第15話 配球って『基本はアウトロー』『対角線』『変化球は低め』というが、その続きはあまり見ないよね

 打たせて取る。

 基本はゴロを打たせて、守備で抑える。

 エラーは気にしない、打たせて取る方針は、ピッチャーの肩肘を温存するだけでなく、守備の練習もかねているのだから――。


 我がチームで大きな負担がかかっているのは、森近、俺、緒方の投手陣三人と、それをリードするキャッチャーの甲野である。


(鍵を握っているのは森近。球速だけで三振を奪うスタイルではない以上、変化球主体の決め球で三振を奪っていかないといけない)


 ゴロを打たせるピッチャー(いわゆるゴロP)でも、奪三振率が低ければ結局さほどイニング投球数を抑制できないことが分かっている。[1]

 引用[1]:https://carpdaisuki.hatenablog.com/entry/2021/01/27/235708


 欲張りではあるが、奪三振率も高めつつゴロを打たせるようなグラウンドボールピッチャーになるのが理想的と言える。

 そんなこと、簡単にできるものならやっている、という話だ。


 奪三振を増やすためには、制球はもちろん、配球も大事になってくる。

 配球に関して高い戦術理解力を持っている森近と甲野は、必然と、ミーティングに時間が多く取られることになる。


「初球は基本的にカーブとスライダーですわ。被スイング率が低いんですもの。そして決め球はフォーク。空振り率が一番高い球種で、ゴロ率も高いですわ。となると必然と球種はストレート比率が下がりますわよ。半分に増やす・・・・・・のは極端ですわ」

「……。何個か、直球を振らせるべき。周回効果がある。決め球を打者に見せすぎるのは良くない。球筋を見切られる」

「下位打線に直球を見せたところで、周回効果なんて気にするほどではありませんわ。逆に上位打線なら打ち頃のストレートにはバットを合わせられましてよ」

「どれだけ凄くても、打率は3割台。半分以上は、直球でも抑えられる」

「甲子園上位校のバッティングは打率5割や6割を超えてますのよ!?」

「彼らを仕留めるため、変化球を効果的に活かす。実際、プロ選手たちも、半数はストレートを投げている」


 甲野の提案は、直球の比率を増やすというものだった。

「ストレートあってこその変化球。変化球に頼り過ぎると変化球が活きなくなる」

 という、常識的な指摘である。

 確かにストレートは、そもそも全体を通して投球比率が非常に多く、NPBでも平均で45%程度と言われている。投球における基本軸と考えてもいい。

 だが――。


「……いや、甲野、それは違う。今回は森近の感覚の方が正しい。ストレートを無理して増やす必要はない」

「!」


 横から口をはさんでよいか迷ったが、俺はあくまで統計的に指摘した。

 球種の投球割合を増減させたとしても、球種の空振り率や価値に与える影響に統計的に優位な示唆は得られない。

 ストレートの比率を増やしたところで、投球数が絞られた変化球の効果が高まる――というわけではないのだ[2]。


 引用[2]:https://note.com/baseball_namiki/n/n2505ccb7c19d


「そもそも、"決め球を打者に見せすぎるのは良くない、球筋を見切られる"という考え自体も、科学的にはあまりよく分かっていないんだ」


 実際、シミュレーションではあるのだが、同じ球種を連続して投げてもそんなに成績が悪化しないどころか、二球目や三球目の方が成績がいいという、予想に反する結果が報告されている。[3]


 引用[3]:https://note.com/baseball_namiki/n/n1ef98ce5f338?magazine_key=m05985d003c76


 すなわち、「多少相手が球筋に慣れたところで高が知れており、相手の苦手なコースと苦手な球種を突き続けるほうがいいのではないか?」というシンプルな話になる。


 具体的には俺のような投球スタイルだ。


 もちろん、同じ球種を投げ続けることも特にしてないので、はっきりとは結論が出ていない。だが「相手に球筋を見極められないように、あえて○○しよう」みたいな戦略はあまりとってこなかった。


 最悪、状況のせいで同じ球種を連続して投げてしまうことになったとしても、さほど抵抗はない。(長打だけは嫌だからアウトロー中心に、かつ今日はフォークのキレが悪いからスライダー中心で……というように、投げられる球がほぼ決まってしまうことがあるが、俺はスライダーを平気で二連続投げるタイプである)


 そう。プロ野球選手のストレートの投球比率が半分近いからといって、それに合わせてストレートの投球比率を半分近くまで持ってこようとは考えていないし、同じ球種が続くことに大きな抵抗もないのだ。


