第192話 『 友達としての相談事 』

「それにしても驚いたよ。水野さんが髪を切ってくるなんて」

「切り過ぎたかもしれないってドキドキしたけどね」

「まさか。いいと思うよ僕は」

「帆織くんにそう言われるとなんだか自信を持てるな」


 お昼休み。本日から一週間再び水野さんと図書委員の仕事をすることになった僕は、相変わらず利用客の少ない図書室で静かに会話していた。


「でもどうして急に髪切ろうと思ったの?」

「理由は特にないよ。……けど、強いて言うなら、少しだけ、今の自分を変えたいと思ったんだ」

「……そっか」


 静かな声音には水野さんの眦にその言葉の決意がみえて、僕は双眸を細める。


「きっと変われるよ。水野さんなら」

「ふふ。帆織くんは応援してくれるの?」

「勿論さ」

「なら見てて。私はいつか――キミの誇れる自慢の友達になるから」


 真っ直ぐに、僕を見つめる紺碧の瞳が確固たる信念を持って宣言する。僕は、それに思わず息を飲んだ。


 だってそこには、僕の知らない水野さんがいたから。


 僕が知っている彼女は、いつも退屈そうに周りを眺めて、皮肉屋で、ここではない世界に入り浸る厭世者だった。


 でも、今の彼女は違う。


 前を向き、自分を変え、一歩ずつ新しい自分になろうとしている――素敵な人だった。


「うん。楽しみにしてる」


 宣言した水野さんに、僕は胸にいっぱいの期待を詰めて破顔した。



「ところで帆織くんに相談があるんだけど、聞いてくれるかな」

「珍しいね、水野さんが僕に相談なんて。もちろん。……まぁ、応えられる範囲になるけど」


 場所は引き続き図書室。なんだか久しぶりに水野さんの本当の笑顔を見れた気がして安堵を覚えたのもつかの間、水野さんが神妙な顔をして相談事を持ち出してきた。


 僕はそれに応じつつも苦笑すると、水野さんは「安心して」と前置きし、


「相談は相談だけど、恋愛とか勉強の方面じゃないから」

「ということはあれかな。オススメの小説が知りたいとか?」

「違うけどニュアンスは合ってるかな。小説に関することで帆織くんに相談したいんだ」


 小説に関することで僕の知識が必要って何だろうか。


 思いつかず首を捻る僕に、水野さんはそれを打ち明ける前に深呼吸した。その表情はいつになく真剣で、緊張していた。


 そして、水野さんは閉じた目をゆっくりと開くと、逡巡を払ってそれを吐露した。


「――実は、自分の書いた小説を、ネットに投稿しようと思ってるんだ」

「ほんっ――」


 水野さんの告白に思わず大声を出してしまう僕。けれどここが静謐を求められる図書室だと慌てて気付き、


「……本当に⁉」


 可能な限り声を抑えて驚いた。

 水野さんが本当に作家になる夢を目指し始めたことに感嘆とする僕。しかし水野さんはというと微妙な顔をしていて。


「帆織くん落ち着いて。まだ投稿しようか悩んでる最中で、決めたわけじゃないんだ」

「ご、ごめん。なんか一人で浮かれちゃって」

「ふふ。そういう所もキミらしいね」


 苦笑する僕を見て、水野さんは可笑しそうにくすくすと笑う。けれどまたすぐに神妙な顔に戻り、


「私が帆織に相談したいのはそれなんだ。投稿するか否か」

「それって仮に僕が止めた方がいいって首を振ったら、水野さんはどうするの?」

「もちろん投稿しない」

「責任重大だなぁ」

「ごめん」

「ううん。気にしないで。SNSに上げるって勇気いるもんね。批判なんてされたら落ち込むかもしれないし」

「かもじゃない。私はたぶん首吊って死ぬ」

「もっと責任重大じゃん!」


 友達の生死に関わる相談となると僕も本気で考えざるを得ないな。しかも気軽にやってみなよ、とも言えなくなってしまった。


「うーん。ちなみに投稿するのって僕が前に読ませてもらったやつ?」

「ううん。違うよ」

