第50話 その名は風野茂英(ふうのもえ)①

 その日は、リトルシニアの有名チームと勝負をする日であった。

 各地からスカウトたちも集まる真剣勝負。なぜか知らないが、この日はとにかく人が集まった。


「星上師匠と野球できる星上師匠と野球できる星上師匠と野球できる星上師匠と野球できる……」

「え、怖」

「ファンです、推しです、ずっと私は今まで何人もの推しがいました、推し歴は初めての推しが2年、最近では半年もったか分からないくらい短いです、でも星上師匠は出会ってからずっと推しです、今でも推しです」

「待って待って待って、追いつかない、何何?」


 俺に相対するなりぼろぼろ泣き出した少女が、「あ、だめ」とか言い出してぐずぐずになってた。

 激重感情すぎて上手くさばけなかった。一体何者なのだろう。


「風野もえです、星上師匠の弟子です、ずっと心を捧げようと決めてました、私は今日死ぬつもりで投げます」

「死なないでくれよ」


 勝手に弟子になるなと思う気持ちと、こんな奴いただろうかという疑問符で頭がいっぱいだった。

 だが彼女はずっと、俺のことを師匠師匠と呼ぶことを憚らない。何という奴だろうか。想像のはるかに斜め下をぶっ刺してくるような少女だった。もっと野茂英雄みたいな寡黙なやつを想像していた。名前が似てるからって全然似てない。


「星上師匠と出会ったのは掲示板です」

「じゃあ初対面じゃん」


 隣で竜崎が爆笑してた。


「師匠のおかげで私は成長しました、私の推しです、今日も応援させてください、そしてその心臓をください」

「やらねーよ」

「物理的にではないです全部を見せてほしいって意味です、師匠の推し活は今日ここで終止符です」


 ぼろぼろに泣きながら、少女は「初恋が終わるような切なさです」とかよくわからないうわ言を口にしていた。


「私の王子様、私の師匠、今日の私は本気でいきます、この世で最も美しいあなたを最も美しいまま、この地で引退試合にしてみせる」


 ひゅう、と口笛が聞こえた。

 竜崎が目を丸くして、面白そうな顔をしている。


「いや俺だって勝ちにいくつもりだけど」

「星上師匠の掲示板が燃えていることが私には許せない、ずっと今でも美しいままでいてほしいし私が伝説になってみせます、だから伝説の私の師匠になって永遠に輝いてほしい」


 師匠を伝説にしてみせます――と、急いたようにまくし立てるその在り様は、烈風のごとき狂気。自分が次の時代の新しい風であることを疑わない、純情で傲慢な精神。






 ◇◇◇






『ミスター星上。どうしてもとは言いませんが、各球団からのお願いが届いています』

『? メールを見ましたけど、風野もえって子と戦ってほしいと?』


 遡ること数日前。アオカケス大学付属高校の学長が、俺を直接呼び出しに来た。

 どうやら各球団フロント部から、アオカケス大学付属高校宛に連絡が届いたらしい。直接学生に送らないのは規定に反するため。こういった連絡は学校を通じてでないと実施できない。

 突然のお願いに対して、俺は少々そっけなく返した。


『戦うのは別にOKです。が、今はビジネスの立ち上げが忙しい。「Umpire Scorecard計画」ですが、まだ各球団の球審の過去の誤審率等を整理できていないんです。今は無料Wikiポータルみたいな場所でデータを公開する程度にしかなっていません。これを正式にアオカケス大学の研究室などに引き継げたらいいのですが』

『そういえば、名誉棄損だという訴えもいくつか届いてましたね?』

『ごくレアケースですよ。きちんと映像記録が残っている過去の試合のものだけしか統計化していないし、請求されたらその時の記録を全部読み上げることだってできますよ。それにまとめ方にも気を使って、名誉を棄損するような方向のまとめ方にはならないようにしています。どちらかといえば、今まで各球団の球審の自浄作用がそれほど働いてなかったことが問題です』

『……いいでしょう。ビジネスの話は何とかしておきます。問題はこちらですよ』


 学長はため息をつきながら、まずはマスコミから届いたご意見メールを読み上げた。


『「我々が調査を続けるにあたって、長いメジャーリーグの歴史を鑑みると、男性が野球をするには非常に脆すぎるという結論が出た。しかし星上少年は、新しい時代を開く未来の希望でもある。そこでぜひ、男子野球、あるいは男子ソフトボールの世界で燦燦たる結果を残してほしい」――と。分かるかしら?』

『……なるほど、男性が女性をいいように翻弄することを、ベースボールへの愚弄だと考える記者たちが何人かいるようですね』

『そこまでは言いませんよ、ミスター星上。ただ、野球界隈の人たちの一部は、男子が女子の世界で野球をすることを危惧しているのですよ』


 そしてもう一つ、と学長がフロント部からのご意見メールを読み上げた。


『「フロント部としては、星上少年の現在の能力は申し分ないと考える。一方で彼が男性であることから、今後の肉体能力の発展性にやや懸念を抱いている。彼の現在の資質を図るため、とてもいい機会がある。メジャーリーガーの娘である風野もえ選手は、同じ邦洲国の血を引くもの同士であるし年齢も近い。ぜひ一度戦ってみて、結果を見せてほしい」――と。こちらもこちらで、分かりやすいでしょう? ミスター星上』