「……そう、なんだ」


 意外そうな顔をしている甲野。きっと彼女は、今までキャッチャーとしてたくさんの野球理論を勉強してきたのだろう。実際、キャッチャーは求められる知識が多岐にわたる。扇の要・・・という言葉があるぐらいだ。

 そしてリードにも自信があったのだろう。

 この世界における・・・・・・・・常識の範囲で、多くの戦術理論を勉強したはずなのだ。


 投球比率のストレートの配分を増やしたら、もっと成績を高められるのではないか――今回だって、そんな風に考えて、彼女なりに提案してくれたのだ。


(……このまま無下に断るのもかわいそうだよな)


 あまり落胆を見せないポーカーフェイスの甲野だったが――少し気落ちしているようにも見えなくはない。

 ちょっとだけ情が湧いた俺は、「なあ甲野」と声をかけていた。


「せっかくだし、リードも一緒に考えてもいいか? 今夜一緒に俺の部屋で考えようぜ」

「!」


 ぴゃ、と変な声を上げて森近が驚愕していた。

 甲野は目を丸くしたまま固まっていた。ポーカーフェイスの甲野にしては少々珍しい反応である。


 別に変なことは言ってないはずだよな、と俺は自分の発言を振り返る。

 同じ特別寮に暮らしているんだから、夜間ミーティングも変なことではない。

 第一、もう何日も同じ屋根の下で共同生活(※しかも他の女子も一緒にいる)をしておいて、今更になって男女のうんぬんかんぬんが起きるとも思わない。そう、不純異性交遊なんて起きるわけがないのだ――。






 ◇◇◇






 夜、俺の部屋には特待生たち(羽谷、森近、緒方、甲野)が全員集まっていた。


「全員来るのかよ」

「……ったりめーだろがこのアンポンタン!」


 緒方が凄い勢いで食いついてきた。風呂上がりなのでちょっといい匂いがする。

 今日は甲野と配球を考えるつもりだったが、いつの間にか、みんなで学ぼう配球の回、みたいになってしまった。


「みんな野球熱心だよな、俺は嬉しい!」

「「「「…………」」」」


 何だかちょっと微妙な空気になったが、俺はとりあえず皆にホットミルクをふるまった。

 どうせ今日は、雑談中心になる。野球脳を養うといえば聞こえがいいが、まあ、オンオフでいうとオフである。


 配球の基本的な考え。

 改めて、今回の勉強会のメインテーマである。

 主にはピッチャーとキャッチャーが勉強することではあるのだが、打者としても"攻略する側"という視点で勉強するのは悪くないことだ。


「じゃあ配球について、そうだな……例えば、配球の基本はアウトコース、それもアウトローというのは聞いたことはあるか?」


 まずはとても簡単なところから。全員これは知っているようで「そりゃあね」「初歩ですわね」「? 今日はそのレベル・・・・・からおさらいか?」「……。うん」と全員すげない様子である。


 配球の基本はアウトコース、それもアウトロー。

 目から遠い位置にあるので、インコースと比較すると目で追いづらく、細かいコースの判別が難しくなる。

 また、バッターから最も遠い位置にある分、バットの芯で捉えるのも難しくなる。タイミングが早すぎるとバットの先端で捉えることになり、タイミングが遅れると詰まった当たりになってしまう。

 それゆえに基本はアウトローに球を集めるのだ。


「そして、アウトローとインハイの対角線に投げるのがいいというのも聞いたことはあるか?」


 当然、という感じでみんなは聞いていた。

 対角線に投げろというのも有名なセオリーだ。外角を見せられた後の内角の球は、より近く感じる。

 俺も何度か試合で(さっきまでなら、アウトローの軌道はこんなものか、と頭の中になんとなく映像記憶が残っていたのに、ついさっき見た球が邪魔して上手く思い出せない……)と記憶が混ざって苦しめられてきたものだ。


 特に見慣れない球速帯、軌道で投げてくるピッチャーであれば、なおのことだ。

 他に似ているピッチャーがいればそいつを思い出せばインハイでもアウトローでも何となくこんなもんだよなとヤマを張れるが、全然似ている奴がいない場合はで勝負しないといけない。

