第16話 筋トレで鍛えた走力を活かして、クイックが上手くないチームに負けないようにする
春季都道府県大会。
近江県の規模では64校が集まっており、二度勝てばベスト16に入り、夏の甲子園地方予選のシード権が獲得出来る。
春季県大会のトーナメント表を見た感想としては、(何だかすんなりベスト16までは勝ち上がれそうだな)というものだった。
セイバーメトリクスの情報――つまり、チーム別の平均得点、打率、出塁率、投手成績、三振、与四球を見ることができる俺は、トーナメントに残っている高校の強さをなんとなく推し量ることができる。
もちろん相性というものはあるし、勝負ってやつは水物なので、百発百中の予想ができるわけではないが、数字は嘘をつかない。
(スタッツ情報がうちのチームに勝っているチーム、文翅山高校に勝っているチームだけに絞ると……4つぐらいか? 8つ? 数字の部分的優劣をどう比較するか難しいが……)
実際、文翅山高校は県下有数の強豪校であった。それと比較すると、他の高校は大体見劣りする。
とりあえず分かったのは、ベスト16まではさほど強い高校に当たらないということ。相手投手が強くないので、気楽にいける。
(今は地力を高める時期だ、森近や緒方に頑張ってもらうような時期じゃない。試合経験、勝負勘を得るためにぼちぼち試合は出ていくが、ベスト16を勝利したら、あとはメンバーを入れ替えたりして緩くやるかな……)
もちろん県大会で優勝すれば、知名度は高まると思うが……あくまで本命は夏の甲子園。
俺はトーナメント表をチームの皆に配りながら、「とりあえずベスト16までは締まっていこう。それ以降は、皆の身体造りやチーム課題を優先する」と当座の目標を説明した。
◇◇◇
成長盛りの高校生。充実した筋トレ設備。
そして、外部企業からの協賛で提供される、栄養バランスに優れた昼御飯と晩御飯。
「腹が減った状態で練習したらダメだぞー! 空腹だと、エネルギーを出すために筋肉が分解されてしまうからなー!」
俺が檄を飛ばすと、全員が「応ー!」と答える。いいことだ。どんどん脳筋っぽくなっている気がするが、あまり気にしてはいけない。
うちの部員たちは、練習の合間にもバナナなどを食べる。
1日あたり平均5回の食事を行って、エネルギーとたんぱく質を補うようにしている。
バナナは特にいい。年中安く手軽に手に入り、消化もよく糖質も多い。ビタミンも多く、カリウムが多いので筋肉が攣るのも予防できる。
それにプロテインも、たんぱく質を補ういい補給源になる。
(走塁速度も、投球速度も、バットのスイング速度も、筋力がつけば早くなるからな……スポーツの基本は筋肉、こんなの当たり前のことだからな)
筋肉は全てを解決する。冗談で言っているわけではない。スポーツにおいて筋肉があるということはかなり有利なのだ。
もちろん、成長期に「骨端軟骨」が損傷するほどの負荷をかけるようなトレーニングは行わない。
例えばうさぎ跳びだ。
瞬発力や下半身、足腰の安定感の強化につながる練習として効率的だとされてきた訓練方法ではあるが、膝への負担が非常に大きく、疲労骨折や肉離れを誘発しかねないとして、我がチームでは導入していない。
他にも、走り込みのようなロードワークは行わない。
一般的に走り込みは、下半身を鍛えると共に、心肺能力を鍛えて持久力をつけるという目的で行われる。だが野球で求められる走力は、せいぜいが10m~30mという短距離である。長距離を走るロードワークはさほど効いてこない。
長い時間をかけて、あまり効果的でない筋肉が鍛えられてしまうのであれば、高強度の負荷を下半身にかける別のトレーニングをした方がいい。
効率的な筋トレ。
それは我が野球部の主軸であり大前提なのだ。
(足の速さも筋トレだ。打撃は多少センスが出るが、足の速さはある程度までは努力で補えるからな)
元いた世界のデータだが、甲子園に出場するような強豪校の平均走塁タイムと、バッテリーの投球時間のデータが存在する[1]。
・一塁到達 4.20秒
・二塁到達 8.29秒
・三塁到達 12.29秒
・盗塁(27.4m - リード幅) 3.4秒
・投手クイック 1.3秒以下
(※投手が始動した瞬間から投げたボールがキャッチャーミットに収まるまでのタイム)
・捕手スローイング 2.00秒以下
(※捕手の二塁送球は投手の投げたボールがミットに収まった瞬間から捕手が投げたボールが二塁ベース上の内野手のグラブに収まるまでのタイム)
引用[1]:https://baseball-cultivation.com/%E8%B5%B0%E5%A1%81%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%A0%E3%81%8B%E3%82%89%E5%AE%88%E5%82%99%E7%B7%B4%E7%BF%92%E3%82%92%E8%80%83%E3%81%88%E3%82%8B%EF%BD%9E%E9%AB%98%E6%A0%A1%E9%87%8E%E7%90%83%E7%B7%A8%EF%BD%9E/
情報化が進み高度化が進んでいる現代日本の高校野球とは違い、こちらの世界ではまだまだ理論の遅れはあると思うが……+0.3~0.5秒の範囲に入ればまずまず優秀だろう。
この情報からさらに仮説を検討すると、例えば
・一塁到達速度をチーム平均で4秒台にすれば、無理やり安打は増やせるのではないか?
