第16話 虹の滝

 あれからセフィロスは来る度に、癒しの力の練習に付き合ってくれている。毎度自分の身体を傷つけては治させて来るので、神経がすり減りそうだ。

 途中ジュノが自分が代わりに実験台になりますと申し出たが、

「私が来る度に傷を負わされては、私が来るのが怖くなるだろう」

と言って断っていた。


 初めはごく浅い傷で練習していたものを徐々に傷口を深くしていく。時には剣で傷付けたものだけでなく、火傷まで作って練習させてきた時には、見ていた虹の天使達の方が倒れていた。暖炉の火かき棒を手に取り、火で棒を赤くなるまで熱すると、それを自らの腕に押し付けたのだ。


 にもかかわらず、当の本人は眉根ひとつ動かさずに淡々と自傷行為を繰り返す。

 それをノクトも、セフィロス大好きなエレノアさえも涼しい顔で眺めている。何十億年と生きていると、あんな風に肝が座るものなのだろうか?



 こんなにお世話になっていて何かお礼がしたいと思ったので、今日は焼き菓子を作ってみた。

 最上級神へのお礼の品がこんなでは失礼かとも思ったが、他に思いつかなかった。


 なにせ自分は外出できない。なにが巷で流行っているのか、人気の品が何なのか分からない。

 高級な装飾品や美術品を水の天使や太陽の天使に頼めばきっと持ってきてくれるが、それでは自分で用意したことにならない。


 なので徹夜をして大量に焼き菓子を作り、今はそれをイオアンナに手伝ってもらいながら箱に詰め合わせている。




 呼び鈴の音が聞こえてエントランスへ向かうと、既にジュノがセフィロスを中へ案内していた。


「なんだか今日は、あまーい良い香りがしますね」


 鼻をクンクンさせながら、早速エレノアが聞いてきた。狭い家なので、家中が甘い焼き菓子の香りでいっぱいになっている。


「レモン風味のクッキーを焼いたんです。以前、柑橘系のフルーツがお好きだと聞いたので」


 自家製のレモンピールを刻んで入れた、レモンクッキーだ。


「こんなに沢山作ったのか」


 リビングに着いて、大量に箱詰めされたクッキーの山を見てセフィロスが言う。


「いつもお世話になっているので、何かお礼が出来ないかと思って作ったんですけど……他に私が出来ることが思いつかなくて。それで、風の神殿で働く皆さんの分も用意したのですが、足りるでしょうか」


 風の神殿で働く使用人は1000人ほどだと、以前ノクトに聞いた。この狭いキッチンで、1人1枚は食べられる量を作るのがやっとだった。


「風の神殿の皆と言うと、使用人全員の分、という事か」


「はい。1人1つ分くらいしか用意できなかったんですけど……」


「アイリス様、昨日は徹夜で作ったんですよ!」


 イオアンナが、箱詰めが終わったクッキーを更に積み重ねていく。


「其方そなたの存在を皆に言う訳にはいかないが、とある女神からだと伝えて渡しておこう」


「ありがとうございます。もちろんこちらにセフィロス様とノクトとエレノアの分も用意してありますから、是非お召し上がり下さい」


 アイリスはキッチンに向かいお茶を入れる準備を始める。セフィロスはソファに座ると、早速クッキーを食べてくれていた。良かった、喜んでくれてるわよね? セフィロスは表情に乏しいので感情を読むのが難しいけれど、食べる手が止まらないのでそう解釈することにした。


「アイリス様、めちゃくちゃ美味しいです、コレ!」


「エレノア、言葉遣いと態度」


口いっぱいにクッキーを頬張るエレノアのおデコを、ノクトがペシっと指で弾いて注意していた。


「ふふ、良いのよ。たくさん食べていってね」




クッキーを食べ終えると、いつも通り癒しの力の練習をする。今日は骨に達するほど、腕に深く切込みを入れていた。

 パックリと割れた傷口からは次々と血が溢れ出し、地面にはすでに小さな血溜まりが出来ている。何度傷口を見ても慣れそうにないが、余計な事を考えている暇なんてない。いくら自分で傷をつけているとはいえ、痛いものは痛いのだから。


