第7話 引越し
ヒュドラの抜け殻が張り巡らされた部屋の中で、アレクシアの授業を受けながら淡々と日々を過ごしていく。
アイリスは水の神殿を訪れる者にも、使用人達にさえも気付かれずに時を過ごした。そして3ヶ月近くたった頃、アイリスの家が完成したということで引っ越すことになった。
「大変お世話になりました」
ヒュドラの抜け殻が編み込まれたローブを目深に被ったアイリスは、水の天使達に丁寧にお礼を言った。
「とんでもありません。私達も時々、遊びに行かせてもらいますね」
「さあ、出発しましょう」
アイリスと虹の天使5人、リアナとアレクシアが客車に乗り込むと、馬車がゆっくりと動き出した。
神殿の外へ出るのは初めてだ。カーテンの隙間からちらりと外を覗いてみると、街には噴水や水路があちこちに配置されていて水の豊かな街並みが広がっている。
「あの水はリアナ様の神殿から流れているのですか?」
水路が全て、水の神殿に繋がっているように見えたので聞いてみると、アレクシアが答えてくれた。
「そうですよ。だから皆この街のことを『聖水が流れる街』なんて呼んでるんです。それで聖水にあやかろうとする者が各地から来るので、いつもこんな風に賑わっているんですよ」
「あの水、全て聖水なのですか?!」
穢れを払うとされる聖水はごく一部の神だけが創り出せる代物で、貴重な物だと習った。流れる水が全て聖水だとすると、大盤振る舞い過ぎないだろうか。
「まさか。私の作る聖水は超超一級品よ。水路になんて垂れ流しにするわけないわ。そうと分かっているくせに、みんな来ちゃうのよ」
リアナが面白そうに目を細めながら答えてくれた。
「そうですよね。それなのに私、2度もリアナ様の聖水を頂いてしまいました」
1度目は肉を食べて吐いてしまった時。2度目はヘルハウンドに襲われた時で、魔物に襲われた穢れを払うために使わせてもらった。
「あら、私のかわいい娘のためだもの。いくらでも出してあげるわよ」
「リアナ様『私のかわいい娘』だなんて、まるで天使の親みたいな言い方ですね」
クスクスと笑いながらアレクシアが突っ込みをいれる。
神の場合、生まれてきた子の面倒はその子の守護天使がする。その上、博愛が基本の神にとって親子と言う関係にはさして意味を持たないのが普通だ。
リアナが特別、自分の事を可愛がってくれているのが嬉しい。
「アレクシアに教えてもらったと思うけど、五門は分かるわね?」
「はい。7つの層それぞれに、東西南北と中央の5つに門があるんですよね」
「そうよ。これから潜くぐるのは中央にある、私が管理する2層目の中央門。皆には水の門って呼ばれているわ。そして出るのは2層目の南門。」
五門は管理する神の神気によって、自分の行きたい好きな門へと出ることが出来る、言わばワープゾーンだ。
五門を通らなくても移動はできるが、時間がかかるために、多くは通行料を支払って利用する。当然、別の層への移動は層内を移動するよりも高い。
さらに付け加えると、7つの層はそれぞれ、5人の神が管轄地として治めていてる。
東西南北に分割された土地をそれぞれに神が治め、さらにそれを、中央部を直轄地として治める最上級神が監督すると言う方式だ。
五門はだいたい、その地を治める神の神殿の側近くにある。
「2層目の南は花の女神・フローラ様の管轄地でしたよね?」
「ええ、だから通称『花の門』。そこから馬車で更に北東へ移動して、ヘムル峡谷と言う山間近くに行くの。森に入ると途中からは馬車では行けないから、馬に乗り換えてね。馬はドレイクが用意しておいてくれているから」
さらにリアナが続けて説明する。
「本当なら私の管轄地に住んでもらいたかったんだけど、どうしても天使も神も沢山集う場所だからね。でもこれから行くところは比較的温暖な気候で、フローラが管轄してあるだけあって、花が咲き乱れる美しい所よ」
