第29話 再戦・文翅山高校、そして大エース①
「おねがいします!」
「おねがいします!」
気候は曇天、どこか雲行きの怪しい空の下。
一波乱ある予兆を垣間見せながら、文翅山高校との戦いは幕を開けた。
奇妙な因縁の対決。周囲の人間の注目も高まっている。
片や県下の強豪校、片や弱小だった無名校。
それが、一方は春の県大会の小地区戦で土を付けられ、シード権も手に入ることなく敗れ去り、もう一方は春の県大会で破竹の勢いで県下ベスト3まで勝ち進み、夏の甲子園地方予選でもシード権を悠々活用して、決勝まで危なげなく勝ち上がってきた。
今や、強豪校であった文翅山高校の方が挑戦者のような立ち位置になっている。
文翅山高校は泥臭い戦いを強いられてきた。強豪ばかりひしめくブロックに割り当てられ、シード校や前年覇者としのぎを削るような争いを繰り広げた。
激戦を繰り広げてきた結果、投手陣は消耗している。
今の文翅山高校は、強い精神力で持ちこたえているような状態であった。
その精神的支柱が、2年にして大エースの大沢木投手である。
彼女はこの激しい連戦の最中にあって、それでもなお折れていないようであった。
(今回は、あのエースが最初から先発するのか……それだけうちの打撃陣を重く見たということだな)
雨天コールドが気がかりである。
高校野球の試合が成立する七回終了までには、点差をつけて勝っておきたいところであった。
■1回表:ときめき学園の攻撃。
1番、羽谷妹。
2番、星上(俺)。
3番、森近。
4番、緒方。
5番、甲野。
この1イニング目の大沢木のピッチングは、完璧と言ってもいい出来栄えであった。
ときめき学園で最もバッティングが上手な羽谷妹が、凡退させられてしまったのだ。
理由は一目でわかった。というより、
(……なるほど、この時代にこの変化球を投げる奴がいるのか)
ムービングファスト。
この世界で、いわゆる癖球と思われてきたものの一つ。
特に大沢木さんの投げている球種は、カット・ファスト・ボールと呼ばれるような類のものであった。
(計算が狂ったな……。その球は、
カット・ファスト・ボール。
利き腕の反対方向に変化するスライダーと直球の中間のような球種。
直球とほぼ同じ球速で小さく鋭く変化するため、打者からは直球との見分けがつきにくく、結果的に凡打に仕留められることが多い。
変化し始めるポイントが重要であり、直球とほぼ同じ速度で、かつ打者の近くで変化するように投げるのがベスト。
(ちょっと脅かしとかないと、まずいな)
うちのチームには慢心がある。変化球は得意だという自負がある。
変化球のスペシャリストである、森近と俺が一緒にいるから、ほとんどの変化球の軌道を見慣れてきた。だから、どんな変化球でも対処できる慣れと心得がある。
だがそれはあくまで、今まで見てきた変化球だけだ。
このカットボールは、うちの打撃陣でさえも見慣れない類のボールである。というか、俺も森近も緒方も投げられないボールなのだから当然であった。
スライダーと一緒じゃん、と言ってしまえばそうかもしれないが、そう単純な話ではない。曲がりが小さい分速くて見分けづらいスライダー、となればこれはもう打つ側からすると別物なのだ。
――2番打者、俺。
羽谷が4球目で凡退したので、俺はもう少し球数を稼ぎたいところ。
(うっはー、すげえな……こりゃ分からんわ、ほぼ直球じゃん)
初球のカットボールを見て、俺は思わず笑ってしまった。完成度が凄い。どう見ても直球にしか見えない。
ボールの回転数と回転軸を見抜ける俺以外には、おいそれと見分けることができないだろう。
敵にファーストストライクを取られて、ちょっと嫌な立ち上がりとなった。
2球目、外角ボール球から低めボール球になるカーブ。余裕で見送り。確かにちょっと振りたくなる遅い球だが、低めに外れる球でわざわざ賭けに出る必要はない。大沢木投手はにやりとしていた。
3球目、外角低めギリギリ。際どい所で、これはボールを取ってくれるかなと思ったが判定はストライク。文句はない。
4球目、外角ボールゾーンから入ってくるスライダー。いいコースだが、これは狙い目、思いっきり振り抜いてやったが結果はファール。鋭い当たりだったが仕方がない。
(うーん、あわよくば本塁打と行きたかったが……しくじったな)
実はスライダーは、球質的にはストレートに続いてホームランを狙いやすい球でもある。打球のゴロ率が低く、フライ打球の本塁打率がやや高い。[1]
引用[1]:https://ahoudata.hatenadiary.jp/entry/2018/03/31/000000
一概には言えないが、縦への変化をする球質のボールではないことが一因だと俺は思っている。
だから、スライダーや直球を狙って長打をぶちこみに行きたかったのだが……ちょっと失敗してしまった。
(あの天才羽谷が討ち取られたからな……俺が脅かしてなんぼ、相手バッテリーには楽させたくない)
5球目、ついにお待ちかねの球が来た。
ど真ん中にカットボール。
直球と見分けがつきにくいこの一級品のカットボール、こいつを普通に直球だと思って振ったら、根元で打ってしまって凡打になってしまう――。
(悪いが、俺は分かるんだよ……なッ!)
