第185話 『 覚悟のその先へ 』 

 ふと思う。俺は、このままでいいのか、と。


 幼馴染の為に隣に居ると誓い、その約束を果たす覚悟も決めた。

 でも、本当にそれだけでいいのだろうか。

 それだけで俺は果たして、あの子の、彼女の、幼馴染の――琉莉の隣にいられる資格はあるのだろうか。

 その逡巡が、俺の足を逸らせて、そしてある人物の下へと運ばせた。


「キミは……」


 ようやく探していた人物の下へ駆けつけると、彼女――彌雲先輩は驚いたようにぱちぱちと目を瞬かせた。


「キミは、たしか帆織くんの友人だったかな?」

「は、はい。朝倉海斗って言います」

「朝倉海斗くん。うん。覚えた」


 緊張でカチカチの俺に彌雲先輩は優美な微笑みを浮かべると、


「なに。そんなに緊張しないでくれ。私もこの高校の一生徒で、そしてキミと大して変わらない17の子どもさ。つまり、私もキミと同じ高校生ということだ。まぁ、言動のせいか多少大人びて見られてしまうけどね」


 実に困ったよ、と両肘を抱きながら嘆息する彌雲先輩。……たぶん、そういう所作が皆から一線を画す存在だと思われてるんじゃないですかね。

 苦笑する俺を見て彌雲先輩はコホンッと咳払いをすると、


「それで、キミはそんなに急いで私の所に来てどうしたんだい?」

「あ、あぁ。そうでした」


 彌雲先輩に要件を促され、俺は相槌を打つ。いざ口を開こうとした直前、先輩が「ちょっと待った」と手を挙げて、


「話す前にまずは椅子に腰を掛けてくれたまえ。わざわざ私のことを探しに来てくれた可愛い後輩に立ったまま話させるわけにはいかないからね」

「いえ。このまま立ったまま話させてください」


 俺は彌雲先輩の厚意を頭を下げて断った。それに、先輩は「ふむ」と顎に手を置いて意味深な吐息をこぼす。


「ならば私も立てば済む話だな」

「えっ。いや! 先輩はそのまま座って大丈夫ですから!」

「はは。先ほども言っただろう。私たちは学年は違えどこの学校の生徒。身分や立場は変わらない」

「でも次期生徒会長なんですよね?」

「たしかにそうだ。でもまだ〝次期〟であって〝現〟ではない。まあ、そんな立場を抜きにしても、どうやらキミの話は真剣に聞かなければならないようだが」


 彌雲先輩は怪しげに口許を歪めた。それが俺には内心を見透かされたような感じがして、体が条件反射的に身震いさせるのに十分な材料だった。

 ごくりと生唾を俺を余所に、先輩が軽く椅子の音を立てながら腰を上げた。


「さて、改めてキミの要件を聞こう」

「――――」


 俺の眦を真正面から見つめてくる緑梁の瞳には、まるで子どもが新しい玩具を見つけたような好奇心が宿っているように見えた。

 一瞬。口を開くのに躊躇う自分がいた。

 これを言えば、おそらく後戻りはもうできない。覚悟を問われている。先輩の微笑みは、きっとその覚悟の先を求めているのだろう。

 待っている。先輩が俺の言葉を。俺の宣言を。俺の、懇願を。

 ギュッ、と無意識に拳を強く握った。


 ――『海斗』

 ――ッ!


 不意に脳裏に過った慈しみを覚えさせる声音が、俺の逡巡を打ち払う。


 あぁ。そうだ。俺は、アイツの為に。アイツに誇れる自分になる為に、今、先輩の前に立ってるんだ。


 覚悟を決め。無意識に握られる拳を意図的に握りしめ、俺は依然として好奇心を宿す緑梁の瞳に向かって言った。


「俺を、生徒会に入れてくれませんか」

「――――」


 頭を下げ、全身全霊で懇願した。

 彌雲先輩はしばし無言のまま、数秒後に「ふむ」と吐息をつくと、


「朝倉くん。まずは顔を上げてくれ」

「はい」


 彌雲先輩に促され、俺はゆっくりと顔を上げる。緊張で心臓が軋むような痛みさえ覚えるその最中、眼前に立つ先輩は真剣な雰囲気を漂わせ、


「一つ。キミに確認したいことがある。キミは、我が校の生徒会選出方法は知っているかな?」

「は、はい。先生から聞きました。この高校の生徒会の選び方は信任投票じゃなくて、次期生徒会長が直々に勧誘して新しい生徒会が創られるって」

「その通りだ。つまり、基本は次期生徒会長となる私が生徒会メンバーを選出する。故に、キミのように積極的に生徒会になりたいと志願する者でも、私が承認としなければ生徒会のメンバーに加えることはできない」