周りの馬車や天使達が門を通る前に並んで待っているのに対して、アイリスの乗る馬車はそのまま止まることなく進んで行った。当然の事ながらリアナが乗る馬車は顔パスだ。御者をしてくれている水の天使の顔は、門番に覚えられているのだろう。
水の門をくぐったと思った次の瞬間にはもう出ているところだった。
気になって窓の外を再び覗いてみると目に鮮やかな色彩が飛び込んできた。赤、黄、白、紫、桃色……街中を色とりどりの花が咲き乱れている。
先程までしていた水の清涼感ある香りから変わって、むせ返るような花の香りがドアの隙間からしてくるようだった。
こんな風に花がいっぱい咲くような、素敵な場所に住めるなら思っていたよりも楽しいかも。
リアナから離れて暮らすことにちょっと寂しさを覚えていたけれど、少しだけ気分が明るくなった。
道すがらリアナが色々とこれからの生活について説明してくれた。馬車に揺られ、更に馬に乗り継ぎ移動していると、先程の花の都の絢爛な様相から徐々に深い緑の景色へと変わっていく。
決して緑が嫌いという訳では無いけれど、いかにも誰も寄り付かなそうな場所、という感じがして何だか詫びしい。
馬車で2時間、馬に乗り継いで1時間と少し程すると目的の場所に到着した。
「ここが今日からあなたの家よ」
山の奥深くにあったのは、レンガ造りの素朴な雰囲気のする家だった。
「ここ一帯はフレイの『影隠し』の術を施してあるの。だからここに、アイリスの家があるって言う事がハッキリと分かっていないと、たとえ誰かが通りかかっても気付かないか、巨大な岩があるくらいにしか見えないわ」
アイリスの目にはそこにハッキリと家があるのが見えるのに、そんな事があるなんて不思議だ。
中に入りアレクシアにざっと説明してもらう。
螺旋階段を中心に1階にはキッチン、ダイニング、バスルーム、リビング。2階にはアイリスの部屋の隣りに守護天使長であるジュノの部屋、そして残り4人の守護天使は2人で一部屋ずつの相部屋になっている。
家具や小物、生活に必要なものは一通り揃えられていて不自由なく過ごせそうだ。
神の住処を「神殿」と呼ぶので、アイリスの住むこの場所が虹の神殿となるのだが、神殿と言うよりは「家」と呼ぶ方がしっくりとくる。ここに来るまでの道のりでみたちょっと大きめの天使の家も、ちょうどこんな感じだった。
「私の守護天使か太陽の天使が月に一度は来るから、その時に生活に必要なものを持たせるわね」
「何から何まで、本当にありがとうございます」
アイリスがお礼を言うと、リアナはアイリスの小さな身体を抱き寄せる。
「お礼なんていらないのよ。むしろ私はあなたに謝らなきゃならないくらいなんだから」
「謝る、ですか?」
「こんな風に、隠れて暮らさせるような真似をしてしまってゴメンなさいね」
「いえ、私がまともに神気を操れないのがいけないんです。その上、武器を手に取ることすら出来ないし、守護天使たちだって…」
涙ぐむアイリスを、リアナがそっと撫でてくれる。
「アイリス、これだけは言っておくわね。あなたの神気は他のどの神とも違う、とても素晴らしい物なのよ。立神りっしんして天界中にその神気が満ちるようになれば、もっとずっとこの世界がいい物になるって、私もフレイも確信してるわ」
「そう……でしょうか」
それなら何で、私を隠すような真似をするのですか。 ――と聞きたかったけれど言えなかった。
「本当よ。だけど、今はちょっとだけ辛抱して」
「はい」
「ジュノ、それから守護天使達。アイリスの事を頼んだわよ」
「はいっ!」
虹の天使たちが勢いよく答えると、リアナとアレクシアは帰って行ってしまった。
こうして新たな場所で、アイリスの隠居生活がスタートした。
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