第55話 その名は風野茂英(ふうのもえ)⑥:勝利と敗北


 ■6回表:マハ市選抜男子高校生チームの攻撃。


 普通、試合というものは、追いつかれた側は焦りを覚えるし、追いついた側は希望に燃えるものだが、この試合はそうでもなかった。


 試合展開を支配しているのは俺。苦しい中何とか投げぬいているのは風野。


 いくらトルネード投法のストレートが一級品であるとはいえ、さすがに何度も見ていれば軌道は分かる。それも、疲れの見え隠れするトルネード投法であればなおのこと。


 ――もしかしたら、俺たち男子でも、メジャーリーガーの娘に勝てるかもしれない。

 そんな淡い期待が、男子高校生チームを奮い立たせていた。


(球数制限もあるしなあ。今6回表だけど、向こうは80球ぐらい投げているんじゃないか?)


 その原因のほとんどは、俺のせいであるが。

 向こうの投球数は5回表終了時点で73球、牽制球も含めて80球を超える。これだけ投げていれば、もうそろそろスタミナが尽きつつあるだろう。


 満を持して迎える6回表、先頭打者は俺。

 完璧な流れである。


(球数制限は95球だが、それを狙うのもなあ。ここは真剣勝負してあげるのが人情ってやつだろうな)


 カット打法で粘ってしまい、7回までに別の投手を引き出す――という作戦もあるが、今の風野にそれはさぞ酷だろう。


 現に、相手投手である彼女は、今もぼろぼろに泣いている。体力を消耗しているだけではなく、精神的にも辛いのは目に見えて分かった。

 正直悪かったと思っている。


 決め球は俺が全部打つし、こちらのチーム全員が盗塁でめちゃくちゃ掻き乱すし、誰かが出塁した後はスクイズ多発でピッチャーゴロが多くなるため打球処理のために何度も走るし、なのに裏の俺は余裕そうに投げて悠々アウトを取るし、全然休ませてくれない。

 きっとしんどかっただろう。よくこんな不利な状況で、1失点のみに抑えたものである。


 それでも風野は――いくら辛くてもマウンドを降りるつもりはないらしい。


 ぐずぐずに泣きながらも「師匠さすがです私は感動しています」とか口元を動かしているのが見えたが、勝負を避けないのは、シルフェンズの英傑の娘としての矜持ゆえか。


 今は6回表。

 7イニング制で終わるこの試合では、風野との勝負は、この打席が最後――。


(そろそろ、とどめを刺して楽にしてやろうじゃないか。俺も俺で、スカウトに来ている人たちにアピールしたいしね。レジェンドの娘相手に三打席三安打なら、高評価だろうし)


 何度かスイングの具合を確認しつつ、バットを緩く構えながら、俺は打席に入った。

 俺はこの空気が好きだ。バッターボックスに入ってから次の球を待ち構える、この引き締まるような瞬間、張り詰めた空気が好きなのだ――。


 初球、インハイに強烈なストレート。

 だがこれは大陸国ではストライクゾーンではなく、ボールとなる。大陸国のストライクゾーンは、実は邦洲国と比べると若干外に寄っていると言われている。


(……今のはちょっと、手が出せないな)


 例えばこれが、邦洲国の甲子園で投げられでもしたら、ちょっと手が付けられなかったかもしれない。それだけ素晴らしい球質のストレートだった。


 とはいえ結果はボール先行。

 こうなると、ここまで2打席2安打の俺は敬遠気味に処理される可能性もある。


 よくある定石としては、アウトローを出し入れして厳しく攻め続けてくる配球だ。長打も防げてゴロアウトも狙いやすい。そしてストライクカウントを稼いだところでインローに決め球のフォークを持ってくる――などだろう。最悪、フォアボールになるならやむなし、というところか。


 だが向こうはトルネード投法。動作が大きく制球が難しいその投げ方では、そんな器用なことは出来まい。


(まあ、いずれくるフォークを狙い打ってやるさ)


 二球目、ベルトの高さにストレート、ストライク。

 ぐずぐずに泣いている癖に、球威はとんでもない。まともに打っても力負けしたフライになりそうな一投。これはフォークよりも、ストレートの方が対処が難しいかもしれない。一球目に続いてこの球も、おいそれと手が出せなかった。


 三球目、外角に綺麗にストレート。これは文句なしにストライクだろう。

 打たないと、と思ってスイングしたが、これは一塁線を切るファールになった。


(……。どうも俺はストレートの方が苦手だな。フォークを狙っているのを悟られたか?)


