーリーグのスカウト云々は、正直どうでもいい。今日試合の観戦に来てた時点で、そんなに心配していない。
要するに、結果を出しゃあいいんだよの精神である。
男性でも野球で活躍できると証明してやれば、あっさり手のひらを返すに決まっているのだ。
めそめそしている風野に向かって、俺はおどけるように続けた。
「それにさ、俺、想像しているより百倍お金に汚いし、コネとか権力とかにズブズブだぜ?」
「えっ……?」
「上手いことやってるから気にしなさんな。叩かれてるとか炎上してるとか、俺は毛ほども気にしてないから、俺本人の代わりに怒らなくてもいいんだよ」
「……」
俺もいい年した大人なんだから――と言いかけて黙る。よく考えたら俺も高校生だった。
いやはや、趣味に打ち込んで暮らせてしばらく金の心配をしなくていいってだけでお釣りがついてくるのに、炎上騒ぎとか叩きとかは生活を脅かさないから安いものだよなあ、という話だ。本当人間、お金の苦労はしたくないものだ。
(※生活を脅かすような炎上は例外である)
「それに、ちょっとしたビジネスの種はもうすでに撒いてきたからな」
「……星上師匠?」
「いや何、こっちの話さ」
よっこらしょ、と立ち上がった俺は、そろそろ邦洲国に帰りたいなという気持ちを少しだけ思い出した。
「なあ、風野、そしてみんな。また次も野球やりたいからさ」
邦洲国に戻ったら、俺はまたいつもの生活に戻る。甲子園に向けて白球を追いかける忙しない毎日だ。加えて俺の場合は、他にもあれこれやっているのでもっと忙しかったりする。
だから――大陸国からほんの少しの思い出を、お土産に持って帰りたいという気持ちがどこかにある。
「連絡先、交換しようぜ」
大投手、風野との勝負は、まだまだ続くだろう。
きっとそうに違いない――と俺は信じている。
先のことなんてまだまだ分からないが、俺はいつも通りに、できることを淡々とやるつもりだ。
◇◇◇
【王子様】野球系vtuberホッシ総合スレ part18
191:やきうのお姉さん@名無し
やばい推しに連絡先交換してもらえた
嬉しすぎて死ぬ
溶けそう
過呼吸なりそう
優しくてずっと泣いちゃった
今度は負けない
――――――
ここまでご愛読いただきありがとうございます。
本作「貞操逆転異世界に転生した俺、今度こそ野球を真剣にやる: 〜俺だけわかるセイバーメトリクスと現代野球〜」ですが、なんと
『年間ジャンル別ランキング 300位(47006作品中)』
『累計ジャンル別ランキング 500位(47006作品中)』
『読者1500超え & ★1000超え』
……を達成することができました!
これもひとえに皆様の応援のおかげです! この場をお借りして感謝申し上げます!
物語もそろそろ章のエピローグに入ります。次の章に向けて頑張ってまいります!
やっぱり評価が増えたり読者が増えて結果が出るのって、滅茶苦茶嬉しいですね……!(貞操逆転野球なんてマイナージャンルなので、なおのこと大歓喜してます)
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これからもよろしくお願いいたします。
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