第166話 『 恋人特権の意地悪 』

 ――夕食後。


「くあぁぁぁ」


 大きな欠伸を掻いて、濡れた髪を適当に拭きながらリビングに戻って来るアマガミさん。恋人になったとはいえ、こういう所はいつも通りな彼女の姿に、僕は思わず笑みと安堵を覚えた。


「アマガミさん。こっち来て。髪乾かしてあげる」


 ソファーを軽く叩きながら促せば、アマガミさんはぱちぱちと目を瞬かせた。


「どういう風の吹きに回しだ?」

「なにその反応。僕何か変なこと言ったかな?」

「ボッチの方から提案してくるなんて珍しいと思ってな。で、なんでだ?」

「強いて理由を挙げるなら」僕はにこっと笑いながら、

「恋人特権ってやつかな」

「はっ。なんだそれ」


 アマガミさんは鼻で失笑した。


「いいからほら。今日は僕に髪を乾かせてほしいな」

「理由がよく分かんねぇけど……ま、ボッチがやってくれるっていうならあたしは楽できるから何でもいいや」

「ふふ。それじゃあ、こっち来て」

「うーい」


 最後はどうでもいいと匙を投げた彼女から許可を得たことで、僕は既に準備していたドライヤーと櫛を手に持った。

 そしてアマガミさんが僕の股下に胡坐をかくと、いつもの見慣れた光景が完成した。


「今日はお疲れ様」

「ん。ボッチもな」


 ドライヤーのスイッチをオンにする。温風に靡くまだ湿った金髪を丁寧に梳きながら、僕らは時間の流れに身を任せるような会話を始めた。


「今日だけじゃないね。文化祭中は本当によく頑張ったよ」

「あたしはあたしに割り当てられた仕事をやっただけだよ。つか、頑張ったのも結局ボッチからのご褒美目当てだったしな」

「でも皆と仲良くなったのはアマガミさんの努力の賜物でしょ?」

「べつに仲良くなった覚えはねぇけどな。多少話す連中が増えたくらいだ」

「もう。素直じゃないなぁ」

「あたしに友達はいらねぇよ。あたしにはボッチだけいればいい」

「僕だけじゃなく皆と仲良くすれば、もっと学校楽しくなるよ?」

「はっ。あんな場所に楽しさなんて求めてねーよ。あたしは何年経っても学校っつー場所は嫌いだ」

「そういう所はヤンキーなんだねぇ」


 苦笑する僕に、アマガミさんは、ふんっと鼻息を荒く吐く。うーん。やっぱりアマガミさんが学校を好きになるのは当分先の未来らしい。


「あたしのことはどうでもいいんだけど、ボッチの方こそ大丈夫なのか?」

「僕?」


 どういう意味かと小首を傾げると、アマガミさんは憂いを帯びた瞳をこちらに向けてきた。


「結局今日の夕飯作らせちまったけどさ、お前の方が疲れてるんじゃねえのか? 文化祭にバイトもやってさ。絶対に疲れ溜まってるだろ」

「心配してくれてるんだ」

「当たり前だろ。お前がいつもあたしを心配するみたいに、あたしだってお前のこと心配するんだ。特にボッチは頑張りすぎるからな。いつか倒れるんじゃないかってこっちは毎度ひやひやしてるんだぞ」

