第162話 『 たった一つの答え 』

 ――文化祭が終わるまで、あと三十分。


「今頃は皆、閉会式に出てるのかな」

「だろうな」


 神楽月の沈む陽は早くて、屋上から見渡す空は既に鮮やかな夕焼けに染まっていた。


「まさか閉会式サボってあたしを屋上ここに連れてくるとはな。ボッチぃ。お前いつの間にそんな不良になったんだ?」

「あはは。そうだね。学級委員長なのに素行の悪いことしちゃった。これじゃあ委員長失格かな」

「べつにいいんじゃねーの。人間、誰しもサボりたい時くらいあんだろ。ボッチはクソ生真面目かってくらい、いつもちゃんとしてんだから、たまにはハメ外せよ」

「ふふ。ならお言葉に甘えて、アマガミさんと屋上の景色を堪能させてもらおうかな」

「お、おう。あたしでよければいくらでも付き合うぞ」


 少し照れた風に応えたアマガミさんに、僕はくすっと微笑を浮かべた。


「今日は楽しかったねー」

「あぁ。思いのほか悪くなかったよ。クラスの出し物も意外と楽しかったしな」

「そういうのは僕じゃなくて皆に言えばいいのに」

「ばか。こんなの恥ずかしくて言えるわけねぇだろ」

「でも僕には教えてくれるんだ?」

「ボッチはいいんだよ。お前には、あたしは素直でいられるから」

「それは僕のことを信頼してくれてるって受け取ってもいいのかな?」

「当たり前だろ。あたしがこの世界で信頼してんのはボッチだけだ」

「ふふ。それはとても光栄なことだね」


 アマガミさんは「どうかな」と苦笑した。


「それはボッチに負担掛けてる気がするんだけど」

「僕は全然そんなこと思ってないよ。アマガミさんに頼られるのは好きだし、信じてもらえることは僕の自信に繋がるから」

「そっか。なら、これからもボッチのこと頼ってもいいか?」

「どーんと頼ってよ。僕はずっとアマガミさんの味方だからね」


 自分の胸を叩きながら――そう自分にも言い聞かせるように――アマガミさんに言った。

 それにアマガミさんは「この世話焼き好きめ」と呆れたように口許を緩める。そして視線を僕から外すと、今にも沈みそうな夕日へと移した。

 僕も彼女に順じるように、視線を夕日に移す。


「ボッチ」

「なに?」


 不意に名前を呼ばれて、僕は視線はそのままに応じた。


「こんなのこと言うの、すっげぇ照れくさいからさ。だからあたしの顔は見ないまま聞いてくれ」

「――うん」


 小さく頷いた僕を、彼女は見てくれただろうか。

 きっと見ていないのだろうと微苦笑しながら、これから紡がれるアマガミさんの言葉に耳を傾ける。


「お前と、この二日間。一緒にいられてよかった……いや。ちげぇな。幸せだった」

「――――」

「今日だけじゃねぇ。ボッチと出会ってから、仲良くなってからさ、あたしのつまらない毎日が全部変わった。何かもが楽しくて、居心地がよくて、初めて人と関わるのも悪くねぇって思えた」


 それはきっと、彼女から僕に贈られる感謝だ。

 いつも一緒にいてくれてありがとな。そう、言われてるような気がして。

 そして、それは僕も一緒で。


「僕もね。アマガミさんと出会ってからずっと楽しかったよ」

「本当かぁ? 自分で言うのもあれだけど、あたし、ボッチにめっちゃ迷惑かけてないか?」

「迷惑だなんてこれっぽっちも思ってない。アマガミさんとすること全部が楽しくて、幸せで、キミに触れる時間の全てが愛しかった」

「ははっ。ボッチはやっぱボッチだな。世話焼き好きで大真面目。あたしのことになると超甘くなる」

「当然でしょ。僕はアマガミさんのことが好きなんだから」

「――――」


 アマガミさんが沈黙したのが分かって、それと同時に僕はゆっくりと振り向く。

 見れば、アマガミさんが驚いた顔をして僕を見つめていて。

 僕は、そんな彼女を――心から愛しいと思える彼女を見つめた。


「僕ね。ずっと、アマガミさんに伝えたいことがあったんだ」

「――――」


 硬直する彼女の手を握った。何を言われるのか、慌てふためく彼女の顔が赤くなっていく。

 あはは。やっぱ可愛いなぁ。アマガミさんは。

 好きって気持ちが、止まらないや。


「さっき言ったのはね、紛れもない本音だよ。アマガミさんと出会ってから、仲良くなってから、そして一緒に暮らし始めてから、キミと一緒にいられる毎日が幸せだった。少しずつキミを知って、色んな一面を見ていくうちに、僕はキミに惹かれていったんだ」

「――――」


 今、僕の頭の中には、アマガミさんと過ごした半年間の記憶が流れている。

笑った顔のキミはすごく可愛くて、拗ねて頬を膨らませるキミが可愛くて、怒った時の鋭い目つきも僕は大好きで。

キミが悲しい顔をした時、僕は傍で守りたいと思ったんだ。

あぁ。今分かったよ。


 キミは――アマガミさんは、いつの間にか僕の全部になっていたんだ。


 それに気づいた瞬間。思わず笑みがこぼれでてしまった。

 なんで笑ってるんだと言いたげに眉根を寄せるアマガミさん。僕は一瞬だけ俯かせた顔を上げると、今度こそ彼女から視線を逸らさずに見つめ続けた。


「キミといる毎日が新鮮で、そして幸せでした」

「――っ。あたしも、あたしもだ。ボッチといる毎日が楽しくて、離れたくなかった」


 想いが、熱が、僕らの全てが混じりあい、一つの解へと結ばれていく。


「僕は、アマガミさんと離れたくありません」

「あたしも、ボッチから離れたくない。柄にでもないって分かってるけど、でもっ! ボッチとだけは、離れたくないんだ」


 握る手に力が入る――まるで、互いが互いに離れることを拒むように。

 熱は交じり合い。そして、一つに溶け合う。


「アマガミさん」

「……なんだ?」

「今から僕の言う事に、打算や思惑もなく、素直な気持ちで答えてくれますか?」

「――あぁ。分かった」


 僕を見つめる赤い瞳が、力強く応えてくれた。

 たぶん、彼女は僕が何を言いたいのか分かって。

 僕も、彼女がどう答えてくれるのか分かっていて。

 それでも、この溢れて止まない想いを伝えてたくて――


「僕は、これからもアマガミさんと一緒にいたいです。もっと、キミを知りたい」

「あたしも、もっとボッチと一緒にいたい、もっと、ボッチのこと教えてくれ」


 夕日が沈む。


 僕らの文化祭が終わる。


 僕らの、これまでが終わる。


「――アマガミさんのことが好きです。僕の恋人になってください」

「あたしも、ボッチのことが大好きだ」


 ――そして、僕らのこれからが始まる。

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