第30話 再戦・文翅山高校、そして大エース②
■3回裏~5回表:
カット・ファスト・ボールの名手と言えば、MLBではマリアノ・リベラが挙げられるだろう。
マリアノ・リベラは史上最高のカットボールの使い手として知られ、長きに渡りクローザーとして活躍した。球種がストレートかカットボールのみという特殊な投球スタイルにも関わらず、彼は最優秀救援投手賞を6回も受賞している。
MLB歴代最多の通算652セーブの世界記録保持者、と言えば、誰もがそのすごさを理解できるかもしれない。キャリア全体に渡って投げた球種の8割以上がカットボールであり、それで652セーブも記録しているのだから、たまげた話である。[1]
引用[1]:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%8E%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%99%E3%83%A9
裏返せば、一級品のカットボールにはそれだけの力があるとも言える。
この世界でもカットボールが全く無いわけではないが――まだカットボールと呼ばれるような呼称は与えられておらず、プロの世界でもまだまだ注目を浴びていない。
この世界の大陸野球でも、カット・ファスト・ボールの使い手を俺は何人か知っているが、彼女たちは往々にして「速い癖玉」とか「スライダーの使い手」とかそんな感じでしかメディアに取り上げられておらず、カットボールへの研究も全然進んでいない。
つまり、俺が身に着けて無双するのにふさわしい。
そんな夢のある球種だったのに、まさか先を越されてしまうとは。
(くっそ、くっそ、分かってたはずなのに! 大沢木投手がスライダーの名手ってことは知ってたのに!)
まさか高校生の段階で、このカット・ファスト・ボールを高いレベルで身に着ける奴がいるなんて思わないだろう。
それだけ大沢木投手の才能がずば抜けていたのだ。
(ま、まあいいさ。向こう十年は研究に時間がかかると見ていい。俺と大沢木投手しか投げられないスライダーってことにしてやる……!)
森近はやや疲れが見えてきたものの、相変わらず素晴らしい投球内容を披露して、相手打者陣に得点を与えなかった。
一瞬だけ、大沢木投手があわや1点先取の適時打を放ったか――といった場面があったものの、緒方が抜けていきそうな打球にあっさり飛びついて4-6-3のゲッツーに仕上げたので問題はなかった。
この好守備には球場が大いに湧いたが――肝を冷やしたのも事実である。
(森近をいつ交代させるか、だな)
小雨は徐々に勢いを増している。
俺や森近のようなコントロールピッチャーにとって、雨は天敵と言ってよい。
ボールが滑ってしまうと変化球を投げにくくなるし、スパイクに泥がついて足が滑りやすくなると姿勢のバランスを保つことは難しくなる。
もしそれでコースが甘くなったり、変化球がすっぽ抜けてしまった場合は、痛打されること間違いなしである。
そうなると、次は緒方を据えるのが理想かもしれないが――緒方にはクローザーとしてゲームを締めてほしいという思いがある。
森近→星上→緒方、という並びにすると、俺から緒方へ変わった時の球速差に目がついていけずそのまま制圧、というパターンが多くある。接戦である今回は、それを狙いたいところであった。
もちろん森近→緒方→星上、でも速度差はあるので制圧できなくもない。速くても遅くても、どちらも速度差に目がついていかないのは同じだ。
ただし今日は生憎の雨模様。俺の制球が甘くなるリスクを考えると、俺を後回しにする方がよりリスクが大きくなる。
(森近は十分いい仕事をした。チーム打率三割の相手を、ここまで無失点に抑え込んだんだ。十分すぎる)
森近の疲労には理由がある。
相手チームがまだまだ辛抱強く待球策を継続しているのだ。
球数を使わせる作戦は、これが厄介なのだ。どんなピッチャーでも投球数が増えてくるとパフォーマンスが下がってくる。
しかも今は雨。いつも以上にピッチングに神経を使わないといけない。
特に森近の場合、今までのようにゴロに打ち取る作戦が気軽に使えなくなる(=雨だとゴロの捕球が難しくなる)ということで、かなり神経を使って投げているように見えた。
「次こそ交代するぞ、いいな?」
濡れた髪をタオルで拭っている森近にそう告げると、彼女は「……雨は思ったより難しいですわよ。貴方も十分注意なさいまし」と投げやりな言葉が返ってきた。
一方、俺たちときめき学園の下位打線のみんなはというと、こちらもこちらで相手の大沢木投手にプレッシャーをかけていた。
毎度おなじみバスター戦法。
だが今回のバスター戦法は少々意味が変わる。何せ雨の日はゴロの打球の具合が違うのだ。
普段は打球がよく弾む土の硬さであったとしても、雨水を吸収することで土が緩み、いつもよりバウンドが跳ねなくなり、速度も遅くなる。
また、土がぬかるんだ状態だと、金具のスパイクでも踏ん張ることが難しくなる。
総じて雨の日は、守備が難しくなる。