『そうですね。今の俺は凄いが、今後の俺がメジャーリーグで通用するかは疑問と言いたいわけですね』

『そういうことです、ミスター星上』


 二つのメール。

 一つは、男は男子野球か男子ソフトボールの世界に行け、という直接的な意見。

 もう一つは、ただでさえ男の身体で将来の肉体成長が望めないんだから、年下のメジャーリーガーの娘と戦って負けたらもう二度と女に勝てないって分かるだろう、という迂遠な意見。


 どちらにせよ厳しすぎる言葉であった。

 俺は少しだけ語気を強めて不満を表明した。


『不思議ですね、こんなことって起きるんですね』

『不思議ではありませんよミスター星上。あなたが始めたことが影響しています』


 まさか俺に対してこんなやり方をしてくるなんて、という予想外の顛末に、ちょっとだけ俺は驚いている。

 だが学長曰く、この動きは当然の帰結だという。


『球審の正確さをさらにジャッジしよう、という試み。Umpire Scorecard計画。このアイデア自体、着眼点はユニークで面白いと思います。審判の精度が高まれば競技の質が良くなることに繋がりますからね。しかし、これをすることで、とある・・・イーファスピッチ使いが球界を席巻する可能性もあります』

『それをメジャー全体が危惧したと? あり得ない』

『ええ、メジャーリーグ全体は危惧していません。そんなことで動じるようなメジャーリーグではありません。今回のことはあくまで、イーファスピッチが嫌いな古き良き野球を好むどこかの大御所・・・・・・・が、意見を飛ばしたのではないか――と言われていますよ』

『ええ……?』


 たかがそんなことで、現場からこんなメールが届くことがあるということなのか。

 球界の体質については、邦洲国のほうがそういった古い因習にとらわれていると思っていたのだが、大陸国も随分古い因習にとらわれている部分があるらしい。


『大御所が、この学校にメールを飛ばせと指示したと? そんな馬鹿な』

『流石にそれはないと思いますが――大御所のご意見に忖度して、ごますりを行った現場デスクの愚かな人間がいたのかもしれません。言葉を選ばずに言えば、ミスター星上は外国から来た、人種の異なるマイノリティであり、敗戦国生まれの少年ですからね。侮られている可能性はあります』

『……うーん、分かるような分からないような』


 こんなメール無視してしまえ、と俺は思った。同様に学長も『無視してもいいメールですよ』とあっさり言ってのけた。

 法的な拘束力が何もないのだから当然である。


『急ぎすぎましたね、ミスター。貴方のやりたかったことは分かりますよ。審判のジャッジレベルを監視するような仕組みができて、イーファスピッチがもっともっと正当に認められるようになったら、貴方はきっと凄い投手になるでしょうね。肩肘もそんなに消耗しないですし、男性にでも簡単に投げられる。あなたはメジャーリーグで初めての、何勝も重ねることができる、燦燦たる男性投手になれたかもしれない』

『でもその例を一度でも認めてしまうと、私の真似をした、新たな男性投手たちが続々と現れうる……と?』

『そこまでは言いませんよ。ミスター星上ほどの制球を身に着けるのは、至難の業ですから。ええ。でも、剛速球を投げる投手が好きな人はいっぱいいます。そういう剛速球投手こそ正義の野球、と考える人もいるのです』

『うーん。軟投派もロマンがあると思うんですけどね……』


 巨大な権力が俺をひねりつぶす、なんてドラマみたいなことは起きない。そもそも俺は結構、権力と仲良しだ。


 だが、影響力のある気難しいオバサンが俺の投球を見て「こんなのばっかりになったら嫌ねえ」と言ったら、それを忖度した記者やフロントが先走ってこんな幼稚なことをやってくる――という世界も存在する。これが社会。これが組織。

 俺の立場はまだまだ弱いのだ。


『大丈夫ですよ、ミスター星上。あなたのやろうとしたことは、種火となって進行しています。これはお金になります。そしてお金になりながら、球界をよりいい方向に進めようとしています。いずれはあなたの望む未来に進むでしょう』

『そう言っていただけると幸いです』


 これは時間がかかりそうだ、と俺は思った。

 しょうもない話なのに、俺にはまだそれを払いのける力がない。






 ◇◇◇






「星上師匠――」

「今日はよろしく!」


 何か言いたげだった風野の言葉をさえぎって、俺たちマハ市選抜男子高校生メンバーはさっさとベンチに戻った。

 大リーガーの娘、風野との勝負。別に負けてもいいのだが、負けないに越したことはない。せめていい勝負をしないといけない。


(うーん、ここで負けたら、もろもろ印象が悪くなるからな)


 俺だって負けられない理由がある。向こうの気持ちは知らないが、俺はビジネスで負けられないのだ。

 クソ野郎め、と笑いたければ笑うがいい。俺はもうとっくに、金と利権の人間側なのだ。






 ――――――

 ■今後やりたいこと

 ①ホッシとみんなの成長を描きたい

  進捗:みんなの覚悟UP+みんなの技術UP×2

     ホッシの大陸球の慣れUP+ショーケースで結果をたくさん残す+新しい変化球

 ②ホッシが海外でステータスオープンを活かしたビジネスを始めたいそうです

  進捗:学長にスポンサーになる交渉中+ショーケースで人材発掘+自前で野球イベント企画

     野球データ統計調査委員会の設立+TV番組出演により知名度UP

 ③ホッシが海外で凄い選手に出会うようです

  進捗:リトルリーグの子たちと仲良くなる+レジェンドの娘に興味を持たれる


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