第6話 ヒュドラの抜け殻
「まさかこんな事にグスタフの抜け殻を使うなんて、思ってもみなかったわ。それじゃあ私は仕事がたまってきちゃったから、あとはアレクシアに任せるわね」
リアナは水の天使に大量の荷物を抱えさせて部屋にやってきたかと思うと、ドレイクにせっつかれながらすぐさま部屋から出ていってしまった。
「あの、これは一体何が入っているんですか? 」
「グスタフ……つまり、リアナ様の神獣・ヒュドラの抜け殻が入ってます」
ヒュドラと言うのは、強力な毒と再生可能な首を持つ水蛇のことだ。守護天使と同様にして神と契約を結んだ生き物の事を、神獣あるいは神鳥と呼ぶ。グスタフはリアナの神獣の名前だった。
「これを今から部屋中に貼り付けます! という訳で、虹の天使達も手伝って! 」
アレクシアの号令の元に、みんなでせっせとヒュドラの抜け殻を、壁や天井に貼り付けていく。
アイリスも手伝おうとしたが、必要ないとキッパリ断られてしまったので大人しく見ている事にした。
「ヒュドラの抜け殻は神気を透過しないって言う、特殊な作用があるんですよ。アイリス様の神気を悟られないように、こうして対策しておきますね」
アレクシアが作業をしながら説明してくれる。
どうやら私の神気は普通ではない、という事はこの奇妙な光景を見れば容易に想像できた。どんどん部屋がヒュドラの抜け殻で埋まっていく。
「そうそう、ヒュドラの抜け殻は高値で売れるらしいんですよ。実際に昔、ヒュドラの抜け殻が編み込まれた縄が、裏取引されているのを摘発された事があって。その取引額がもう、とんでもない額だったとか」
「一体そんな縄、何に使うんですか? 」
アレクシアが抜け殻をヒラヒラさせながら言うと、脚立に乗って天井に貼り付ける作業をしているジュノが聞いた。ジュノは一番最初にアイリスが生み出した守護天使なので、彼が守護天使長だ。
「神を拘束したり、尋問に掛けたりする時に使うような代物よ。天使だって巻き付けられれば神気を貰えなくなるの」
アレクシアはわざと声を低くして虹の天使達を脅してみせると、ジュノが脚立から落ちた。他の天使たちも口を開けて固まっている。
そんな様子を面白そうに眺めながら、アレクシアが更に続けて話す。
「それでね、リアナ様が軍部にあげたヒュドラの抜け殻を、もしかしてロキ様が横流したんじゃないかって噂も出たの」
「ロキ様って、火の神ですよね」
確か7人いる最上級神のうちの一人だったはずだ。流石に一番偉い神の名前くらいは生まれたその日のうちに覚えた。
「そうです。昼の軍部を統括しているんですが、それを聞いたロキ様がキレちゃって。辺り一面火の海になったんですよ。リアナ様も消火に駆り出されたんですけど、ロキ様の火は普通の火じゃないからなかなか消えなくて大変でした」
アレクシアが遠い目をして言う。
「そんな大火事だったなら、もしかしてケガ人も? 」
「はい。重傷者が多数出て、セフィロス様がそれはもう、めちゃくちゃ怒ってらっしゃいましたね。セフィロス様は普段から怖いですけど、あの時は本当に、息ができなくなるかと思いましたよ」
セフィロスは確か、風の神の名だ。なぜ風の神まで怒るんだろう? 迷惑を被ったリアナなら怒るのも分かるけど……風で火を吹き消す手伝いでもしたんだろうか。
「あの、なぜセフィロス様が怒ったのですか?」
「あっ、この辺の話はまだしてませんでしたね。セフィロス様は医療関係のトップですから。と言うのも癒しの力を使える4人の中でも、最高峰の治癒力をお持ちで、かつ天界一の医術者なんですよ」
という事は、同じく癒しの力を使えるリアナやフレイよりもすごい治癒力を持っていると言う事なのか。
「アイリス様のその首の傷跡も、セフィロス様なら綺麗に治してくださると思うんですけど……」
ちらりとアイリスの首元を見ながら、アレクシアが言った。アイリスの首にはヘルハウンドに噛み付かれた時の跡がまだ少し残っている。
「生きていられただけ良かったわ。傷跡があるからって不自由する訳じゃないし、大丈夫よ」
自分では鏡を見なければ見えないので、そんなに気にしていない。
そんな事よりこの傷跡を、両親を含め周りの者達があまりに残念がるので、逆に申し訳ない気持ちになってくる。なんて不甲斐ない神なんだろう。
「セフィロス様にお会いする日が来たら、きっと治して下さいますよ。ちょーっと怖い雰囲気を醸し出しているんですけど、実はとっても優しい方なので」
「先程からセフィロス様の事を怖い怖いって連呼してますけど、大火事を引き起こしたロキ様より怖いんですか? 僕、ちょっと会うの恐ろしくなってきちゃいましたよ」
ジュノが気になっていた事を言ってくれた。そんなに怖い方なのだろうか。
「巷では『氷の神より冷たい』『北風しか吹かせない』『表情筋が死んでる』なんて言われてますけどね。あ、これ絶対本人の前で言っちゃダメなヤツですよ」
すごい言われようだ。忠告されなくても、絶対言わない。
「何故そんな言われ方を?」
「セフィロス様は仕事にすっごく厳しい事で有名ですからね。使えない者はバッサリ切り捨てるので」
まずい。私は今のところできない側だ。
「でも先程言ったように、本当は優しい方なんですよ。ただ勘違いされやすいと言うだけで。ロキ様の方はセフィロス様とはまた違って少々荒い方ですけど、喜怒哀楽がハッキリしていて単純なので分かりやすいですね」
何となく、最上級神はみんなリアナやフレイの様な感じなのかと思っていたけれど、全然違うらしい。個性豊かな面々が揃っていそうだ。
そうこう駄べっていると、いつの間にか作業が終わっていた。壁や天井の至る所にヒュドラの抜け殻が貼り付けられて、異様な光景をしていた。
それをアイリスと虹の天使達はぐるりと見回す。
「安心して下さい。急ピッチでアイリス様の家を造らせるって仰っていましたから、ほんの数ヶ月の間の辛抱です。アイリス様が危険な目に遭わない為と言うことですから、窮屈かと思いますがご理解下さい」
「ええ、むしろこんなにお世話になってしまって、なんとお礼を言ったらいいのか……」
「礼には及びませんよ。神に仕えるのが天使の役目ですから。リアナ様もむしろこんな事になって、申し訳なさそうにしていましたし。どう言う事情があるのかは詳しく話せませんが、アイリス様が少しでも快適に過ごせるように、私になんでも仰ってくださいね」
やっぱり事情については口止めされているのか。
自分の事なのに知らないと言うのは、何だか歯痒い。でも、自分より遥かに長い時を生きる両親が焦るくらいだ。聞くのが恐ろしいような気もする。
「ええ、アレクシア。よろしくお願いね」
今はただ、言われたようにするしかない。
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