そんな中でミート優先のバスター攻勢は、想像以上の効果を上げていた。
なぜなら、大沢木投手が下位打線相手に安打を2本も打たれているからだ。そのうち1本は、先頭打者の羽谷にまでつながる快挙。
1アウト1塁、1番羽谷。
雨天時は指のかかりが悪くなり、変化球のキレが落ちると言われている。
だがしかし速球もある大沢木投手は、安定感のあるピッチングを見せて、我がチームきっての巧打者である羽谷をピッチャーゴロに沈めた。
決め球はカーブ。指への掛かりが甘くなって失投すれば、とんでもない球になりそうなのに、大沢木投手は度胸がある。
(……確かにシンプルな組み立てだ。速球とカーブを組み合わせるのは基本中の基本。前半は速球と見分けがつきにくいカットボールを主体に戦ってきたが、後半はカーブも混ぜて、速度差と高低差で惑わせるつもりなのか)
2アウト1塁、2番星上。
悪いがここは行かせてもらう場面。そろそろ先制点がないとまずい。
幸い今日は、俺が
1球目、アウトローへのボール球のカーブ。見逃し。
2球目、アウトローへのストレート。これは制球にミスがあったかボール球であり、またもや見逃し。
3球目、インハイへストレート。これはストライクゾーンだが、もう少し投げさせるため見逃してストライク。
4球目、アウトローに、ボールからストライクへと入ってくるスライダー。これは打たなくてはならない、と思って打ったが、詰まった当たりになってファールに。
5球目、インハイに浮き上がってくるようなストレート。だがこれは咄嗟にカットしてファールに。
(今のストレートは絶対に決め球だったよな……。分かっててもあれは咄嗟には打てなかった、さすがプロ注目の県下の大エース様だ)
とはいえ俺も負けてはいない。
4球目のスライダーも決め球っぽかったがファールに出来たし、5球目のこれまた伸びあがるような決め球っぽいストレートも咄嗟にファールに流せた。
相手からするとかなり嫌な感じがするはずだ。何せ俺はここまで、決め球の速球もスライダーもカットボールも凌いでいるのだ。
(ほらよ、投げる球がなくなって困るがいいさ。お前さんにはそろそろ失投してもらわなきゃ困るんだってば)
6球目、絶対に来ると思っていた、内角高めへのカットボール。これを俺は悠々と見逃し、ボールカウントを取る。
これで2ストライク3ボール。フルカウントになった。相手バッテリーもかなりプレッシャーを感じているであろう。
やがて7球目が投げられる。
内角をえぐるようなインハイのストレート。
だがしかしそれは――。
(流石だな、さっき俺がこのインハイのストレートだけ反応できてなかったのをよく観察してる。他の決め球であるスライダーやカットボールで抑えられるか怪しい以上、ここはインハイのストレートを投げて正解だ)
――俺が相手でなければ、であるが。
スイング一閃。
コンパクトに振って当てた打球は、そのままセンター前へと転がる。
絶対にここに来ると思っていたのだ。
俺が同じ立場なら内角高めにストレートを投げたくなる。他の決め球は一発長打がありうるが、先ほど内角高めのストレートに完全に詰まっていたし対応ができていないように見えたから、当然の狙いである。
だからここに賭けた。インハイのストレートが来ると予想した。
予想が外れて他の変化球だったとしても、インハイのストレートほど速くないので、カット打法でファールに出来るという自信があった。
これでまたもや安打成功。
俺は今回の打席でみると3の3である。チームで一番安打を生み出しているのは紛れもなく俺だった。
――5回表、2アウト1塁2塁。3番森近。
チャンス到来。絶好の得点機会。
特に森近は、我がときめき学園のチームきっての打点王である。(※緒方と甲野が敬遠されすぎたというのもあるが、今は森近が点を生み出す中軸になっている)
ランナーを二人背負っている状態。相手バッテリーも投げにくいだろう。
今が先制点のチャンスである。
しかし――。
(……森近が、緊張している?)
どことなく動きがぎこちない。三度目の打席でまたもや得点機会、はっきりとは言えないが森近の構えはやや力みが見て取れる。
もしかしたら、責任を感じているのかもしれない。先ほどチャンスをふいにしてしまった重圧が、森近を苛んでいるのか。
結局森近は、カットボールに苦しめられて凡退となった。
(うーん……。まあ、いくら天才と言っても3打席でほぼ初見の変化球攻略するのは難しいよなあ……)
3打席と言っても、打席できっちりカットボールを見たのはまだ4~5回程度のはず。
たったそれだけで打てるようになったら紛れもなく天才である。
ましてや相手は大エース。羽谷も森近も、自分自身を責めなくていい。
(大沢木投手もさっきのイニングでひやひやしてくれていたら良いんだけどなあ)
ここまで揺さぶりをかけているのに、大沢木投手は大崩れする気配がない。
想像以上にタフな対戦相手である。流石、文翅山高校の精神的支柱と呼ばれるだけはあった。
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