「じゃあ水野さんの新作だ!」

「うぅ。帆織くんの前でこういうの答えるのすごく恥ずかしいなぁ」

「なんでなんで⁉ 僕、水野さんの小説大好きだよ。文章表現が丁寧だし読んでて引き込まれるだもん!」

「そういうところだよっ」

「いたっ!」


 急に顔を真っ赤にした水野さんに腕を叩かれた。


「キミは人を褒めるのが得意みたいだけど、褒められる側の耐性というものを知って欲しいな! 恥ずかしくて死にそうになる!」

「えぇ。僕はただ正直に感想を伝えただけなのに」

「それが悪いと言ってるんだ! いい加減学習してほしいな!」

「す、すいません」


 訳が分からないまま叱責され、とりあえず頭を下げると水野さんは「全く」と嘆息をこぼした。

 それから僕たちは脱線しかけた話題に戻り、


「とにかく、水野さんは小説をネットに投稿しようか迷ってるんだよね?」

「うん。こういうのは帆織くんに聞きたくて。海斗に聞いても「いいんじゃね?」って適当に返事されそうだったから」


 僕は水野さんの言葉にたしかに、と頬を引きつらせる。


「一人で決めるのは、恥ずかしい話だけどちょっと勇気がなくて。恥を忍んでキミを頼らせてもらったんだ」

「友達が友達に相談するのに恥なんてないよ。相談してくれてありがとう」


 むしろ僕に相談してくれたことに嬉しさを覚える。最近は水野さんに避けられてる感じだったから、それを余計に噛みしめる。

 しかし、だ。


「うーん。僕もネット小説は読む専で、書き手側じゃないしなぁ」

「あの、そこまで本気になって考えないでくれていいよ。私としてはあくまで帆織くんの意見を聞きたいだけで……」

「ダメだよ! 友達の悩みには本気で向き合わないと!」

「わぁ。そういうとこ海斗にそっくり。類は友を呼ぶんだね」


 真剣な顔で答えた僕に水野さんは遠い目を向けてくる。海斗くんと類友ってそんなに悪い事かな? 僕は嬉しいんだけど。


 とにもかくにも、水野さんの将来が決まりそうな重要な相談内容だ。ここは、毛も生えていない素人よりも、この手の業界に詳しい人の意見を参考にするべきだと思う。


「水野さん」

「なんだい?」

「その相談なんだけど。他にもっといい相手がいるってなったらどうする?」

「それは是非とも会ってみたいけれど。でもそんな人この学校にいるの?」

「この学校にはいない。その人は僕のバイト先の知り合い……正確に言えば知り合いの知り合いなんだけど、水野さんの相談相手にピッタリな人だと思うよ」

「ええと、それってつまりあれかな。本職の人だったりする?」

「うん」

「まさか肯定されるとは。キミっていったいどういう人脈を築いてるのさ」

「たまたまその人が僕のバイト先の常連さんってだけだよ」


 僕は一拍置いて、


「どうする? その人と話してみる?」

「――――」


 僕の提案に、水野さんは沈黙した。

 紺碧の瞳には躊躇いと葛藤が混ざり合ったように見えた。


「話を聞くだけでも価値があると思うよ。水野さんの将来にもきっと役に立つはずだよ」


 逡巡する背中を押すように、僕は水野さんに語り掛ける。

 躊躇い。葛藤。逡巡。迷いをみせた彼女の瞳は、やがて一つの色へと交わって、


「――帆織くん。私をその人と会わせてほしい」

「うん。絶対に水野さんに会わせるよ」


 未来に向かって羽ばたこうとする友達の背中を、僕は全力で応援すると決めたのだった。





【あとがき】

『出会い系アプリから始まる結婚生活』から本作をお楽しみの読者様。長らくお待たせしました。あと数話ほどでついにあの二人が登場します!

久しぶりにあの夫婦のやりとりをお楽しみください。

それはそうとようやく前のように仲良く話してるボッチと琉莉に微笑みが止まらないですね。

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