第12話 文翅山高校との勝負(中編)
■4回表~6回表:ときめき学園の攻撃。
実は、3回表の途中からエースピッチャーの大沢木が入る展開になっていた。
これは単純に、文翅山高校側の打撃陣が思ったより点を取れず、焦りを覚えたからだろう。
イニング別の失点率から考えても3回目は鬼門の一つ。経験を積ませるための二番手ピッチャーには少々荷が重い。
しかもこのエース、自制が利くタイプらしい。なんと平気で、緒方と甲野を敬遠するという徹底っぷりであった。
優れた投手である大沢木なので、もっと勝気を出して勝負してくるかと思ったが、6番以降の下位打線の打者を仕留めるほうが容易いと踏まれたのだろう。
流石に大沢木が入ってからは、こちらも思うように打つことができなかった。
羽谷妹が出塁し、(相手は左投手だというのに)果敢に盗塁を仕掛けて成功するという超ファインプレーを見せつけたものの、俺と森近が凡退してしまい、そのチャンスを広げることはできなかった。
こちらの得点は4点のまま。こんなことを言うと怒られてしまうが、普段から緒方の球を見ているから140km/hもそんなに驚異的ではないのでは、という侮りがあった。
だが、打球が全然芯を食わない。
ままならないものである。
■6回裏:ときめき学園の守備。
4回から6回まで、2失点あったものの、森近はかなりいい投球をしている。
理想的なグラウンドボールピッチャーさながらの力投であった。
2失点もうちの守備陣のエラー絡みなので、森近の責任ではない。
相手の打撃がゴロ多めに抑えられているのは訳がある。
森近が沈む変化球を多く投げているのもあるが、単純に、点を思ったより取ることができず、相手の打線が焦っているのだ。
(こういう状況でドハマりする決め球が、ストライクからストライクに変化する球だ。ストライクゾーンに放られた、一見普通に打てそうなストライクの球ががくっと落ちる。バットは芯を食わず、結果凡打になってしまう)
点が欲しいと焦れている相手に、森近の"打たせて討ち取る投球"が綺麗に機能していた。
だが、向こうは手を出さずにはいられない。ストライクゾーンに飛び込んできた、打ち頃の球速である格好の球なのだから、失投の可能性もある以上、これを叩かないわけにはいかない。
実際、かなり質の高いピッチングをしている森近から、2点をもぎ取ったのだから、相手の打線は油断ならない。
手を出させているのはこちらの戦略だが、それをきっちり得点につなげているのは向こうの力といってよい。
(ただまあ――打ちっ気が先に出てしまっているな。ゴロとはいえバットには当たっているし、しかもなまじ2点取れてしまっているだけに、もっと打ちにかかりたいと前のめりになっているような気がする)
待ち球策を取るという選択肢が、向こうの頭からすっかり消え失せている。
まあ、平然としている俺を見て、
(たとえ森近を消耗させたとしても、向こうには継投する投手がいる、しかもそれは変化球の名手である星上)
と警戒してくれている……のかもしれないが。
とはいえ、6回で得点差は2点。
残りイニングも少なくなってきたこの状況で、相手はかなりしぶとく食らいついている。
森近も消耗が大きい。
リトルリーグの7回イニング制に慣れている彼女は、9回イニングのペース配分にまだ不慣れである。
それにそもそも、文翅山高校自体がチーム打率3割と、下位打線含めて侮れないチームである。
一投一投に神経を使う場面が続く、気を抜いて投げられる楽な打者がいない分、森近の負担は相当なものであった。
「好投が続いているけど、次、俺が変わるからな」
「……まだ、投げられますわよ。二巡したとはいえ、まだ変化球に対応しきれているようにも見えませんわ。カーブ、チェンジアップ、スライダー主体で組み立てれば……」
「もう休め。7回からは俺がいく。お前は二巡目まで打者を翻弄したんだ。十分立派じゃないか」
「……っ」
森近は、きっと絶対的なエースになりたいのだろう。
球速がない分、技術で相手を制圧する、そんな最高のエースに。
だがそれは、今うちのチームに必要なものではない。
変則派の俺がいて、力強いリリーフの緒方がいる今のチームで、6回まで試合を壊さずに作り上げたのであれば、もう十分立派なエースなのだ。
「……貴方が同じ状況だったら、降りなくて済むんでしょうね」
……嫉妬されている? 俺が?
