第11話 文翅山高校との勝負(前編)

 私立文翅山ぶんしやま高校。

 創立はまだ20年程度と歴史の浅い高校ではあるものの、高校野球選手権近江県大会でもベスト8に残るほどの強豪である。


 ただし昨年の秋季大会ではエースの故障であっさりと負けており、今こうして小地区大会に出てきている。

 エースが復帰した今、向こうも我がチームと同じく、シード権を狙っているのは間違いないだろう。


 そう、文翅山高校との闘いが一番の泣き所であった。

 小地区ベスト8に進出し、県大会に出場しようと思ったとき、トーナメント表でどうしてもぶつかってしまう最大の強敵。

 同じ地区の強豪校。彼らに勝利しなくては、我がときめき学園野球部は、県大会に駒を進めることはできない。


(文翅山高校の野球部は、ピッチングマシーンに室内練習場と、設備も整っている。投手も打者も悪くない。しっかり選手が揃っている)


 中でも油断ならないのは、相手の左腕エースである。


 大沢木おおさわぎなすか。マンドレイク種の樹人族。

 144kmの速球が武器のエースピッチャー。

 スライダーとカーブを織り交ぜて速球で制圧する、本格派のお手本のような投手。

 昨年一年生だった彼女の活躍によって、文翅山高校は去年の夏の大会で県大会のベスト8まで勝ち進んでいる。


 左で144kmも出せる彼女は、近江県でも屈指の投手であろう。左は右の5km/h増しとはよく言ったもので、ピッチングの軌道が異なる速球はバットを合わせにくい。

 だがしかし、攻略できない相手ではなかった。






 ◇◇◇






 ■1回表:ときめき学園の攻撃。


 1番、羽谷妹。

 2番、星上(俺)。

 3番、森近。

 4番、緒方。

 5番、甲野。


 惚れ惚れするクリーンナップ陣。

 これぞ対強豪高校用の最強打線テンプレである。

 今日はこの打線の火力を、思う存分発揮してもらうつもりだった。

 特に鍵を握るのは、天才羽谷と天才甲野である。


「へえ、ここはエース温存なんだ?」


 どうやら相手エースである大沢木は、先発しないようである。

 甲子園に向けて、他の投手に経験を積ませることを選んだのかもしれない。確かに長い夏を戦い抜くのに、たった一人のエースにすべてを託すのは酷である。


 代わりに出てきたのはMAX135km/hの直球を投げる右投手。

 確かに悪くない投手である。


「舐められたものだね、ちょっと脅かしてあげよっか」


 ――だが、それでは天才相手には役者不足というものだ。

 特に羽谷妹相手にそれは、少々侮りすぎというものである。


 羽谷はあっさりとヒットを放って一塁に進んだ。

 足が速くバットコントロールが巧みな彼女は、我が野球部で最も出塁率が高い打者である。

 まさに天才というべきか。


 続く俺は、特に天才という訳でもない。

 なので、バントの構えっぽいそぶりを見せて、相手バッテリーに揺さぶりをかける。


 とはいえ、羽谷の盗塁は怖いし、送りバントは警戒したいこの場面。相手バッテリーは慎重に配球を行う。勝手にウエストボールを投げてカウントを悪くしてくれるので、俺としてはすごく助かった。

 羽谷も大きめにリードを取りながら、ピッチャーから二回ほど牽制球を引きずり出した。相手投手の牽制の癖を見抜こうとしたわけだ。


(まあ、結局、相手投手の牽制に妙な癖はなかったけど――この阿吽の呼吸が、羽谷1番、星上2番の神髄なんだよな。本当に羽谷妹は野球が上手い)


 羽谷に気が散って投げにくそうにしている相手投手を見ながら、俺はつい苦笑してしまった。俺も投手だから分かる。辛いだろうな。


 ――男、投手、軟投派、そしてバントの構え。

 どう見ても長打はない。

 そう思って、外角への速球で押さえこもうとしたのだろう。

 相手は吹っ切れたように、アウトローに速球を投げ込んできた。


 そいつを俺はひっぱたいた。絶好球。球が見えるんだから当然の一打である。

 134km/hの速球。

 だがその速度自体は、緒方の球で見慣れている。というより緒方の球よりも遅い。


 ――そう。

 ときめき学園の部員は、強豪校ほどとまではいかなくとも、普段の練習で速球に見慣れているのだ。


(悪いね、速球で押す作戦だったんだろうけど、これでますます苦しい展開になったんじゃないかな)