だが俺は、芯で打てる。
球が
実はカット・ファスト・ボールも同様で、球質的にはホームランを狙いやすい球でもある。打球のゴロ率が低めで、フライ打球の本塁打率が高めである。[1]
晴れ晴れするような長打。
手に残る痺れ。これはいい当たり、と思ったが――ぎりぎりフェンスは超えない。
2ベースで進塁。
十分いい仕事をしたと思う。これで相手投手が少なからず精神を動揺してくれていたらいいのだが――。
(スライダーとカットボール、決め球二つをでかい当たりで運んだんだ。それも男の俺がだ。この打席は大きいぞ。これで、今日は決め球にキレがないと勘違いしてくれて、決め球を出し控えしてくれたらいいんだが……)
しかし、大沢木は崩れない。
森近が粘って、センターフライでアウト。緒方が粘って、カットボールに手を出してしまいショートゴロで倒れた。
ほぼ最悪のパターン。せっかくの甲野を返せる打者がいない。
天候も怪しくなってきたが、ゲーム展開も非常に怪しい。会心の2ベースが無に帰してしまい、俺は奇妙な胸騒ぎを覚えていた。
■1回裏:ときめき学園の守備。
森近が力投を見せる。
三者凡退。非常にいいリズムである。
相手の大エース大沢木に触発されてか、ピッチングに気合が乗っている。
(ただ、球数稼ぎで粘られたのが気になるな……。森近を疲れさせようとしている?)
1~2番打者もだが、3番打者も待球策でくるとは予想外である。
とはいえ森近は制球がいいので、それならそれでストライクを取りに行くだけなのだが、とはいえゴロを打たせて討ち取りたいというチーム方針からするとちょっと嫌な感じである。
■2回表~3回表:
天候がどんどん怪しくなり、小雨がパラパラと頬を打つぐらいになってきたころ。燃えるような日差しの下で投げなくていいのはありがたいことだが、このまま雨足が強くなると少々困る。
うちのチームは雨に慣れていないのだ。
大沢木投手のカットボールを前に、うちの打線は大苦戦に陥っていた。
なんとあの打撃の天才の甲野でさえ、詰まったようなサードフライを打ってしまいアウトに。
だが、3回表、2アウトランナーなしの場面で羽谷が魅せてくれた。
スラーブ気味の球を打って一塁進出。いわゆる悪球打ちに近いが、カットボールに苦戦している今の状況なのだから他の球種を狙うのはセオリーの一つでもある。
(よし、じゃあ俺が羽谷を返せばいいわけだな……)
後続は森近。出来れば俺が決めてしまいたいところ。
となると、俺の注文としては、スライダーやカットボールを思い切り長打にしてしまいたい場面である。
相手バッテリーもそれぐらいは読んでくる。
俺が必然と強振が多くなるのを見越して、組み立てはカーブ中心になってくる……というのがお互いの読み筋。
で、ここからが心理戦だ。
(さっきのカットボールへのいい当たりがまぐれ当たりかどうか、気になるよな? 強振する打者相手に詰まるボールは絶好球だから投げたいはず、でもさっきの2ベースヒットだけが気がかり、と)
ポイントは俊足ランナーが1塁に出塁しているという点。
投手側のセオリーでは、盗塁警戒のため、遅い変化球であるカーブを嫌って、直球中心の組み立てが望ましいとされる。
そして打者側は、必然と直球を狙う構えになる。
果たして、スライダーやカットボールを大きく飛ばした俺を恐れて、カーブ中心で戦い、悠々と盗塁されることを良しとするか。
それとも、さっきの打席はまぐれ当たりだと判断し、相手は直球狙いで強振したくなるから尚更カットボールで詰まらせるのが美味しい、と賭けに出るか。
大怪我を恐れて、外角低めにカーブ、ストライクのコンビネーションでカウントを稼いでくるかもしれないが――。
(まずは初球から内角にカットボールだろう、あわよくば凡打狙い。なぜなら俺の高い打率を知っていれば、カーブに逃げたところでカーブ対応できる可能性が高いと予想するはず。まぐれ当たりを警戒しすぎる意味は薄いし、それならゲッツー狙い含みでカットボールでくるはず)
そう予想していたらドンピシャであった。
内角カットボール。
(行くぜッ!)
――初球打ち。
打球はレフト方向に飛び、2アウト1塁3塁の形を作った。
何よりも、二度も決め球を打つことができた。これは手ごたえがある。
以後、相手バッテリーは俺を処理するのに頭を悩ませるはずだ。羽谷も含めたら、1番2番の処理に神経を使うはず。
こうやってプレッシャーをかけていけば、やがて大沢木投手を崩せるかもしれない――。
そう思っていたが。
流石に大沢木投手も感心したような顔をしていたが――それならそれでと淡々と森近に向き直っている。
鋼のメンタル。投手としては理想的なマインドセット。さすがは大エースと称されるだけはある。
(……そうか、万が一カットボールを打たれても長打にならなければ全然OK、次の森近で討ち取れる、という冷静な計算をしていたのか)
森近は健闘したが、サードゴロでアウト。やはりうちのチームは、まだ俺以外カットボールが見極められていない。
残塁した俺は俺で、”星上にはカットボールが通用しない”という情報を向こうに露呈してしまった。
0-0のイーブンスコア。だがこの展開は――。
(カットボール頼みのごり押しじゃないってことか。こいつはまいったね)
確信した。
大沢木投手は、熱くなる投手というより、クレバーな投手である。
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