第196話 『 未来の『作家』たちへ 』

「全く。今日は悩みを聞いてあげるだけじゃなかったんですか」

「……美月」


 話も纏まった丁度その時、従業員出入口から出てきた美月さんが嘆息を吐きながらやってきた。


「お疲れ様です。今日はもう上がりですか?」

「うん。少し前にね。ところで、何で急に彼女の指導者になろうとしてるんですか?」

「いいだろべつに。将来ある若者におっさんが何かできる機会なんて早々ないんだ。それに、今は立て込んだ仕事もないしな」

美晴みはるのお世話があるでしょう」

「美晴はchiffonで好きにさせればいいよ」

「託児所じゃないんですよここは。喫茶店です」

「知ってるよ。だから目を離すつもりもない。とはいえ、美晴も子どもとはいえもう大きくなったんだ。物事の分別も同年代の子よりよっぽどついてる。店に迷惑を掛けるようなことはしない。……はぁ、いったい誰に似たんだか」

「間違いなく貴方でしょう」

「いやお前だろ。少しおませの所とかお前そっくりだ」


 夫婦喧嘩にみえるけど声音は穏やかで、会話の節々から二人の信頼性が窺えていると、


「ごめんね。晴さんに変なこと吹き込まれなかった?」

「い、いえっ! 短い時間でしたけど、とても勉強になりました!」

「執筆バカが言ったことはあまり気にしないでね」

「……執筆バカ」


 美月さんの口からそんな言葉が出るとは想像していなかったのか、唖然とする水野さんに僕はこっそりと教えてあげた。


「晴さん。業界でも執筆しか興味ない人だって有名なんだよ。高校も執筆ばっかりしてたせいで留年する危機があったらしい」

「なるほど執筆バカだ」


 ある友人曰く、結婚できたのも奇跡だと評されるくらいの人だ。


「でもそんな人なら、プロになって活躍するのも当然かもね」

「だね。水野さんはこれからそんなすごい人に教えてもらえるんだから、すごく羨ましいよ!」

「あはは。まだ実感湧かないけどね」

「キミもこの人の影響で執筆バカにならないよう気を付けてね?」

「は、はい。そうならないように気を付けます」

「気を付けても無理だと思うよ。これは俺たち小説家の性みたいなものなんだ。この呪縛から逃れられたものはいない」

「コラッ。わざわざ追い打ちをかけるようなこと言わない!」

「イテテッ。俺はただ単に事実を言ったまでだ」


 そんな夫婦の痴話喧嘩を苦笑交じりに眺めていると、


「へぇ、あなたも『さっか』になるの?」

「――っ⁉」


 ふいにどこからか幼子の声が聞こえて、水野さんがビクッと肩を震わせた。

 それから僕らは声のした方向へ視線を向けると、そこに居たのはテーブルの端にちょこんと顔を覗かせる少女がいた。


「やぁ、美晴ちゃん」

「こんにちはボッチくん。キョウもぼんじんのかおね」

「あはは。美晴ちゃんは相変わらずお口が達者だなぁ。うん。元気してるよ」

「今の完全に貶されてたよね⁉」


 何なのこの子⁉ と驚く水野さんに、僕は美晴ちゃんと呼ぶ少女を抱きかかえて膝の上に座らせると、


「紹介するね。この子は八雲美晴ちゃん。美月さんと晴さんの子どもだよ」

「初めまして、ねくらそうなおねえさん。わたしはミハル。しょうらいはぱぱとおなじ『さっか』になるものよ」

「なんだろう。この途轍もなく下に見られている感じは」

「あはは。晴さんが言ってた通りおませさんなんだよね」

「ふんっ。わたしはただジジツを言ったまでよ!」


 この言い方が実にお父さんとそっくりだ、と僕は思わず笑ってしまう。少し強気な感じはお母さん譲りかな。二人の遺伝子をしっかりと受け継いだ4歳児だ。


 そんな気の強い少女に頬を引きつらせている水野さんは、しかしすぐに双眸を細めると、


「でも、こんな小さいのにもう作家になろうとしてるなんて、それは感服するな」


 そう呟いた水野さんに反応したのは、美晴ちゃんの頭を撫でた美月さんだった。


「親としては不安しかないのよ。執筆ばかになりそうで怖いわ」

「子どものやりたいことにケチつけるなよ」

「ケチをつける気ななんてありません。ただ貴方と同じようになって欲しくないだけです」

「わたしはせかいいちの『さっか』になってぱぱをこえるの!」

「はぁ。大人になったら小説家になんてならないって言って欲しいなぁ」


 いつもは宝石のように輝く紫紺の瞳が今は死んだ目になっていた。どうやら既に娘の将来に苦労しているようで、僕はそれに苦笑をこぼす。


「でも美晴ちゃんの書く小説、僕は楽しみですよ」

「ふんっ。せいぜいきたいしてなさい。ぼんじんをまんぞくさせるのが『さっか』のせきむだからねっ!」

「ねぇ、この子本当に子ども? 転生してない?」

「わたしはしょうしんしょうめいぱぱとままのコよ!」


 ぷりぷりと怒る美晴ちゃんに水野さんは度肝を抜かれたような視線を送っていた。


