第2話 水の女神の妊娠・出産

 厳密な階級がある天界において、最も位が高い最上級神のひとり、水の女神リアナは多忙を極める。執務机について早々、重いため息をついた。


「あーーー、休み明けのこれ、サイコーだわ。」


「そうでしょう、そうでしょう!さあ、今日も一日頑張りましょう!」


 目の前にどっさりと積まれた書類を指先で気だるげにツンとつつくと、自分と全く同じ清流を思わせるような青の瞳と髪の色を持つ天使が、手をパンパンと叩きながら元気よく答えた。


「ドレイク、あなた朝からよくそんな高いテンションでいられるわね」


「はは、これくらい上げとかないとやってられませんよ?」


 苦笑しながら答えるドレイクはリアナ直属の天使で、水の守護天使長だ。常にリアナの側にいて仕えてくれている。


「途中でないとへばらないといいけど」


 さてと、と書類の束を手に取り仕事に取り掛かる。今日は溜まりに溜まった書類の山を、片付けなければならない。自分に気合を入れて、黙々と作業をこなしていく。



ちらりと窓の外を見ると執務室に入った時には登ってきたばかりだった太陽が、いつの間にか空高い所まできている。羽根ペンを走らせる手も、1度も立たずに座り続けている腰ももう限界。書類も半分くらいは捌けてきたし、そろそろティータイムでも取ろうかしら。


 すぐ側のテーブルで同じく書類を捌いているドレイクに声をかけようとした瞬間、ふと自分の中の違和感に気づいた。


……何かしら、この感覚。ずっと昔に感じた事があるような……?


 自分の身体に満ちる神気しんきとは別のエネルギーを、腹の奥底に感じる。それはまだ小さく弱々しいものであるけれど、確実にそこにある、と感じられる。最後にこの感覚を覚えたのは何億年前だっただろうか。


ああ、そうか。これは……。


 腹に手を当て静止しているリアナを見て、ドレイクが不安げな顔で尋ねてきた。


「どうかなさいましたか?お加減でも悪いのでしょうか?」


 神なんだからそうそう具合が悪くなるなんてことはないし、自分は癒しの力も使えると言うのに、よほど変な顔をしていたに違いない。

 ドレイクの方を向いて安心させるようにニコリと微笑み、そして告げる。


「私、妊娠したわ。」


「は?」


 主の突拍子もない発言に、ドレイクのみならず同じく執務室にいた水の守護天使アレクシアまでマヌケな声をあげた。


「にっ、妊娠ですか?」


「ええ、間違いないわ。」


「それって、それって、もしかして…」


「ふふ、もちろん決まってるわ。私との間に子がいなのはフレイだけ。フレイの子よ。」


「ぃやったーーーー!」


「ちょっとドレイク、声が大きい!」


アレクシアが慌ててドレイクの口を抑える。


「だって、20億年だよ!騒がずにいられないだろ!!」


「だから、水の守護天使以外に聞かれたらどーすんのよっ!」


 今度は耳を引っ張りはじめた。


「イテテテテっ!俺、守護天使長なんだから、もうちょっと敬うやまってくれよ」


「あら、仕方ないじゃない。長を諌めるのも副守護天使長の仕事だもの」


「それでリアナ様。フレイ様にご連絡を?」


耳を擦りながらドレイクが尋ねてきた。


「うーん、そうね。直接会って言いたい気もするけど、とりあえず手紙を出しておくわ。それから、この事はもちろん水の守護天使以外にはね」


 かしこまりました!と返事をすると天使2人はやっぱり喜びを抑えきらないらしく、抱きあってはしゃいでいた。




 神の妊娠・出産は、天使や他の生き物とはかなり異なる。

 まず腹が大きくなる事もないし、つわりと言った体調の変化もない。ただ、自分の持つ神気とは別の神気がどんどんと増していくのだ。


 そうしてひと月程すると、今度は膨れ上がった神気を「どうしようも無く外に出したい」と言う衝動に駆られる時が来る。これが出産だ。


 リアナもまた妊娠している事を教えた水の守護天使達とフレイ、そしてフレイの守護天使達以外には知られること無くひと月を過ごした。




 いつも通り昼食を食べ終えリアナが再度仕事に取り掛かろうとしていた頃、それはやって来た。


早く外に出したい。


唐突にその衝動に駆られ、両腕でギュッと自分を抱いた。


 腹の奥底に宿る神気が「外に出たい」とうねりを上げ、鼓動を打つようにドクドクと波打つ。


「ドレイク、いよいよ来たみたい。フレイに連絡してちょうだい。それから水の守護天使以外は絶対に部屋に近づけてはダメよ」


 普通、神の子は生まれるまで誰の子か分からない。それ故に父親が出産に立ち会うなんて事はまず無いのだが、今回は誰の子かハッキリとしていたのでフレイを呼ぶように指示を出した。