天才のむき出しの敵愾心を受けた俺は、思わず目を丸くしたが、森近は特に何も言わない。
俺からすると、彼女の方がずっと天才だと思うのだが。
俺みたいな
「……任せますわよ。勝ってくださいまし」
誰もが見惚れるような投球を見せたフランツィスカ・恵理・森近は、それでも悔しそうに声を絞りだしていた。
まるで俺の方がエースに相応しいと認めるような口ぶりで。
■7回表:ときめき学園の攻撃。
実をいうと下位打線のみんなも、ただ単にアウトを取られるだけではなく、しっかりと仕事をしていた。
相手が大エースの大沢木に代わってから、みんなはセーフティバントで揺さぶったり、待ち球策で粘ったり、バスターを試みたりして、投手のスタミナを削る作戦に出たのだ。
もちろん、セイバーメトリクス的には打率1割3分以上であれば、バントは効果的ではないのだが、うちのチームメイトには『あんな凄いエース相手に、打率1割3分出せる自信がないぜ!』という、妙な開き直りがあった。
(そこは果敢に挑んでほしかったんだけどな……まあ、結果オーライか)
バントの方が損が多い、まぐれ狙いの強振の方がまだ統計的に価値がある――と否定するのは簡単だが、俺はチームのみんなのなすがままにさせておいた。
俺としても、相手投手のスタミナを削るという方針に関しては大賛成である。
プッシュバントをして一塁手に取らせて進塁を試みる。
あるいはドラッグバント。
あるいは裏を搔いてバスター。
徹底して、内野陣に楽をさせない攻め方だ。
とはいえバントは、そもそもバットに当てることさえもそれなりに難しい。
もちろんスイングよりは簡単だが、そもそも球の軌道をよく見ていないとバットをコンタクトさせに行くことはできない。
そのうえバントは、世間一般で思われているほど驚異的な戦法でもなかったりする。
バントの構えが相手チームを揺さぶることはあまり期待できない、というデータもあるぐらいである[1]。
引用[1]:https://1point02.jp/op/gnav/column/bs/column.aspx?cid=53736
加えて言うならバスター打法についても、成功率4割が損益分岐の閾値と考えられている。もちろんそんなに成功するはずがない[2]。
引用[2]:https://note.com/ponyo0302/n/nd3cfacbd3755
結論、バスターを織り交ぜてもバントは期待値の低い戦略となる。
それでもなお、『打率1割3分に達する自信がない』打者の場合に限れば、バントは分の悪くない賭けだった。
なぜなら
(! こいつら、最初の方の球は全然打たないじゃないか! バントの構えはただの見せかけで、数球ほど待ち球してからバントヒット、を徹底してやがる……!)
カウントが悪くなってからヒッティングに変える――当たり前のように実施されている戦略だが、実は、損の多い作戦でもある。カウントが悪くなると打率も悪化するという関係は、この世界でもすでに何となく知られている法則だ。
だが、カウントが悪くなった状態でもバントを貫くのは、常識とは真逆の作戦である。正直、得点期待値も低いやり方だが――投手のスタミナを減らすという嫌がらせ一本のみに絞れば、一番確実性の高い方法である。
それに、カウントを稼ぐのは目を慣らすという意味もある。
バントやバスター打法を織り交ぜながら、下位打線のみんなも、どうにか目を慣らそうと彼らなりに工夫を凝らしているようであった。
(バントは非効率的とか云々いうのはもういいや。みんな、球筋を見極めてバットに当てにいく練習をしてるんだ。当て感を養うトレーニングだと考えるべきだな)
この嫌がらせ特化の戦法は、相手エースにじりじりとプレッシャーを与えているようであった。
プレッシャーの与え方とは、こういうやり方なのだ。
(こいつらにはこうすればいいだけだから楽だな)と思わせないことが、プレッシャーをかけるコツなのだ。
それが功を奏したのか。
疲労が投球パフォーマンスを落とさせたのか。
この7回で大エースである大沢木から、羽谷と森近がヒットを放ち、ツーアウト一塁三塁で残った。
続く打者は4番緒方と5番甲野である。
(これは大チャンスだぞ……! 俺がピッチャーなら、匙を投げている場面だ)
緒方は打率が六割近く。甲野も打率が六割近く。化け物みたいな打線である。
これはビッグイニング到来か? と思ったその時。
その場面で――相手投手の大沢木は不敵に笑っていたのだ。
■7回裏:ときめき学園の守備。
やられたと思った。
まさかあの場面で堂々と、二人敬遠をするとは思わなかった。
――満塁策は分かる。緒方は歩かせていい。それぐらい驚異的なバッターである。
だがまさか、甲野まで歩かせるとは思わなかった。打率も長打率も高いバッターに敬遠するのは合理的だが、押し出し1点まで献上するなんて、いささか合理的すぎないだろうか。
押し出しで得点差は3点。その後の打者をあっさり三振で切ってチェンジ。
勇気ある判断だ。
3点差は、いくら文翅山高校の打線といっても重すぎるはず。
しかし、うちのエースの森近の消耗具合から「次はもっと打てる」と読めたのだろう。
実際、森近継続をさせていれば、捕まっていた可能性は高い。
(普通は近江県屈指のエースとしてのプライドが邪魔をして、緒方か甲野のどちらかと勝負すると思ったが……大沢木さん、冷静すぎないか?)
コールド負けするリスクを背負ってまで勝負に出て1点を守るより、1点を払って次の回につなぐ。
こういうクレバーな判断をされてしまっては、逆に怖い。
大崩れしないだろうな――という予感がした。
(まあ、次からは俺が投げるんだけどね)
7回のマウンドに俺が立つと、ようやく相手ベンチが騒がしくなった。
先発至上主義の思想がまだまだ色濃いこのご時世、ちょっと打たれつつあるとはいえまだ3点差もあってピンチも迎えていないのに、好投を続けている森近を下げるのは
しかも、セットアッパー兼クローザーを俺が務めるのは男である俺。
だが、ここは俺が入って正解である。
イニング別の失点率を計算すると7回目もそれなりに高い数値。先発ピッチャーがもしそのまま継投していれば、そろそろ球筋も見極めが効いてくる回だし、ピッチャーも疲れが出てくる回。
ここで、右も左も投げられるし、アンダースローもサイドスローも使いこなせる俺が入れば、打者陣は混乱するだろう。
(ほらよ、これが平均球速115km/hの世界だぜ)
今日はスライダーの調子がとてもいい。球速は出ないがアンダースローから投げているのでなかなか沈まず、さながらスイーパーのように機能している。
結局、この回はアンダースローとサイドスローを織り交ぜて投球し、フォークとスライダーで仕留め切った。
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