第151話 『 回想――始まりの約束 』
俺がその子に初めて出会ったのは、5歳の頃だった。
親の都合で引っ越してきたその子は、最初怯えるように父親の足元に隠れていた。
『ごめんなさい。うちの子、少し人見知りで』
『うふふ。この歳の子なんてだいたいそんなものですよ。海斗。ちゃんと琉莉ちゃんと仲良くするのよ』
当時の俺は母親のその言葉に「こんな子と仲良くするなんて無理だろ」と無理難題を押し付けられた気分だった。
それでも当時はまだ親の言いつけを守る素直だった俺は、次の日から母親の言いつけ通り、件の子と仲良くすることを試みた。
しかし警戒心の強いその子は中々俺に心を開いてはくれなかった。
会話も基本俺から一方的で、返事も声が小さくて分からないことが何度もあった。
『琉莉ちゃん。外に遊びに行かない?』
『……いい。お家にいたい』
公園で遊ぼうと誘っても、基本拒否される。
そんなんだから、俺としてもその子と一緒にいても楽しくなく、会いに行くのも退屈だった。
けれどある日、些細なきっかけが俺とその子との関係を大きく変えた。
『琉莉ちゃんは何が好きなの?』
『……絵本』
『へぇ。絵本ってどんな?』
『……お魚さんたちがたくさん出てくる話』
『琉莉ちゃんはお魚が好きなんだ!』
『べつにそういうわけじゃない』
『違うのに好きなの?』
『お魚さんたちじゃなくて、色が好き。青色がいっぱい。見てると落ち着く』
『そっか。琉莉ちゃんは青が好きなんだ。へへっ。俺も青好きなんだ!』
『そうなの⁉』
『うん! 青ってカッコいいもんね!』
『かっこよくない。落ち着く』
『カッコいいよ! 俺ブルーマンが大好きなんだ!』
『ぶるーまん?』
『知らないの? カラフルレンジャーのブルーマン! すごく強くてカッコいいんだよ!』
『知らない』
『なら今度一緒に観ようよ! あ、でも女の子はプリチアの方が好きなんだっけ?』
『ううん。海斗くんがそんなに言うなら、カラフルレンジャー観てみたい』
『本当に! やったぁ! なら今度一緒に観ようね!』
『……うん』
その意外な共通点をきっかけに、俺と彼女との距離は急速に縮まっていった。
朝挨拶にしにいけば笑顔を魅せてくれるようになり。
お互いの家で日が暮れるまで遊ぶようになり。
帰りたくないとぐずるその子とお泊りに誘って一緒に寝たり。
とても小さくか細い手を引っ張って公園で遊んだり。
俺とその子は毎日のように一緒に遊んで、笑っていた。
『琉莉ったら、すっかり海斗くんに懐いちゃったみたい』
『あらあら。そしたらその内恋人になって結婚しちゃったりするかしら!』
『それはまだ気が早いんじゃないかなお母さん』
『そうですよ。いくら仲が良いとはいえ、そう簡単に娘はやれません』
『でも貴方。時が経つのは早いものよ。子の成長なら猶更』
『やめてくれないか
『『あはは!』』
親同士の会話は全然分からなかったけど、その中で一つだけは知っていたことがある。
『ねぇ、俺と琉莉ちゃんて、おっきくなったらケッコンするのかな?』
『ど、どうしたのいきなり⁉』
『だってお母さんたちが、俺たちは仲がいいからケッコンするって言ってた』
『そ、そうなんだ』
『前にお父さんにケッコンて何か聞いたら、好きな人とずっと一緒にいられることって言ってた。でも大人にならないとケッコンはできないって』
『か、海斗くんは私のこと好きなの?』
『うん。俺、琉莉ちゃんのこと好きだよ!』
『そ、そうなんだ。……私も、海斗くんのこと、すき』
『じゃあ、俺と琉莉ちゃんは大きくなったらケッコンするのかな』
『そしたら、海斗くんとずっと一緒にいられるのかな』
『お父さんが言ってたからそうじゃないかな。へへっ。琉莉ちゃんとずっと一緒にいられるなら〝ほんもう〟だ! ……あれ、ほんもうってこれで合ってるっけ?』
『うん。合ってると思うよ』
『やっぱ琉莉ちゃんは物知りだなぁ。なんでも知っててカッコいい!』
『そ、そうかな』
『うん! 俺、大きくなったら琉莉ちゃんとケッコンする!』
『うん。私も、大きくなったら海斗くんとケッコンしたい』
――無知な子どもだった俺は、その時の言葉の意味を何も理解していなかった。
俺にとってその言葉は、それはただこれからもずっと仲良しでいられるという意味だと勘違いしていた。
でもその子にとってその言葉は、俺に寄せてくれていた確かな信頼と愛情だったのだろう。
でなればどうして、あの時の彼女の目はあんなに輝いていただろうか。
その瞳に、笑顔に、約束したはずなのに。
『――海斗くん。約束だよ』
『――うん。約束。大人になったらケッコンしよ』
ゆびきりげんまんしたはずなのに。
絶対に忘れるはずのない約束――なのにどうして、忘れた。
どうして、今になって思い出した。
どうして、今更になってこんなにも胸を締め付ける。
あんなにもあの子のことを好きだったはずなのに、一体いつから、その気持ちを忘れてしまった。
廊下ですれ違う度、彼女から視線を送られていたはずなのに、どうしてそれに気づけなかった。
いつも日が暮れるまで一緒に遊んでいたはずなのに、どうして手を握らなくなった。
離れないって、ずっと一緒にいるって、約束したのにッ。
なのに、どうして俺はあの子――琉莉から、離れてしまったんだ。
思い出した過去は、呪いのように俺を苦しめる。それはきっと代償だ。無知なまま約束し、そしてそれを自分勝手に反故し、今の今まで忘れていた、俺が受けるべき当然の報い。
それでも。
俺は、思い出したから。
この過去に。
全ての終止符を打とう。
それが、俺ができる唯一の贖罪だから。
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