第189話 『 弱さとそれを肯定する温もり 』
「悪い琉莉! 急に用事ができて抜け――」
「……海斗」
昼休みがもう間もなく終わる頃、慌てて私の所に戻ってきた海斗。
額に汗を滲ませた彼が急に静かになり、私は怪訝に眉尻を下げた――その、直後だった。
「ちょっと付き合え」
「――ぇ」
海斗は顔色を変えると、いつになく真剣な声音でそう言った。そしてそのまま私の手を乱暴に掴むと、急ぐように歩き出した。
「ちょっと。何やってるの海斗。もうすぐ昼休み終わるよ」
「知ってる」
「ならなんで、早く教室に戻らないと」
「いや戻らない。このままサボるぞ」
「――――」
海斗は私の言葉に耳を傾ける様子はなかった。それを悟った私は幼馴染を説得する言葉を飲み込んで、力強い手に誘われるまま足を動かした。
海斗の手に引かれた先は、人気のない廊下の踊り場だった。
「空き教室だと見回りの先生に見つかる可能性あるし、少し薄暗いけどここなら気付かれないだろ」
「――――」
既に五時間目の鐘は鳴り、今頃全校生徒は五時間目の授業を受けている頃だろう。
私は初めて授業をサボってしまった。いや、正確にいえばまだ遅刻した程度で済む。けれど、海斗は戻ろうとする私を断固として行かせはしないだろう――そんな気迫が彼にはあった。
「どうして?」
「……何が?」
ぽつりと、私の口からこぼれた疑問に、海斗がひどく優しい声音で応じた。
「どうして教室に戻らなかったの?」
「戻せるわけないだろ。琉莉、今自分がどんな顔してるか分かってるのか?」
ふるふると首を横に振った。無言の返答に、何故か海斗が泣きそうな顔をしていて。
「何があったとは聞かない。けど、俺には、今の琉莉がすごく辛そうに見える」
辛そうに見える? そうなの?
分からない。でも、たしかに胸は痛い。泣きたいほどに、痛い。
その痛みを耐えれば耐えるほど、痛みはさらに増していく。
「琉莉が落ち着くまで、俺が傍にいるから。だから泣くな」
「泣いてない」
「分かってる。でも、今の琉莉はそれを我慢してる顔だ」
ふるふると唇が震えた。視界が段々と滲んでくる。それは悲しみか。あるいは、彼の優しさが温もりとなって感傷に響くからか。
一歩。無言で海斗に寄った。そして、彼に縋るように襟に手を伸ばして、胸の中に顔を埋めた。
「ごめん。少し、こうさせて」
「前にも言っただろ。いくらでも俺に寄りかかってくれていい。お前の背負う物を俺に分けて欲しい。痛みも悲しみも、俺が一緒に背負うから」
体から力が抜けたように床に倒れそうになって、それを海斗が私を支えながら一緒に床に座り落ちた。冬の床は冷たく、スカート越しからでも震えるような寒さが伝ってくる。
「ごめん。私のせいで、授業サボらせちゃった」
「気にするな。むしろサボれてラッキーだ」
「でも生徒会なのにって先生に怒られるかもしれない」
「ちゃんと言い訳は考えてあるから。だから、琉莉は何も心配しなくていい」
そっと、触れれば脆く朽ちる何かに触れるように海斗が私の頭を撫でた。数秒は躊躇うようなぎこちなさがあったけれど、私が黙り続けたことを容認したと受け取ったのだろう。徐々に、撫で続ける手がスムーズになっていく。
「弱い幼馴染でごめんね」
「謝るの禁止だ。琉莉は弱くない。琉莉は強いよ。必死に現実と向き合おうとしてる。そんな琉莉が弱いはずがない」
「はは。どこがさ。私は逃げてばかりだ」
「俺たちは勇者じゃないんだ。嫌な事があったら逃げていい。逃げても、幸せはなくならない」
「海斗は優しいね。いつも私を励ましてくれる」
「好きな女の子に悲しい思いなんかさせたくないだけだよ。琉莉には、笑顔でいてほしい」
だから、と海斗は継ぐと、
「俺じゃ役不足かもしれないけど、でも今は俺の胸の中で満足してくれ。俺の胸なら、いくらでも琉莉に貸すから」
ぎゅっ、と海斗は私を少し強く抱きしめた。同時に、彼の振り絞った勇気が私に伝わってくる。それに、思わず小さな笑みがこぼれてしまって。
「役不足なんかじゃないよ。とても温かい。私を落ち着かせてくれる、優しい温もりだ」
「そっか。なら良かった」
「ねぇ、海斗」
「なんだ?」
「ありがとう」
「――。どういたしまして」
痛みが和らいでいく。唇の震えはいつの間にか止まっていて、視界の滲みは一粒の雫となって床に落ちた。
彼がくれる無償の優しさは、どこまでも弱い私を肯定してくれて――。
【あとがき】
本日新作が公開されました。ご興味ある方は是非ご拝読ください。
アマガミさんと同時更新です。過労死寸前です。
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