「リアナ、僕も立ち会って大丈夫なのかい?」


 出産の準備をし始めて小一時間程した頃、大急ぎでフレイがやってきた。


「もちろんよ。自分の子が生まれるところに立ち会う男神なんて、レアよ」


「確かに、もう20億年以上生きてるって言うのに聞いたことないなぁ」


 2人で呑気なやり取りをしていると、いよいよ堪えきれなくなってきた。自分の意思とは関係なく、腹の中のものが外へ外へと突き破ろうともがき暴れている。


「あぁ、もうだめ。これ以上耐えられない……っ」


両手を前にかざして息を吸い、意識を腹から手のひらへと集中させる。


 ドクン、ドクンと腹にあるエネルギーの塊がいっそう強く脈をうち、激しくうねりだす。一刻も早く外に出してしまい。



早く、早く、早くっ!!



 リアナがかざした両手から眩い光が溢れだし、6つに分かれたかと思うとあっという間に玉の様に丸くなった。


 肩で息をしながら固唾を飲んで見守っていると、その内の最も大きな光が徐々に人のような形を成す。

 徐々に光が収まりそこに居たのは、人で言えば5歳位と言った見た目の少女。


思わずゴクリ、と息を呑んだ。


恐らく少女の姿を見て固まってしまったのは自分だけじゃない。



――あまりにも美しすぎる。



小さな顔に収められているのは、長いまつ毛に縁取られた大きくパッチリとした丸い瞳にふっくらとした桃色の唇。そして透明感のあるつややかな肌と、毛先が緩やかに波打ちサラりと流れる髪。成長して大人になれば、さぞ美しい女神になることが容易に想像できるような容姿。


少女はこちらに視線を向けると、すぐに膝を折り挨拶をし始めた。


「太陽の神・フレイ様と水の神・リアナ様との子で、虹の神アイリスと申します。産んでくださり、感謝申し上げます」


「ドレイク、布をかけてあげなさい」


 かしこまりましたと返事をしたドレイクは、一糸も纏わない少女の身体に用意しておいた布をフワリと巻き付けた。


「さあ、アイリス。あなたの守護天使となる者に名を与え、契約を交わしなさい」


 リアナの言葉にこくりと頷いて返事をすると、アイリスは自分の周りを囲うように輝いていた光の玉の一つを、そっと手のひらに乗せた。


「どんな者にそばにいて欲しいか、頭の中でイメージしながら命を吹き込むのよ」


「分かりました」


 手のひらに乗せた光の玉を愛おしそうに見つめながら、アイリスは言葉を紡いでいく。


「あなたの名前はジュノ。私の守護天使よ。私に仕つかえる代わりに、あなたに悠久の時と私の色を与えましょう」


 アイリスが光の玉に唇を近づけて、ふぅ。と息を吹きかけると、ふわりと玉が手から滑り落ちいく。みるみるうちにその光の玉は溶け、20歳前後のアイリスと同じ瞳と髪の色を持つ男の姿に変わった。


「アイリス様、命を賭してあなたにお仕えすることを誓います」


 アイリスは優しく微笑みながらこくりと頷き、ドレイクに手渡された布をジュノと名付けられた男に掛けた。


 このやり取りを残り4つの玉にも繰り返して契約を交わし終えると、これまでリアナの隣で黙って見ていたフレイが口を開いた。


「アイリス、君は素晴らしい色の持ち主だね」


「ええ、こんな色を持つ者を見たことないわ」


 リアナが触れるアイリスの髪と瞳の色は白銀。ただし、ただの白銀ではない。光にあたる度にキラキラと虹色に輝き不思議な色合いをしている。


「これは今から『披露目の儀』が楽しみだねぇ」


フレイが早く皆に見せたいとばかりに言うと、リアナも同意して頷く。


「ええ。早速、招待状を用意しなくちゃね。アイリスも虹の守護天使たちも生まれたばかりでお腹が空いているでしょ? 服を着て食事にしましょう」


 水の守護天使達に指示を出すとリアナはフレイと一緒に部屋を出た。

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