第7話 高校時代:ときめき学園野球部、まずは筋トレ路線で強くなります
入学式が終わって、仮入部期間真っ盛りの春。
ときめき学園の野球部は、新入生を迎え入れるためのレクリエーションを行っていた。
情報が簡潔にまとめられているレジュメの配布。そして顧問兼監督の挨拶。
部活動の年間のスケジュールの確認。
必要となる道具の購入、および遠征などで年間でかかる費用の共有。
部室の備品の説明、日々の練習時間、そして体育館やグラウンドの利用に伴ういくつかのルールの説明。
過去までの実績と、今後の方針、そして部のスローガン。
何のことはない。ごく普通のレクリエーションである。
「それじゃあ、新入生の紹介に入りたいと思うが……」
と顧問教員がここで言葉を切った。
「実は今回、中学校時代に全国大会で結果を出した子たちがとても多く入ってくれた。学校からは『甲子園を目指せる布陣』として、今年の野球部にとても大きな期待がかかっている。そんなわけで、代表として、星上くんにちょっとだけ挨拶をしてもらいたい」
そしてバトンパス。これも事前の調整通り。
顧問の人に丁寧に頭を下げて「リトルシニアで学んだ大事なことを皆に共有したい」と頼み込んで、時間をわざわざ設けてもらったのだ。
部員たちはちょっとだけざわついている。顔立ちの整った男なのに、ほぼ女子の巣窟みたいな
ホワイトボードの前に立った俺は、みんなの前で丁寧にお辞儀した。
「はじめまして、星上雅久です! 男ですけど投手希望です!
目標は甲子園制覇! ……ということで、本気で甲子園を目指しています!
野球は駆け引きだと思っているので、そんな野球をやりたいと思ってこの高校に来ました」
甲子園制覇と口にした瞬間、ざわめきが大きくなったのを感じた。
あくまで爽やかな雰囲気と明るい口調は崩さずに。
目標は大胆不敵に。
今から話すことは、フィクション作品によくある荒唐無稽な作戦である。
◇◇◇
NPBにおいて、対戦チームのデータを元にして捕手が配球を組み立てリードする現在の形が確立されたのは、1954年の南海ホークスが初めてとされている。
いわゆる"データ野球"の始まりだ。
当時のプロ野球では、スコアを付ける仕事はマネージャーがやっていた。だがそれはあくまで記録整理に過ぎず、相手の分析などに本格活用はされていなかった。
そんな時代で、当時毎日新聞社のスポーツ記者であった尾張久次は、統計的にスコアをまとめる作業をしていた時に、「個々の選手の投打の傾向」、「投手と打者の相性」などに気が付いた。それを当時の南海ホークスの監督、鶴岡氏に見せたところ、鶴岡監督は感激し、尾張氏を南海ホークスの専属として抜擢。
プロ野球で初めてのスコアラーの誕生の瞬間だった。
尾張によってまとめられた打球の方向や性質、投球の傾向などのデータは「尾張メモ」と呼ばれ、鶴岡監督はこれをチーム戦略に生かし、細かく難しい南海のサインプレーを作り上げていった。
1959年の日本シリーズにおける対読売ジャイアンツ戦において、大沢啓二選手の外野守備が南海ホークスのピンチをたびたび救ったのも、この例の一つ。巨人の各打者のデータによって一球ごとに捕手・野村からサインを出して、守備位置を変えるという前代未聞の作戦に、このデータが活かされたのだ。
パ・リーグが発足した1950年から17年ずっと2位以内を守ってきた南海ホークス。その活躍の裏で、尾張メモの貢献は大きかったとされる。
(※一方で尾張メモについて、野村克也氏は「あれは相手を分析して戦力に生かすより、自分たちの契約更新時の査定用に導入した」としてあまり参考にならなかったともコメントしている)
閑話休題。
(データ野球の浸透が失敗している今の野球界だからこそ、俺はデータ野球を推し進めたい。甲子園はそのための布石――)
ドジャースの戦法[1]からマネー・ボール[2]まで。
この世界で試してみたいことはたくさんある。とにかくこの世界は、戦術論の研究という意味で可能性にあふれているのだ。
引用[1]:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%81%AE%E6%88%A6%E6%B3%95
引用[2]:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%AB
心強いことに俺にはデータがある。
トラックマンもかくやとばかりの、球速・回転数・回転軸の分析と、球種別・コース別の打率の統計データが、見るだけでわかるのだから。
そんな俺が真っ先に標榜した、フィクションばりの戦術。
弱小高校が強豪高校に勝利するための、ロマンにあふれる戦い方。
それはすなわち――。
「筋トレです。技術に不調の波はあっても、筋肉は絶対に裏切りません」
頭いい奴が筋肉付けたら勝てる。
そんな勝ち方を目指すのだ。
「高校野球の理念は、人間の育成を目標としています。それはフェアプレーやチームの連帯による精神を育むことのみならず、肉体の健全な成長を目指しています。あと、成長期でもある高校の時期に筋肉をつけたら、大学に入って別のスポーツをしたくなったときにも役立ちますし、ガタイがいいと不良にも絡まれません」
