第126話 『 150枚の原稿と偽りの友情 』

 ある日の放課後。


「文化祭楽しみだね」

「私にとってはこんなイベント憂鬱でしかないよ。準備のせいで家に帰る時間が遅れて読書する時間も減れば復習する時間だって奪われる。文化祭なんてものは所詮、青春を謳う者たちの祭典でしかなくて、私みたいなそれを毛嫌いする者にとってはただの苦行だ」

「あはは。水野さんも文化祭苦手なんだね」


 僕はクラスメイトでもあり同じ図書委員でもある水野さんと学校近くの喫茶店にいた。

 彼女と喫茶店にいるのは勿論ちゃんとした理由があるんだけど、それを果たす前にまずは水野さんの鬱憤を聞かないといけないみたいだ。


「そんな卑屈にならないで素直に楽しめばいいんじゃない。確かに僕らの出し物的に準備には時間が掛かりそうだけど、それだって楽しい思い出になると思うよ」

「帆織くんて雰囲気は私と同じ側な気がするのにその実情は全く以て正反対だよね。キミも私が苦手とするタイプと同じ思考をしているよ」

「それじゃあ、水野さんは僕のこと嫌いなのかな」


 しゅん、と僕が落ち込むと、水野さんは慌てて首を横に振った。


「ちがっ……べつに、帆織くんのことは嫌いじゃないよ。確かに考えは私とは全然違うし性格も真反対だ。でも、キミの物腰が柔らかい所とか、落ち着いた声音とか……そういう他人に安寧を与えるような所は、キミの美点だし一緒に居て気楽と感じてる、よ」

「そっか。それってつまり、僕は水野さんと仲良くしても大丈夫ってことかな?」

「――はぁ。キミは本当に罪作りな人だよ」


 安堵する僕とは裏腹に、水野さんはどっと疲れたような吐息をこぼした。僕、また知らぬ間に何かやらかしちゃったかな?

 小首を傾げる僕を余所に水野さんはコホンッ、と咳払いすると、


「……それよりも、今日突然私を誘った経緯について、そろそろ尋ねてもいいかな?」

「あ、そうだったね。あまり水野さんの時間を奪うのもよくないね」

「……べつに私は構わないけど」

「? 何か言った?」

「なんでもないよ。それよりも早く本題に入って欲しいな」


 急かされるように促されて、僕はこくりと頷くと鞄からとある物を取り出した。

 それと同時。心臓が緊張で早鐘を打ち始める。


「水野さんもこういう気持ちだったのかな?」

「? どういうこと――」


 一つ。大きな息を吐いた。それから僕は、いつか水野さんが僕にそれを渡してくれた日のように、大切に抱えていたそれを彼女に渡した。

 それを見た水野さんは、驚いたように目をぱちぱちと瞬かせて。


「……これは?」

「えへへ。小説。僕も書いてみたんだ」

「え!」


 照れくさそうにはにかみながらそれの正体を告げると、水野さんは驚愕に大声を上げた。結構な声量で周囲のお客さんに振り向かれてしまい、僕らはぺこぺこと頭を下げてから話を再開させた。


「……書いたって、帆織くんが書いたの?」

「うん。夏休み中に書いてみたんだ」

「どうしてさ?」

「どうしてって。水野さんが僕に書いた小説をくれた時に言ったでしょ。僕もやってみようかなって」

「それで本当に書いちゃうとか、キミって本当に何者なのさ」

「ただの一般人だよ。そしてオタクでもある!」


 水野さんは原稿用紙が入った封筒を見つめながら、呆れたようにも感服したようにも思える吐息をこぼした。


「これ、私なんかが読んでいいの?」

「勿論。是非読んで欲しいな」

「ありがとう。大切に読ませてもらうよ」


 水野さんは封筒を大事に抱えてくれた。それだけで、僕としては十分だった。

 無事に原稿を渡せた緊張が解けたのか、僕は急速に乾き始めた喉をカフェオレで潤してからふぅ、と息を吐いた。


「やっぱりこういうのは緊張するね」

「ふふ。でしょ。私も帆織くんに渡した時凄い緊張した」

「でもすごく楽しいね」

「うん。すごく心地いい。……けれど、本当に意外だったよ。まさか有言実行してくるなんて」

「夏休みの課題は早々に終わって暇を持て余してたからね。せっかくだし挑戦するにはいい機会かなって。読書感想文にも自分で執筆した経験を活かすこともできたし、有意義だったよ」

「楽しそうに書いてたようで何よりだよ。それで、この小説のジャンルは?」

「水野さんと同じく青春群像劇にしてみました」


 と答えると、水野さんは面食らったように目を瞠った。それから紺碧の瞳を細め、


「聞きたいんだけどさ、帆織くん。小説は初めて書いたんだよね?」

「え、うん。初心者が書いたものだからあまり期待はしないでね」

「そうじゃない。――キミには心の底から脱帽させられるよ。初めて書くって作品を、まさか他人の土俵に合わせて書くなんて。……私なんかよりも帆織くんの方が作家に向いてるんじゃない?」

「あはは。そんなまさか。自分で自分の書いた小説読んだ時にも思ったけど、やっぱり水野さんが書いた小説の方が作品としての完成度高いくて何十倍も面白かったよ。あ、でも僕も全力で書いたからね!」

「そんなのは原稿用紙これに触れれば言われずとも分かるよ。家に帰ったらすぐに読ませてもらうね」

「あはは。すごく緊張するよ」

「ふふっ。私の気持ち、少しは分かってくれた?」

「めちゃくちゃ分かりました」


 愉しそうに微笑みながら訊ねてきた水野さんに、僕は苦笑で返す。

 それからは、一時間ほど最近読んだ小説の感想や直近の出来事について語り合って。


「――やっぱり。帆織くんとこうしている時間は好きだな」

「えへへ。そう思ってくれてありがとう」

「……ううん。こちらこそ感謝するべきだよ」


 それを〝友情〟だと思い込んでいるのが僕だけだとも知らずに、時は過ぎていく。


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