 さっぱりと流し打ち。

 結果は一塁二塁。

 相手投手にもさすがに動揺が見えた。とはいえ相手ベンチは動かず。エースを引きずり出すには至らないようだ。


(さて、強豪・文翅山高校を崩すためには、ここからが大事なところだ……)


 迎える3番、投手の森近。

 投手陣がクリーンナップを務めるのは、何というかリトルリーグっぽいものがある。森近とて強豪リトルのエースで四番だった子供。打撃のセンスもある。


(ここに本来は森近が入らないが、森近を入れるほうが面白いと思った)


 セイバーメトリクスでいえば、1、2、4番打者が最強であるのが最もいいとされる。

 すなわち、

 1番、羽谷妹。

 2番、緒方。

 3番、星上。

 4番、甲野。

 という並びである。

 だが、この並びは、セイバーメトリクスで見ても微差といえるようなものだ。

 緒方も甲野も長打が良すぎるし、羽谷も緒方も走力が高すぎる。出塁率はみんな極めていい。

 そして森近も俺も、投手ながら、悪い成績ではない。


 それならセイバーメトリクス的な考えよりも、相手を初回から嵌めるほうが楽しみが大きいと言える。


 ――森近がもし打撃でも活躍すれば、うちの打線は格段に底固くなる。


(森近はアウトになってもいい、だから・・・三番打者なんだ。羽谷か俺のどちらかしか生存していない時は、送りバントで次につないでOK。羽谷も俺も生き残っていない時はそのまま凡退でOK。でも両方生き残っているときは……!)


 男でピッチャーである俺に打たれた動揺がまだ残っているのか、相手投手は初球から丁寧に外していった。

 ボール先行。

 だがこれは俺からすると大失敗だと思う。


 ここは打者勝負一択。

 走者なんて無視して、普通にストライクゾーンにスライダーやカーブを入れてくればいいのだ。

 後に控える打者が緒方と甲野なのだから、ここで打者勝負でOKだ。


 だが、3番打者という数字、先ほど非力な投手の俺に打たれたという残像、そして立て続けに浴びた安打二連打が、相手バッテリーを必要以上に慎重にさせてしまっている。

 しかも羽谷はさっきから離塁距離が大きいし、俺も離塁距離を大きめに取っているし、相手投手としては盗塁が脳裏にちらついて、非常にやりにくいだろう。三盗はともかくダブルスチールなんてやるはずがないのに。


 森近は、とにかく待ち球策を取った。

 相手の球の調子を図るのは、1番打者の羽谷の仕事(そして実際、羽谷はカット打法も上手い)なのだが、俺もその仕事が得意だし、森近もその仕事が得意だ。


 カット打法で調子を見る羽谷。

 この目で相手の調子を見抜く俺。

 そして待ち球策でプレッシャーをかける森近。


 カウントは2-1。


(ほら、速球勝負したくなるだろう? 後に続く緒方、甲野のことを考えると、この打者で勝負するしかないだろう? ――だからそこを強振する)


 やむなくストライクカウントを取りにいく直球が内角にやってきた。

 それを森近は、思いっきり強振した。


 レフト方向に引っ張られる打球。ホームへと走って戻る羽谷。


 ――森近は綺麗なホームランを打った。

 相手は要らぬ動揺をして、そのまま崩れたのだ。


(そう。羽谷も俺も生き残っているときは、相手投手は投げる球・・・・がほとんど残っていない。そうなれば森近にとって、ここは楽な場面になる。まるで甲野のように、ストライクゾーンに山を張って、そこに来た球だけ強振でいいんだ)