なんだかんだ言って野球はチームプレーである。つまり一人一人の能力が高まらなくては、チームは勝利しない。
屈指のリードオフマンである羽谷妹がいて、捕手でありながらパワーヒッターでもある甲野がいて、制球の利いた器用な投手である森近がいて、二刀流の大型スラッガーである緒方がいても、『下位打線が全打席凡打です』では厳しくなる。
さりとて、野球の名門高校ばりのトレーニング設備が整っているわけでもなければ、(俺たち五人を除き)最初からスポーツ推薦で入ってきたような肉体的素養があるわけでもないこのチーム、一体何をすればいいか。
それが、筋トレなのだ。
実はかつて日本で、同様のアプローチで野球部を強くしている無名高校があった。
それが、広島にある私立武田高校である[3]。
引用[3]:https://number.bunshun.jp/articles/-/844190
全国大会出場の実績はないものの、独自大会でベスト4まで勝ち上がり、二年連続で育成ドラフト指名のプロ野球選手を輩出したことがある実績を持つ。
限られた練習時間を有効活用し、チームを強くするにはどうすればいいか。
また、その過程で生徒の他の可能性も伸ばすことができる育成方針とは何か。
いくつかやり方はあるが、その中でもフィジカルはわかりやすい"答え"の一つである。
(筋肉は結果が分かりやすいからな。目で見てもちゃんと一歩ずつ成長していることがわかる。それに野球に特化した特殊な設備ではないから、学校側の導入ハードルも低い。我がときめき学園のような弱小高校であれば、まさにうってつけのトレーニングだ)
ウェイトトレーニングの科学的アプローチ。
部位分割法による、上半身一日、下半身一日のトレーニング日の分割。
球を使った練習よりも、基礎となる肉体作りの比重を重めに調整したスケジュール管理。
グラウンドを毎日のように使えるわけではない環境であるからこそ、グラウンドを使えない日を有効活用するのだ。
〇回旋筋腱板(ローテーターカフ)
チューブトレーニング。
肩甲下筋に高い効果があるインターナルローテーションと、棘上筋、棘下筋、小円筋に高い効果があるエクスターナルローテーションがある。
腕の回旋運動の主働筋を鍛えるため、スイング速度やピッチングなど、腕の振り速度を速めるのに効果的とされる。
〇腹斜筋
ツイストクランチ。上体起こしの運動にひねりを加える。
腹斜筋に負荷をかけるため、上体を起こしすぎず、肘と太腿真ん中を完全にくっつけない程度にとどめる。
野球は腰の回旋動作が多いスポーツであり、投球にも打撃にも重要とされる。
〇大腿四頭筋
チューブレッグエクステンション。背筋をまっすぐにして、腕は動かさず、膝の曲げ伸ばしのみでチューブを引っ張る。
腹斜筋と連動し、腰で打つ力や投げる力を生み出す。
などなど。
もちろん、ウェイトトレーニングにも基本というものはあるもので、まずは全身を満遍なく鍛えるためのビッグスリー(ベンチプレス・スクワット・デッドリフト)を少ないセットで実施するなどして入る。
全ては甲子園を目指すため。
筋トレ用の設備の拡充は、「他の部のトレーニングにも流用できるから」ということで、学校側も前向きに検討してくれた。
(それに――俺はこの目で筋肉量が分析できるからな。この選手にはこの筋肉が足りていないとか、この筋肉を痛めている可能性があるとか、そういう情報を知ったうえで個々のトレーニングにアドバイスできるから、筋トレの効率も他より高いはず)
当たり前のように見えて、当たり前ではないのだが――どの筋肉を付ければ効果的かという話は、本来は専門家でないと分からない情報である。
俺とて筋トレの専門家ではないので、アドバイスの質は数段劣るが、筋肉量のバランスや筋肉が痛んでいるかの確認ぐらいはぱっと見でわかる。
筋力トレーニング。
ごく一般的で当たり前のトレーニングであるように見えて、実際は奥の深い世界である。
(筋トレすれば勝てる。勝てなくても最悪、すげームキムキになってモテる。そうやってモチベーションを高く持ってもらえたら、きっと勝利を呼び込めるはず)
まずは基礎ありき。それはどの世界でも当たり前なのだ。
そうであるからこそ、奇策や不意打ちが活きるのだから。
奇策ならいくらでも手札はあるのだ、特に羽谷や緒方がいい仕事をしてくれる、だから今は、筋トレでチームの底上げをしたい――。
ちなみに野球部が筋トレ路線に賛同してくれた決定打は、俺の言葉だった。
「俺、女の人の筋肉すげー好きなんですよね」
……後日、鍛え上げられた上半身を見せつけてくる女部員が急増したのは、ご愛敬というものだった。
――――――
武田高校のフィジカル革命を参考にしております。非常に興味深いアプローチだと思います。
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