第128話 『 遠く。遠く。あの一番星 』

「――すごい」


 熱い吐息とともに、私はベッドに倒れる。

 今日の放課後に帆織くんから渡された小説。それを帰宅してからすぐに読み始めた私は、夕食もお風呂も忘れて彼の創り出した世界に耽ってしまった。

 今はようやく現実世界に戻ったものの、頭は依然として彼の世界に夢中になっていた。


「これで初めて書いたとか、少し妬けちゃうな」


 帆織くんにとっては処女作となるそれは、生まれて初めて小説を創った人間とは思えないほど完成度が高かった。

 彼が書いた小説のジャンルは『青春群像劇』。私が書いて渡したものと同じだ。けれど、中身は全く以て別物だった。

 小説といえど作風はライトノベルに近くて、確かに彼が自己評価を下したように文章構成にはまだ甘さを感じた。しかし、それを差し引いても人を物語の世界に引き込むような迫力が彼の小説にはあった。

 ライトノベルに近いからこそ文章が柔らかく、読み易い。

 原稿枚数は100枚と文庫本に慣れ親しんでいる者からすればその量は若干少なく感じるけど、初めて小説を書いたのなら上出来な枚数だろう。それに、その枚数でもしっかりと起承転結がまとめられており、登場人物もしっかりと個性が出ていて覚えやすかった。

 話は完結しているが、続きが読みたくなる作品だった。


「ずるいなぁ。帆織くん。やっぱり、キミの方が才能に富んでるじゃんか」


 私のことをあれだけ褒めておきながら、自分を過小評価していながら、こんなに面白い作品を見せつけてくるなんて、本当に帆織くんはズルイ人だ。

 妬けるし、羨ましいし、腹立たしい――でも、同時にもっと頑張ろうと思った。

 それはいわゆる、刺激をもらった、というやつなのだろう。自分よりも面白い作品を見て感化された者だけが得られる、嫉妬と羨望が入り混じった複雑な経験値。

 こんな感情を味わったのは、生まれて初めてだな。


「やっぱり。帆織くんはすごい人だ」


 こんな感情を私に抱かせたのは、彼だけ。

 それ故に、もっと彼に惹かれていってしまう。

 届かない星と知っていながら、無謀にも手を伸ばしたくなってしまう。


「羨ましいな、あの子が」


 羨望を呟こうにも現実は何も変わらない。そんなこと知っていながら、けれど吐き出さずにはいられなかった。

 帆織くんの隣に要るあの子が、私はただただ羨ましい。

 いつの間にか帆織くんの隣で笑っているあの子は、一体どんないい事をしたのだろう。

 私の方が先に帆織くんのことを好きになったのに、どうして選ばれたのが彼女なんだろう。

 世界は無情で残酷だ。現実は痛くてただ苦しい。


「もう好きな人がいるくせに私に構うとか、ずるいよ帆織くん」


 どうして彼は、私まで見放さずにいるのだろう。お節介だ。でも、そんなお節介に居心地の良さを覚えてしまいる私がいる。そんな私は、ただの卑怯者。

 彼がくれた小説を見つめながら、頭の中で彼を想う。

 現実は痛くて苦しいだけ。いつだって胸を苦しめる光景を見せつけてくる。

 でも、自分だけの世界に入れば、そんな痛みを忘れられる。


「帆織くんっ……帆織くんっ」


 あの子よりも私の方が帆織くんのことを好きなはずなのに。

 あの子よりも私の方が彼の隣に居られる努力をするのに。


 ――でも、私は星に手を伸ばさない。


 嫉妬なんて、意味のないことだ。


「帆織くん……好きだよ」


 妄想の中でなら、いくらでも星に手が届く。努力なんかせずに星の傍に居られる。

 だから私は、逃げる。

 逃げる私は、ただの臆病者。


「現実なんて、大嫌い」


 夢見る少女は、理不尽な世界にそんな小さな悲鳴を上げた。

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