 追い込まれた以上、ここからは苦手なストレートをファールにしていく方が賢いだろう。

 だがいくら俺がカット打法が得意といえども、ずっとカット打法で粘れるわけでもない。

 果たして向こうは、注文通りにフォークを投げてくるだろうか。


 客観的に考えれば、2ストライクまで追い込まれた時点で俺の負けなのだ。

 実際、負け扱いでも問題はない。納得できる。一球目のストレートがストライクでない分、俺はルールに助けられていると言えよう。


(……フォーク狙い継続。キャッチャーは少なくともフォークを投げたいと思っているはず。空振り三振を取れる球だし、ヒットになっても長打になりにくい。ここはフォークを低めに決めてくる場面だ)


 向こうは素晴らしいストレートを三球も見せてくれた。

 全部、文句のつけようのない投球だった。あれでバッターアウトになるなら、なっても仕方ないな――と思えるぐらいに気持ちのいい球である。

 やはり相手投手は、大リーガーの血を引くもの。80球も投げて体力を消耗しているからといって、甘い球を投げてくれるような相手ではないのだ。


(決めた、いつものようにインコースのストレートならファールに流そう。狙いはフォーク、それと外角のストレート――)


 四球目。

 インハイにギリギリの、力いっぱいのストレート。

 まずいと直感してカットで凌ぐ。打球は後ろに逸れた。重さに手がしびれる。


 四球続けてストレート。

 ますますフォークが怖い場面になった。

 カウントは変わらず1ボール2ストライク。ボール球を稼いで四球で逃げるにしても、ちょっと難しそうなカウントである。


(……見逃していればボールだったか? それともストライクか? 臭いところはカットしていかないとダメだから、いずれにせよあれはカットで正解だろうけど)


 とっくに疲れているはずじゃなかったのか、と俺は訝った。

 ぐずぐずに泣いて、制球もままならない状態で、度重なる盗塁攻めに心身ともに摩耗して。

 これが普通の中学生であれば、もうとっくに崩れてしまう場面だ。


 ――それでも風野はマウンドを降りない。

 ぼろぼろに泣いている癖に。汗で前髪が顔に張り付いている癖に。肩で息をしている癖に。

 それでも風野は、体力を大きく消耗するトルネード投法を、やめようとはしない。


(……プレッシャーをかけ続けることが、俺の正解だろうな。引き続きフォーク狙い継続、カットできる球はカット打法で粘る、そして四球も見据える)


 五球目。

 大げさなワインドアップは、一度も崩れていない。研ぎ澄まされた綺麗な投球姿勢だった。

 走者を背負っても、体力的に苦しくても、それでも相手の投球は変わらない。


 大きく振りかぶられた一球。放たれる一条の線。

 過度な集中で、時間が引き延ばされるような感覚。


 俺は構えた。

 そして振り抜いた。

 ――手ごたえは最悪で、ずしんと重い感覚だった。






 ◇◇◇






 綺麗なアーチにならなかった時点で、俺は負けた、と直感した。

 この打席の勝負は、とっくについていたのだ。

 最後の球も、気持ちいいほどの直球。トルネード投法にうってつけのストレートだった。






 ◇◇◇






 マハ市選抜男子高校生チームと、強豪女子リトルシニアの勝負に幕が下された。

 得点は2-1。

 勝利投手は星上雅久、敗戦投手は風野もえ。


 決定打は、相手側のエラーによって生まれた、俺の単独ランニングホームラン。俺の成績は、三打席三安打(1適時打)。

 あの、絶対にフライアウトになると思った一打は、まさかの相手のエラーでヒットになり、そしてそのまま得点になった。


 それが勝負を分けた。


 風野は、大きく泣いていた。

 最初から最後まで、風野は泣いていたような気がする。


(ちょっとフェアじゃない勝負だったかもしれないな。今回の勝負、俺はただフォークボールを打っただけだし、最後のストレートは本来なら負けていた)


 今更、どの面を下げてフェアだなんて言えるだろうか――自分の言葉につい苦笑してしまいそうになったが、俺は口元を引き締めた。


 結局すべては結果論。

 俺はフォークボールを打った。打てる球だから打った。

 これは、2回もフォークボールを決め球に持ってきた相手バッテリーの判断ミスであり、その判断ミスは俺にとっての幸運でもあった。最初から直球で勝負すれば、俺は抑え込まれていたかもしれない。


 だがしかし、それでも俺は勝利した。

 運命の神様はサイコロを振って、そして俺を選んだのだ。


 歓声が爆発する中、俺は観客に手を振って応えた。

 ここは大陸国、この程度のパフォーマンスぐらいは許される。


 とはいえ――大きく泣きながら、ゆっくり向こうのベンチに戻る風野に何も思わなかったわけではない。

 負けたからといって、それすなわち投球内容が悪かったということにはならない。最後は運。それが野球なのだ。


 俺たちはメジャーリーガーの娘に勝ったんだ――と喜びを爆発させているチームメイトをよそに、俺の心は向こう側に向いていた。











 ――――――

 相手の盗塁対策が甘いのでそれを突いてスクイズで1点。

 エラーでお互いに1点ずつ。

 それ以外に致命的な打点はありませんでした。


 もうちょっとだけ風野編は続きます。しばしお付き合い願います。


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