「それは、重々承知してます」


 彌雲先輩の説明に、俺は頬を強張らせながら顎を引く。そうだ。いくら勇気を出したからといって、それが必ず通るほど人生は甘くない。


「けれど意外だ。まさかこんな風に私に直接会いに来て生徒会に入らせてくれとせがむ生徒がいるとは。しかし、解せないことがあるな。何故このタイミングでキミは志願しにきたのかな?」

「……っ」


 彌雲先輩は猜疑心を俺に向けてくる。当然だ。もし俺が最初から生徒会に入りたいと望んでいれば、もっと早くに次期生徒会長となる彌雲先輩に申し出ていた。

 生徒会受任式は二週間後。――志願するには、あまりに遅すぎる。

 息苦しさが続く中で、俺は小さく息を整えると今更になって志願した理由を告白した。


「正直にいえば、最初は生徒会に入りたいなんて思ってませんでした。この学校でどうやって次期生徒会が決まるのか知ったのだってつい最近です」

「――」

「でも、彌雲先輩が智景を生徒会に誘ったことを知って、そしてそれを智景が断ったことを聞いた時、チャンスだと思ったんです」

「チャンス?」


 彌雲先輩が眉根を寄せた。俺は「はい」と短く頷き、


「俺は、自分に誇れるものを何も持ってません。学力だって平均的だし、運動だって秀でたものがあるわけじゃない。自分で言うのもあれですけど、普通なんです」

「――――」


 いつも思っていた。周りに比べて自分には何もないと。


 遊李には底なしのポジティブ精神があって。

 誠二には決して友達を絶対に見捨てない強い心があって。

 智景には、凡人では真似できない多彩さがあって。


 俺の親友たちは他人に誇れるものがあるのに、俺には何もなかった。


 遊李のようにポジティブでもなければ。

 誠二のように友達を絶対に見捨てないという屈強な意思もない。

 ましてや帆織智景のように、万人を明るく照らす太陽のような存在になれるわけでもなかった。


 そんな俺が果たして、琉莉のずっと傍にいると誓って何ができる? 


 無力な俺が傍に居たところで、それは琉莉の足枷にしかならない。そんな気がして、ずっと彼女と過ごす時間の中で焦燥さが胸を掻き立てていた。

 何か一つでいい。俺は、智景たちと肩を並べられるものが欲しい。

 そうすればきっと、俺は、堂々と胸を張って琉莉の隣に立てる気がした。

 もう一度、頭を下げる。今度は懇願の為でなく、私欲を満たすことへの謝罪として。


「生徒会に入りたいと思ったのは、百パーセント私利私欲です。何もない自分に誇れるものが欲しかった。俺にはどうしても、何を犠牲にしても傍に並びたい人がいるんです」


 脳裏に思い浮かべるのは、幼馴染の姿。俺が守りたいと思う、彼女の笑顔だった。

 生徒会に入って何がしたいかなんて一切語っていない。志願の理由さえ自分勝手極まりない。自分自身でさえ馬鹿正直で愚考だと思う。それでも、彌雲先輩にはちゃんと理由を伝えなければいけないと思った。だって、きっとこの人には嘘は通じないから。取り繕った言葉は必ず見透かされるされる。だから、俺は愚の骨頂を貫いた。