 見かけ上・・・・、驚異的な打者が一人増える。

 打撃も平均以上にこなせる森近を3番に持ってくることで、上位打線により厚みが生まれる。

 これがこの打線の考え方であった。


 その後、緒方は単独スリーベース。甲野はそれを返すツーベース。

 結局、初回は、4点を取る大きなイニングになったのだった。






 ◇◇◇






 ■1回裏~3回裏:ときめき学園の守備。


 対 文翅山高校シフト。

 というよりは対強豪校シフトというべきか。


 先発は森近。キャッチャーは甲野。

 ショートに羽谷、センターに俺、セカンドに緒方。

 うちのチームで最も理想に近い陣形であった。


 チームの立て直し方の原則。まずはセンターラインをしっかり補強すること。

 いつものときめき学園の布陣(=内野守備を練習させるために他の部員を内野にあてる陣容)とは異なって、今回はガチで勝ちにいく陣容であった。

 特に、肩の強い緒方をセンターに置かずにセカンドに置いているのは、一種のギャンブルと言ってもいい。


(強豪高校は、他の強豪校のエースが投げてくるような速球に合わせて打撃のフォームを作る。ピッチングマシーンで目をならしたりすることで、速球にすぐバットを合わせてくることが多い)


 となると、狙われるのは緒方の140km/h台のストレートだろう。いつもは頼れるリリーフ投手(四番打者やりながらリリーフエースも務められるなんてやっぱり緒方は凄すぎると思う)の彼女も、今回は使いどころを考える必要がある。


 逆に可能性があるのは、フランツィスカ・恵理・森近のような軟投派ピッチャーである。

 130km/h。滅多打ちの対象になりそうな速度のストレートだが、近い速度のスライダー、高低差の大きいフォーク、緩急差と高低差の大きいカーブとチェンジアップ、打たせて取るためのシュートとシンカーを織り交ぜてくる。

 この多彩な変化球ばかりは、普通のピッチングマシーンでは練習できないだろう。


 事実、森近の投球は試合ではかなり通用した。

 ――あの文翅山高校相手に3回まで投げて無失点なのだから。


「3回まで投げて無失点。すごいよ森近。チーム打率三割の連中相手に、ほぼ完ぺきなピッチングじゃないか」

「ふふん、ですわ。ゴロで仕留める作戦が上手い事ハマっていますわね」


 センターラインがしっかりしたおかげなのか、内野ゴロのアウト率が高まり、打たせて取る戦略がきちんと機能していた。


 ピッチングは、外角低めを軸に攻め、内角にフォークとシュート(ツーシーム)である。

 練習試合を含めて森近には、ずっと打たせて仕留める練習をさせていたが、その過程で何かを掴んだのだろう。

 彼女は技巧派投手として、さらに一皮むけていた。


(彼女のシュートは、この世界でも通用する)


 ……信じられないことだが、この世界にツーシームの概念は存在しない。存在しないというよりは、ツーシームの握りが広まっていないという方が正しいかもしれない。

 かつての日本でも、ツーシームは昔からあったものの、球筋が汚くなるという理由からなのか、ツーシームの握りが一般に定着したとはいいがたい。[1]

 引用[1]:https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180918-01


 どうして市民権を得られなかったのかは定かではない。

 恐らくは球の握りなんて、そんなに世に広まるものでもないのだろう。投手の生命線なのだから。


 だから、彼女が投げているシュートは、一種の魔球のようになっていた。


 俗にシュートは被打率や失点率が高い変化球とも言われているが、変化量が大きい場合はその限りではない。[2]

 引用[2]:https://note.com/baseball_namiki/n/ne51b22d1ba1e


 森近の場合、変化量を大きくすることでゴロ率をさらに高めていた。


「……。打たせて取る戦略、そんなに悪くありませんわね」

「だろ? 森近も何か新しい可能性に目覚めたんじゃないか?」

「ライバルに惜しげもなく球の握りを教えてみせる貴方には呆れますわ……。一応私、貴方のライバルですのよ?」


 だがそのおかげで、強豪校相手に3回無失点の好投が実現できたとも言える。


「4回か5回まで投げられる? 一巡目は終わったし、そろそろ向こうの打者陣に順応されそうだから、俺が投げたいけど」

「……あまり見せてない球種で刺したいですわね。スライダーとカーブで決めに行きますわ」


 これができるのが変化球主体の投手の強みである。

 見せていない球種を決め球に、打者を翻弄してカウントを稼ぎ、凡打や三振に仕留める。


 似たスタイルの森近が頑張ってくれていると、俺も嬉しくなる。俺でも十分通用するはず、という心の励みになるからだ。






 ◇◇◇

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