英雄の秘密

三鹿ショート

英雄の秘密

 私の声は、誰にも届くことはない。

 学校の屋上という場所は立ち入りが禁じられているために、訪れる人間は皆無だった。

 ゆえに、私がどれだけ助けを求めようとも、手を差し伸べてくれるような人間は存在しなかった。

 今日もまた、私は彼らの気が済むまで殴られ、蹴られ続けるはずだった。

 だが、彼女が現われたことで、彼らの動きは停止した。

 表向きの彼らは優等生であるために、目撃されれば然るべき人間に伝えられると恐れたのだろう。

 彼女に近付いていき、目にしたものを口外しないように求めている。

 しかし、彼女は彼らに対応することなく、日当たりの良い場所まで移動すると、仰向けになって目を閉じた。

 その態度が癪に障ったのか、彼らの一人が彼女に怒鳴り声を浴びせた。

 彼女は目を開けると、疲れたように大きく息を吐いた。

 そして、迷うことなく、相手の股間に拳を打ち込んだ。

 相手はそのまま倒れると、動かなくなってしまった。

 突然の行為に彼らは目を見開いていたが、仲間に手を出されては、黙っていられないらしい。

 彼女に近付き、敵意を剥き出しにしながら声をかけている。

 一人が彼女の胸座を取ったが、彼女は相手の指を曲がってはならない方向へと曲げ、無理矢理自分を解放させた。

 驚いている隙に、仲間の一人の顎に強烈な一撃を食らわせ、意識を消失させた。

 中には彼女に立ち向かう人間も存在したが、抵抗しない相手に慣れていたためか、あっさりと彼女に倒されてしまった。

 呻く彼らをしばらく見下ろした後、彼女は再び仰向けになり、目を閉じた。

 私は、どうすれば良いのか分からなかった。


***


 屋上での一件以来、私は彼らに手を出されることがなくなった。

 彼女一人に漏れなく倒されてしまったことが、それほどまでに恥ずかしかったのだろう。

 私が彼女に感謝の言葉を伝えたところ、

「昼寝の邪魔をされたために、黙らせただけです。あなたのためではありません」

 そのような言葉を吐くと、何事も無かったかのようにその場を立ち去った。

 だが、私の気が済むことは無かった。

 彼女は私が依頼していないにも関わらず、救ってくれたのである。

 それならば、私もまた、彼女のために何らかの行動をするべきではないだろうか。

 ゆえに、私は彼女が困った事態に遭遇した場合に備え、その姿を追い続けた。

 しかし、何らかの災難が彼女を襲うことはなく、ただ日々が過ぎていくのみだった。


***


 偶然にも街中で彼女の姿を目にしたため、私は声をかけようとした。

 だが、彼女に連れが存在していることに気が付くと、私は邪魔だろうと考え、その場を去ろうとした。

 しかし、相手が下卑た笑みを浮かべた中年の男性だったために、私は一抹の不安を覚えた。

 そのまま尾行すると、やがて二人は宿泊施設へと消えていった。

 中でどのような行為が繰り広げられているのかなど、想像するに難くない。

 だが、私が彼女を軽蔑することはなかった。

 たとえ彼女が金銭欲しさに手っ取り早い行為を選んだとしても、それを否定しないことが、私を救ってくれた人間に対する恩返しというものではないだろうか。

 私は、何も見なかったことにして、自宅へ向かうことにした。


***


 翌日、学校に現われた彼女の顔面には傷が存在していた。

 昨日の中年男性に乱暴なことでもされたのだろうかと心配になり、私は思わずそう問うた。

 彼女は私に目撃されたことに対して、特段の感情も見せることなく、淡々と語った。

「父親に殴られただけです。客からさらに金銭を搾り取ることが出来たにも関わらず、それをしなかった私に対する罰のようです」

 私は、彼女の言葉が信じられなかった。

 つまり、彼女は父親の命令で、自身の身体を使って商売をしているというわけなのだろうか。

 私の表情からその疑問を察したのだろう、彼女は軽く頷くと、

「数年前から行っていることですから、苦ではありません。此方の家庭の事情ですから、あなたが気にすることは何もないのです」

 そう告げると、彼女は教室から姿を消した。

 私もまた、彼女を追うように教室を出て行く。

 しかし、私は彼女と合流するつもりはなかった。


***


 外から家の中を窺うと、彼女の父親は朝から酒を飲んでいた。

 顔は林檎のように赤くなっているところを見ると、既に酔いが回っているのだろう。

 私は庭に身を隠しながら、そのときを待った。

 やがて、彼女の父親が眠ったことを確認すると、僅かに開いていた窓から家の中に侵入した。

 鼾をかいている彼女の父親の頭部めがけて、私は室内に転がっていた酒瓶を振り下ろした。

 激痛で彼女の父親が目を覚ますが、私が手を止めることはない。

 彼女の父親が動かなくなったことを確認すると、私は手にしていた酒瓶を鞄の中に仕舞い、彼女の家を後にした。

 これで、彼女に対する恩返しは完了した。

 これほどの行為に及ぶことが出来たことに、自分でも驚いている。

 もしかすると、私を痛めつけていた彼らについても、自分の手で解決することが出来ていた可能性も存在するが、今さら考えたところで、どうにもならない。


***


 翌日、私は彼女に屋上に呼び出されたため、その場に向かった。

 待ち受けていた彼女は、相変わらずの無表情のまま、私に問うた。

「あなたが実行したのですか」

 父親の件だろうと思い、私は首肯を返した。

「私を救ってくれた恩返しです」

「そのようなことは、頼んでいません」

「私が勝手にやったことですから、あなたが気にする必要はありません」

 私がそう告げると、彼女が近付いてきた。

 求めているわけではないが、感謝の言葉を貰うことができるのだろうかと考えていると、不意に、激痛を感じ始めた。

 それは、腹部に突き刺さった刃物によるものだった。

 膝をつき、地面に倒れながら、彼女に何故このようなことをするのかと問うた。

 彼女は私を見下ろしながら、

「私があのような行為を続けてきた理由は、父親を愛していたためです。どれほど堕落し、傍若無人と化したとしても、私の父親に対する愛情が変わることは無かったのです」

 彼女は私の口の中に四指を突っ込み、親指で顎を押さえながら、

「愛する人間を奪った罪は、途轍もない重さだということを、理解させましょう」

 それから彼女は、無言で私の頭部を殴り続けた。

 彼女は指の骨が折れようともその行為を続けたため、やがて、私の意識は途絶えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

英雄の秘密 三鹿ショート @mijikashort

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