 たしかに、初めて美晴ちゃんと会ったら子どもらしくない言葉遣いに驚愕させられるよね。僕もそうだったな。きっとこれもお父さんの英才教育の賜物なんだろうけど。


 それから少しだけ美晴ちゃんや美月さん、晴さんの八雲一家と会話をしていると、


「よし。今日はそろそろお開きにしようか。そうだ。今後はキミと直接連絡を取りたいから、連絡先を教えてくれるかな?」

「……女子高校生の連絡先を聞く社会人」

「誤解を生む発言するなよ。必要だから聞いてるだけだ」

「まぁ、妻子がいるのに下手なことはしないでしょうし、今回は多めにみてあげましょうかね」

「はいはいありがと。お前は何年経っても束縛激しめだな」

「夫が未成年に手を出さないか用心しているだけです。まぁ、その点でいえばもう手遅れですかね」


 そそくさとスマホを取り出して連絡先を交換する最中、水野さんが二人の会話を片耳に僕に聞いてきた。


「ねぇ、さっきの会話ってどういう意味なの?」

「あぁ。晴さん。美月さんと結婚したの、美月さんがまだ学生の時なんだよ」

「ぶっ⁉ ……それ本当⁉」

「うん。二人が結婚したのは出会って一日なんだって」

「スピ婚ってレベルじゃないね」

「だよね。機会があれば今度二人に詳しいこと聞いてみれば?」

「恐れ多くて聞けないよ⁉」


 未だに驚愕している水野さんを余所に、対面席に座る晴さんが立ち上がった。


「それじゃあ、今日はこれで。キミの書く物語、楽しみにしてるよ」

「は、はいっ。ご期待に添えられるかは分かりませんけど、でも精一杯頑張ります!」

「フッ。そう気張らなくていい。気を張っていては面白い物語は創り出せない。もっと気楽にやっていこう」

「はい!」

「あまり無茶しちゃだめよ。どの職業も体が資本。作家だってそれは同じなんだから。ね、晴さん?」

「いつも支えてくれて感謝してるよ」


 妻の言ったことは正しい、と晴さんは微笑みながら言った。


「帆織くんも、この件に足を突っ込んだからにはしっかりと彼女を支えてあげなさい」

「はい。そのつもりです。水野さんは僕の大事な友達で――それに何より、僕は彼女の作品の最初のファンですから」

「……帆織くん」

「もうファンがついてるなんて羨ましい限りだ。そんなファンを失望させてはいけないね」

「――はい。必ず、期待に応えてみせます!」

「うん。いい目をしている。今はそれで充分だよ」


 水野さんの覚悟をしっかりと受け取ったあと、晴さんたちは僕らに一礼してお店を出て行った。


「それじゃあまた」

「二人とも頑張ってね。ほら、美晴も挨拶して」

「じゃあねふたりとも! せいぜい『さっか』になれるようがんばりなさいよね!」

「「ばいばーい」」


 長かった面会が今度こそ終わると同時、水野さんがどっと疲れたような深い息を溢しながらテーブルに倒れた。


「ぶはぁぁぁ。緊張したよ」

「お疲れ様。でも晴さん、すごくいい人だったでしょ?」

「うん。あんな凄い人に教えてもらえるなんて勿体ないくらいにね」

「こんな貴重な機会二度と巡り会えないかもね」

「だからこそ、ちゃんとやらなきゃ」

「大丈夫。水野さんならきっと上手くいくよ」

「あはは。ありがと。……とはいっても、まずは新しい原稿を書かないと何も始めらないけど」

「美月さんも言ってたけど、無茶は禁物だよ?」

「うん。慎重にやっていくよ」

「ならいいんだ。僕も水野さんを全力で応援するから、僕にできることがあったら何でも言ってね!」

「ふふっ。キミは相変わらず優しいというか、お節介だね」


 くすりと笑う水野さんは、紺碧の瞳で僕をジッと見つめながら、


「でも、これからはキミにも頼るよ。もう、逃げないって決めたから」

「――?」


 真っ直ぐに、まるで何かと向き合う覚悟ができたような強い眦に射抜かれて、僕は言葉を失う。


「帆織くん?」

「あ、ごめん。何でもないよ」

「そっか。ならいいんだけど」


 ハッと我に返って慌てて被りを僕に水野さんは怪訝に眉を寄せた後、ぐっと背筋を伸ばした。


「うーん。それにしても今日は疲れたな。家に帰ったらすぐゆっくりしよう」

「それがいいと思うよ。僕も家に帰ったらご飯の支度しなきゃ」


 今頃アマガミさんがお腹を空かせて待っているだろうから、早く帰らないとな。

 僕らもそろそろ店を出ようかと身支度を整えていると、


「帆織くん」


 不意に名前を呼ばれて手を止めて振り返れば、そこには夜空に浮かぶ星に負けないくらい美しい微笑みを浮かべる水野さんが見つめてきていて。


 それに思わず息を飲む僕に、水野さんは言った。


「今日は、私の傍にいてくれてありがとう。それと、これからもよろしくね」

「うん。こちらこそ。これからもよろしくね」


 これから自分の物語を歩み出す友達の感謝と懇願に、僕も微笑みを浮かべてその背中を見届けようと誓ったのだった。

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