 そんな俺の告白を、先輩は終始無言で聞いていて。


「――い」

「え?」


 彌雲先輩が何か呟いたような気がして、俺は咄嗟に顔を上げる――その瞬間、俺は目を瞠った。

 何故か。それは、目の前の少女が――普段は令嬢を彷彿とさせる優雅さと気品を放つ――今は目を燦然と輝かせていたからだ。


「実に面白い! まさか生徒会に入りたいという目的が自己保身のためではなく愛する者の為とは!」

「え? いや、愛する者とは誰も言ってな――」

「おや? 違うのかい?」

「ち、違くないです」


 顔を赤面させながら肯定すれば、先輩は「きゃー!」と恋バナを嗜む少女のような歓声を上げた。


「いやぁ。こんな時代にも愛する者の為に自分を磨こうとする者がいたんだねぇ。実にロマンチックに溢れている」

「あの、先輩。その愛する者を連呼するの止めてもらっていいですか! 認めたのは俺ですけど、すっごく恥ずかしくて死にそうです!」

「何を言う。立派なことじゃないか。キミのような者に愛される女性はさぞ幸せ者だろうな」

「それはないと思いますよ」

「急に真顔になるなよ。なんかその、すまないな。うん。この件はあまり深堀しないでおこう」


 彌雲先輩が憐れんだ目を向けながら肩を叩いてきた。べつにそこまで琉莉に嫌われてもないと思うけどね!

 先程までの重苦しい空気はどこへやら。今はわずかに緩和された空気の中で、先輩がコホンッと咳払いすると口許を緩めた。


「キミが生徒会に入りたい事情は理解した。生徒会で何がしたいかという理念はなさそうだが、まぁ私が誘ったメンバーも特にそんなものはなかったからな」

「えぇ。それって大丈夫なんですか?」

「無問題だとも。そもそも生徒会に入りたいという生徒事体、大半は内申点稼ぎで、皆の為に働きたいと願う者はいないからな。故にこそ、私は私の理想とする生徒会を創ろうとしているんだ。理念はなくとも忠実に仕事を全うする生徒会をね」


 それが、彌雲先輩が望む生徒会の形らしい。

 その中に、こんな俺が入ることができるんだろうか。

 きっと、彼女が集めたメンバーは全員優秀なんだろう。だからこそ改めて智景の凄さを実感させられる。彌雲先輩に必要とされるほどの才能をアイツは持っているんだ。

 また、劣等感に襲われる。しかし俺の胸の内なんて知らない先輩は、構わずに話を続けていた。


「キミに確認しておきたいことがあるんだが、いいかな」

「は、はい」 


 わずかに返事の遅れた俺を大して気にした様子もなく、彌雲先輩は顎を引くと、


「キミの生徒会に入りたいという姿勢は理解した。その考えも尊重しよう。ただ、志願して、仮に私がそれを承認とした場合、キミはもう後戻りできない。その覚悟はできているかな?」


 緑梁の瞳に鋭さが増し、俺の覚悟を確かめてくる。

 それに、俺は躊躇いなく頷くことができた。だって、既に覚悟は決めていたから。

 琉莉に誇れる自分になれるなら、例えその道が険しく苦難の連続だろうと、進むと決めたから。


「――はい。覚悟はできています」

「ふむ」


 真っ直ぐに、彌雲先輩の目を見つめながら力強く頷いた。

 彌雲先輩は顎に置いていた手を離すと、そっと静かに閉じた瞼をゆっくりと開いた。それから、先輩はふっと唇に柔らかな弧を描くと。


「よろしい。朝倉海斗くん。キミを私の次期生徒会メンバーに加えよう」

「――っ! 本当ですか!」

「あぁ。勿論だとも。キミが加入してくれたことを心から感謝するよ」


 凝然と目を剥く俺を、彌雲先輩は可笑しそうにくすくすと笑いながら見ていた。

 未だに生徒会に入れたことに信じられない俺がいる反面、安堵する自分がいて、そんな複雑な感情に戸惑う俺の視界に、ふいにこちらに向かって伸びてくる手を捉えた。


「では改めて、よろしくといこうか。朝倉海斗くん」

「は、はい。精一杯、頑張ります! これからよろしくお願いします、彌雲先輩!」


 彌雲先輩の伸ばす手が握手を求めることに気付いて、俺はなんとなく彼女に気軽に触ってはいけないような気がしてズボンで手を拭ってからその手を握り返した。

 満足げに笑う先輩。俺はへこへこと頭を下げる。既に部下と上司の関係が築き上げられたみたいな構図だ。


 かくして、こうして俺、朝倉海斗は生徒会への加入を果たしたのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る