第3話 アレクシアの授業

「アイリス様、お加減はいかがですか?」


「すっかり良くなったわ。ありがとう」


 水の守護天使アレクシアが心配そうに尋ねてきたので、アイリスはニコリと笑ってベッドから身体を起こした。


 自分が生まれたのは、ほんの数時間前の事。

 服を着て身だしなみを整えると、アレクシアが食事を用意しくれた。


 こんがりと焼かれた鶏肉のソテーにオレンジソースがトロリとかかったサンドウィッチ。それを見た瞬間、アイリスは妙な嫌悪感に襲われた。


「食べたくない」と強く思ったけれど、自分の守護天使は主が手をつけるまでは食べられない。なによりせっかく用意してくれた食事を、手をつけずに突っぱねるなんてマネは到底出来ない。


 そうして無理矢理口の中に肉を入れて飲み込むと、急激に気持ちが悪くなって全て吐いてしまった。


 驚いたアレクシアがすぐさまリアナを呼んで癒しの力を使ってくれだが、全く気分は良くならない。ならばと今度は聖水を飲ませてくれた。

 すると、あっという間に身体を覆っていた嫌悪感が消えたのだ。


 リアナの話では、どうやら自分は菜食主義者ベジタリアンのようだ。いや、肉や魚と言ったものを身体が全く受け付けないと言った意味では、アレルギーと言った方がしっくりくるかもしれない。


 聖水は身体の穢れを浄化する作用がある。癒しの力が効かずに聖水が効いたということはつまり、生臭物を食べると身体が穢れることを意味していた。


 リアナはアイリスのこの体質をかなり訝しんでいたけれど、最終的には


「あなたは神よ。数ヶ月飲み食いしなくたって大丈夫な体だから、肉や魚を食べれないくらい、なんて事ないわよ!」


と明るい声で言って励ましてくれた。


 これが小一時間ほど前の出来事。大事をとってベッドで休んでいるところに、アレクシアがお茶を持って様子を見に来てくれた。


「具合がよろしいようでしたら、お茶でも飲みながら天界について教えるように、と言われているのですが」


「もちろん、色々教えて欲しいわ」


「それではこちらの本をどうぞ。それから虹の守護天使達も一緒に、ここに来て座って」


アレクシアがテーブルの上に分厚い本を、教科書代わりに置いた。


 天使の中には、神は生まれた時から何でもかんでも知っている。なんて思っている者もいるようだけれど、それは違う。


 神は生まれた時は赤子ではなく、ある程度成長した5歳程の子どもの姿で生まれ、言葉も不自由なく話せる。でも世の中の事なら、その辺にいる天使の子供に聞いた方が、余程良く知っているだろう。


 単純に神が不老長寿で、何千年、何万年、長い者だと何億年と生きているうちに、知識や経験が蓄積されているだけなのだ。自分のように産まれたばかりの神には、何の知識も経験も備わっていない。


 そういう訳でアレクシアはこれから、天界についてのあれこれを一から教えてくれる。





「この天界を創った最初の神、7人を最上級神。最上級神同士の子供が上・上級神、最上級神と上・上級神の子供が下・上級神」


アレクシアが今教えてくれたことを、アイリスは確認するように復唱する。


「そうです。最上級神と、最上級神の神気が直に混じっている上級神を、合わせて高位神とも言いますね。それからその下は上・中・下と中級神がいて、さらにその下は下級神と続きます。下級神は下級1等神、下級2等神と数字が大きくなるほど位が低くなります」


「最上級神から離れるほど位が低くなる。という事かしら」


「はい。神は男神と女神の神気が合わさって、一定程度溜まると新たな神が生まれますからね。1番強大な神気を持つ最上級神から離れていくほど、少しづつ神気も弱まるんだそうです」


という事は、両親とも最上級神の自分は天界で2番目に位の高い、上・上級神だ。こんな生まれたばかりのひよっこが、既に千といる神より上で良いのだろうか。少し不安になる。


「そんなお顔をなさらなくても、アイリス様は素晴らしい神気をお持ちだと思いますよ?」


アイリスの気持ちを察したらしく、アレクシアが優しく微笑みかけてきた。


「今はまだ本来の力の1割程度程しか無いですけど、成長期を3度経て立神すれば、きっと天界中にアイリス様の神気が満ちるでしょう。20億年生きてる私が言うんだから間違いないですよ」


立神と言うのは大人になり、一人前の神になる事を言う。


「20億年……。途方もない時間ね」


「そうですよ。そんな途方も無い時間を掛けて生まれてきたのがアイリス様なんですから。神は子供が生まれる時、父親が立ち会うなんてことしませんが、フレイ様なんて嬉しすぎてわざわざやって来られたんですから」


「普通は父親は立ち会わないの?」


「生まれるまで誰が父親か分かりませんからね。アイリス様だって自身がお生まれになってすぐ、父親と母親が誰なのかを仰っていたではないですか」


言われてみればそうだった。何も考えず、口からついて出てきたので意識していなかった。


「あら? でも何で、生まれるまで誰の子か分からないのにフレイ様はいらっしゃったのかしら」


「それはリアナ様とフレイ様の間にだけ、子供がいなかったからですよ。リアナ様にとっても、フレイ様にとっても、アイリス様が最後の子です」


「最後の子?」


なぜ最後だとキッパリと言いきれるんだろう。


「はい。天使は1組の男女から何人でも子を成しますが、神は1組の男女で1人しか子が出来ません。しかも自分と同じ階級か、1階級違いの神との子じゃないと出来ませんね」


階級が離れすぎると一方の神気が強すぎて、もう一方の神気が負けて上手く混ざり合わない、という事らしい。


「その法則でいくと、リアナ様は他の神との子は既に居て、フレイ様との子だけがいなかった。という事ね」


その通り、とアレクシアが頷く。


 と言うことは、自分もいずれ立神したら色んな男神との子を産むことになるのだろうか。全く想像がつかないけれど。


「神は博愛の精神をお持ちですから。天使と違って誰かです。まだ生まれたばかりですから、あんまり実感が湧かないでしょうけど」


 ここでアイリスは、ふと疑問に思う。それなら神と契約を交わした守護天使はどうなるのだろう。守護天使もまた主と共に不老長寿だ。


「守護天使は結婚しないの? 子供は?」


「普通は結婚しませんね。お相手が一般の天使なら80歳そこそこで死にますから。番ったとしても子供も出来ない体になりますし」


 すごく衝撃的な事実だ。なんて契約を交わしてしまったのだろう、と自身の守護天使を見ると、5人ともその事実にはなんの感慨も湧かなかったらしく、平然とした顔をしていた。


「そんな風に悲観的な顔をなさらなくても大丈夫ですよ。私たち守護天使の愛は、全て主に注がれますから幸せですよ 」


「そう……、なの?」


「だから、守護天使のことを大事にしてください。って、私にこんな事言われなくても、アイリス様ならきっと凄く大切にされますね」


 今日はこの辺で終わりにしましょうと、アレクシアが本を閉じる。


 アイリスは20億年という、途方もない時間をかけて自分を産んでくれたリアナとフレイに、なんとも言えない感謝の気持ちが込み上げてくる。そして、自分に仕えてくれる守護天使も大事にしようと心に誓った。

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