・盗塁を増やせば二塁到達が増えて、得点期待値を大きく増やせるのではないか?
というアプローチが思いつく。
打撃も守備も悪かった我がチームの場合、どこから手をつければいいか。
バント練習やバスター練習も悪くはないと思うが――俺の考えている答えの一つが、機動力であった。
(足が速ければ、守備範囲を広げることもできて、かつ、一度塁に出れば相手を掻き乱すこともできる。打撃が伸びたら走力も伸ばすべきなんだ)
決してこれは"機動力野球"ではない。機動力は出塁率が伴っていなくては意味がなく、また走者を返せる強力な打者がいなくては成り立たない。
機動力野球という言い方で貧打をごまかすのは間違っている。頼れる強打者(緒方、甲野)がいるからこそ、チームビルディングの一つとして"機動力"が活きてくるのだ。
ひとたび
そうなってしまえば、打者は非常に有利になる。
(しかもクイックが下手な高校や、キャッチャーのスローイングが微妙な高校は、どんどん盗塁ができる。これはほぼ確実だ。足の速さはそうそう変わらないし、相手のクイック+スローイングの時間もそうそう変わらない)
機動力が通用するのは、この2盗の確実性にある。
一塁出塁がほぼ二塁と同じことになってしまえば、単打はほとんどツーベースヒットと同じことになる。得点期待値も、単純計算でおよそ1.5倍になる。
すなわち、火力が1.5倍になる。
もちろんそんなのは極論なのだが、走力だけでチームの得点力を数割上乗せできるのであれば、それに越したことはない。
弱いチームに確実に勝つために。
チームが守備に不安を抱えている現状、得点を取れる手段は一つでも増やしておきたいところなのだ。
盗塁を取れるチームからは、積極的にガンガン盗塁を取りにいく。1点取られても1点取り返す。
そうやって、クイックが上手くないチームは全部足だけで潰す。偶然による大逆転は許さない。
(うちのチームはまだまだ課題は多いけど――弱いチームには確実に勝てるようになっている。チームの底力は付いてきているはずなんだ)
チームのみんなの表情は明るい。
俺がはっきりと「クイックが遅いチームは、皆の走塁力でかき回すぞ」と皆に伝えているからだ。
足が速くなるたびに、皆それを試合で試したいとうずうずしているのが分かった。
自分でもチームの勝利に貢献できる、という実感。
それがチームをさらに前向きにさせている。
強豪校・文翅山高校との勝利は、チームの意識を大きく変えた。
あの時はバントを駆使した待球作戦だったが――今回はもっと分かりやすい、走力勝負である。
筋トレで鍛えてきたこの足が、本当に実践で通用するのか試したい――。
そんな意識がチーム全体に伝播しているのか、うちのチームの練習はますます効率的になっていった。
ちなみに、一軍メンバーの中で俺は二番目に足が遅い。やはり俺が
俺も一塁到達の速度は平均で4.88秒と悪くない、はずなのだが。(※アマチュアでは十分俊足に入る部類である)
「わりーな、やっぱり男に足の速さで負けてたらちょっと恥ずかしいからな……」
筋トレに勤しむチームメイトたちからそんな言葉をかけられる。俺の存在がみんなを触発しているらしい。
……横で、一軍で一番足の遅い甲野がちょっと顔を赤くしていた。ポーカーフェイスである彼女がそんな反応をするのは珍しい。一塁到達速度平均が5秒半ぐらい。別に高校野球ではさほど鈍足という訳ではないのだが。
(そうだ、次の試合相手がちょうど、うちのチームの足を生かせそうなチームだから、ちょっと試してみるかな……)
結論から言うと、この次の試合から我が高校は、破竹の勢いで勝利を重ねてしまうのだが――そんなことは今の時点で、誰も知る由はなかった。
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