「心配してくれてありがとう。でも大丈夫だよ」

「本当かぁ?」となおも疑いの眼差しが続く。


 僕はジト目を送るアマガミさんと少しだけ距離を詰めると、


「うん。本当に大丈夫。僕の元気の源はアマガミさんを甘やかすことだから」

「いや絶対疲れるだろそれ」

「疲れないだなこれが。不思議だよね。アマガミさんを甘やかせば甘やかすほど元気が湧くんだ」

「なんだそれっ。もしかしてあたしの精気吸い取ってるとかか⁉」

「ふふ。案外そうかもしれないね」


 冗談めいたことを言えば、アマガミさんは呆れたと大仰に嘆息を吐いた。


「ばかなこというボッチはもう二度と心配しねぇ」

「えぇ。嘘じゃないのになぁ」

「ボッチ。お前あたしと付き合ってから頭悪くなってねぇか?」

「浮かれてるのは確かだよ。でも頭は悪くなってないからそこは安心して」

「はぁ。お前がいつも通りでなんか拍子抜けというか、なんか期待したあたしが損した」

「へぇ。一体何に期待したの?」

「――っ!」


 未だドライヤーの風音は騒々しいとはいえ、僕がアマガミさんの発言を聞き逃すはずもなく、悪戯に微笑みながら追求すれば彼女の肩がビクッと震えた。


「……べつに。なんでも」

「アマガミさんが嘘吐いてる時は分かりやすいから、僕すぐ分かっちゃうんだよね」

「~~~~っ!」


 一度ドヤイヤーを切ってソファーに置いた。櫛も。両手のうち右手をそっと伸ばして、そしてアマガミさんの頬に触れた。


「恋人になったんだし、もうこれからは遠慮しないでアマガミさんに触ってもいいよね?」

「~~~~っ⁉」


 僕の悪い癖が炸裂してしまう。大好きな人を揶揄うという、悪戯心がアマガミさんを襲った。

 触れた頬を無理矢理僕と見つめさせるように上へと持ち上げた。

 凝然と見開いた赤瞳と僕の瞳が交差する。


「それで、アマガミさんは僕に何を期待したの?」

「そ、それは……なんでもにゃい!」


 金魚のように口をぱくぱくさせるアマガミさん。一瞬で真っ赤になった顔は、僕から逃げるように視線を彷徨わせる。

 あんまり意地悪が過ぎると後で腹パン喰らいそうだけど、これだけは聞きたかった。


「ね。教えて?」

「や、やだ!」

「アマガミさんはもう僕のカノジョなんだから、遠慮なんてしなくていいんだよ?」

「そ、そんなのは分かってる! で、でも恥ずかしいんだよ!」

「アマガミさんにとっての恥ずかしいお願いか。僕、すごく気になるな」

「あたし相手によくそんな強気に出られるなお前⁉ 腹パン覚悟済みか⁉」


 このドSめっ! と思いっ切り罵られる。僕はサドスティックじゃないんだけどなぁ。

 ただアマガミさんが僕に何を期待しているのか分からないから知りたいだけで。


「まぁ、今はそこまで無理に聞く必要もないか」

「た、助かったぁ」


 僕らの恋人としての日々は始まったばかり。進むのは僕らのペースでいい。それに気づいた僕はぱっとアマガミさんの頬から手を離した。


「……くっそ。付き合ってから急に距離縮めてきやがったなボッチ」

「アマガミさんに触れられるのはカレシである僕の特権だからね。それに、アマガミさんも僕に触られるのは好きじゃなかった?」

「そ、それはだな……」


 付き合う前から手を繋ぐことや膝枕、果てはハグなんかも済ませてしまっている僕ら。

 今更になって気付いたけど、もうハグとかしてる時点で両想いだったんだろうな。気付くのが遅すぎたね。あはは。

 それはそれとして、僕の問いかけにアマガミさんは答えるのを躊躇うように口を噤む。

 そして可愛いカノジョからの返答を待つこと約五秒。たっぷりと時間を溜めたアマガミさんは、両手で顔を隠しながら、蚊の鳴くような声で答えた。


「……ボッチの、言う通りだよ。好きだ」

「ふふ。ならよかった」


 羞恥心に悶えるカノジョがあまりに可愛そうなので、『なにが』とは追求は止めておいた。代わりに、僕は微笑みを浮かべてサラサラになった金髪を撫でる。


「アマガミさん」

「……なんだよぉ」

「今からは僕のカノジョ特権。アマガミさんが僕にして欲しいことしてあげる」


 散々イジメてしまったので、その罪滅ぼしも兼ねた提案をアマガミさんにあげた。

 また、数秒の沈黙。やがてアマガミさんが黙ったまま突然立ち上がった。

 そしてそのまま僕の隣に座ると、勢いよく頭を下げて――、


「――ふふ。膝枕でいいの?」

「これでいい。つぅか、今日はこれが限界」


 記念すべきカノジョからの初甘えは、もう既に何度も味わったであろう僕の膝枕だった。

 彼女アマガミさんがこれをご所望とあらば、カレシからは何も言う事はない。

 ただ、アマガミさんが満足するまで膝を貸してあげるだけだ。


「やっぱボッチの膝枕は落ち着くな」

「ふふ。あんまり僕の膝が気持ちいいからって寝落ちしないでね」

「くあぁぁ。流石にそれはないぃ」

「あはは。もう欠伸掻いちゃってる」


 浅い微睡まどろみに誘われていくアマガミさんに、僕は彼女が数分後に寝落ちする未来が見えて苦笑。

 果たしてその数分後。結局睡魔に勝てず眠ってしまったアマガミさんの頭を、僕は慈しむように優しく撫でたのだった。


「おやすみ。アマガミさん」


 こうして僕らの初めての文化祭と、長かった一日が終わる――。



【あとがき】

こんな感じで数話ほど文化祭エピローグが続きます。エピローグといってもボッチとアマガミさんがイチャイチャするだけです。

その後新章に入る前に休載になります。休ませてくれぇぇぇぇ!!!!

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