 これもまた、名門リトルで基礎を学んできたみんなからすると常識だったようである。


「変化球は低めに集めろ、というのも有名な格言だが、これも聞いたことはあるな?」


 これも一同が頷く。当たり前のようにみんなは知っていた。

 やはり強豪リトル出身のみんなは、この辺の基本への理解度は高い。


 一般的には、高い変化球は変化しにくいとも、低めに投げられた球は変化量を見極めにくいとも言われている。

 これが変化球は低めに投げろと言われている理由である。


「つまりここまでの配球をまとめると、基本はアウトロー、アウトローとインハイの対角線を狙う、そして変化球は低めに投げる――となる。これが正しければ、配球はもはや『アウトローの速球』『アウトローの変化球』『インハイの速球』の三択でほとんど終わりになってしまう」


 ところがそうじゃないんでしょ、と一瞬だけ空気が弛緩しかける。

 ここまではみんな読めていたみたいだ。


「うん、わかった。つまり星上が言いたいことは、『アウトローの速球』『アウトローの変化球』『インハイの速球』の三択だけじゃなくて、上手く心理戦をしましょうっていうことだよね?」

「あー、まあ羽谷の言う通りなんだが……そんなありきたりな結論じゃなくて、もう少しデータの話をするつもりだ」


 話はこれでおしまい――ではない。

 ここから本題とばかりに俺は勿体をつけた。

 今から述べるのは、定石にあえて疑問を一石投じる意見である。


「……ところが、カットボール、スライダー、カーブの場合は、『変化球は低めに投げろ』という定説に反して、高めへの投球が有効だとされている[4]」


 引用[4]:https://note.com/baseball_namiki/n/n8128c6d56a2c


 ぴくり、と森近の耳が動いた。変化球主体の投手である森近にとっては一番関心があるデータだろう。


「また、学生の研究に過ぎないが……例えば、『内外内』『外内外』のようにコースを交互に使い分ける配球のほうが却って打者をアウトで仕留めにくいという研究があったり[5]、似たコースに球速差18mile/h(=球速差32km/h)以内に収まる別の球種の球を続けて投げたほうが打者を打ち取る確率が高いという研究があったり[6]、配球傾向が他捕手と異なる捕手ほど防御率が低く好成績であるという研究があったり[7]と――興味深い結果が示唆されている」


 引用[5]:https://www.st.nanzan-u.ac.jp/info/gr-thesis/2012/09se113.pdf

 引用[6]:https://www.jstage.jst.go.jp/article/jspeconf/55/0/55_432/_pdf/-char/ja

 引用[7]:https://db-event.jpn.org/deim2019/post/papers/55.pdf


 今度は全員が意外そうな顔つきになっていた。

 俺が先ほど述べたのは、つまり、旧セオリーの部分否定である。


「――以上をまとめると、面白い傾向が見えてくる。

 アウトローとインハイを交互に混ぜることは、バッターも予想していて、結果打たれるんじゃないか。

 それでもなお、この世には、アウトローとインハイを交互に混ぜることを過信している・・・・・・奴が多くいるんじゃないか。

『内外内』『外内外』のような交互ではなく、『内内外』『外外内』の方が効果的なのではないか。

 全然違うコースに球を散らして投げるのではなく、同じコースに球速差32km/h以内の異なる球種を投げたほうがいいのではないか。

 ――とね」


 俺はここで一旦言葉を切った。

 聞いているみんなは、口を開かなかった。固い表情とも取れる顔付きで正対している。

 だが、俺の発言には真剣に耳を傾けている。


 否――ごく当たり前の退屈な講義が始まるかも、という不安が吹き飛んだような、非常に鋭い目をしている。


(この俺が退屈な話をするわけないだろう?)


 まるで飢えている獣みたいだな、と俺は内心で考えながら、配球についてもう少しだけ自分の考えを語った。


「配球に答えはないよ。だけど、配球にはセオリーがある……とみんなが思っている。だからこそ、『これが正しいはず』と妄信しているやつの裏をかくのは簡単だ」


 熱心にセオリーを勉強しているからこそ裏をかかれる。

 皮肉な話である。


 他のチームが、教科書通りに「外内外」とかやってくるなら、我がチームはそれを堂々と逆手に取る。

 打つときは山を張るし、投げるときはあえて外す。

 なぜならそっちの方が、むしろデータ的には強いとされるパターンなのだから――。


「じゃあ改めて、明日以降に『配球の基本的な考え』について説明しようと思うけど……意味は分かるよな?」


 俺は言外に『セオリーを学ぶんじゃなくて、セオリーを逆利用しよう・・・・・・』というニュアンスを仄めかした。

 俺の部屋に集まっている天才どもは、この時、また一歩・・・・新たなステージに成長できるという予感にやる気を滾らせているようであった。


 今更になって基本のやりなおしかよ――なんてことを言うものは、誰もいなかった。

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