 すぅ、と息を吸い込んで、アイリスは意識を一点に集中させて治していく。初めの頃よりもずっと早く綺麗に治せるようになっていた。


「だいぶ上達してきたな。これならネプチューンとほとんど変わらないか、むしろ其方の方が丁寧なくらいだ。今日で練習は終わりにしよう」


「ここが限界という事でしょうか」


 まだうっすらと傷痕が残っている。どんなに長く力を当ててもこれ以上綺麗に治せそうもない。


「恐らく。でもこの位治すことが出来れば十分だろう」


 そう言いながらセフィロスは、残った傷痕をスっと消す。やっぱり天界一の癒しの力を持つものは違うな、と改めて思う。


「セフィロス様、今日はお連れしたい場所があるのですが」


「連れていきたい場所?」


「はい、森の奥に行った所にあって、少し歩くんですけど」


「分かった。ノクトとエレノアはここで待っていてくれ」


 アイリスは念の為ローブを被って、森の方へとセフィロスを案内する。数十分ほど歩いて行くと、ザァーっという、水が流れ落ちる音が聞こえてきた。その水音の方へ更に歩みを進めると、大きな滝がある場所へと出た。


「これは……虹か……」


 滝の水飛沫が太陽の光を受けて、大きな虹を作っていた。


「ここは晴れていれば、何時でも虹がかかるんです。リアナ様が私のために、こっそり作ってくれました」


 これだけ大掛かりな水源を作れるのは、リアナならではだろう。


「私のお気に入りの場所で、セフィロス様に是非お見せしたくて。こちらにベンチもあるんですよ」


 ゆっくり眺められるようにと、フレアが設置してくれた物だ。

 2人でベンチに座り、しばらく滝と虹を眺めていると、フワリと暖かい風が吹いてきた。まるで初夏に吹く生命力に満ちた風だ。


――――??


春とは言え、山奥深いここはまだまだ寒い。何でこんなに暖かい風が吹くのだろう?


 不思議に思っていると、セフィロスが横目でちらりとアイリスの方を見て言う。


「寒いだろう」


そうか、セフィロスが吹かせている風だ。


 ありがとうございますと御礼を言うと、アイリスは目を閉じて、頬を撫でる風の心地良さを感じる。



 誰だろう。セフィロスが北風しか吹かせないと言ったのは。氷の神よりも冷たいと言ったのは。

この方はこんなにも暖かい心を持っているのに。


 仕事でのことは知らない。アレクシアは前に、使えない者は切り捨てるのだと言っていた。


 でも私にとっては、今ここにいる彼が全てだ。セフィロスは出来損ないの私を、見捨てたりなんてしなかった。根気よく教えてくれるし、間違えたことをしても怒ったりせず諭してくれる。


 そんな事を考えていたら、滝の音がだんだんと遠のいていく……。






…………?



 アイリスが次に目を開けた時には、虹は消えていた。日が少し傾きかけている。


「起きたか?」


 セフィロスの言葉に、ハッと我に返る。


――やってしまった。


 いつの間にか眠ってしまっていた。しかもがっつりセフィロスに寄りかかっていたようだ。


「もっ、申し訳ありません。気持ちが良くてつい……」


「いや、徹夜をした上に癒しの力を使う練習をして、余程疲れていたのだろう。気にしなくていい」


 もう恥ずかし過ぎて顔を見られない。ヨダレを垂らしていなかっただけマシだろうか。


「あの、どのくらい寝ていたのでしょうか」


「1時間と少しと言ったところか」


 1時間以上も……。ヒマな私にとっての1時間と、セフィロスの1時間には雲泥の差がある。何せ相手は分単位でスケジュールをこなしているのだ。ノクトが家で気を揉んで待っているかもしれない。


「帰ろうか」


はい、と返事をして家路につくと、天使たちがすぐさま出迎えてくれた。


「あっ! アイリス様、セフィロス様、おかえりなさいませ」


 ジュノが脱いだローブを受け取ってくれる。


「随分とゆっくりしてらしたんですね。セフィロス様が付いているとは言え、ちょっと心配になってきたので様子を見に行こうかと思っちゃいましたよ」


「えっ?! ええ……ちょっと、その……気持ちよかったものだから、私、居眠りしてしまって」


「「いっ、居眠り?!」」


ノクトとエレノアがハモった。目が点になっている。


「アイリス様、寝不足でしたもんねー」


呑気にジュノが答える横でエレノアが


「セフィロス様の前で居眠りする方なんて、ロキ様くらいだと思っていたわ」


と呟いている。やっぱりダメだったんだ。


「セフィロス様、この後のご予定の方は大丈夫でしょうか?」


「それならご心配要りません。すでに調整済みです」


ノクトがキビキビと答えてくれた。さすが過ぎる。





 大量のクッキーを馬に乗せ終わるところで、アイリスは恐る恐る聞いてみた。


「あの、セフィロス様。今日は大変失礼致しました。それで……またいらして下さいますか?」


 大失態を犯してしまったので、もしかしたら次は無いかもしれないと思うと不安になったのだ。


「ああ、また近いうちに」


 いつも通りの返事にホッとする。お待ちしております。と言うと3人は帰って行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る